黒滝山不動寺再訪 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

秋の紅葉は素晴らしいですよと御朱印を受けた時に勧誘されたので、再訪です。

それは9月の20日の事でした。上信越道を長野に向かって走っていると、メーターがストンと落ちて動かないではないですか?距離もぴたりと止まり、変わらない😵。

スピードがわからないのは困るので、撤退かなーと下仁田で高速を離脱してとりあえず行ってみたのが黒瀧山不動寺でした。



その時を含んだ期間の燃費は18.8km/Lでしたが、何故かメーターはその後、普通に動いております。だから燃費も元に戻りました😅。

計算すると概ね1km/L悪い状態が、13.26L分あった訳ですから、13.26kmの間でメーターが動かなくなったもいうことです。不思議ですね。



11月14日の黒瀧山不動寺の第一駐車場。

実はここまで登りですが、狭いので対向車が来た時にけっこう緊張しますよ。少しだからって手を抜いてバックギアに入れないで下がったりすると、アンコントロールなんてことになります。(なりかけた😅。)

帰り(降り)はもうバックギアに入れても後輪が空転するだけなので、対向車がそれなりに運転できる人じゃ無いと危うい😓。幸い帰りはすれ違うこともなく降りられた。



まずはお詣りの順番に書かれている通りに、軽く鐘を突きます。



寺務所であり、宿坊であり、食堂である建物。現在は宿坊、食堂ともやってません。お詣りの順番は建物の入口に貼ってあります。



建物を抜けると山門があるので、それを潜り、



まずは不動明王を祀る不動堂にお詣りします。不動明王像は行基の作と伝わる。

真ん中の木の根元にある歌碑についてお聞きしたら、故中曽根康弘元首相の詠んだ歌が刻まれた歌碑でした。そうか、中曽根さんじゃ関係ないか。



ここは天女窟の弁財天像。

弘法大師伝承の爪彫り不動の磨崖仏あり(以下略)とあるが、それはこの右側の岩に刻まれている。画像はないけど😅。



弘法大師像

この山は元々は真言密教の道場だったそうです。今は禅宗のひとつ、黄檗宗のお寺です。



黒瀧毘盧水と題目は書いてあります。不動堂の背後の瀧の水のことが書かれているのだと思うのですが、学が無くてそれ以上の事はわかりません。



結界と書いてあるように見えますね。



見上げる開山堂。

黄檗宗は徳川四代家綱の時代に、こわれて中国より渡来した福建省の黄檗山萬福寺の住職だった臨済宗の高僧、隠元禅師が、御水尾天皇、幕府の崇敬を受け宇治に寺地を賜り、中国で住職をしていた寺と同じ名前の黄檗山萬福寺を創建したことに始まる。

黄檗宗はこのように中国から来た隠元禅師とその随行の僧により広められたので、寺院の建築様式やお勤めなどが中国仏教の色合いを強く残している。



けっこうガタガタの石段を登って開山堂にもお詣りした。



こちらは参道から見上げる大雄宝殿で、本堂的な役目をしている。この左に不動堂、奥に開山堂がある。

帰り際に来週(つまり、今日)が紅葉のピークなので、お近くでしたら是非と、また勧誘されました。

ね。