秩父三十四観音霊場 二十七番・二十八番 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

山から降りるとそこは二十七番札所の境内だった。


二十七番札所 龍河山 大渕寺 聖観世音菩薩

裏山から降りて来ると山門は反対側なので、これは次に向かう時に撮った写真。



建物は明治、大正の二度の大火で消失した歴史から新しく、観音堂は平成7年にようやく再建された。



境内には延命水が湧き出していたので、ちょっと飲んでみた。まあお約束みたいな😆。



納経所は本堂の左の奥にある。



本堂の裏側、山側に建てられた観音堂でお勤めをしていると、観光客がぞろぞろと。帰り際にも巡礼ツアーだかハイキングのツアーだかの集団が到着したよ。



御朱印を頂く。ここまで来るとお詣りも最初に比べると、まともになった気がする。



行脚の僧、宝明はこの地に霊境が多いのに感銘して7年を過ごすうちに足を患ってしまい座臥して念仏を唱えることしか出来なくなったが、それを悼んだ弘法大師が一体の観音を刻んで与える。宝明はそれをたいへん喜んで、この地に堂を建てて里人に伝えたのが、この寺の始まりとされる。


山門の前の紅葉が綺麗だったので写真を撮って、そこから踏切を渡り、古道を進むが途中から舗装路に出る。



二十八札所 石龍山 橋立堂 馬頭観世音菩薩

橋立堂は鍾乳洞のある石灰の岩壁を背に建っている。



納経所は橋立鍾乳洞の入場受付と同じ場所だったので、ちょっと迷った。



悪い郡司が居たが、この寺に燈明を一度あげた功徳で地獄に落ちずに大蛇になった。それで今度は人馬が食べられてしまうので、村民はこの堂に祈念したところ、堂から観音の化身の白馬が現れて平穏になった。

そう書いてあるように思うけど、ちょっと解釈難しいね。



こっちには、悪い領主が神仏なんて関係ないとこの地にあって村人に崇敬されていた銅の地蔵尊を打ちこわし溶かし、財産として取り込んだところ、たちまち病死して子孫もことごとく絶えた。その後、大蛇が出て村民を苦しめたので、一心に祈ると白馬が現れて額より光明を発すると、大蛇は「私は死んだ領主で、今まさに仏知にひかれて得脱を得た。この姿を末代までとどめて信心を励まそう」と言って池からでると金鱗変じて石となり、白馬は本尊の御帳に走り入ったと説明している。


これなんだろ。諏訪の万治の石仏っぽいけど、顔だけじゃなく胴体もあるね。



境内には蕎麦屋や洒落たカフェやらあって、鍾乳洞の観光客もいるから、なかなか賑やかな札所だ。奥の蕎麦屋で食べた牧場のソフトクリームは濃厚で見た目よりずーっと美味かった。

ね。