秩父三十四観音霊場 十五番・十六番 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

十四番から十五番に向かう途中には寄るところがあった。


写経、写仏できます。お茶付き1,100円。

実はここはMihoさんのブログで知った場所。「何かに引き寄せられるように癒しの空間に出会い身体に良さそうなお茶をいただいた」お店。

店名は書いてなかったけれど、それはいつもの事だから(笑)。癒しとかお茶とかやって検索したらすぐにわかった。そこには写経が出来ると案内されていたから、そうすることにした。

Mihoさんは友達を本当に大切にする人だった。一期一会って言ってた。友達100人できるかなってAmebaのピグを始めて本当に100人作った。でも最近のブログにはコメもなくなっていた。ブログって間が開くとそのまま描けなくなって放置されるでしょ。だから更新されなくてもだんだん気にされなくなってしまう。弁慶だっていつの間にか、なんだか疎遠になってしまって、いいね!はしていたし、されれば嬉しかったけれど、友達らしい言葉をちっともかけていなかった。言葉にしなければ、それはないのと一緒だよね。最後にコメくれたのは昨年の5月で、それはいままでよりちょっと硬い気がする。なんだよ、弁慶!もう私の事は忘れてるでしょ!って言われているような気がしてならないし、最後の本人のブログには、なんだか強がりながらも苦しんでいる姿を感じてしまう。でもそれはその時には読み取れなかった。せめて冥福を祈るしかない。悔しいが、もうこれしか出来ないから。

左側の建物でお茶や食事が出来て右側で写経、写仏ができる。繁華街なのに、とても静かな空間で、外の喧騒が不思議なくらい聞こえなかった。ちなみに初めての写経😊。



写経はえんぴつ✏️で書く。40分すると、お代わりのお茶が運ばれてくる。だいたいそのくらいで書き上がるんだと思う。弁慶もちょうど書き終わる寸前でお茶が来た。

描き終わると持ち帰りできるので、それを手にして十五番に向かったんだよ。本来、御朱印とは納経した証に頂く物なんだ。だから御朱印を頂く所は納経所という。



十五番は踏切の向こう側にあるんだけど、ちょうど踏切が閉じてしまって残念って思っていると、そこに来たのはSLだった😵。



十五番札所 母巣山 少林寺 十一面観世音菩薩

本堂は秩父大火の教訓から土蔵造り。



あれ、日付が弐拾拾日になってる😵



十五番札所はもともとは秩父神社の傍にあった蔵福寺でしたが、廃仏毀釈で廃寺となり少林寺が受け継いだものだと書いてある。

廃仏毀釈か。天皇の世、つまり神の世になったのだから、仏は廃すって。人はある時、熱にうなされたような行動を起こすよね。タリバンが世界遺産の磨崖仏壊して酷いことするなと思った人も多いだろうけれど、日本人もほんの百年ちょっと前には同じようなことをやったんだよ。自分だって、きっとそういうものだという自覚をしておかないと、そうなった時に気付かないと思う。



秩父事件で殉職された2名の警部補の墓がある。



なぜ折れているのか気になる。天災だと良いんだけれど、秩父には逆の立場で命を落とした人の家族もいるだろうし、そうした怨念のようなものでなければいいなと思った。


秩父神社にちょっと寄り道して十六番に向かう。



山門を横切るものあり。



どこに潜り込んだのか脚がよごれているね。



十六番札所 無量山 西光寺 千手観世音菩薩



本堂は宝永7年(1710年)の建立で、山門の右手には四国八十八箇所の回廊があったり、なかなか見どころが多い。



こちらは酒樽大黒天。この樽には毎日3合飲んでも30年分の酒が入るんだそうだ。



札堂では写経ができるそうだが、札堂とはなんぞや。もともと巡礼とは納札を柱や壁に打ち付けたので、その為の御堂ということらしい。秩父ではここしか残っていない。



なんか凄く難しい学術的考察が書いてあって、これを理解するのはいささか大変だよ😓



まあ、そんなことより猫と遊んでいた方が幸せってもんです。



山門を出ると巡礼の道標があった。わー、とうとう舗装路を外れて江戸時代の古道へと入るよ。

ね。