大越刑事が、しばらくの間、話しをしていた。

この女が、ビビアンであろうか?年のころは、例の井上八千代と同じぐらいだと思う。

化粧も何もしていない顔であった。

そうすると、ビビアンは、大きな声を出して、大越刑事と何やら言い合いをし始めた。

タガログ語なので一体何を言っているのかは全く分からない。

かなり、激しいやりとりである。大越刑事は、浅田保夫が殺されたということを話したようだ。どうやら、その言い合いは、元の旦那の浅田が死んだということにも関係しているのだろう。

かなり、気性の荒い女であった。

すると、少し落ち着いたようで、僕たちを部屋の中に入るように言う。

大越刑事が「金田親子のことは、知っているが、マニラのどこにいるのかは知らないというのです。ただ、偶然に会っただけだと・・・私は、そんなことはないだろう・・・教えてくれと言うと、何か、急に怒り始めたのです。何がなんだか?・・・それで、場合によっては、署に同行してもらうというと、静かになったのです。何か隠していると思います?・・・」と、いいながら家に入った。

そして、大越刑事が、優しく話し始めた。

ビビアンは、それを静かに聞いている。

大越刑事の話が終わると、ビビアンは、落ち着いたかのように、ゆっくりと話し始めた。

ビビアンの旦那は、商社の社員であり、日本とフィリピン間を、月に何度も往復しているという。

驚くことに、八千代の会社との取引もあるというのだ。今は、東京にいるらしい。

ビビアンが、数日前に、マニラに買い物に行った時に、デパートの中で偶然に会ったということだ。

そして、どこにいるのかは聞いていないというのだ。大越刑事の質問が、しつこいので怒ったということであった。

大越刑事は、金田親子が、殺人の容疑者として手配されていると話すと、かなり、驚いた様子で、知っていることは何でも話すという。

しばらく、二人の会話が続いた。

ビビアンは、話し終えると、放心状態になっていた。友人であり、仕事の取引相手に殺人容疑がかかっているとことに対して、体が震えると言っていたようだ。

残念なことに、金田親子の居場所は、本当に知らないようであったが、八千代のフィリピンでの一番の親友がいると教えてくれた。大越刑事は、金田八千代から連絡があったなら、必ず、マニラ署に知らせるように言った。

一番の親友という女は、マニラの中のマカティという高級地に住んでいて、30年以上の付き合いがあると教えてくれた。名前しか分からないが、警察で調べたなら、簡単に分かる。

僕たちは、ビビアンの家を出で、一旦、マニラ署に戻ることにした。

フィリピンに来ている、徳野茂美との約束の時間がせまっていたが、どうやら、間に合いそうにない。

僕は、徳野の携帯へ、遅れるということを電話した。徳野は、何時でもいいから、着いたら電話をしてほしいということになった。

「雪ちゃん・・・金田を追い込んでいるな・・・もう少しだ・・・やはり、闇ルートで日本を出国したのだな。マニラにいるということは・・・親友という女のところにいるのかもしれないな・・・」

「多分・・・そうだと思います。マニラのホテルは、全て、調べていると聞いていますから・・・潜伏するとしたなら、誰かの家しかないと思いますね。それとも、別荘でもあるかもしれません?大越さん・・・名前だけで、すぐに分かりますか?」と、尋ねると。

「えぇ、名前が分かれば簡単です。ただし、ビビアンの言う名前が本名だとしたらです。偽名だったら、どうしようもないですよ・・・信用するしかないと思います。どちらにしても、すぐに分かりますよ・・・」

車は、署に着いた。

事前に連絡しておいたので、しばらくすると、その親友という女の所在は分かった。

ベニーノ・真奈美という女だ。過去の素性も分かっていた。

30年ぐらい前に、大金持ちのフィリピン人と結婚して、今は、貸しビル業をしていて、悠々自適な生活らしい。

自社ビルの最上階に住まいがあるという。どうやら、子供はいないらしい。

かなりの所得もあり、マカティでも、有名な日本人ということまで分かった。

主人のフィリピン人は、10年以上も前に亡くなっていることも分かった。

飲食店も、20軒以上持っていることも分かった。

さらに、調べてみると、驚くことが分かったのである。

結婚する前の名前は、金田という姓であった。

実は、金田栄一の姉なのである。栄一は、若くしてフィリピンに来て、働いていたのであるが、姉も、日本から来たということが分かった。その当時の入国記録に残っていた。その当時、何があったのであろうか?

姉弟が、一緒に日本を出て、フィリピンに渡るということは、何か、やむにやまれない何かがあったのであろう。

とりあえず、金田親子が、その真奈美という女の家にいる可能性があるので、マニラ署の刑事が、張り付くことにした。急に行って、不在だとしたら、また、潜伏先を変えるかもしれないと思ったのである。

フィリピンに来ることがなかったなら、こんな展開にならなかったと思う。

金田栄一、純一郎、八千代、そして、真奈美とが・・・何か一本の線で繋がっていると思った。




フィリピンでの、滞在日も、残すところ4日となっていた。







「買われた家は、金田さんという人の所有でしたか?」と、聞くと。

「はい、保夫の仲間の・・・安く、譲ってもらいました。何でも、金田さんが事故で亡くなったので、母親と息子さんは、日本へ帰ることになったと聞いています。しばらく・・・そこに住んでいたのですが、日本にいる保夫から、離婚して欲しいという手紙と、100万円の慰謝料を送ってきました。本来、フィリピンでは離婚するとこは無理なのです。フィリピン人同士が離婚することは法律的に難しいのですが、浅田は、役人に裏金を使って離婚を進めたようです。それと、浅田は、日本人ということで特例になったと聞いています。嫁は、離婚したくないと思っていたようですが、保夫の強い気持ちに負けてしまったのです。そして、嫁は家を出ていったのです。保夫からの仕送りもありましたし、現金で家を買っていたので、不安はなかったのです・・・それから、10年ぐらいして土地の買収の話があり、かなり高く買ってくれるということで、別の場所に家を買ったのです。一人だけですから、大きな家はいらないと思ったのです・・・保夫も、年に数回はこちらに来てくれていましたし、何不自由なく暮らしていたのです。でも、1年前から、癌になり、ここのホスピスへ入院したのです・・・保夫に帰ってきて欲しいと言ったのですが、資金のめどがつかないということで、日本に残るということでした。それにしても・・・保夫が死ぬなんて・・・」と、大粒の涙が、また、頬を流れていた。

やはり、金田親子の住んでいた家を買ったのは間違いないが、付き合いはなかったのであろうか?僕は、聞いてみた。

「和子さん・・・その当時、金田親子との付き合いはありましたか?」

「少しはありました。嫁が、金田さんの奥様と仲がよかったのです。私も、何度か一緒に食事をしたことがあります・・・」

僕は、井上八千代、いや、元の金田八千代の写真を見せた。しばらく、その写真を見ていたが、昔の面影があるという。間違いない、井上八千代は、金田栄一の女房である。

「八千代さんに会いたいです・・・数日前、元の嫁が来て、金田親子は、マニラにいると言っていました。新しい男と結婚しているのですが、たまに、見舞いに来てくれています。私の身の回りの世話もしてくれています。こんな年寄りのことは、どうでもいいと言っているのですが、孫が私に会いたいらしくて来てくれているのです・・・月に一回ですが・・・ありがたいことです・・・」

金田親子は、マニラにいる。それも、浅田の元の嫁と関係が続いている。

「そうでしたか・・・で、元のお嫁さんの居場所はわかりますか?どうしても、会いたいのですが・・・」

「机の引き出しに、住所があります・・・それを見て下さい・・・ビビアンといいます・・・」

僕は、引き出しの中のメモを確認した。ケソン市の住所になっていた。

僕は、和子さんに、死んだ浅田保夫の、遺骨を日本から送ることを約束して、病院を後にした。

金田親子は、マニラにいる。早く、元の嫁に会わなくてはならない。

新開刑事も、思わぬ展開に驚いていた。

大越刑事が運転する車は、ケソン市へ向かった。

間違いなく、ビビアンは金田親子の居場所を知っていると思う

マラカニアン宮殿の傍を車は走り抜ける。赤色等をまわし、サイレンを鳴らしながら・・・

もう、夕方になっていた。ケソンの市内は、車の渋滞だ。

その隙間をぬって車は走る。東京と同じような渋滞である。新しい車もあるが、日本で30年以上も前に走っていた車や、ジープニーも沢山走っている。※ジープニー 小さな乗り合いバス。派手な装飾が有名。

その住所に着いた。小奇麗な、戸建である。このあたりでは、結構裕福な家だと、一目でわかる造りだ。

玄関前の車庫には、日本製の昔のスカイラインが停まっている。10年前の、スカイライン4drGTであった。




大越刑事が、玄関のチャイムを鳴らした。

中から、タガログ語の声がした。

大越刑事も何か話している。そうすると、ゆっくりとドアが開き女性が顔を出した。









さらに、昔、金田栄一の住んでいたところを知っているというのだ。

何でも、一度だけ、金田栄一を車で送っていったことがあったということだ。家の中には入らなかったらしいが、家の前で車を降りたという。平屋の小さな家だったと言った。

候は、その場所を記憶していた。

20年も前であるから、かなり変わっているとは思うが、一度、行ってみて確認することになった。

その住所を聞いて、僕は驚いた。CPカンパニーの佐藤さんの会社の傍なのだ。

傍というよりも、同じ住所かもしれない、署の地図で調べてみると、同じ番地だということが判明した。

何という偶然なのか。とにかく、急いで、行くことにした。候の取調べは、覚せい剤のルートについてになっていた。御手洗の事件については、これ以上、進展はないと思われたからだ。

担当の刑事も、覚せい剤専門の刑事にバトンタッチしていた。

シンガロングストリートに着いた。佐藤さんの会社のビルが目の前に見える。

同じ番地というが、10軒以上の建物がある。ほとんどは、平屋の個人住宅のようであった。

20年以上も前のことを覚えている人はいるのであろうか?

真新しい家は無視して、古そうな家を訪ねることから始めた。

留守の家もあったが、何軒かは在宅していたが、皆、10年ぐらい前から住んでいるという人であった。

ただ、その中に、名前は忘れたが、日本人の親子が住んでいたと聞いたことがあるという人がいた。

何でも、その日本人は、多少裕福であり、近所の人に、日本から送ってもらった美味しい米をおすそ分けしていたということを聞いたらしい。とても、優しくて、近所づきあいが良いという評判の日本人だということだ。

しかし、直接、付き合った人と出会うことはなかった。もしかして、留守の家の中にいるかもしれない。

僕は、佐藤さんにも聞いてみようと思い、会社の中に入った。新開刑事と、大越刑事もついてきた。

大越刑事は、佐藤さんの知り合いの友人である。

「どうしましたか?」と、佐藤さんが聞いてきた。

僕は、理由を話すと、20年前は、ここは平屋だらけであったらしいと言う。佐藤さんの会社は、10年前に、ここの土地を買ってビルを建てたということだ。それまでは、ここの土地には、平屋が3軒あったという。

土地を買収したらしい。その当時のことは、分からないが、ここにいた人の引越し先は、わかるかもしれないと言った。何でも、買収した時の記録の書類があるかもしれないと言うのだ。少し待っていて下さいと、部屋を出て行った。数分して、佐藤さんの手には、書類があった。

その書類を見ると、3人の人の名前が載っていた。つまり、買収した時の契約書なのだ。

名前を見たが、金田という名前はない。しかし、その中に、一人だけ日本人の名前があった。

どこかで聞いた名前だ。浅田和子とローマ字で書かれていた。浅田、もしかしたら・・・あの、殺された浅田と関係があるのか?

大越刑事は、すぐに、署に電話して、浅田和子という女の所在を確かめるように指示した。

こんなところでも、動きが早い。早いというよりも、何でもすぐに調べる性格なのかもしれない。

4人で、色々と談笑していると、折り返し電話がかかってきた。

大越刑事が、何やらメモをとっている。

「浅田和子の居場所がわかりました。相当高齢です。87才です。日本人の場合は、特別な戸籍に保管されているから早く調べられます。以前は、ダバオ市にいたようです。20年前に、ここに家を買ったということです。グリーンカードも取得していますから、国籍は、フィリピンです。それと今は、マニラ市の郊外の病院にいるということまで分かりました・・・」と、言う。

浅田・・・ダバオ市・・・あの、浅田と関係があるのではないか?

もしかしたなら、浅田保夫の母かもしれないと思った。

佐藤さんにお礼を言い、入院している病院へ車を走らせた。

マニラ市内から、走ること30分の距離に病院はあった。病院というよりも、末期癌の人たちのホスピスである。

受付で、警察のものだと告げ、浅田和子の病室を聞くと、2階の端の部屋だという。

さらに、3ケ月の余命だということであった。

病室に入ると、窓際のベッドに横たわっている。誰が見ても、余命が短いと思う風貌だ。

僕たちの声で、こちらを振り向いて、誰なのだろうと不思議そうな顔をした。

僕が、浅田和子さんですか?と、日本語で尋ねると、少し驚きながらも小さく頷いた。

「日本から来た、雪田と言います。こちらは、東京の警察の新開さんと、マニラ警察の大越さんです・・・」

と、ゆっくりと話しかけてみた。

「日本から・・・何か?まさか・・・保夫に何か?・・・」と、浅田保夫の母に間違いはないと確信した。

「はい、保夫さんのことで・・・お伺いしたいとことがあります。少しの間、話すことはできますか?」

と、言うと。ベッドから起き上がろうとしたので、そのまま横になっていて下さいと、きゃしゃな体を軽く戻した。

「保夫に何かあったのですね?もう、3ケ月以上何の連絡もありません。以前は、週に一回は連絡があったのですが・・・何かあったのですね・・・」と、小さな目で、僕の顔を見た。顔からは、血の気が引いていることを感じた。ベッドの傍らの小さなテーブルには、親子の写真があった。かなり、昔の写真である。

おそらく、30年以上も前ではないかと思う。

「保夫さんは、残念ながら・・・お亡くなりになりました。車の事故です・・・残念ですが・・・ご遺体は、近親者が不明ということで、警察によって荼毘にふされました。お母さんの和子さんに間違いないですか?」

「母親です・・・保夫が・・・事故?・・・」と、目には涙が溢れていた。

「高速道路でした・・・」と、殺人だとは言えなかった。余命短い人に、息子が殺されたということは、どうしても言えなかったのだ。

しばらく、和子さんは、目をふせて小刻みに体を震わせていた。

今は、何も聞くことはできないと思う。10分ぐらい経過したところで、肝心な話を聞きだそうと思った。

新開刑事も、大越刑事も、ただ、無言で静かにしていた。

僕は、「少し、聞きたいことがあります?・・・保夫さんの昔の友人の金田さんという人に記憶がありませんか?20年以上も前のことです。その金田さんという人も探しているのです。何でも、親子3人で暮らしていたと聞いています。和子さんが、住んでいらっしゃった、シンガロングストリートだと思います・・・」

「・・・金田さん・・・あぁ、覚えていますよ。保夫の仲間だという人でした。私は、日本にいる時は、大阪にいました。フィリピンの店で主人と出会って、主人の実家のある大阪に来たのです。主人が亡くなったので、私の親戚があり、保夫のレストランがあるダバオ市に行ったのです。幸せな日々でした・・・保夫もダバオで大きくレストランをしたいと言っていました」と、過去のことについて話し始めたが、とにかく聞くしかないと思った。

おそらく、久しぶりの日本人との会話であったのかもしれない。

「保夫も結婚して、子供ができて、私も本当に幸せな日でした。保夫がいるということだけでいいのです。日本にいても、誰ひとりとして親戚はいませんし、思い切ってフィリピンに帰ったのです。私の生まれた国は、フィリピンなのですから・・・何十年も前のことです。しかし、保夫は、マニラの何とかいう人と、一緒にやっていた事業が失敗したとかいうことで、資金作りのために、日本に行ったのです。保夫の希望で、マニラ市内に引越したのです。保夫はレストラン経営も失敗して閉店していました

それは、20年ぐらい前です・・・嫁と孫と、3人で暮らしていました。嫁も、仕事をしていましたし、保夫からの仕送りもあったので、いずれ、保夫が戻ってくると思い、賃貸のアパートを出て、家を買ったのです。シンガロングの・・・」

と、昔を懐かしむように話した。







これから、何日か入院になるだろう。それよりも完治するのだろうか。虫垂炎だから問題はないだろうと思った。

少しして、だんなの目が開いた。自分がどこにいて何があったのかということを自覚したようだ。

明日は、一度家に戻って、着替えなどを持ってこないといけない。

それに、だんなの実家にも連絡していないし、私の実家にも連絡していないことに気付いて、1階の公衆電話まで行って話しておいた。皆驚いていたが、命には別状がないということで安心したようであった。

その夜は、寝付かれない長い夜になった。息子も、何か興奮していたようで、熟睡していないと感じた。

しかし、息子の学校のいじめについてお寺の住職さんの話をしていた時に、だんなが救急車で運ばれたという何か因縁めいた感じがしたのも事実である。

一歩、間違っていたなら、その住職にお世話になっていたかもしれないと思うと、身が震えてしまった。

変な考えかもしれないが、いじめを受けている人は、自分の人生を変えることはできると思うが、不治の病で余命何カ月と言われた人は、もっと辛いはずである。

だんなが余命何カ月と宣告されていたとしたらと思うと、いじめの問題などは塵のようなものかもしれない。

当事者にとっては死活問題なのかもしれないが、自分の命を操作することができるではないか。不治の病なら操作すらできないのだ。それを思うと、いじめというものは絶対に解決のできる問題だと思う。

そんなことを思いながら病室のカーテンを少し開けると、朝陽が窓の外を紅く染めていた。

だんなは、すやすやと眠っている。本当に生きていてよかったと心から思った。

だんなも、この朝陽を見ることができるのだ。

朝食の時間になって、だんなが目を覚ました。少しだけ話をして、急いで家に戻った。

帰りの電車の中では息子の態度も普段と同じに戻っていたので、少しほっとした。

息子は、近所の人に無理をいって預かってもらい、着替えを持って急いで病院に戻ったのだ。

病院で、看護師の人に聞いたところによると、何もなければ3日で退院できそうだということだ。

しかし、大きな病院という所は、患者に対してロボットのような対応しかできないのだろうか。

こちらが、聞かないことについては何も話してくれない。

聞いたことのみに答えてくれるのである。もう少し、何とかならないのだろうか。

病院にしてみれば、日常的な患者の中の一人には違いないが、患者にしてみれば、病気や怪我という非日常的な問題になっているのである。もう少し、心が通う言い方や説明があってもいいと思う。

更に、言わせてもらうと、この病院であったから助かったのかもしれない。

世の中には、助かる命なのに、病院を選択できないことで命を無くしている人は沢山いると思う。

非日常的なことを経験した人だからこそ、日常的に対応している人は神に見えるのである。

医師や看護師や職員の人が同じような体験をしたならどう思うのだろう?

遠い所へ旅行している時に同じようなことになったなら、何と思うのであろうか?

医師も医師ではない人も同じ人間なのだ。医師は患者を家族と思って欲しい。

そういう国になって欲しいと思うのは、皆の永遠の願望だけで終わってしまうのか?

人して人に対する優しい心を持って欲しいと思う。

しかし実際には、いいかげんだなと思うような受け答えしかしないのだ。

一言多くてもいいではないか、少ないよりもいいではないか、主婦の井戸端会議とは違う。

患者の不安な気持を少しでも払拭してくれてもいいではないかと思いながらも、だんなを助けてくれたことに対しては心からお礼を言いたいとも思った。

やっと、だんなは普段のだんなに戻っていた。こういうことがあると人は優しくなれるものである。

空気のような存在だった人が、本当の空気、つまり、無くては生きていけない・・・と実感した。

だんなと話していると、だんなの会社の伊藤さんと上司の人がお見舞いに来られた。

上司の人は50才代くらいの部長さんということである。

私は深々とお辞儀をして「主人が大変ご迷惑をおかけしまして・・・」と言うと「疲れもあったと思います、田口くんは休日も出勤していましたし、一生懸命に働いてくれていましたから・・・」と言ってくれた。

続けて「しばらくゆっくりするようにと常務からも言われています。田口くんは社にとってなくてはならない人ですからね」とベッドに寝ているだんなをチラリと見た。

だんなは無言で頷いていた。「ありがとうございます。できるだけ早く復帰できるようにします」と私が答えると、

「いい奥さんだな・・・」と部長さんが、だんなの手をとって話した。

「・・・とんでもありません・・・」と、だんなが少し照れて答えた。

会社の経理のことは心配しないで、静養して下さいと言って、二人は病室を後にした。

だんなは、良い部下や上司に恵まれている。そんなだんなにまた惚れ直してしまった。

人というものは、何かがあって初めて気付くことが往々にしてある。

最近は、そんなことが多いように感じた。これからも、だんなを一番に考えていかないといけない。

だんなが私の命なのだ。だんながいるからこそ私がいる。そして、私の宝物の息子がいる。

何か熱いものがこみ上げてきた。夫婦というものは、空気みたいに存在なのかもしれないが、何かがあると本当の空気になる。これからも、そういう空気になって生きていきたいと願っていた。

息子のことが気にかかるので、夕方には帰路についた。







勝汰章の、笑顔になるための246のことば 

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「そうだ・・・栄一の息子だ・・・」

「そうでしたか・・・最初は、関係がある人かと思っていましたが、日本では、金田という名前は、どこにでもある名前だと聞いていたので、何も思いませんでした・・・栄一の息子ですか。まさか・・・息子とは・・・私は、栄一が、亡くなったのは、御手洗から聞いて知っていましたが、息子さんに会ったことはなかったのです。本当に驚きました。でも、何故、そのことを隠していたのでしょうか?それとも、私が、昔、栄一と付き合いがあったことを知らなかったのでしょうか?それにしても、不思議な縁です。息子さんか・・・」と、候は、懐かしむような素振りをした。

どうやら、今の今まで、金田純一郎が、栄一の息子だとは知らなかったようであった。

「それと、どうして? ジョジズ・ラマダを解消して、ラマダだけにしたのか?」

「はい、それは、純一郎さんからの依頼でした。投資した金額の倍以上になったので、もう、解消したいということでした。私も、大きな利益が出ていたし、そういうことなら、ここで一人でやったほうが、もっと儲かると思いまして、承諾したのです・・・あまり、深くは考えませんでしたから・・・」

「その時に、御手洗に、金田のことは話したか?」

「いえ・・・話す必要もないし、この件は、私と金田だけのことです。会社の名前も、ジョジズ・ラマダとなっていましたが、御手洗は、別に何とも思っていませんでした。御手洗という男は、金さえ儲かれば、誰が何をしていようが関係ないと思う人です。ですから・・・何も・・・」

ここまで、話して休憩を取ることになった。

僕は、候と金田の関係が分かった。偶然にしては、おかしい。金田は、候のことを調べて、近づいたに違いないと思った。新開刑事も、同じ考えである。

しかし、金田は、候と付き合うことで、何のメリットがあったのであろうか?

父親の復讐をするとしても、あまりにも回り道過ぎる。何か、他に狙いがあったとしか考えられない。

休憩の間に、僕と新開刑事は、大越刑事に、御手洗と金田との関係について、詳しく聞いてほしいとお願いした。

休憩後、取調べは続いた。



「候・・・御手洗に金田純一郎を紹介したことはあるか?」

「いえ・・・ありません。でも、御手洗という会社のことを、何度も聞かれたことを覚えています。何でも、御手洗は、東京では大きな会社なので、私に知っているかということでした。私は、御手洗のことは昔から知っていたので、フィリピンでのことを色々と話したことはあります。金田は、何も言わずに聞いていました」

「候・・・倉重や浅田のことも話したのではないか?それと、父親の金田のことも・・・・?」

「そういえば・・・話したかもしれません?仕事に関係のない話ですから、あまり、記憶はありませんが、確かに、色々と話した記憶はあります。金田さんという人が、海へ落ちて死んだとか・・・」

「やはりな・・・もう少し、考えて、思い出してみろ・・・それ以外は・・・」と、大越刑事が尋ねた。

「・・・思い出してきました。浅田のレストランとか、金田が死んでから、会社を解散して、皆、日本へ戻ったこととか、それと・・・」と、口ごもった。すかさず、大越刑事が、問い詰める。

「それと・・・何だ?」

「それと・・・それと・・・金田は、殺されたかもしれないと・・・」と、候は、小さな声になった。

「殺されたと、話したのか?」

「はい・・・そのようなことを・・・話したと思います・・・でも、何も言いませんでした。ただ、聞いていただけでした。それだけです・・・」

「候・・・お前は、何か隠しているな?海に落ちたのではなく、落とされたのだろう・・・はっきりしろ・・・」

「・・・・落ちたと聞いています。落ちたと・・・」と、さらに声は小さくなっていた。

「誰に聞いた・・・誰だ?」大越刑事の声が大きくなった。

「・・・御手洗に・・・そう、言われました・・・」

「そのことがあってから、会社を解散して日本に戻ったということだな・・・?」

「はい、金田が、死んでから、数週間して解散したのです。表向きは、商売がうまくいかないので、解散するということでした。私は、そんなにうまくいっていないとは思っていませんでした。裏の取引は、段々、当局の取り締まりが厳しくなっていたのは確かですが・・・そんなに、業績が悪いとは思っていませんでした・・・」

「分かった・・・とりあえず、昼食にする。後は、食べてからだ・・・」

と、候は、留置所へ戻った。

「何となく、繋がりが分かってきましたね。後は、何を聞けばいいですか?」

と、大越刑事が聞いてきた。

「一番聞きたいのは、金田が御手洗を殺した動機なのです。どこまで、候が知っているかは分かりませんが、何でもいいですから、金田と御手洗について追求して欲しいのです。御手洗が、金田栄一を殺した確証があればいいのですが・・・どうやら、候は知らないようです。でも、何か隠しているかもしれません。宜しくお願いします」

と、新開刑事が話した。その後、3人で昼食をした。マニラ署の傍にある、小さなレストランだ。

新開刑事にとっては、初めてのフィリピン料理になる。昨日の昼の食事は、サンドイッチを食べたらしい。

今日は、完全なフィリピン料理だ。さてさて、どうなることかと思っていたら、意外にも、僕の嫌いな、バグオンを平気で食べている。大越刑事に勧められたランチについていたのだ。

美味しそうに食べている。人はみかけによらない。

逆に、僕が嫌いなことを知って、こんなに旨いものはないのに、もったいないとまで言う。

僕は、何とも言えないでいた。

と、携帯電話が鳴った。徳野茂美が、フィリピンに着いたという連絡であった。

これから、ボエット・チャンとの打ち合わせをして、午後の6時には、ホテルに戻っているという。

夜に、会うことにした。

午後も、引き続き、候の取調べが続いた。

が、候からは、これといった情報を得ることはできない。やはり、候は、金田親子のことを今日知ったぐらいであるから、それ以上のことは知らないのではないだろうか?

そうすると、金田栄一が崖から落とされた?ことの犯人は誰なのかという疑問が残る。

候が、白状していないとも考えられないことはないが、現状では、断固としてやっていないと言っていた。

後に、候は、関係はしていないが、その突き落とし現場を目撃していたということか発覚したのであった。






■ 四章 異国で・・・  







翌朝、ホテルの部屋の電話がけたたましく鳴った。大越刑事からであった。

候が、一部ではあるが、自供したという。アンジェラスの件も、候の仕業であった。

僕たちは、急いでマニラ署へ向かった。

詳細についていうならば、候は、香港の闇の組織との繋がりがあり、覚せい剤と密輸をやっていたのだ。

その、密輸については、アンジェラスに知られてしまい、それで、アンジェラスから、脅されていたということなのだ。1年にわたり、アンジェラスは、候に、口止め料として、多額の金銭を要求していたらしい。アンジェラスの殺しは、御手洗や金田とは、全く関係がないことが判明した。

アンジェラスの殺しは、候の手下がやったことで、別の場所で殺して、あのトンドのスモキーマウンテンに放置したということも分かった。例のライターは、候が、アンジェラスの死体を確認した時に落としたということである。

ライターの販売の線からも、候の名前が分かったということであった。

覚せい剤も、香港ルートで仕入れて、フィリピン全土に販売していたという。

さらに、驚くことが発覚した。

アンジェラスが、日本を出国できたのは、正規のルートではなく、新開刑事の予想していたとおり、闇の組織のエージェントの手助けによって、まず、島根県に行き、ある港から沖まで、小さな船で行き、沖に待機している漁船に乗り込み、韓国のプサンまで行く。そして、韓国から偽造パスポートで空路フィリピンに入るという手の込んだものであった。恐らく、その組織は、日本と韓国と香港を拠点として暗躍しているのであろう。

アンジェラスは、元々、日本ではオーバーステイであり、パスポートの期限も切れていたので、正規のルートでは無理であった。そこで、候と繋がっている闇の組織を利用していたのだ。

アンジェラスは、それを往復利用していということであった。

現在、その闇の組織を解明するために、香港警察と協力体制ができたという。

ここまでは、解明できたということであった。

「そうでしたか?でも、金田のことは・・・」と、大越刑事に聞くと「それは、これからです。9時から、取調べに入ります。もし、よかったら、取調べを見られる別室にいませんか?今日は、通訳もいますから、リアルで見ることができます。いかがですか?」

僕と、新開刑事は、二つ返事で、その取調べが見られる別室に入った。

マニラ警察の好意で、通訳の人も待機していた。さて、取調べが始まる時間となった。

候が、手錠をかけられて入ってきた。昨日とは、うって変わって、睡眠不足の顔をしていた。昨夜は、徹夜で取り調べを受けたのだと思った。

ここからは、候と大越刑事とのやりとりを通訳を介しての内容である。

「候・・・少しは眠れたか?」と、大越刑事が、優しく聞いた。

「はい、少しは・・・私は、死刑になるのでしょうか?それが・・・」と、蚊の鳴くような声だ。

フィリピンで、麻薬の販売等をしたならば、死刑になるのである。

「これから聞くことや、全てのことを話してくれたなら、恐らく、それはないと思う。お前の後ろにいる組織についても、完全に解明しろと、警察本部からの命令だ。お前が、素直に言えば、酌量の余地はある。安心しろ」

「・・・そうですか・・・何でも、話します。だから・・・死刑だけは・・・」

「お前が、覚せい剤だけなら、間違いなく死刑だが、日本からの事件に、お前が関係しているということで、司法取引になった。運のいい奴だな。さて、まず、御手洗のことから聞くか?御手洗とは、どういう関係だ・・・」

「御手洗とは、昔、車の輸入で知り合いました。私が、香港との取引をしていると知ると、私によってきたのです。御手洗も、香港経由で中国本土へ車の部品の輸出をしたいと思っていたのです。それで、ある人の紹介で知り合ったのです。それまでは、まともに商売をしていたのですが、もっと、大きな利益をほしいと思い、闇の組織に近づいたのです・・・」

「組織の名前は?」

「昨夜も、お話したように、琴龍有限公司と言います・・・」

「ボスの名前は・・・?」

「金一環ですが、本名かどうかは知りません。一度しか会ったことはないのです。何かあれば、手下の人が間に入っていました」

「しかしな・・・琴龍という名前の組織はないと、香港警察が言っているぞ・・・嘘ではないな?」

「はい、嘘はつきません。琴龍としか聞いていません・・・本当です・・・信じて下さい・・・」

と、話していると、ドアが開いて、別の刑事らしき人が入ってきた。

大越刑事は、深く頭を下げた。どうやら、本部の、上層部の人のようであった。

「大越、琴龍は、別名を、タイガー・ドラゴンというらしい。琴龍は、表向きの貿易会社の名前だ。裏が、タイガー・ドラゴンという、大きな組織だと分かった・・・後は、頼むな・・・」と、一言、話すと、部屋を出ていった。

「候・・・組織のことは分かった。では、話を元に戻す。御手洗との関係は、どのぐらい続いたのだ?」

「あれからですから・・・30年にはなります。御手洗が、日本に帰ってからも、付き合いはありました。アンジェラスが、不法に働いていたことで、御手洗から、助けて欲しいと連絡があり、いつも、アンジェラスや他の不法滞在者を、日本から出国させていたのです。私は、いつしか、日本からの不法滞在者を助ける仕事もしていたのです。琴龍との付き合いは、そのころからです。日本では、偽造パスポートは発覚しやすいので、何か別のルートを探していたのです。そこで、琴龍と知り合ったのです。ですから、琴龍とは、あまり長く付き合ってはいません。タイガー・ドラゴンという名前も、今、初めて聞きました。本当です・・・」

「分かった。御手洗以外の、金田という男とも付き合いがあったのか?」

「はい、金田とも、長い付き合いです。御手洗のところにいた人で、御手洗の会社の金庫番のような人でした。とても、いい人で、よく、二人して飲みに行った記憶があります。それと、倉重と浅田という、えたいの知れない人もよく出入りしていました。詳しくは知りませんが、浅田という人は、何でも、ミンダナオ島で、日本食のレストランをやっていたと聞いています。倉重のことは、あまり知りません。無口で、何か、陰湿な感じがしたのを覚えています。普段は、御手洗と金田と付き合っていました。私も、車の部品だけの輸出では、大変なので、御手洗の言うとおりに、闇の組織を紹介したのです。御手洗は、琴龍、いや、タイガー・ドラゴンとの取引で大きくなっていたのです。おかげで、私の会社も、同じように大きくなっていました。私が紹介したのですが、御手洗のほうが、大きくなっていたのです。御手洗は、私以上にやり手でしたから、タイガー・ドラゴンからも、一目おかれるようになったのです・・・」

「・・・で、御手洗が日本に帰ってからは、付き合いは、不法滞在の助けだけなのか?」

「はい、それだけの付き合いです。私は、香港との取引が中心ですから、日本とは、その不法滞在だけです」

「では、金田純一郎のジョジズ・カンパニーとは、どういういきさつで共同経営が始まったのか?」

「はい、金田という若い男が、私の会社にやってきて・・・10年前ですが・・・投資したいというのです。私の会社にです。最初は、怪しい男だと思いましたが、何度もやってくるのです。何でも、裏の中国ルートと取引がしたいということでした。誰に聞いたのかは知りませんが、私の会社の内情をよく知っていたのです。1ケ月ぐらい、毎日のように来ていました。結局、私も、ここまで、会社の内情を知っているということで、何か恐ろしくなり、投資の依頼を受けるしかならなくなったのです。それも、2000万円という高額を出資したのです。それで、裏の取引の利益を半々としたのです。かなり、やり手な若者でした。何でも、東京に本社があり、福岡にも支店があると聞いていますが、裏の付き合いなので、あまり深くは詮索しなかったのです・・・金さえ儲かればいいと・・・」

「それで・・・金田という名前に、何か、不審を持たなかったのか?御手洗のところにいた、金田栄一とか?」

「えっ・・・あの、栄一と関係があるのですか?もしかしたら・・・息子・・・ですか?」と、驚いた。







病院に着くと、思っていたよりも大きな個人病院で、救急体制も整っていると分かった。

1階の受付で名前を告げると、1階の奥の救急治療室前で待つようにと言われて、足早に向かうと、スーツ姿の男性が軽く会釈して「田口さんの奥様ですか、伊藤と言います」と言う「ご迷惑かけます、主人はどうなっているのでしょうか」と早口で聞くと「仕事中に急に腹が痛いと言って倒れられてしまったのです、それで救急車を呼んだ次第です、今、検査中ですが時間かかかっていますから心配しています」と少し青ざめた顔で答えた。

「もう、1時間半以上ですよね、何か説明はないですか・・・」と不安げに聞くと「さっき、看護師さんが、手術になるかもしれませんと言っていましたが、その後は何もないです」と言うのだ。

手術、もしかしたら手遅れなのだろうか、それとも手術したら治るのだろうか?

結婚してから、こんなに不安と恐怖とが入り混じった経験はなかった。

だんなが死んだらどうしよう。だんなが植物人間にでもなったらどうしようと、気が動転して何をしたらいいのかが分からない。息子も私の動揺を察知とたようで、椅子に座って下を向いている、目には涙が溢れていた。

その息子を抱き寄せて「パパは大丈夫よ、今手術して治るから・・・」と言うと「うん」と言って大きな涙を溢した。30分もしたであろうか、救急治療室のドアが開いて白い服の医者が現れた、まだ若そうな人である。

「ご家族の方ですか?」と聞くので「はい、そうです」と答えると「急性の虫垂炎つまり、盲腸炎です、除去しましたから問題はありません。数日、入院していただくようになります、今は麻酔で眠っていますから、今のうちに入院の手続きをしておいて下さい。後で、病室に運びます」と言って廊下を歩いていってしまった。

その言葉を聞いた途端全身の緊張していた力が抜けて、廊下にしゃがみこんでしまった。

会社の伊藤さんは「よかったですね、大事にならなくて、今、社に電話してきます」と言ってその場を離れて行った。泣き顔の息子は、何となく命は助かったという感じになって、しゃがみこんだ私にしがみついたままである。

私は、入院の手続きと言われたことは全く忘れていて、しばらく廊下にしゃがみこんだままであった。

ふと、肩を叩かれて、朦朧としていた意識が戻った「奥様、社でもゆっくり休養するようにと言われました、社内でのことなので、入院の手続きは私が行います。2階の203号に行って待っていて下さいと看護師に言われました」

と、言われて立ち上がったのだった。

どうやら、だんなは治療室の中にあるエレベーターで上の階に運ばれるらしい。

息子の手を引いて2階への階段を上った。

203号室に入ると、2人部屋で、年のころなら30才代と思われる人が何人かの人と談笑していた。

軽く、会釈して空いているベッドの前で待っていると、だんなが運ばれてきた。

意識は、ないようである。多分、麻酔がきいているのだろう。

業務的に看護師が、今、麻酔がきいていますから、後、30分もしたら目が覚めると思いますと一言。

「もう、大丈夫なのでしょうか?」と、聞くと「除去しましたから、大丈夫だと思いますか、数日は見ないと何とも言えません、急性でしたから、もう少し遅かったなら危なかったかもしれませんね」と一礼して部屋を出て行った。

ベッドで横たわっているだんなを見ると、大粒の涙が頬を伝わった。声をあげて泣きたいところだが、隣の人もいるので、声を殺して泣いた。息子も体を震わせながら泣いていた。安心したのであろう。

看護師が言った言葉が頭の中に残っていた。もう少し遅かったなら危なかった・・・ということは、遅かったなら死んでいたということだ。本当に運が良かったのだと思った。

だんなの目元が少し動いたように感じた。軽く肩を叩くと、ゆっくりと目を開けて「お前か・・・」と言って、また、目を瞑ってしまった。そして、数分して「腹が痛い・・・」と言って目を開けた。

私は、ナースコールで看護師を呼んだ。すぐに看護師がやってきた。

「お腹が痛いと言っているのですが?・・・」と不安そうに聞くと「縫合していますから、少し痛みは続くと思います、何かあったら呼んで下さい」と言って部屋を出で行ってしまった。

だんなの朦朧としている目を見ていると、

もしかしたら、顔に白い布がかかった状態で対面していたかもしれないと、ふと思ってしまった。

息子は、私の手を握ったまま離れようとしない。息子なりに大きな不安を抱えてしまったのだろう。

面会時間の終わりのようで隣のベッドに人の面会者は帰っていった。私たちも帰らないといけないのかと思っていたら、社の伊藤さんが入院の手続きが完了したということで部屋に戻ってきた。

今夜は、付き添っていてもいいということなので、息子のクラスの仲のよい奥さんに電話して事の経緯を説明した。

息子も今夜は同じ病室に泊まることになった。勿論、息子だけを家に返しておくことはできない。

伊藤さんは、明日また来るということで病室を出ていった。

「雪ちゃん、御手洗の別荘については、過去の土地登記で、間違いなく御手洗晋と確認されたよ。さっき、大越刑事が知らせてくれた。確かに、20年ぐらい前に、別荘を手放している。それもそうだが、その後、誰が買ったと思う?」と、僕に問いかけた。

「えっ、何か事件に関係ある人ですか?うーん・・・誰だろう?クイズをしている場合じゃないですよ・・」

と、あきれた顔で言うと。

「ハハハ・・・悪い・・・そんなんじゃないけど、暇だからな・・・実は、候なんだよ・・・今、取調べを受けている・・・候・・・だよ。御手洗が手放して、すぐに、候が買っていることが分かった。しかし、候は、その2年後に手放していた。何のために買ったのだろうかな?あの当時は、候と御手洗は、一緒にビジネスをやっていたことはない。マニラ署の調査でも、候と御手洗の共同?経営の会社は、10年前からだと確認されている。20年前にもん何らかの接点があったと考えることが自然だな・・・その時には、金田、倉重、浅田もいということだ。おそらく、候は、この死んだ男たちを全員知っていると思う。そのあたりでも、取調べをしているらしい。候という男を、落とせば、何か見えてくると思う・・・」と、話していると、大越刑事が、取り調べが終わったということを告げにきた。何でも、別件で逮捕するという。

「逮捕?別件・・・大越さん・・・一体何ですか?」と、尋ねると。

「金田とか御手洗のことは別として、輸出入法違反です。それと、覚せい剤の販売の疑いもあります。フィリピンで、覚せい剤を販売したなら、死刑は確実ですから・・・これからは、司法取引という形で、取調べをします。死刑にはなりたくないでしょうから、何でも話すと思います。今夜は、徹夜でやりますよ・・・」

「覚せい剤?証拠でも・・・それと、輸出入の違反とは?」と、僕は聞いた。

「取調べをしている間に、候の事務所を捜索したのです。そうしたら、覚せい剤の粉末が発見されました。それと、私の国の税関では記録のない、香港からの輸入らしき書類もありまして、それを、香港税関に確認したなら、そんなコンテナの輸出の許可の記録はないということです。間違いなく、闇の船で、輸入していたと思います。候の自宅も捜索して、銀行口座を確認したら、その到着期日の前に、コンテナの品の料金と同じ金額を香港校旗銀行の、金一環という人の口座に振り込んでいたことも確認されました。それで、逮捕ということになったのです。香港警察にも依頼して捜査してもらうように話しています。皆さんの調べている事件も、候から何か分かると思います。今日は、もう、遅いですから、明日、私から連絡します・・・」と、話してくれた。



早い、こういうところは、日本の警察も見習って欲しいと思う。



新開刑事も、その速さには舌を巻いていた。

僕たちは、大越刑事のいう通りに、マニラ署を出た。外は、完全に日が落ちている。

刑事は。全員忙しいということで、僕たちは、歩いてホテルに向かうことになった。

恐らく、候は、死刑になりたくないということで、司法取引に応じると思う。そうしたなら、この事件の全貌の一端が見えてくるのではないか?

しかし、香港の闇の世界と繋がっているということは、もしかしたなら、金田純一郎や母親の八千代とも繋がっているかもしれない。高速道路上の事故だと処理されたことが、フィリピンでも何らかの関係があるとしたなら、国際的な事件へと発展する可能性が出てきたのであった。

その夜は、新開刑事の希望で、刺身を食べることになった。明日は、徳野茂美もフィリピンに来る、僕たちと同じホテルを予約したという。徳野と一緒にやっている、ボエット・チャンからの情報も入るかもしれない。

段々、佳境に近づいてきた予感がしていた。

「新開さん・・・何やら予想していない展開ですよね。しかし、相変わらず、動機というものは見えてこないし・・・外堀ばかり埋めているようで、何かもどかしい感じですよ。早く、内堀を見てみたいと思いますねぇ・・・どう思いますか?」

「そうだな・・・空回りしているとは思うよ。しかし、確実に、近づいていると思う。こんな大きな事件になるとはな・・・全く、思わなかったよ・・・一応、課長に電話でもしておくかな?何にも連絡しないと、また、煩いからな・・・で、日本に電話したいが、どうしたらいい?」と、聞いてきたので。ホテルから国際電話をかける方法を教えた。その夜の、マニラ湾も、静かな波が押し寄せては、引いていた。

翌日は、その波が嵐のようなうねりになるとは?・・・事件が大きく展開していたのだ。






それから数日後。

学校より、重要なお知らせという保護者への手紙を持って息子が帰ってきた。

表に保護者へと書いた茶封筒が糊で留められていた。

封を開けると、思いもよらないことが書かれていた。

内容を要約するならば、例のいじめのことで、命の大切さということを、近くの大きなお寺の住職さんに説法してもらうということである。それも、子供のクラス単位で、道徳の時間として説法するらしい。

小学生の子供にとって、お寺の住職という人は、何のことだか分からないと思うのだが、一応、息子に聞いてみた。

「お寺のえらい人が、命について話すということを聞いている」と「お寺の人が来るというのは知っているよ、先生が話していた、そんなにえらい人なの・・・」と問い返すので「えらい人だよ、しっかりと聞いてね」と言うと

「お寺の人って皆えらいの、裕子ちゃんのお父さんもお寺の人だけど、いつも煩いし、酒ばかり呑んで、いい加減だと言っていたよ」と、言う。

どうやら、息子のクラスにもどこかの住職の子供で裕子ちゃんという子がいるらしい。今回の住職さんがそうなのだろうか。学校からの連絡網ノートを見てみたが、親の職業が記載されていないのではっきりとは分からない。


裕子、裕子と探してみたが、やはり無理であった。学校からの文章には、近くのお寺の住職としか記載されていない。だから、裕子ちゃんという人の親なのかどうかは一切不明であった。

私の好奇心がむくむくと燃え上がった。

電話機に向かうと学校に聞いてみた。電話で息子のクラス担任を呼んだ。

「すいません田口の母親ですが、道徳の時間にお寺の住職さんの話があるらしいのですが、どこのお寺の人ですか・・・」すると「ああ、田口さんね、ちょっと待って下さい・・・」としばらく待つように言われた。待たされるということは何なのだ。先生なら知っていてもいいではないか、それを即答できないということは一体何だ。

「ええっと 学校のそばのお寺ですね。妙○寺です、それが何か?・・・」と答えた。

「妙○寺というのは、クラスの裕子ちゃんのお家ですか?・・・」と聞くと「田口さんは知っていますか、そうです。裕子ちゃんのお父様です」最悪である。一応、ありがとうございましたというと電話を切った。

息子に「裕子ちゃんのお父さんが住職さんらしいよ」と言うと「・・・別に誰でもいいよ、でも、裕子ちゃんのお父さんなら嫌だよ、煩いらしいし・・・」と言いながら部屋に行ってしまった。

これでは、住職さんの話をまともに聞くことができるのだろうか。多分、その裕子ちゃんという子は皆に話しているかもしれない。酒呑みで、煩くて、いい加減な親だと。

低学年ならいいかもしれないが、高学年なら誰も話しを聞かないかもしれないし聞いているふりをしているだけかもしれない。できたら、遠くのお寺の住職さんのほうがいいと思った。

ましてや、住職の子供がいる学校であるから、噂は広まっていき、あることないことが広まるかもしれない。

そうしたなら、裕子ちゃんも、恥ずかしいかもしれないし、最悪は、いじめの対象になるかもしれない。

そんなことを考えていると、突然電話が鳴った。

「もしもし田口さんですか、ご主人が急な腹痛で救急車で病院に行かれました。詳しいことは分かりませんが、ご主人の部下が付き添って行っています、病院名を言いますから控えて下さい」と会社からの電話であると同時に、何があったんだ。頭の中は真っ白。「田口さん、聞いていますか、○○病院です、電話番号は○○○○です」と言っている。何とか気を落着けてメモした。

「大丈夫でしょうか、何の病気でしょうか、何があったのでしょうか?・・・」と自分でも言っていることの意味がわからない。「落着いて、病院に電話して下さい。いいですか・・・」と言ったきり電話が切れた。

震える手でメモしたので、文字がミミズのようになっている。病院に電話してみると、今の救急の方の家族の方ですか、現在精密検査をしていますから、何とも言えませんが、急性虫垂炎か腹膜炎の症状ですと言うのだ。

搬送された病院の場所を聞いて駅まで走っていって息子と電車に乗った。

電車の中では、息子が盛んに、どうなったの死んでしまうと聞いてくる、そんなことはないと言いながら自分でも大きな不安だ。さっきの病院の人が言うには、急性虫垂炎か腹膜炎ということだから、まさか急に死ぬことはないだろうと勝手に推測していた。

1時間弱の電車の中が、数時間にも感じられた。息子は、何を聞いても何も答えられないと思うと、やっと静かになった。

駅に着き、タクシーで病院に向かった。