秩父三十四観音霊場 二十九番・三十番 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

二十八番から二十九番へは浦山口駅のそばを通って浦山川を渡って行きます。昔は渡し船で川を渡ったのだとか。



二十九番札所 笹戸山 長泉院 聖観世音菩薩

立派な石灯籠の先に細い参道が続いていて、奥には庭園が広がるお寺だ。



秩父札所を開設した十三権者が巡礼した際に、石札を納めたことから、石札堂とも呼ばれている。



本堂。蝋燭も線香も用意されていて(有料)、お詣りするのに困らない。これ、結構ないので真面目に巡礼されている方は持参しているみたいだとわかってきた。さっそく蝋燭は買ったんだけど、線香はまだだなあ😆。



渕から龍女が現れて、十余人の巡礼を案内し、岩屋の中より聖観世音像を見出して御堂を建てて安置した。

十余人の巡礼とは石札を納めた十三権者のことかな。




ということで、御朱印は石札堂だ。

さて、ここからは思案のしどころで、三十番は感覚的には山奥なんだよ。歩くと1時間半くらいらしいけれど、秩父鉄道の終点のひとつ手前、白久駅の先だからね。

それでも時間はまだ13時をすぎたところだし、とりあえず行くか、と歩き出した(爆)。



しばらく歩くと神社があったので、お詣りしておこうかなと左へ延びる参道に入っていった。



若御子神社

向かった時は若獅子と読み間違えいた😓。秩父って神社に狼が付き物だから、獅子もありかなみたいな😆。



左手には神武天皇の額。主祭神は神日本磐余彦天皇(かみやまといはれびこのすめらみこと)で、それは日本書紀での神武天皇の名前なんだそうだ。



その隣がしだれ桜で有名らしい清雲寺。中には樹齢600年になるものもあるとか。桜の寿命は60年といわれているけど、それはソメイヨシノの話だから。



岩松山清雲寺は、臨済宗建長寺派の禅寺。芒が良い感じ。

ちょっと遠回りしたが、再び古道に戻る。



舗装路だけど古道だと思うのは、こんな道端の石塔に三十番札所と掘られているものがあったりするからなんだけど、



しばらく歩いたここにはちゃんと江戸古道の案内板があった。石仏には柚子のお供えがあって、みんな大事にしてるんだなと感じた。



荒川の道の駅野手前を右に進むと薬師堂が2つあったが、ひとつは大切に祀られているように見えたが(実はちょうどSLが来たのでそっちに気が行って見てない😓)、こちらは朽落ちそうで、薬師如来像も見当たらない。

奥は秩父鉄道の線路。



予想より遅れて白久駅到着。ここでは駅に気を取られてそのまままっすぐ歩いてしまい、10分くらいロスしたかな。正しくはここで左折して、しばらく坂道を登る。さらに温泉旅館の谷津川館の手前で右の急な登りへと向かう。



まさにマムシ注意な感じの山の中だ😵。



三十番札所 瑞龍山 法雲寺 如意輪観世音菩薩

古い納札が寺宝として残っていて、秩父札所ならび日本百番観音霊場の成立を知るための貴重な資料なのだと。



本尊の如意輪観音は、建長寺の道隠禅師が唐より持ち帰ったもので、玄宗皇帝が楊貴妃を弔うために彫り、不空三蔵が開眼したと伝わる。

三蔵法師という名称は、一般名称で固有名称ではないんだ。西遊記の三蔵法師は玄奘三蔵。玄奘さんだね。



納経所から見た庭園と本堂。



山奥だけど巡礼だけではなく入れ替わり立ち替わりお詣りの人が来るお寺だった。



山水群霊と読む。山水に暮らす諸々の動物霊を指し、奥秩父鉱泉郷旅館組合が旅館で提供する川魚や野鳥獣を供養する目的で建立したんだそうだ。そうだね、整った物ばかり食べているから忘れがちだけど、いつも大切な命を頂いているんだ。

ね。