病院に着くと、思っていたよりも大きな個人病院で、救急体制も整っていると分かった。
1階の受付で名前を告げると、1階の奥の救急治療室前で待つようにと言われて、足早に向かうと、スーツ姿の男性が軽く会釈して「田口さんの奥様ですか、伊藤と言います」と言う「ご迷惑かけます、主人はどうなっているのでしょうか」と早口で聞くと「仕事中に急に腹が痛いと言って倒れられてしまったのです、それで救急車を呼んだ次第です、今、検査中ですが時間かかかっていますから心配しています」と少し青ざめた顔で答えた。
「もう、1時間半以上ですよね、何か説明はないですか・・・」と不安げに聞くと「さっき、看護師さんが、手術になるかもしれませんと言っていましたが、その後は何もないです」と言うのだ。
手術、もしかしたら手遅れなのだろうか、それとも手術したら治るのだろうか?
結婚してから、こんなに不安と恐怖とが入り混じった経験はなかった。
だんなが死んだらどうしよう。だんなが植物人間にでもなったらどうしようと、気が動転して何をしたらいいのかが分からない。息子も私の動揺を察知とたようで、椅子に座って下を向いている、目には涙が溢れていた。
その息子を抱き寄せて「パパは大丈夫よ、今手術して治るから・・・」と言うと「うん」と言って大きな涙を溢した。30分もしたであろうか、救急治療室のドアが開いて白い服の医者が現れた、まだ若そうな人である。
「ご家族の方ですか?」と聞くので「はい、そうです」と答えると「急性の虫垂炎つまり、盲腸炎です、除去しましたから問題はありません。数日、入院していただくようになります、今は麻酔で眠っていますから、今のうちに入院の手続きをしておいて下さい。後で、病室に運びます」と言って廊下を歩いていってしまった。
その言葉を聞いた途端全身の緊張していた力が抜けて、廊下にしゃがみこんでしまった。
会社の伊藤さんは「よかったですね、大事にならなくて、今、社に電話してきます」と言ってその場を離れて行った。泣き顔の息子は、何となく命は助かったという感じになって、しゃがみこんだ私にしがみついたままである。
私は、入院の手続きと言われたことは全く忘れていて、しばらく廊下にしゃがみこんだままであった。
ふと、肩を叩かれて、朦朧としていた意識が戻った「奥様、社でもゆっくり休養するようにと言われました、社内でのことなので、入院の手続きは私が行います。2階の203号に行って待っていて下さいと看護師に言われました」
と、言われて立ち上がったのだった。
どうやら、だんなは治療室の中にあるエレベーターで上の階に運ばれるらしい。
息子の手を引いて2階への階段を上った。
203号室に入ると、2人部屋で、年のころなら30才代と思われる人が何人かの人と談笑していた。
軽く、会釈して空いているベッドの前で待っていると、だんなが運ばれてきた。
意識は、ないようである。多分、麻酔がきいているのだろう。
業務的に看護師が、今、麻酔がきいていますから、後、30分もしたら目が覚めると思いますと一言。
「もう、大丈夫なのでしょうか?」と、聞くと「除去しましたから、大丈夫だと思いますか、数日は見ないと何とも言えません、急性でしたから、もう少し遅かったなら危なかったかもしれませんね」と一礼して部屋を出て行った。
ベッドで横たわっているだんなを見ると、大粒の涙が頬を伝わった。声をあげて泣きたいところだが、隣の人もいるので、声を殺して泣いた。息子も体を震わせながら泣いていた。安心したのであろう。
看護師が言った言葉が頭の中に残っていた。もう少し遅かったなら危なかった・・・ということは、遅かったなら死んでいたということだ。本当に運が良かったのだと思った。
だんなの目元が少し動いたように感じた。軽く肩を叩くと、ゆっくりと目を開けて「お前か・・・」と言って、また、目を瞑ってしまった。そして、数分して「腹が痛い・・・」と言って目を開けた。
私は、ナースコールで看護師を呼んだ。すぐに看護師がやってきた。
「お腹が痛いと言っているのですが?・・・」と不安そうに聞くと「縫合していますから、少し痛みは続くと思います、何かあったら呼んで下さい」と言って部屋を出で行ってしまった。
だんなの朦朧としている目を見ていると、
もしかしたら、顔に白い布がかかった状態で対面していたかもしれないと、ふと思ってしまった。
息子は、私の手を握ったまま離れようとしない。息子なりに大きな不安を抱えてしまったのだろう。
面会時間の終わりのようで隣のベッドに人の面会者は帰っていった。私たちも帰らないといけないのかと思っていたら、社の伊藤さんが入院の手続きが完了したということで部屋に戻ってきた。
今夜は、付き添っていてもいいということなので、息子のクラスの仲のよい奥さんに電話して事の経緯を説明した。
息子も今夜は同じ病室に泊まることになった。勿論、息子だけを家に返しておくことはできない。
伊藤さんは、明日また来るということで病室を出ていった。