それから数日後。

学校より、重要なお知らせという保護者への手紙を持って息子が帰ってきた。

表に保護者へと書いた茶封筒が糊で留められていた。

封を開けると、思いもよらないことが書かれていた。

内容を要約するならば、例のいじめのことで、命の大切さということを、近くの大きなお寺の住職さんに説法してもらうということである。それも、子供のクラス単位で、道徳の時間として説法するらしい。

小学生の子供にとって、お寺の住職という人は、何のことだか分からないと思うのだが、一応、息子に聞いてみた。

「お寺のえらい人が、命について話すということを聞いている」と「お寺の人が来るというのは知っているよ、先生が話していた、そんなにえらい人なの・・・」と問い返すので「えらい人だよ、しっかりと聞いてね」と言うと

「お寺の人って皆えらいの、裕子ちゃんのお父さんもお寺の人だけど、いつも煩いし、酒ばかり呑んで、いい加減だと言っていたよ」と、言う。

どうやら、息子のクラスにもどこかの住職の子供で裕子ちゃんという子がいるらしい。今回の住職さんがそうなのだろうか。学校からの連絡網ノートを見てみたが、親の職業が記載されていないのではっきりとは分からない。


裕子、裕子と探してみたが、やはり無理であった。学校からの文章には、近くのお寺の住職としか記載されていない。だから、裕子ちゃんという人の親なのかどうかは一切不明であった。

私の好奇心がむくむくと燃え上がった。

電話機に向かうと学校に聞いてみた。電話で息子のクラス担任を呼んだ。

「すいません田口の母親ですが、道徳の時間にお寺の住職さんの話があるらしいのですが、どこのお寺の人ですか・・・」すると「ああ、田口さんね、ちょっと待って下さい・・・」としばらく待つように言われた。待たされるということは何なのだ。先生なら知っていてもいいではないか、それを即答できないということは一体何だ。

「ええっと 学校のそばのお寺ですね。妙○寺です、それが何か?・・・」と答えた。

「妙○寺というのは、クラスの裕子ちゃんのお家ですか?・・・」と聞くと「田口さんは知っていますか、そうです。裕子ちゃんのお父様です」最悪である。一応、ありがとうございましたというと電話を切った。

息子に「裕子ちゃんのお父さんが住職さんらしいよ」と言うと「・・・別に誰でもいいよ、でも、裕子ちゃんのお父さんなら嫌だよ、煩いらしいし・・・」と言いながら部屋に行ってしまった。

これでは、住職さんの話をまともに聞くことができるのだろうか。多分、その裕子ちゃんという子は皆に話しているかもしれない。酒呑みで、煩くて、いい加減な親だと。

低学年ならいいかもしれないが、高学年なら誰も話しを聞かないかもしれないし聞いているふりをしているだけかもしれない。できたら、遠くのお寺の住職さんのほうがいいと思った。

ましてや、住職の子供がいる学校であるから、噂は広まっていき、あることないことが広まるかもしれない。

そうしたなら、裕子ちゃんも、恥ずかしいかもしれないし、最悪は、いじめの対象になるかもしれない。

そんなことを考えていると、突然電話が鳴った。

「もしもし田口さんですか、ご主人が急な腹痛で救急車で病院に行かれました。詳しいことは分かりませんが、ご主人の部下が付き添って行っています、病院名を言いますから控えて下さい」と会社からの電話であると同時に、何があったんだ。頭の中は真っ白。「田口さん、聞いていますか、○○病院です、電話番号は○○○○です」と言っている。何とか気を落着けてメモした。

「大丈夫でしょうか、何の病気でしょうか、何があったのでしょうか?・・・」と自分でも言っていることの意味がわからない。「落着いて、病院に電話して下さい。いいですか・・・」と言ったきり電話が切れた。

震える手でメモしたので、文字がミミズのようになっている。病院に電話してみると、今の救急の方の家族の方ですか、現在精密検査をしていますから、何とも言えませんが、急性虫垂炎か腹膜炎の症状ですと言うのだ。

搬送された病院の場所を聞いて駅まで走っていって息子と電車に乗った。

電車の中では、息子が盛んに、どうなったの死んでしまうと聞いてくる、そんなことはないと言いながら自分でも大きな不安だ。さっきの病院の人が言うには、急性虫垂炎か腹膜炎ということだから、まさか急に死ぬことはないだろうと勝手に推測していた。

1時間弱の電車の中が、数時間にも感じられた。息子は、何を聞いても何も答えられないと思うと、やっと静かになった。

駅に着き、タクシーで病院に向かった。