秩父三十四観音霊場 十七番~十九番 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

この日の最初のゴールと考えていたのは次の十七番で、十六番からは1.3キロ。


路地に入り、道なりに右に曲がり込むと正面に見えた。



十七番札所 実正山 定林寺 十一面観世音菩薩



どこをどう経由したのかわからないのだけど、ここで八番であったお遍路姿のペアに再開した。十四番で後姿を見た2人組はおそらくこの2人だったのだと思う。



壬生の良門の忠臣林太郎定元は、主の無道を諫めかえって家財を没収され、当地に来て没しました。その遺子空然はこの地に養われ成人の後、父の菩提のため当時を建立した。

ここまでなら秩父駅へ戻る感じなのだが、ここから先に進むと大野原駅に近くなる。ちょっと秩父駅周辺をうろうろしたいかなと思ったのだが、まだ時間は早いしということで、先を目指す。



再び巡礼古道を進むと十八番と十九番への分岐があり、そこを右(十八番方面)へと進んで警報機の無い踏切を渡り、その先のR140を信号のない横断歩道で渡る。その距離、1.1キロ。



十八番札所 白道山 神門寺 聖観世音菩薩



もと十四番今宮坊に属した修験道の寺であった。



寺伝によれば、ここは昔神社だったが荒廃してしまい、再興を願った村民達は神楽を奉納した。すると巫女に霊験があり、観音の霊地すなわち寺を建てよとのお告げがあったので、聖観世音菩薩を安置して霊場を開いたのが創始であると。

国道と踏切を渡り返して先程分岐だったところまで戻り、十九番方面へと進む。十九番はタモリ倶楽部で有名な単語「河岸段丘」へ降った先にある。距離は1.5キロ。



十九番 飛淵山 龍石寺 千手観世音菩薩

大きな砂岩の上に観音堂は建っている。左手には奪衣婆、閻魔大王、賓頭盧尊者の三尊を祀る三途婆堂。



京都から飛んで来てここに定着したという霊験あらたかな尊像で、弘法大師の作だと伝わっている。



説明では、本尊は室町時代の作とある。昔、この地方で大旱魃があり、弘法大師が天皇の勅命で雨を祈ったところ、この大盤石が二つに割れて、神泉苑から大きな竜が天に昇って雨を降らせ、大豊作をもたらしたと伝えられている。

ちょっと待て!神泉苑は京都の二条城のそば。空海がそこで雨を祈ったというのは他にも伝わっているから良いとして、この大磐石がそれで割れたという事がどうしてそこに入ってくるんだろう。謎だ。



茶筅塚は抹茶をたてる時に掻き回すアレです。古くなった茶筅を供養する為の塚。

ここからただ秩父に戻るのもなんなんで、ぐるっと回って秩父駅に近づく二十三番まで歩いて行こうと思ったけれど、それは甘かったとあとで気がつきます。

ね。