三十番が終わって、再びサイドカーでの巡礼に戻った。まずは結願、そしたらまたのんびり歩いてみたい気がする。
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小鹿野の山奥にどんどんと入ると立派な仁王門があった。左右に並ぶ仁王像は日本最大の石作りの仁王像なのだとか。
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仁王門からは石段が続く。石段が296段あるなんて、事前には調べずに登ったので果てしなく感じた。参道脇にはたくさんの歌碑が並んでいる。
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十二支霊場まで登っても、まだ半分までも到達していない。
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小鹿野は歌舞伎が盛んだった。坂東三十郎は大和座の役者で、大和座は明治16年に創設されて昭和初年まで50年も続いた。
現在でも秩父地域には21の歌舞伎舞台があり、そのうち11は小鹿野にある。
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三十一番札所 鷲窟山 観音寺 聖観世音菩薩
背後に岩壁を背負った観音堂。左には聖浄の滝が岩壁から落ちている。
観音堂の聖観世音菩薩像は行基の作と伝わるが、将門の乱で所在がわからなくなった。その後、畠山重忠がこの地に狩に来て鷲の巣に矢を放たせたところ、矢が跳ね返ってきたので巣をあらためたところ、観音像が現れたと伝わっている。
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境内の鐘をまず突いてからお詣りさせて頂く。
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左手の岩壁には弘法大師の爪彫の磨崖仏。先日訪ねた南牧村の不動寺にもあったね。
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本堂左手に並ぶ石塔と仏像。その奥には不動明王像。
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階段を登ると観法法印即身仏墓があるが、明治十七年没と書いてある。十六代の当山住職で、仁王門の仁王像などの製作を企てた僧らしい。
奥の院は滝の上の方らしいのだが、ライダーブーツでは歩きにくいので、これも後の宿題として下山開始。
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降りてきて右手をみると、渋沢栄一の伯父、渋沢誠室の書による石塔。わかりやすく言うと平泉成が演じた人。と言われても、もう忘れたかな(爆)。
誠室の子孫にはフランス文学者の澁澤龍彦がいる。
三十一番札所は本当に山の中で、
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この大竜寺源泉より奥だ。この大竜寺源泉は小鹿野の梁山泊の源泉だが、配管で繋ぐ距離ではないから運んでいるのだね。次の三十二番はその梁山泊の更に先。けっこう遠い。
到着。楓が綺麗だからその下に止めてみたが、ここは公衆トイレである。巡礼して廻る人の為に、観光トイレの数は本当に充実している。
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三十二番札所 般若山 法性寺 聖観世音菩薩
この仁王門は一階に仁王像があり、二階は鐘付き堂になっている。
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仁王門を潜るとまたもや石段が延びていた。でもここは先が見える😊。
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と、安心したら、更に先にがあった。手前に見えるのは毘沙門堂で、その上に見えるのが観音堂なので、またもや息を切らしながら登る。
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毘沙門堂を過ぎたあたりの苔むした斜面を登る石段。この辺は秩父の苔寺と云われる所以のようだ。
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登って左に回り込んで堂内へと入る。こちら側が正面になる。
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武州豊島郡から豊島権守の娘がこの地に嫁に来ていたが、実家に帰る為にさいが淵を通りかかった時に悪魚に襲われ溺れそうになった。すると笠を被った女性が乗る一艘の舟が近づいてきて助けてくれた。その女性は法性寺の聖観世音菩薩の化身だった。
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観音堂の裏側の岩屋に祀られた祠と数々の石塔。ブラタモリ的には、この岩盤に細かく開いた穴はタフォニというらしい。砂漠や海水の飛沫を受ける海岸の岩場などにできる。秩父は大昔、海だったのどから、ここは海岸だったということか。
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観音堂から本堂の方向を眺めるとこのような景色になる。
こちらのお寺も更に登るとお船岩というのがあって、そこには奥の院があるのだが、鎖場もある難路だからやはり日を改めてになるんだろうか。宿題増える一方だ😵。
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毘沙門堂にも頭を下げて降りますが、生まれた歳周りからすると、毘沙門天と縁があることになるんだよね。
書いて頂いたのは比較的に若い方だったのだけど、もしかして仁王門の前のバイクはその方のバイクかな。だって境内にはその他に該当するような参拝者はいなかったんだよ😵。
ここまで来て2つ続けて予想外の山登りだったから、予定通りには回れないと気が付いた。ちゃんと事前に情報確認してしておかないからだな。
ね。