朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -73ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

二十番への道標が見つからなかったのでGoogleマップで歩いたからかなり遠回りして2倍は歩いたかもしれない。その距離は公称800メートル。

荒川を渡るのだが、私は車道のある橋を渡った。その下流には歩行者専用の橋があって、この旧秩父橋は「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」というアニメの聖地なんだとか。



そこからこんな道を歩く。



二十番は岩之上だから高いところにあるのかと思ったら一回登って降るのだった。



二十番札所 法王山 岩之上堂 聖観世音菩薩

札所最古の建物で堂内でお詣りできる。



昔、この地の人が実家の母の看病で荒川を渡ろうとしたが大水で舟がなくて困っていると、小舟が現れて渡してくれた。それは観音様が小舟に姿をかえて助けてくれたのだと伝わっている。



内陣には見事な春日厨子の形式による厨子があって、三三身と日天、月天像、風神神像などの像がはられ、札所の中でもすぐれたものと共に貴重なものですと書いてある。



ここも、お遍路姿の2人と一緒。紅葉はまだ始まったばかり。


ここからは分岐で勝手知ったるという感じでカメラを担いだお爺さんがすたすたと歩く方向へとついていったら行き止まりで戻ったり、ワンワンと犬に吠えられたりしながら田舎道を歩き、交通量の多い道路に出ると二十一番がある。その距離900メートル。



二十一番 要光山 観音寺 聖観世音菩薩



御朱印には矢之堂とあるが諸説あって、平将門が戦勝祈願の為に矢を納めたからとか、日本武尊が東征の折、ここに立ち寄り武運長久・東国平定を祈り矢を納めたとか、八幡大菩薩が邪神悪魔退治の際、その放った矢が魔族を射抜いたままここに落ちたからとか、いろいろ言われている。



ここは元八幡宮の社地であったが、行基菩薩の刻んだ聖観世音像を安置して霊場とした。



大正12年の小学校火災で消失し、今の観音堂が作られた。ここでは八幡大菩薩説が書いてある。



宝篋印塔と沢山のお地蔵さん。



俳句を志す人も訪れるというだけあって、芭蕉の句碑もあった。


車道の脇の歩道を歩いて次へと向かうが、1.4キロとちょっとある。



道端の薬師堂。旧二十二番はこの脇を曲がり、山道へと入った先にあったそうで、長尾根みちという名前のついた江戸古道が続いている。

現二十二番へはこのまま車道を進み、逆に荒川側へと降りる感じになる。



まだ車道。今度は大日如来を祀った大日堂。こうした処に目が止まるのが徒歩の楽しみかな。

スピードが遅くなればなるほど豊かになる。だから飛行機は乗らない(高い所が怖いのと、あんな大きな物が空を飛ぶ理論が信じられないだけ。)



少し日が傾いて来た頃、なんだか雰囲気のある仁王門が待っていた。



二十二番札所 華台山 童子堂 聖観世音菩薩



子供の間で天然痘が大流行したとき、山奥の華台山から観世音菩薩を勧進し祈祷したところ、疫病はぴたりと治ったということから童子堂と呼ばれるようになった。



寺の名前は永福寺。ここは永田城の跡らしい。仁王門の仁王様は童子仁王と呼ばれる愛嬌のある仁王尊。



昔、讃岐の欲深い人が旅僧が一食の布施を願ったことを罵り何も与えなかった。するとその人の息子が犬の姿に変わってしまった。悲しんでその犬を連れて諸国の霊場を巡っていると、当山で元の人間に戻ることが出来たと伝わっている。



境内の身代わり地蔵尊と、規模はぜんぜん及ばないが石舞台古墳を思わせるような地蔵塚。

少し寒くなってきたから、途中で脱いでいた上着をここで着た。二十三番は山の上の方らしいし、今日はここまでにして途中で気になった餃子を食べようかと戻ることにした。


これは冒険に近いよな(笑)と立ち止まっていると、例のお遍路姿のペアとすれ違いちょっと恥ずかしかった😅。



水餃子は一人前10個で500円。ご飯は売り切れでなかった。中国人らしい女性が作っている本格的餃子なのかな。本格的餃子は食べた記憶があるようなないような、そんな感じなので判断できませんが、味は普通に美味しかったです。冒険は勧めないけど😅。

実はここから舗装路を秩父駅まで帰るのが、えらく辛かったんだよ。こんなに歩くの久しぶりだったから。

ね。
この日の最初のゴールと考えていたのは次の十七番で、十六番からは1.3キロ。


路地に入り、道なりに右に曲がり込むと正面に見えた。



十七番札所 実正山 定林寺 十一面観世音菩薩



どこをどう経由したのかわからないのだけど、ここで八番であったお遍路姿のペアに再開した。十四番で後姿を見た2人組はおそらくこの2人だったのだと思う。



壬生の良門の忠臣林太郎定元は、主の無道を諫めかえって家財を没収され、当地に来て没しました。その遺子空然はこの地に養われ成人の後、父の菩提のため当時を建立した。

ここまでなら秩父駅へ戻る感じなのだが、ここから先に進むと大野原駅に近くなる。ちょっと秩父駅周辺をうろうろしたいかなと思ったのだが、まだ時間は早いしということで、先を目指す。



再び巡礼古道を進むと十八番と十九番への分岐があり、そこを右(十八番方面)へと進んで警報機の無い踏切を渡り、その先のR140を信号のない横断歩道で渡る。その距離、1.1キロ。



十八番札所 白道山 神門寺 聖観世音菩薩



もと十四番今宮坊に属した修験道の寺であった。



寺伝によれば、ここは昔神社だったが荒廃してしまい、再興を願った村民達は神楽を奉納した。すると巫女に霊験があり、観音の霊地すなわち寺を建てよとのお告げがあったので、聖観世音菩薩を安置して霊場を開いたのが創始であると。

国道と踏切を渡り返して先程分岐だったところまで戻り、十九番方面へと進む。十九番はタモリ倶楽部で有名な単語「河岸段丘」へ降った先にある。距離は1.5キロ。



十九番 飛淵山 龍石寺 千手観世音菩薩

大きな砂岩の上に観音堂は建っている。左手には奪衣婆、閻魔大王、賓頭盧尊者の三尊を祀る三途婆堂。



京都から飛んで来てここに定着したという霊験あらたかな尊像で、弘法大師の作だと伝わっている。



説明では、本尊は室町時代の作とある。昔、この地方で大旱魃があり、弘法大師が天皇の勅命で雨を祈ったところ、この大盤石が二つに割れて、神泉苑から大きな竜が天に昇って雨を降らせ、大豊作をもたらしたと伝えられている。

ちょっと待て!神泉苑は京都の二条城のそば。空海がそこで雨を祈ったというのは他にも伝わっているから良いとして、この大磐石がそれで割れたという事がどうしてそこに入ってくるんだろう。謎だ。



茶筅塚は抹茶をたてる時に掻き回すアレです。古くなった茶筅を供養する為の塚。

ここからただ秩父に戻るのもなんなんで、ぐるっと回って秩父駅に近づく二十三番まで歩いて行こうと思ったけれど、それは甘かったとあとで気がつきます。

ね。
十四番から十五番に向かう途中には寄るところがあった。


写経、写仏できます。お茶付き1,100円。

実はここはMihoさんのブログで知った場所。「何かに引き寄せられるように癒しの空間に出会い身体に良さそうなお茶をいただいた」お店。

店名は書いてなかったけれど、それはいつもの事だから(笑)。癒しとかお茶とかやって検索したらすぐにわかった。そこには写経が出来ると案内されていたから、そうすることにした。

Mihoさんは友達を本当に大切にする人だった。一期一会って言ってた。友達100人できるかなってAmebaのピグを始めて本当に100人作った。でも最近のブログにはコメもなくなっていた。ブログって間が開くとそのまま描けなくなって放置されるでしょ。だから更新されなくてもだんだん気にされなくなってしまう。弁慶だっていつの間にか、なんだか疎遠になってしまって、いいね!はしていたし、されれば嬉しかったけれど、友達らしい言葉をちっともかけていなかった。言葉にしなければ、それはないのと一緒だよね。最後にコメくれたのは昨年の5月で、それはいままでよりちょっと硬い気がする。なんだよ、弁慶!もう私の事は忘れてるでしょ!って言われているような気がしてならないし、最後の本人のブログには、なんだか強がりながらも苦しんでいる姿を感じてしまう。でもそれはその時には読み取れなかった。せめて冥福を祈るしかない。悔しいが、もうこれしか出来ないから。

左側の建物でお茶や食事が出来て右側で写経、写仏ができる。繁華街なのに、とても静かな空間で、外の喧騒が不思議なくらい聞こえなかった。ちなみに初めての写経😊。



写経はえんぴつ✏️で書く。40分すると、お代わりのお茶が運ばれてくる。だいたいそのくらいで書き上がるんだと思う。弁慶もちょうど書き終わる寸前でお茶が来た。

描き終わると持ち帰りできるので、それを手にして十五番に向かったんだよ。本来、御朱印とは納経した証に頂く物なんだ。だから御朱印を頂く所は納経所という。



十五番は踏切の向こう側にあるんだけど、ちょうど踏切が閉じてしまって残念って思っていると、そこに来たのはSLだった😵。



十五番札所 母巣山 少林寺 十一面観世音菩薩

本堂は秩父大火の教訓から土蔵造り。



あれ、日付が弐拾拾日になってる😵



十五番札所はもともとは秩父神社の傍にあった蔵福寺でしたが、廃仏毀釈で廃寺となり少林寺が受け継いだものだと書いてある。

廃仏毀釈か。天皇の世、つまり神の世になったのだから、仏は廃すって。人はある時、熱にうなされたような行動を起こすよね。タリバンが世界遺産の磨崖仏壊して酷いことするなと思った人も多いだろうけれど、日本人もほんの百年ちょっと前には同じようなことをやったんだよ。自分だって、きっとそういうものだという自覚をしておかないと、そうなった時に気付かないと思う。



秩父事件で殉職された2名の警部補の墓がある。



なぜ折れているのか気になる。天災だと良いんだけれど、秩父には逆の立場で命を落とした人の家族もいるだろうし、そうした怨念のようなものでなければいいなと思った。


秩父神社にちょっと寄り道して十六番に向かう。



山門を横切るものあり。



どこに潜り込んだのか脚がよごれているね。



十六番札所 無量山 西光寺 千手観世音菩薩



本堂は宝永7年(1710年)の建立で、山門の右手には四国八十八箇所の回廊があったり、なかなか見どころが多い。



こちらは酒樽大黒天。この樽には毎日3合飲んでも30年分の酒が入るんだそうだ。



札堂では写経ができるそうだが、札堂とはなんぞや。もともと巡礼とは納札を柱や壁に打ち付けたので、その為の御堂ということらしい。秩父ではここしか残っていない。



なんか凄く難しい学術的考察が書いてあって、これを理解するのはいささか大変だよ😓



まあ、そんなことより猫と遊んでいた方が幸せってもんです。



山門を出ると巡礼の道標があった。わー、とうとう舗装路を外れて江戸時代の古道へと入るよ。

ね。
渋滞なく行ける場所はないかと聞かれて、それならば小鹿野に行こうということになった。



待ち合わせは「道の駅おかべ」10時10分。


あさみ珈琲店でテイクアウトしたコーヒーを片手に待つと予定を2分遅れて本隊到着。


1人少ないからどうしたのかと思ったらワクチンで熱出たってさ。


はい、ここから先導します。




目的地1は安田屋に11時40分に到着。


別のツーリングと三峯神社の帰りと2回連続して売り切れ閉店だったし、1人じゃないから並ぶよ。さすがに1人では並ばない、いや並べないかな。


予想を超える1時間超でやっと入店。




こんなのあったよ。


たぶん10年以上ぶり3回目。




普通に2枚は900円です。1枚の半分がちょっと硬かった。食べ終わるともう13時20分。




目的地2の小鹿神社はバイク神社ということになっていて、今日はバイクがいっぱい。




反対側もいっぱい。

昨年は次の祝日に来たからもっと紅葉が進んでいた。今日は金鑚大師に安全祈願に行った日だった。

今日も御朱印を頂いて帰ります。



ミニストップに到着。はい、15時20分解散です。


渋滞は安田屋だけでした😵。



ところで壊れたはずのメーターがまったく異常なく作動しているのですが、あれはなんだったのだろうか。




そして、このオイルはどこから来たのだろう。こっちは明確だけど。

ね。
十二番からは歩いた。

気が変わったわけではなく、ここからいくつかのお寺は市街地にあるし、季節的にそろそろ秩父の道路は渋滞が悪化すると思ったからだよ。

8時半頃に着いて御花畑駅から歩いて行くとランニングしてる集団とすれ違ったんだ。ランニングで三十四箇所回るんじゃないかなと思った。距離はちょうど100キロくらいなんだよね。

ちなみに御花畑駅って羊山の芝桜を指しているんだね。知らなかったよ(爆)。



御花畑駅から徒歩15分。この道は抜け道になっているのかタクシーとか通るから注意だね!



そう、この左から車走ってくるんだ。紅葉はまだ始まったばかりなり。



十二番札所 佛道山 野坂寺 聖観世音菩薩



副住職が朝の掃除をしてた。



ちょうどこんな感じだけど、小僧じゃなくて年齢は大人。御住職かと思ったほどだけど、納経所にもっと年配の御住職が現れたから、たぶん副住職ってことで。



楼門にはこんなに迫力のある牛の木造がいた。

実存した牛らしくて昭和六年ころから戦後にかけて普通の牛の3倍の重さの荷車を引いて活躍した怪力牛なんだって。


ここから十三番へはほぼ駅に戻る感じで、距離は1.4キロ。



十三番は御花畑駅の手前の踏切を渡った角にある。この犬はお参りしている間ずっと居たからこのお寺の飼い犬なのかな。とても大人しい奴だった。



十三番札所 旗下山 慈眼寺 聖観世音菩薩

御線香は50円だったんだけど、なんとPayPay払いが可能だった。初めてだし、とりあえず今のところ他ではない。ちなみに支払先は株式会社慈眼となっているのだけど、宗教法人じゃないの???

 

御朱印もPayPayでお納めしたよ!巡礼ってけっこうお金使うんだよ。だからキャッシュレスって凄く便利。



日本武尊東国征伐の折、この地に旗をたてさせたことからハタノ下と呼ばれ、後年これが、ハケノ下と転じた。(どうやらハケノシタと読むらしい😆。)

奥にあった瑠璃殿は薬師如来をご本尊とし、眼病平癒に御利益がある。それでか境内にはメグサリの木があった。


次の十四番は600メートルなんだけど、当然いろいろ寄り道もするし、それが歩きの醍醐味ってもんだよね。



今宮神社

茅の輪が設置されていたけれど、コロナゆえに常設なのかな。



次は今宮坊だから無関係なわけはないよなと思ったが、今宮坊はもともとは金剛寺という聖護院の直末寺で、十八番長生院と二十八番橋立堂はその末寺だったというくらい立派な寺院であった。そして龍神を祀る今宮神社の別当も兼ねていたという。



御神木ではなく龍神木

樹齢500〜600年の欅で、夏の間はフクロウが飛来し、子育てを終える秋になると南国へと飛び立つのだと。残念ながら今年はもう居ない。



十四番札所 長岳山 今宮坊 聖観世音菩薩



ここではバイクで参拝している人がいて、ああ、そういえば十二番野坂寺に着いた時にバイクで出発する準備をしている人が居たなと思った。十三番慈眼寺では会わなかったけれど、十三番のあと早めのお昼でも食べたのかな。



この札所は、秩父札所信仰に深い関係をもった修験道場の大宗今宮坊があり、その中心的建物は今宮神社でしたと書いてある。ちょっと変だね。この札所には、かな?



武田信玄は配下の失敗をこの寺の霊験にて許した

別にふつうに許して上げてもいいじゃないか😊。心は広く持とうよ(爆)。

そうだった、ここに着いた時にお遍路さんの装束を来た2人組の後姿が見えたがあとでわかるんだけど、八番で会った2人だった。

次は700メートル先の十五番に向かうけど、その前に癒やしの場所に寄るよ。だから2人組とはもう会わないはずだったんだけど。

ね。