朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -70ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

2年越しの計画で友人夫妻を京都にお連れいたしました。今年の春から初夏にかけて予約をしてはコロナでキャンセルを繰り返し、とうとう紅葉もピークを過ぎた12月初旬になってしまいました😓。

ちなみにこのご夫婦は仲良く下戸でして、酒を飲むのは私だけですが、そんなことは気にせずご案内します(爆)。



お金のことは気にしないでと言われたのと、指定席は思いの外混雑していたので、忖度して新幹線もグリーン車という贅沢をしてみました。普段の私は隙があれば自由席ですが、まあ仕方ない😓。それなりの見返りはあるかもしれない😆。




初日は希望された貴船神社がメインなので、当初は鞍馬寺からの山越えを計画しましたが、奥様が脚を怪我されたとのことなので、それはキャンセル。夕食までの時間をどう調整するかがポイントとなるので、まずは河原町のホテルに荷物を預けて、ぶらぶらと寺町通りを散策し、梨木神社で染井の水を飲ませたり😄。染井は京都三名水のひとつですからね。




道を隔てた廬山寺もちょっと寄って、ここは紫式部が源氏物語を書いた場所だと説明したりしました。




鴨川デルタでは川に落ちないかなとか思いながら川を渡り🙄




叡山電鉄も平凡な車両しか来ないあたりはお金があっても運は無いのかなとか思いながら(写っている方は関係ない方です😓)、



天気雨の降る貴船神社に到着。

運がないのかと思いきや、旦那は水おみくじを引いたら大吉だとかと申しておりました。ちなみに私は凶運の持主なので、引きません😓。



奥宮境内の船型石。この中には船が隠されていると伝わる。



そして最後は結宮です。和泉式部さんの歌碑。



そういえば、貴船神社にだけはどうしても行きたいと言っていた奥様は、名越の払いで川に流す人型を申し込んでおりました。紙型に穢れを移して祓うという物です。でもこの人、キリシタンなんですよ😱



2人はここでも問題なく泊まれるでしょうが、私は無理です。ましてだいたいこういう処は二人からの設定なので、お一人様は予約が面倒くさいし、すごく割高になります。

続きます。

ね。
三十二番から三十三番へはそれほど遠くはなかった。遠かったらたぶんこの日は諦めていただろう。



山登りで予定より遅くなっていたので、すでに陽が傾き始めてしまった中、三十三番に到着😵。

だが待てよ、門前の石柱には「大桜山 長福寺」と書いてあるんだけど、どこだろう?でも観音霊場の旗は立ってるので、間違いないと思うんだけど。



三十三番札所 延命山 菊水寺 聖観世音菩薩

大月で信玄焼きというとお土産らしいが、秩父で信玄焼きというと永禄12年に秩父に侵攻した武田軍による寺社仏閣の焼き払いを指す。この信玄焼きで焼き払われたのが、本来の菊水寺で、そこの別当をしていたのが長福寺だったことから、本尊をこちらに移したのだという。

実は石柱の横面には菊水寺の名が刻まれているとか。



元々の寺所は少し離れたところで、境内には延命水の湧く菊水の井があったことから、寺名とした。



家紋が寺名と同じ菊水なのを縁に、楠正成はこの寺を遥拝して武運を祈っていた。

遥拝ってことは、来たわけではなく離れたところから拝んだってことだよね。遥かだからね。



境内の芭蕉の碑。

あ、そうそう、菊水寺は堂内のお詣りする所の横に納経所があるから、経文を読み上げるのはとても緊張します😩。



さて、日を改めてとうとう結願のお寺に向かう。ようやくと思うと同時に寂しくもあるな。



場所は満願の湯の奥の山の中。満願の湯は、元町議の方が町興しで温泉を掘ってみたがぜんぜん出なくて、それでこの水潜寺に毎日祈願して108日目に湧き出したのだそうだ。

駐車場から山の中に向かう。右はハイキング道で、お寺へは苔むした石段を登る。



右の閉鎖されている道を行くと、今は崩壊の危険があって非公開となっている水くぐりの岩屋がある。百観音霊場巡礼を結願した人々が、その岩屋で水で身体を清めてから俗世へ戻ったのだという。

左は水かけ地蔵で湧き出している長命水を3杯かけて、お願い事を3度唱えるように書いてある。



三十四番札所 日沢山 水潜寺 千手観世音菩薩

靴を脱いで本堂に入りお詣りする。



本堂(観音堂)右手には、結願した人が納めた金剛杖、菅笠、千羽鶴などが並んでいる。



大旱魃の時に不思議な僧が現れて樹甘露法雨の札を立て霊験で峠に滝を湧き出させた。僧がこの場を日本の百番巡礼の結願所とすると告げ雨を降らせて消えた。札立峠の名はここに始まる。

なんだか2つの話しみたいな書き方だけど、どうなんだろう。



境内の七観音像。



手前が百観音結願堂で、奥が仏足堂。結願堂の前には百観音御砂というのがあって、足形が描かれている。上に乗り踏むことで、百観音巡礼の御利益が分けてもらえるのだという。

御利益が得られるのではなく、分けてもられるってところが欲張ってなくて良いね😊。



帰りの参道に並ぶのは三十三観音の石仏。行きはこの右側を行くんだよ。


水潜寺を後にして向かったのは秩父華厳の滝で、500メートルくらい先にある。



滝の上には不動明王像が立っていて、道路があるので、橋も掛かってる。まだ先にも滝があるみたいだ。



橋が見えないようにも撮れるけど、滝壺見えないと雰囲気が変わるね。


これで秩父三十四観音霊場の巡礼は結願した。



今もあるピグを試しにクリックしたらピグ友もまだ残っていたので訪問してみたが、、、まさかのそのコスチュームかよ(爆)。

弁慶さんはピグではずっと僧衣を着ていた。歳取ったら余生を出家して過ごすのも良いなとも思っていた。いつ潰れてもおかしくない会社に勤めていたからね。それにしてもMihoさんはある日突然遊びにきて、なぜそのまま友達になったのだろう。歳も離れていたし、1度しか来ない人も多かったのにね。

さて、とりあえず結願せねばならないと先を急いで巡礼したわけだけど、歩いた区間は貴重な体験だったなあと思う。ということで、この日はこのあとで一番札所、四萬部寺に行って二廻り目の準備にいくつかの小道具を買ったよ(爆)。次は全て、のんびりだけど歩いて廻るよ。別に早く回る理由ももう無いからね。でももうそれは書かないだろうな。

ね。

(今だから言うけど、この終わり方も、必ず「ぷぷぷ」で終わるMihoさんのブログに影響されて考えたものだったんだよ☺️)


三十番が終わって、再びサイドカーでの巡礼に戻った。まずは結願、そしたらまたのんびり歩いてみたい気がする。



小鹿野の山奥にどんどんと入ると立派な仁王門があった。左右に並ぶ仁王像は日本最大の石作りの仁王像なのだとか。



仁王門からは石段が続く。石段が296段あるなんて、事前には調べずに登ったので果てしなく感じた。参道脇にはたくさんの歌碑が並んでいる。



十二支霊場まで登っても、まだ半分までも到達していない。



小鹿野は歌舞伎が盛んだった。坂東三十郎は大和座の役者で、大和座は明治16年に創設されて昭和初年まで50年も続いた。

現在でも秩父地域には21の歌舞伎舞台があり、そのうち11は小鹿野にある。



三十一番札所 鷲窟山 観音寺 聖観世音菩薩

背後に岩壁を背負った観音堂。左には聖浄の滝が岩壁から落ちている。



観音堂の聖観世音菩薩像は行基の作と伝わるが、将門の乱で所在がわからなくなった。その後、畠山重忠がこの地に狩に来て鷲の巣に矢を放たせたところ、矢が跳ね返ってきたので巣をあらためたところ、観音像が現れたと伝わっている。



境内の鐘をまず突いてからお詣りさせて頂く。



左手の岩壁には弘法大師の爪彫の磨崖仏。先日訪ねた南牧村の不動寺にもあったね。



本堂左手に並ぶ石塔と仏像。その奥には不動明王像。



階段を登ると観法法印即身仏墓があるが、明治十七年没と書いてある。十六代の当山住職で、仁王門の仁王像などの製作を企てた僧らしい。

奥の院は滝の上の方らしいのだが、ライダーブーツでは歩きにくいので、これも後の宿題として下山開始。



降りてきて右手をみると、渋沢栄一の伯父、渋沢誠室の書による石塔。わかりやすく言うと平泉成が演じた人。と言われても、もう忘れたかな(爆)。

誠室の子孫にはフランス文学者の澁澤龍彦がいる。

三十一番札所は本当に山の中で、



この大竜寺源泉より奥だ。この大竜寺源泉は小鹿野の梁山泊の源泉だが、配管で繋ぐ距離ではないから運んでいるのだね。次の三十二番はその梁山泊の更に先。けっこう遠い。



到着。楓が綺麗だからその下に止めてみたが、ここは公衆トイレである。巡礼して廻る人の為に、観光トイレの数は本当に充実している。


三十二番札所 般若山 法性寺 聖観世音菩薩

この仁王門は一階に仁王像があり、二階は鐘付き堂になっている。



仁王門を潜るとまたもや石段が延びていた。でもここは先が見える😊。



と、安心したら、更に先にがあった。手前に見えるのは毘沙門堂で、その上に見えるのが観音堂なので、またもや息を切らしながら登る。



毘沙門堂を過ぎたあたりの苔むした斜面を登る石段。この辺は秩父の苔寺と云われる所以のようだ。



登って左に回り込んで堂内へと入る。こちら側が正面になる。



武州豊島郡から豊島権守の娘がこの地に嫁に来ていたが、実家に帰る為にさいが淵を通りかかった時に悪魚に襲われ溺れそうになった。すると笠を被った女性が乗る一艘の舟が近づいてきて助けてくれた。その女性は法性寺の聖観世音菩薩の化身だった。



観音堂の裏側の岩屋に祀られた祠と数々の石塔。ブラタモリ的には、この岩盤に細かく開いた穴はタフォニというらしい。砂漠や海水の飛沫を受ける海岸の岩場などにできる。秩父は大昔、海だったのどから、ここは海岸だったということか。




観音堂から本堂の方向を眺めるとこのような景色になる。

こちらのお寺も更に登るとお船岩というのがあって、そこには奥の院があるのだが、鎖場もある難路だからやはり日を改めてになるんだろうか。宿題増える一方だ😵。



毘沙門堂にも頭を下げて降りますが、生まれた歳周りからすると、毘沙門天と縁があることになるんだよね。



書いて頂いたのは比較的に若い方だったのだけど、もしかして仁王門の前のバイクはその方のバイクかな。だって境内にはその他に該当するような参拝者はいなかったんだよ😵。

ここまで来て2つ続けて予想外の山登りだったから、予定通りには回れないと気が付いた。ちゃんと事前に情報確認してしておかないからだな。

ね。
ブログはまだですが、秩父巡礼も結願し、今日は午前中はNINOKURAの映画🎞上映会に強制参加。



それで午後の部もあって、その間はお店はクローズするもんだから、コーヒーを飲みに道の駅のあさみ珈琲へお出かけすると、もちろんいつも通りぼっちなんですが、



どうもひとりではなくて、誰かと入店したようです。肩痛いのもそのせいですか?

繰り返しになりますが、霊感ないんで自分には真偽のほどは判別できません。

さて、ウラルのパーキングブレーキが飾りになってしまって久しかったが、調整のやり方がTwitterに載っていたので早速やりますた。

たぶん傾斜がある場所では結局ギア入れて輪止めするんですけどね。ワイヤー切れたら調整してても意味ないですから😓。



ウラルのパーキングブレーキは、後輪のブレーキユニットに依存しています。それゆえに、前輪、側車輪はブレンボのディスクユニットですが、後輪だけは別のメーカーのユニットになっています。そこが弱点な感じなんだけど。

2022モデルからはこれが改善されて、独立したパーキングブレーキとなりましたので、後輪もブレンボです。ただ、ディスクからして留めてあるボルト数がひとつ多いし、旧モデルには簡単に移植出来ないかもしれません。



アメリカンなユニットなので、ナットはインチ規格です。もしかしたらここだけがインチなのかもしれない。




あ、ここもナイロンナットだ。


ナイロンのロックナットは繰り返し使うとナイロンが潰れてバカになり、ロックナットの役目を果たさなくなります。




レバーが引かれると、このスプラインで右回りに締まる方向に動くことで、ブレーキを効かせる構造です。だからまずはこのようにレバーから来る方を外して、スプラインを右に回します。指で回して、気持ち戻すくらいで良いのかな?たいして動かないから、そんな感覚で。


元に戻してパーキングのレバーを引いたら引くのがキツくなったけど、引けるレベルだったので、あとはフリーの時に引きづらなければ良いのではないですかね。




あまりにも簡単だったので、ついでにブレーキパッドの残量も確認しておきました。



走行に支障なく、引き摺り音も聞こえないので良いのではないですか?

ね。
二十八番から二十九番へは浦山口駅のそばを通って浦山川を渡って行きます。昔は渡し船で川を渡ったのだとか。



二十九番札所 笹戸山 長泉院 聖観世音菩薩

立派な石灯籠の先に細い参道が続いていて、奥には庭園が広がるお寺だ。



秩父札所を開設した十三権者が巡礼した際に、石札を納めたことから、石札堂とも呼ばれている。



本堂。蝋燭も線香も用意されていて(有料)、お詣りするのに困らない。これ、結構ないので真面目に巡礼されている方は持参しているみたいだとわかってきた。さっそく蝋燭は買ったんだけど、線香はまだだなあ😆。



渕から龍女が現れて、十余人の巡礼を案内し、岩屋の中より聖観世音像を見出して御堂を建てて安置した。

十余人の巡礼とは石札を納めた十三権者のことかな。




ということで、御朱印は石札堂だ。

さて、ここからは思案のしどころで、三十番は感覚的には山奥なんだよ。歩くと1時間半くらいらしいけれど、秩父鉄道の終点のひとつ手前、白久駅の先だからね。

それでも時間はまだ13時をすぎたところだし、とりあえず行くか、と歩き出した(爆)。



しばらく歩くと神社があったので、お詣りしておこうかなと左へ延びる参道に入っていった。



若御子神社

向かった時は若獅子と読み間違えいた😓。秩父って神社に狼が付き物だから、獅子もありかなみたいな😆。



左手には神武天皇の額。主祭神は神日本磐余彦天皇(かみやまといはれびこのすめらみこと)で、それは日本書紀での神武天皇の名前なんだそうだ。



その隣がしだれ桜で有名らしい清雲寺。中には樹齢600年になるものもあるとか。桜の寿命は60年といわれているけど、それはソメイヨシノの話だから。



岩松山清雲寺は、臨済宗建長寺派の禅寺。芒が良い感じ。

ちょっと遠回りしたが、再び古道に戻る。



舗装路だけど古道だと思うのは、こんな道端の石塔に三十番札所と掘られているものがあったりするからなんだけど、



しばらく歩いたここにはちゃんと江戸古道の案内板があった。石仏には柚子のお供えがあって、みんな大事にしてるんだなと感じた。



荒川の道の駅野手前を右に進むと薬師堂が2つあったが、ひとつは大切に祀られているように見えたが(実はちょうどSLが来たのでそっちに気が行って見てない😓)、こちらは朽落ちそうで、薬師如来像も見当たらない。

奥は秩父鉄道の線路。



予想より遅れて白久駅到着。ここでは駅に気を取られてそのまままっすぐ歩いてしまい、10分くらいロスしたかな。正しくはここで左折して、しばらく坂道を登る。さらに温泉旅館の谷津川館の手前で右の急な登りへと向かう。



まさにマムシ注意な感じの山の中だ😵。



三十番札所 瑞龍山 法雲寺 如意輪観世音菩薩

古い納札が寺宝として残っていて、秩父札所ならび日本百番観音霊場の成立を知るための貴重な資料なのだと。



本尊の如意輪観音は、建長寺の道隠禅師が唐より持ち帰ったもので、玄宗皇帝が楊貴妃を弔うために彫り、不空三蔵が開眼したと伝わる。

三蔵法師という名称は、一般名称で固有名称ではないんだ。西遊記の三蔵法師は玄奘三蔵。玄奘さんだね。



納経所から見た庭園と本堂。



山奥だけど巡礼だけではなく入れ替わり立ち替わりお詣りの人が来るお寺だった。



山水群霊と読む。山水に暮らす諸々の動物霊を指し、奥秩父鉱泉郷旅館組合が旅館で提供する川魚や野鳥獣を供養する目的で建立したんだそうだ。そうだね、整った物ばかり食べているから忘れがちだけど、いつも大切な命を頂いているんだ。

ね。