朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -71ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

ウラルが来てから一年がたった。

そこで、昨年は11/3に行った安全祈願に今年も行く事にした。



大光普照寺 通称 金鑚元三大師

天台宗別格本山で、第三代天台座主 円仁さん開いたお寺。本尊は十一面観世音菩薩。

円仁さん、東北だとか関東にずいぶんお寺を建立したけれど、下野の出身だというから東国が好きだったのかな。



曼荼羅図の説明文の中にあるように、天台密教の道場、檀林の一つであった。

天台中興の祖といわれる第十八代座主 良源が立ち寄り、自ら彫った坐像を残して、その後、元三大師信仰を中心に栄えた。

ということで、天台宗の厄除といえば、巷では元三大師に頼ることとなる。



お祓いに備えてあらかじめ境内にウラルを乗り入れておく。

加持祈祷が終わると、ウラルの前で穢れを清め読経する。開教偈、般若心経、南無慈恵大師常住金剛、願わくば・・・という流れなのはわかった。



お祓いが終わると、こちらの安全祈願セットが授与されておしまい。


金鑚元三大師では、加持祈祷を11時と14時の2回行っているので、それに合わせて1時間とか前に行って受付すれば間に合う。


それにしても日曜日の午後はやけに冷え込んできて、出かけた時のウェアだとちょっと放浪するのは無理だと感じたので、




近くの廃線の駅跡に立ち寄ってみた。


上武電鉄日丹線、神川中学校前駅


昭和16年開業、昭和61年廃止。主目的は日本ニッケル株式会社の採掘したニッケルを、群馬県多野郡から精錬所のあった埼玉県児玉郡に運搬することであった。旅客運行については、それほど需要があったわけではなく、すでに昭和47年に廃止されていた。




路線跡は整備されて健康歩道という散歩道になっている。


他にも駅跡らしき場所とか、踏切跡が残っているようなので、時間があったら見てみようかな。しばらくはないだろうけどね。



ところで、こんなの導入してみたんだ。



ピンロックというシールドの内側に装着することで、曇りを防止するスクリーンなんだけど、これ、お寺の石段登り降りして息が荒くなってもぜんぜん曇らない。かなりの優れ物だよ。

ね。
山から降りるとそこは二十七番札所の境内だった。


二十七番札所 龍河山 大渕寺 聖観世音菩薩

裏山から降りて来ると山門は反対側なので、これは次に向かう時に撮った写真。



建物は明治、大正の二度の大火で消失した歴史から新しく、観音堂は平成7年にようやく再建された。



境内には延命水が湧き出していたので、ちょっと飲んでみた。まあお約束みたいな😆。



納経所は本堂の左の奥にある。



本堂の裏側、山側に建てられた観音堂でお勤めをしていると、観光客がぞろぞろと。帰り際にも巡礼ツアーだかハイキングのツアーだかの集団が到着したよ。



御朱印を頂く。ここまで来るとお詣りも最初に比べると、まともになった気がする。



行脚の僧、宝明はこの地に霊境が多いのに感銘して7年を過ごすうちに足を患ってしまい座臥して念仏を唱えることしか出来なくなったが、それを悼んだ弘法大師が一体の観音を刻んで与える。宝明はそれをたいへん喜んで、この地に堂を建てて里人に伝えたのが、この寺の始まりとされる。


山門の前の紅葉が綺麗だったので写真を撮って、そこから踏切を渡り、古道を進むが途中から舗装路に出る。



二十八札所 石龍山 橋立堂 馬頭観世音菩薩

橋立堂は鍾乳洞のある石灰の岩壁を背に建っている。



納経所は橋立鍾乳洞の入場受付と同じ場所だったので、ちょっと迷った。



悪い郡司が居たが、この寺に燈明を一度あげた功徳で地獄に落ちずに大蛇になった。それで今度は人馬が食べられてしまうので、村民はこの堂に祈念したところ、堂から観音の化身の白馬が現れて平穏になった。

そう書いてあるように思うけど、ちょっと解釈難しいね。



こっちには、悪い領主が神仏なんて関係ないとこの地にあって村人に崇敬されていた銅の地蔵尊を打ちこわし溶かし、財産として取り込んだところ、たちまち病死して子孫もことごとく絶えた。その後、大蛇が出て村民を苦しめたので、一心に祈ると白馬が現れて額より光明を発すると、大蛇は「私は死んだ領主で、今まさに仏知にひかれて得脱を得た。この姿を末代までとどめて信心を励まそう」と言って池からでると金鱗変じて石となり、白馬は本尊の御帳に走り入ったと説明している。


これなんだろ。諏訪の万治の石仏っぽいけど、顔だけじゃなく胴体もあるね。



境内には蕎麦屋や洒落たカフェやらあって、鍾乳洞の観光客もいるから、なかなか賑やかな札所だ。奥の蕎麦屋で食べた牧場のソフトクリームは濃厚で見た目よりずーっと美味かった。

ね。
秋の紅葉は素晴らしいですよと御朱印を受けた時に勧誘されたので、再訪です。

それは9月の20日の事でした。上信越道を長野に向かって走っていると、メーターがストンと落ちて動かないではないですか?距離もぴたりと止まり、変わらない😵。

スピードがわからないのは困るので、撤退かなーと下仁田で高速を離脱してとりあえず行ってみたのが黒瀧山不動寺でした。



その時を含んだ期間の燃費は18.8km/Lでしたが、何故かメーターはその後、普通に動いております。だから燃費も元に戻りました😅。

計算すると概ね1km/L悪い状態が、13.26L分あった訳ですから、13.26kmの間でメーターが動かなくなったもいうことです。不思議ですね。



11月14日の黒瀧山不動寺の第一駐車場。

実はここまで登りですが、狭いので対向車が来た時にけっこう緊張しますよ。少しだからって手を抜いてバックギアに入れないで下がったりすると、アンコントロールなんてことになります。(なりかけた😅。)

帰り(降り)はもうバックギアに入れても後輪が空転するだけなので、対向車がそれなりに運転できる人じゃ無いと危うい😓。幸い帰りはすれ違うこともなく降りられた。



まずはお詣りの順番に書かれている通りに、軽く鐘を突きます。



寺務所であり、宿坊であり、食堂である建物。現在は宿坊、食堂ともやってません。お詣りの順番は建物の入口に貼ってあります。



建物を抜けると山門があるので、それを潜り、



まずは不動明王を祀る不動堂にお詣りします。不動明王像は行基の作と伝わる。

真ん中の木の根元にある歌碑についてお聞きしたら、故中曽根康弘元首相の詠んだ歌が刻まれた歌碑でした。そうか、中曽根さんじゃ関係ないか。



ここは天女窟の弁財天像。

弘法大師伝承の爪彫り不動の磨崖仏あり(以下略)とあるが、それはこの右側の岩に刻まれている。画像はないけど😅。



弘法大師像

この山は元々は真言密教の道場だったそうです。今は禅宗のひとつ、黄檗宗のお寺です。



黒瀧毘盧水と題目は書いてあります。不動堂の背後の瀧の水のことが書かれているのだと思うのですが、学が無くてそれ以上の事はわかりません。



結界と書いてあるように見えますね。



見上げる開山堂。

黄檗宗は徳川四代家綱の時代に、こわれて中国より渡来した福建省の黄檗山萬福寺の住職だった臨済宗の高僧、隠元禅師が、御水尾天皇、幕府の崇敬を受け宇治に寺地を賜り、中国で住職をしていた寺と同じ名前の黄檗山萬福寺を創建したことに始まる。

黄檗宗はこのように中国から来た隠元禅師とその随行の僧により広められたので、寺院の建築様式やお勤めなどが中国仏教の色合いを強く残している。



けっこうガタガタの石段を登って開山堂にもお詣りした。



こちらは参道から見上げる大雄宝殿で、本堂的な役目をしている。この左に不動堂、奥に開山堂がある。

帰り際に来週(つまり、今日)が紅葉のピークなので、お近くでしたら是非と、また勧誘されました。

ね。




甲賀まで忍術の修行🙄に行くことになり、ちょっと遠いなぁと思っていたら、泊まりは京都だなと言われて喜んで出かけた😆。


もしかして夜も何かあるのかなと思ったら、なにもないらしい。




それで、たまたま行きの新幹線で京都新聞のデジタル版で観光欄を見たら、まさにその日から清水寺の夜間拝観が始まることがわかったので、夜は清水寺へと出かけた。

拝観料は400円。まずは塔頭、成就院へと向かう。



成就院は常は非公開だが、年に一度、この時だけ公開されるというので、こちらも拝観したが、名庭と言われる月の庭は眺めて説明を聞けるのだが、撮影は許されず、その時間も10分ほどで、あまりに呆気なく終わった。

こちらは拝観料600円。



それでも人気で拝観待ちの列が出来ていた。



これは並んでいる時に撮影した画像だが、木が邪魔だったね。



成就院の後、本堂にお詣り。御本尊は十一面千手観世音菩薩なので、それなりにちゃんとやった。秩父の巡礼をやってるから、ただ手を合わすだけだとなんとなく手を抜いたみたいで心地悪いんだな、これが😆。

それから撮影ポイントを探しなら境内を移動。



あと1週間くらいでピークになるのだろうか。あとで聞いた話では、今年の紅葉は急に寒くなったことで出だしは早めだったのだが、その後暖かくて進み方が遅いのだそうだ。



境内の茶店もそこそこの入り。平日夜なのに想像を超える人出だった。

そうそう、以前は「人出」だったんだよ、「人流」なんていう響きの美しくない言葉は使わなかった。



けっこう広範囲でライトアップされている。



帰りは三重塔を右側から見上げる。



そのあとは八坂の塔を通って祇園町の方向へのぶらぶら歩いて、



先斗町の長竹さんでの遅い夕食は焼魚定食を食べる。それでバーでお酒を飲んで、



朝は六角堂をお詣りして四条駅から京都駅。新幹線で静岡だよ。六角堂も本尊は観音様だよ。映画の花戦さみてから、お気に入りのお寺。

ね。
本日は影森駅からスタートだよ。歩く巡礼はこの日でおしまいの予定です。この後はすごく距離があるので老後に歩けるようなら歩いてみるかな😃。


二十六番札所 萬松山 圓融寺 聖観世音菩薩

現在、本堂を工事中なので寺内には入れない。完成は令和4年春予定。



お寺の前にプレハブの建物があって、そちらでお詣りする。



仏様の前に立つのに念珠を持たないのは良くないって聞いた。いつも三千院で求めたブレスレット型の念珠をしていたので良いかなと思っていたんだけど、それが忽然と消えたんだ😩。シャワーくらいじゃ外さないくらいずっとしていたのに、どこに行ったのかわからないんだよね。ゴムが切れてバラバラになったのなら玉が落ちていても良いと思うんだけど、気が付いたら無かったんだよ。

ということで、今日は比叡山で求めた数珠を持って来た。



さて、圓融寺の観音堂は山の中の奥の院で岩井堂という。ただ現在では(工事とは関係なく)聖観世音菩薩像はこちらの本堂に移されているので、こちらへのお詣りで正しい。

しかし、せっかくなのでその昔のお遍路さんのように奥の院へと向かおう。



なんと、奥の院への登り口は昭和電工の工場内にあるんだよ😲。だから守衛室にご挨拶して通行させて頂く。



右が大師堂。聖徳太子と二宮尊徳が御神体である。ずいぶん時代の異なるお二人ですね。それに二宮尊徳さんも神様になってたんだー😲。最近では小学校の校庭では見かけなくなりました。

左を進むと300段の石段があり、岩井堂に続いている。本日のメインイベントと言いながら登っていく方々もおりましたが、更に左に神社へと続く100段くらいの石段がある。



琴平神社

折角なのでこちらにも参拝し、神社の裏から続く山道で奥の院を目指すことにした。



完全に山道を行くよ。何人かいたんだけれど、こっちは誰も来ないらしい。



石塔があったので見てみたら天狗だった!

なんか雅楽みたいなものが聴こえるのは気のせいかなと思った頃。



そして木の根道だね。なんか鞍馬みたい(笑)。



こちらは金毘羅大権現。もう聴こえてくるのが完全に雅楽なんだけど、この辺にそんな神社ないと思うんだけど、なんだろう((((;゚Д゚)))))))。



石仏もある。



清水寺と同じ舞台造り奥の院、岩井堂。なんと、こちらで笙を奏でている方がおりました。



岩屋に並ぶ仏様と閻魔様。

ここから更に登ると修験堂があるが、それは羊山方面になる。



逆方向になるのでそちらには向かわずに、ここからは琴平ハイキングコースで二十七番を目指すよ。まずは鉄板がパタパタする橋を渡ります。



岩場もあるけれど、ロープを使うほどではなく、慎重に登れば大丈夫。



右の方に観音像が見えたので旧な斜面を登って行った。ここからは眼下に二十七番札所のお寺が見える。



護国観音

高さ15メートル。大きさは比較にならないけれど、高崎、大船と合わせて関東三大観音というそうな。

ね。