秩父三十四観音霊場 二十三番 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

この日は通院後に向かったので、予定を変えて二十三番へは秩父駅から歩いてミューズパークへ行く道から向かうことにした。

と言うと簡単に行けそうだけど、ここはずっと登りなんだよね。たっぷり汗をかきました💦。



二十三番 松風山 音楽寺 聖観世音菩薩

秩父事件では吉田町の椋神社で武装蜂起した農民3,000人は、この音楽寺に再集結した。ちなみに椋神社はロケットを打ち上げる龍勢祭の神社だよ。



この音楽寺からは秩父市内が一望できる。



農民達はこの鐘の音を合図に秩父市内へと雪崩れ込んで行ったんだ。



観音堂は江戸中期、梵鐘は明和5年の作。

慈覚大師が関東霊地開拓に訪れた時に、この地が優れていると感じたので、聖観世音菩薩を安置した。山道を開いている時に数多くの鹿が現れて案内したので、小鹿峠という地名になった。



畠山基国の家来、内山源蔵は老母より音楽寺の守仏の御影を懐中に入れ出陣し勝利を得、後に出家して観音を供養した。



音楽寺という名前故に、音楽関係者の参拝も多く、ポスターを貼るボードが用意されていたよ。



もともとこのルートで登ろうとしていたんだけど、十三権者像は旧二十二番から長尾根道を登ってくると途中にある。音楽寺に直接登ったので逆ルートを5分ほど辿って訪れることになったよ。

妙見大菩薩、蔵王権現、善光寺如来、熊野権現、閻魔大王、具生神、花山法皇、白河法皇、徳道上人、性空上人、医王上人、良忠上人、通観法印の十三人により1234年に観音霊場は開設された。

なんだか複雑な構成だね😅。



ところで、山道に入るのでコンビニでおにぎりを買って行こうとしたのに一軒もなく、公園入口の交差点の手前にあった和菓子屋さんで、饅頭とつるし柿を買った。和菓子屋さんがあって良かったというレベルの話。一応、弁慶は山登りも少ししていたことがあるので、補給する為の食料は必要だとの認識はあるんだよ。

饅頭は昼飯代わりに食べ、柿は食べずにとっておいた。



公園の駐車場から続く道を降りて来ると貯水池があって、そこを左に進むと道標があった。



小鹿峠巡礼コースと書いてある。右側に細々と踏み跡が続く。お遍路姿の2人もここ歩いたのかな。音楽寺までは、数組10人程度の人が歩いていたり、登って来たりしたのに、誰もこっちには来ないみたい((( ;゚Д゚)))



谷に降りて行って、ここはコンクリートで固められた沢を橋で渡る。



たまに視界が開けて景色の見える場所はあるが、基本的に森の中を歩くので、熊よけの鈴があった方が良いのかな?お遍路さんて、チリンとなったっけ?



いったん民家の庭のような場所を経て舗装路へと出る。この辺りに月待塔の二十二夜塔があったのだが、うっかり忘れた。代わりに烏瓜とか撮って喜んでた😓。



再び山道へ。険しいから天気が悪い時は迂回してくださいと書いてあった念仏坂への向かう道。まずは左谷側に傾斜した細い道。急峻な谷ではないけれど滑ったら落ちたら泥だらけ&戻るのたいへんそう😅。



急な階段もあるが、足場パイプで手摺りがあった。苔むしているから滑らないように慎重に!



沢を渡るところ。このところ雨は降ってないからどこでも渡れるくらいに水量は少なかった。これがあるから雨が降ったら迂回しましょうと書いてあったんだね。



念仏坂を登り返すと集落に出るのだけど、滑りやすそうな急な登り。

お遍路さんの持っている杖が欲しくなった。せめてハイキング用のステッキは持って行っくべきだったけど、実はそのつもりだったけど忘れた😓。

ね。