朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -72ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

きつい念仏坂を登り切ると集落に出た。


左手に石仏が見えたので、そこが永源寺跡なのかなと道を外れて向かった。



そこには幾つかの風化した石仏と石塔が残されていた。



集落から田舎道を降り、いったん幹線道路に出ると道標は再び右手の坂を指した。次の二十四番は階段が有名だとどこかで読んだが、どうやらそこからではなく向かうようで、その坂は寺へと回り込むようにしばらく続くのだった。



二十四番札所 光智山 法泉寺 聖観世音菩薩

仁王門のように左右に格子窓があって金剛力士像が祀られている。



加賀白山の修験僧泰澄大師がこの地を訪れて、盧舎那仏の夢のお告げを受けて、地元、加賀の白山観音を安置したのがはじまりと伝わる。中世は白山修験者の拠点となっていたが、明治の修験道禁止令により、現在は臨済宗南禅寺派。



恋ヶ窪の遊女・・・恋ヶ窪って国分寺だよね。

口内の腫れ物に悩まされた恋ヶ窪の遊女が、この地に修行に来たところ、白山の観音を信じ楊枝で口の中を綺麗にして治った。



境内の六地蔵尊。

休憩所があって正面に武甲山が見えて気持ちの良い場所だった。



ということで、逆から来たので登らずに降りた116段の石段。左には門前のご飯屋さん。



降りたところにいつもの史跡案内があった。


特に道標もなく歩道のない幹線を歩いて次の二十五番に向かうことになった。途中で巡礼道の札が掛かっていたので、間違いはないと進んだが、二十五番にあった地図を見ると、裏から酒づくりの森方面に向かうと、江戸古道の久那みちに続くようだ。



途中の大きな交差点を小鹿野方面に向かっても古道に行けたみたいだが、そこも直進し幹線を車に注意しながら歩く。たまに見晴らしの良い場所があると武甲山が良く見える。



久昌寺の仁王門。背後には道路、観音堂、弁天池、本堂とちょっとずつ離れて続いている。



通称、御手判寺(おてはんじ)という。御手判とは性空上人が夢で閻魔大王から授かった石の通行手形のことで、この寺に納められている。



二十五番札所 岩谷山 久昌寺 聖観世音菩薩

久昌寺の観音堂は本堂ではなく、右手の弁天池の堰堤を登り右手に進む。





昔、欲深い女が山に篭り悪行を重ねたので村民が見かねて荒川に投げ入れた。一命を取り留めた女は女の子を出産したが、心清らかな女の子で成長してからここに寺を建て母の菩提を弔った。



これはあえて左手に進んで本堂を正面から見た様子。納経所は本堂の右側にある。



浦山口駅から帰ることにして向かって行くと、無人販売所があった。どれでも一袋100円の販売は格安だよね!



坂道を荒川に向かって歩いて行くと左手に石塔が並んでいて、真ん中にあったのは二十二夜塔だった。途中にある二十二夜塔の写真を撮れなかったのを悔やんでいたので、とても嬉しかった。この二十二夜塔は、「廿二夜塔」と掘られていて珍しいんじゃないかな。

市内で他にも二十二夜塔を見たけれど、秩父は二十二夜塔が多いのかな。二十二夜講は女人講、念仏講で、如意輪観音あるいは准胝観音を本尊とするらしい。



浦山口駅の入口にある不動尊。ここには不動名水という湧水が沸いている。



お疲れなので、冷えっ冷えっのビアいっといた。いつでも好きな時に飲みにくればいいがん😋

ね。
コロナでなかなかこういったイベントも出来なくなったが、久しぶりにそこそこ大きな規模のクラフトフェアがあった。

場所は道の駅ぐりーんふらわー牧場の風車のある公園。



赤城山で焙煎しているkaffa さんは、最近は週に2日は吉祥寺でお弁当を売っている。




帆布のgra..さん




帆布のgra..さん


あ、買物しにというわけではなく、友達に会いに行ったようなものなので、場内は散歩しただけ。


kaffaさんで珈琲2杯買ってgra..さんと飲んだ。そのあとkaffaさんに戻って、来年は佐渡に行けるといいねと話して、寒くなる前に帰った。




道の駅の売店のある方に止まっていたトライアンフのサイドカーは左側車。

本来、日本は左通行で右ハンドルだから、サイドカーも右ハンドル、側車は左が正しいです。視点が道路の真中よりにある方が視野は広くとれますね。左にハンドルがあると左カーブは先が見えにくくなりますから。

でも、サイドカーの挙動からすると、右側車のほうが良いと思う点もあるけろ🙄。

ね。
仕事で都内。電車は久しぶり。



丸善日本橋。通り過ぎて横断歩道に一歩脚を踏み出してから戻った。

ダイアリーフェアやってたけれど、1階で革製品を売っていたので立ち止まってみていると、メーカーの方が近づいてきていろいろ説明してくれた。

で、買ったわけだけど😆。



袋を閉じているのも革の紐だよ。

KAKURA


というブランドだった。



これ名刺入れなんだ。まあ、いろいろあるだろうけど、ご意見は無視します(爆)。仕事で使うわけではないので。

なんかね、丸善でちょっと思うことがあって、それで出会ったのもなんかの縁だからね。
 


東京では飲まずに帰ってビア。2杯目からはハイボールだけど、コロナで日頃飲まなくなって久しいので、酔うのが早い。



高級魚の秋刀魚を食べたよ。美味しい秋刀魚は滅多に口にはいらなくなったね。

もうね、店の意地で仕入れただけなんで、焼き代だけ赤字だと大将が言ってた。



寒いから湯豆腐。湯豆腐いいよね。

南禅寺で湯豆腐食べたいんだけど、どうしようか考えてるんだ。連れて行けって言ってる人たち、和食ばっかりじゃ飽きちゃうだろうから悩むよ。



山葵丼も安定の旨さでした。

ね。
この日は通院後に向かったので、予定を変えて二十三番へは秩父駅から歩いてミューズパークへ行く道から向かうことにした。

と言うと簡単に行けそうだけど、ここはずっと登りなんだよね。たっぷり汗をかきました💦。



二十三番 松風山 音楽寺 聖観世音菩薩

秩父事件では吉田町の椋神社で武装蜂起した農民3,000人は、この音楽寺に再集結した。ちなみに椋神社はロケットを打ち上げる龍勢祭の神社だよ。



この音楽寺からは秩父市内が一望できる。



農民達はこの鐘の音を合図に秩父市内へと雪崩れ込んで行ったんだ。



観音堂は江戸中期、梵鐘は明和5年の作。

慈覚大師が関東霊地開拓に訪れた時に、この地が優れていると感じたので、聖観世音菩薩を安置した。山道を開いている時に数多くの鹿が現れて案内したので、小鹿峠という地名になった。



畠山基国の家来、内山源蔵は老母より音楽寺の守仏の御影を懐中に入れ出陣し勝利を得、後に出家して観音を供養した。



音楽寺という名前故に、音楽関係者の参拝も多く、ポスターを貼るボードが用意されていたよ。



もともとこのルートで登ろうとしていたんだけど、十三権者像は旧二十二番から長尾根道を登ってくると途中にある。音楽寺に直接登ったので逆ルートを5分ほど辿って訪れることになったよ。

妙見大菩薩、蔵王権現、善光寺如来、熊野権現、閻魔大王、具生神、花山法皇、白河法皇、徳道上人、性空上人、医王上人、良忠上人、通観法印の十三人により1234年に観音霊場は開設された。

なんだか複雑な構成だね😅。



ところで、山道に入るのでコンビニでおにぎりを買って行こうとしたのに一軒もなく、公園入口の交差点の手前にあった和菓子屋さんで、饅頭とつるし柿を買った。和菓子屋さんがあって良かったというレベルの話。一応、弁慶は山登りも少ししていたことがあるので、補給する為の食料は必要だとの認識はあるんだよ。

饅頭は昼飯代わりに食べ、柿は食べずにとっておいた。



公園の駐車場から続く道を降りて来ると貯水池があって、そこを左に進むと道標があった。



小鹿峠巡礼コースと書いてある。右側に細々と踏み跡が続く。お遍路姿の2人もここ歩いたのかな。音楽寺までは、数組10人程度の人が歩いていたり、登って来たりしたのに、誰もこっちには来ないみたい((( ;゚Д゚)))



谷に降りて行って、ここはコンクリートで固められた沢を橋で渡る。



たまに視界が開けて景色の見える場所はあるが、基本的に森の中を歩くので、熊よけの鈴があった方が良いのかな?お遍路さんて、チリンとなったっけ?



いったん民家の庭のような場所を経て舗装路へと出る。この辺りに月待塔の二十二夜塔があったのだが、うっかり忘れた。代わりに烏瓜とか撮って喜んでた😓。



再び山道へ。険しいから天気が悪い時は迂回してくださいと書いてあった念仏坂への向かう道。まずは左谷側に傾斜した細い道。急峻な谷ではないけれど滑ったら落ちたら泥だらけ&戻るのたいへんそう😅。



急な階段もあるが、足場パイプで手摺りがあった。苔むしているから滑らないように慎重に!



沢を渡るところ。このところ雨は降ってないからどこでも渡れるくらいに水量は少なかった。これがあるから雨が降ったら迂回しましょうと書いてあったんだね。



念仏坂を登り返すと集落に出るのだけど、滑りやすそうな急な登り。

お遍路さんの持っている杖が欲しくなった。せめてハイキング用のステッキは持って行っくべきだったけど、実はそのつもりだったけど忘れた😓。

ね。
クラウドファンディングに参加したことは以前書きましたね。

今日もMihoさんがらみの無理矢理なスピリチュアルな話になるので、ご遠慮なさる方はここまで(爆)。

思えばこのクラウドファンディングに参加した時もなんか変な感じで、最初見た時はそこまで参加しようと強くは思わなかったんだ。(エレナさん,ごめんなさい。)でも、あの朝、急に参加しなくちゃいけないと強く思い出したんだ。まだやっているかもわからないので、とにかく大慌て。どのくらい慌てていたかと言うとトイレに座りながらスマホから検索して参加したんだよ(爆)。

だから詳しいことは参加してから読んで知った。それで、あのトンネルの隣の廃中学校にいた人たちだ!と気が付いたという件は以前書いたと思う。

クラウドファンディングに参加したのは9月26日だったのでMihoさんが亡くなったことを知った後だったんだけど、そこから少したってから弁慶はこのエレナさんが小鹿野で作ったミード(蜂蜜酒)が届いたら、それを墓前にたむけたいと思った。Mihoさんは秩父とお酒が好きだったからね。

でも、少したってから冷静になって考えてみて、それは否定した。Mihoさんは確かによく秩父に来ていたようだけど、弁慶が直接聞いたのは新木鉱泉が気に入ったことくらいしかない。あとは想像。さらにMihoさんはビア大好きだし、お酒は好きだったのは確かだけど、ミードを好きだったかはわからない。更にはミードを知っていたのかさえもわからないんだよ。

「何考えてんだろう」と自分に呆れたわけ。

いきなりミードをたむけられたらMihoさんだって「弁慶さん、どうした?」ってびっくりして出て来ちゃうかもしれない。それはそれで良いんだけどね(爆)。それでこの事はそれでおしまいのはずだった。

先日のブログで写経をしたお店のこと書いたけど、その時にあの写経したお店のことをMihoさんが何て表現していたのかブログを確認したんだ。間違えてはいけないからね。

その時に、なんとなくMihoさんのフォローしていたブログのボタンをクリックしちゃったのね。それもよくわからないんだけどさ。

そしたら、そこの2番目にエレナさんのブログがあったんだ。びっくりした。Mihoさん、エレナさんのこと知ってたんだよ。これってなんなんだろう。やっぱりミードをたむけて欲しいのかなって思っちゃうよ。

でもね、悲しいことに弁慶がMihoさんについて知っているのはAmebaの中だけなんだ。リアルな世界の中で知ってることは極わずか。



今日は月命日だったので、水澤観音にお詣りして来た。

亡くなったのを知らなかった9月12日に「ここまで来たらお詣りしないとバチが当たる」と思って駒寄から向かった水澤観音だけど、そんなこと言ったら伊香保温泉や水澤うどんまで行って何回スルーしているかわからない。もうバチ当たりまくりなはずなんだよね。あの時そう思ったのは何か理由があるんじゃないかなと思うんだけど、きっと永遠の謎だわ。

ね。