最後の聖戦の一齣から | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

 

 

初代ジェイムス・ボンド、ショーン・コネリーが亡くなった。ありきたりの言葉では表現できないので、あえてしない。

 
黙祷。

 

 
 
 
 
その少し前のことだった。たぶん新型コロナなどというウイルスが蔓延しなければ起きなかったことだと思うが、我が家にサイドカーがやって来た。たぶんコロナウイルスに脳をやられたのだ。
 
 
 
Ural Gear-Up 
 
第二次世界大戦中にドイツで活躍したBMWのR71サイドカーをソ連がパクったのが起源のサイドカーである。
 
その後、なんの改良もなく脈々と計画生産されてきたこのサイドカーにもペレストロイカの風が吹いた。吹いて吹いて、たぶん吹き終わった頃、そうね、だいたい数年前あたりからエンジン周辺機器の近代化がなされて、6年くらい前からキャブからインジェクションになったりパーツも精度の悪い自社製から外注に変わったりと、すごくまともになりましたとさ。
 
 

でもエンジンは基本的に変わっていない749cc水平対向2気筒OHVなので、スピードはたいして出なしカチャカチャとうるさい。だからジジイには安全である。ハンドルこじって関節がボキボキなろうが、パッセンジャーには聞こえない。
 
スピードがそんなに出ないことは、もう一つありがたいことがある。なんてったって、ベンケイシーは自動二輪の免許を取ったことがない。もちろん現在も持っていないし、今後も取ることはないだろう。乗ったことがあるのは、唯一友人のパッソルだったかパッソーラだったか(1970年代後半に発売されたヤマハの原付スクーター)を河原で少し。河原だったのは免許持ってなかったからね(爆)。
 
このサイドカー、最初からサイドカーとして生産されていて、改造車ではない。また、軍用ベースで実はオートバイ側と側車側のタイヤが共に駆動する後輪二輪駆動である。よって、3輪バイクのトライク同様で、いわゆるオート三輪の範疇となり、自動車免許がないと運転できないのである。(注、自動二輪の免許では運転できない。
 
つまりトライクと一緒のカテゴリーなわけで、その気になればヘルメットすら必要ない。もちろん安全の為に被るけど。
 
 

 

サイドカーという乗り物、外見はオートバイに側車が付いた構造なので、オートバイ乗りにはすぐに乗れそうに感じるかもしれないが、実はまるっきり別物なのである。一番わかりやすいのが、車体を曲がる方向に傾けられないということだと思うが、そんな単純なものではない。したがって、二輪免許のあるなしに関わらず、ウラルディーラーは納車に際して、必ず運転講習を実施する。だいたいこの時に「俺は大丈夫だから」という人ほど、事故を起こすらしい。

 

ベンケーシーは一応1時間半くらいで見極めもらって納車終了。あとは早起きしたり人のいない広場を探したりしながら自己研鑽をすることになった。


これでショーン・コネリーに一歩近づけたと思ったが、ふと見ると、なんとショーン・コネリーは側車に乗っているではないか!このままだと、ハリソン・フォードになってしまう!


(ならないってば。)


いやはや、ショーン・コネリーへの道のりは遠い。




来るものもあれば去るものもあるのが世の道理。このブログ開設当初の音泉巡りの脚といえば、この古いランドクルーザー。FJ55G 1974年カルフォルニア仕様。【因みに55GのGはワゴン仕様を指すが、日本ではバン仕様のVしか発売されなかった。)


北陸の愛好家の元に運ばれて行った。6年くらい不動だったが、小一時間の整備でエンジンが無事、咆哮を上げた。久しぶりに聴いてなんだか懐かしかったし、もったいなくなったけれど、維持費が大変だし、身一つでは何台も面倒みる時間もない。それにそろそろ断捨離を意識して行かないといけないのだと思う。


ね。