朝寝坊弁慶のささやかな交湯録 -74ページ目

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

十一番はR299沿いにある。前回はここまで廻って途切れているので、来たことはあるはずなんだけど、記憶はない。ただ、ここで御朱印を頂いたのはずいぶん若い方からだったような気がする。


厄除元三大師の文字を見てびっくりしたが、比叡山に登るまで元三大師すら知らなかったので仕方がない。ただ廻るにあたって見たところ、三十四箇所には天台宗のお寺はなかったはずなので、不思議だった。



明治11年の秩父大火で燃えてしまうまでは仁王門、観音堂、庫裡を備えた立派な寺だった。元三大師をお祀りしているのは、明治初年までは天台宗のお寺であったからで、曹洞宗に変わってからも変わらず元三大師をお祀りし、正月三日には大勢の参拝者で賑わうと書いてあった。



十一番札所 南石山 常楽寺 

南無慈恵元三大師常住金剛。エセ巡礼者は知ってることだけ呟く。

巡礼の親子は先着、気がつけば先程も一緒になった生活サイクルのおじさんは後着。



その昔、住職の門海上人は仁王門建立に尽力したが志半ばで病に倒れた。本尊に快気を祈ったところ金剛神を従えた黄金の老僧が現れて治って本願が遂げられた。



元三大師の御朱印もあったので、専用の御朱印帳を持って行かねば(爆)。



元三大師のおみくじがあった。もちろん恐ろしいから引かない(爆)。いつも凶だし💦。


さて、この日は巡礼はここまでにして、和銅遺跡に立ち寄って帰ったんだ。実は埼玉県人なのに、和銅遺跡に行ったことなかった😓



静かな森の中の小径。

別に傾いて写真撮ったわけじゃないからね!



ひっそりとした場所にでっかく存在していたやつ



モニュメントの目の前、ここが野天堀の跡。ここの銅は純度がすごく高くて精錬する必要がなかったんだ。だからこの近くには精錬所の跡はない。ここから都にダイレクトに運ばれたんだって。(となりの金山鉱山の純度は低く、こちらは精錬所がある。)

たまたま掃除に来ていた人が解説してくれた😊。地元のボランティアさんかな。ほら、モニュメントの周りに落ち葉とかないでしょ!

ね。
R299から武甲山側に入る。


このお寺が武甲山から一番近いかな。



八番札所 清泰山 西善寺 十一面観世音菩薩



ちゃんと装束を着て徒歩で廻っているお遍路さんの男女に出会ったが、その後も日を改めて会うんだよね。みんな休みの日に来るからそうなるね。



境内のこみねかえで

紅葉したらどうなるのかな



まだR299までは戻らないで、西武線の横瀬駅の近く。



九番札所 明星山 明智寺 如意輪観世音菩薩



建久2年(1191年)明智禅師に開創と伝わるが、落雷で消失して現在のお堂は平成2年に建てられた新しい建物。



その昔、女性の願いを収めたという文塚があった。

R299に戻り秩父市内方面に向かうが、羊山公園の交差点を再び新木鉱泉側に右折。



駐車場はその道沿い。そこから歩いてお寺に向かう。



十番札所 万松山 大慈寺 聖観世音菩薩

なんと、こちらの観音様は「あの」恵心僧都の作と言われているのだそう。

※「あの」というのはこのブログで何回も出て来る人だからね😆



ここでは別のお遍路さんに会ったけど、親子(母と息子)なのかな。親のほうは華麗に十句観音経から般若心経、御真言をお納めして、息子は掛軸に御朱印を貰って車で次へと向かっていった。まあ、そうなるとスピード一緒だから当然次でも会うんだけど。



摂津から来た儒者が仏道を貶したのを、この寺の本尊が老僧に化身して一言にて諭した。

恵心僧都が作ったのなら、そのくらいのことはやるかな😁。

ね。


お寺の説明を書いた立看板がないのは何故かなと思ったが、今までは秩父市でここからは横瀬町なのが関係してるのかな。



五番札所 小川山 語歌堂 准胝観世音菩薩

例の言い伝えを描いた額もなく、ちょっと寂しいけど😓。


観音堂で旅の僧と長興寺の大旦那である本間孫八が和歌の奥義を語り合っていたが、明け方に僧は忽然と消えた。孫八はその僧が聖徳太子の化身と悟り、観音堂を語歌堂と名付けたそうな。



納経所はその長興寺で語歌堂からは約200メートルほどの距離。

五番から六番へはいったんR299を飯能方面へ向かい、横瀬川を渡ってから左にの山へと向かう。



お寺の入口を通り過ぎた先に臨時駐車場があって、ぼーっとしていたらお寺がどこにあるのかわからず通り過ぎて(その駐車場に)ついたもんだから、周りをウロウロしてしまった😅。

お寺の入口には江戸時代に設置された道標があったが、もちろんそんなことも気がつかず😓。



そのすぐそばに巡礼道の古道があった。徒歩だとここを通るってことかな。



六番札所 向陽山 卜雲寺 聖観世音菩薩



こちらの御住職もライダーで、「昔、ホンダのナナハンに乗っていたんだよ」と。やはりサイドカーについて、いろいろなことを聞いて来たのでお話ししたが、なぜ巡礼しているのかは誰も聞かない😓。



額だ😊。でも、なんか難しい😅。



七番札所 青泰山 西善寺 十一面観世音菩薩

七番は六番から国道に戻る途中というか、国道から六番に曲がる角にある。



牛の朱印がある。

本尊の十一面観世音菩薩は元々は根古屋の牛伏にあったが災害にあってこちらに移されたので、このお堂は牛伏堂という。



と、いうことだとすると、この石像の意味がよくわからないということは、この際置いておこう😆。



武甲山が見える。ここからはR299を渡った武甲山により近い場所へ向かうよ。

ね。
ケトン体ダイエットはちょっと休んで


昨日はビア行っといた😆




食べ始めたニンニク丸揚げに




茗荷の天麩羅


焼鳥も食べたけど、撮り忘れ😓


でも行っといて良かった。昨日は満中陰だった。


寝る前に忘れかけてる般若心経の練習を3回したし。なんかね、日曜日にすごく潔い女のお遍路さんがいてね、畳みかけるように般若心経から延命十句観音経を挙げて廻ってたんだ。車だったけど、息子らしいのが運転してて、旦那さんの供養かなと思った。



朝は三芳PA



わらじカツ丼と蕎麦のセット


ラーメン屋とそば屋の選択でラーメン屋が高かったからそばに行ったのに、わらじに負けた。




海。でもこれって内陸側だよね。センスなし🙅‍♂️。

ね。
二番は山の上にあって、納経所は別のお寺なものだから、来ない人もいるんだろうな。細いすれ違いの出来ない坂道をくねくねと登ってピークからちょっと降った所にお寺の駐車場があった。


誰も居ないし、ただの広場だね。でも周辺には数軒の人家がある。

奥に見えるのは無住寺になる前には住職が住まわれていた寺務所だろうか。そこから左に曲がって更に石段を上がっていくと、本堂があった。



二番札所 大棚山 真福寺 聖観音菩薩





こちらにも、この額が掛かっていた。



鬼丸の洞窟に祀られたいた聖観音菩薩像を大棚禅師が御本尊として堂を建てたとある。

書かれてはいないが、1487年〜1489年の頃に水害にあって三十三観音霊場から外され、代わりのお寺がそこに補充されたそうだ。しかし信者などからの強い要望もあって、現在の三十四箇所となって復活したという歴史がある。



駐車場に戻ると桜が3本あって咲き始めていた。寒桜だろうか。

登って来たほうのとは反対側のやはり急な九十九折れの道を降り納経所へと向かう。



二番納経所 光明寺

麓にあって仁王像が迎えてくれる。



御住職は水槽の掃除をしていた。境内にはペットらしいアヒルが散歩中。動物が好きなのだね。



三番は二番から向かうと美の山公園に至る県道11号線を横断して新木鉱泉の裏を流れる川を渡った山裾にある。



駐車場には地元で取れた胡桃と銀杏が売っていたので、銀杏を買った。大好きだけど、食べるのたいへんだよね。



三番札所 岩本山 常泉寺 聖観音菩薩





本尊の聖観世音菩薩は行基の作だと書いてある。

納経所からは駐車場が良く見える。御住職はバイクの方かと確認されて、サイドカーについて色々聞いてきた😊。おそらく元ライダーなのだろうと思う。

日中は暖かかったが、15時を回ると冷え込んで来た。暑くて脱いでいたジャケットを次に着いたら着ようと思って向かったが、一気に身体が冷えてしまった。

四番は県道11号線のまた反対側に戻る。だいたい新木鉱泉の入口あたりを逆に入る。



四番札所 高谷山 金昌寺 十一面観世音菩薩

大きな草鞋だね。まさかここから草鞋かつが生まれたわけではないだろうけど。



本堂へは石段を登っていくのだが、境内が狭くて本堂の画像が上手く撮れなかった。



悪人荒木丹下を観世音菩薩が娘の巡礼者に姿を変えて現れて大善人に改心させた。それほど霊験あらたかなのだということが書いてある。

ここからは裏道づたいにR299方面へと進むけど、それはのちほど。

ね。