秩父三十四観音霊場 三十三番・三十四番 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

三十二番から三十三番へはそれほど遠くはなかった。遠かったらたぶんこの日は諦めていただろう。



山登りで予定より遅くなっていたので、すでに陽が傾き始めてしまった中、三十三番に到着😵。

だが待てよ、門前の石柱には「大桜山 長福寺」と書いてあるんだけど、どこだろう?でも観音霊場の旗は立ってるので、間違いないと思うんだけど。



三十三番札所 延命山 菊水寺 聖観世音菩薩

大月で信玄焼きというとお土産らしいが、秩父で信玄焼きというと永禄12年に秩父に侵攻した武田軍による寺社仏閣の焼き払いを指す。この信玄焼きで焼き払われたのが、本来の菊水寺で、そこの別当をしていたのが長福寺だったことから、本尊をこちらに移したのだという。

実は石柱の横面には菊水寺の名が刻まれているとか。



元々の寺所は少し離れたところで、境内には延命水の湧く菊水の井があったことから、寺名とした。



家紋が寺名と同じ菊水なのを縁に、楠正成はこの寺を遥拝して武運を祈っていた。

遥拝ってことは、来たわけではなく離れたところから拝んだってことだよね。遥かだからね。



境内の芭蕉の碑。

あ、そうそう、菊水寺は堂内のお詣りする所の横に納経所があるから、経文を読み上げるのはとても緊張します😩。



さて、日を改めてとうとう結願のお寺に向かう。ようやくと思うと同時に寂しくもあるな。



場所は満願の湯の奥の山の中。満願の湯は、元町議の方が町興しで温泉を掘ってみたがぜんぜん出なくて、それでこの水潜寺に毎日祈願して108日目に湧き出したのだそうだ。

駐車場から山の中に向かう。右はハイキング道で、お寺へは苔むした石段を登る。



右の閉鎖されている道を行くと、今は崩壊の危険があって非公開となっている水くぐりの岩屋がある。百観音霊場巡礼を結願した人々が、その岩屋で水で身体を清めてから俗世へ戻ったのだという。

左は水かけ地蔵で湧き出している長命水を3杯かけて、お願い事を3度唱えるように書いてある。



三十四番札所 日沢山 水潜寺 千手観世音菩薩

靴を脱いで本堂に入りお詣りする。



本堂(観音堂)右手には、結願した人が納めた金剛杖、菅笠、千羽鶴などが並んでいる。



大旱魃の時に不思議な僧が現れて樹甘露法雨の札を立て霊験で峠に滝を湧き出させた。僧がこの場を日本の百番巡礼の結願所とすると告げ雨を降らせて消えた。札立峠の名はここに始まる。

なんだか2つの話しみたいな書き方だけど、どうなんだろう。



境内の七観音像。



手前が百観音結願堂で、奥が仏足堂。結願堂の前には百観音御砂というのがあって、足形が描かれている。上に乗り踏むことで、百観音巡礼の御利益が分けてもらえるのだという。

御利益が得られるのではなく、分けてもられるってところが欲張ってなくて良いね😊。



帰りの参道に並ぶのは三十三観音の石仏。行きはこの右側を行くんだよ。


水潜寺を後にして向かったのは秩父華厳の滝で、500メートルくらい先にある。



滝の上には不動明王像が立っていて、道路があるので、橋も掛かってる。まだ先にも滝があるみたいだ。



橋が見えないようにも撮れるけど、滝壺見えないと雰囲気が変わるね。


これで秩父三十四観音霊場の巡礼は結願した。



今もあるピグを試しにクリックしたらピグ友もまだ残っていたので訪問してみたが、、、まさかのそのコスチュームかよ(爆)。

弁慶さんはピグではずっと僧衣を着ていた。歳取ったら余生を出家して過ごすのも良いなとも思っていた。いつ潰れてもおかしくない会社に勤めていたからね。それにしてもMihoさんはある日突然遊びにきて、なぜそのまま友達になったのだろう。歳も離れていたし、1度しか来ない人も多かったのにね。

さて、とりあえず結願せねばならないと先を急いで巡礼したわけだけど、歩いた区間は貴重な体験だったなあと思う。ということで、この日はこのあとで一番札所、四萬部寺に行って二廻り目の準備にいくつかの小道具を買ったよ(爆)。次は全て、のんびりだけど歩いて廻るよ。別に早く回る理由ももう無いからね。でももうそれは書かないだろうな。

ね。

(今だから言うけど、この終わり方も、必ず「ぷぷぷ」で終わるMihoさんのブログに影響されて考えたものだったんだよ☺️)