その後、佐藤さんと昼食をとるために、外に出た。少し前に短いスコールがあったが、相変わらず暑い。

近くの、小さな食堂に入った。フィリピンの定食屋という風情の店だ。

地元の人が食べに行く店で、メニューは、全て、フィリピン料理である。

僕の、嫌いな、バグオンという大根や海老が入っていて、何か、味噌のようなものをかけてある料理もあった。

これが、何とも言えない、すっぱい味なのだ。何度かチャレンジしたことがあるが、僕の理解を超える味だ。

僕は、普通のパスタのようなものを注文した。佐藤さんが、これなら食べられるということだ。

料理ができるまで、たわいもない会話が続いた。

そして「そうそう、雪田さん・・・例の、ラマダという会社のことですが、やはり、中国との取引が多いようです。日本との取引は少ないということですよ。仲間うちに、中国との取引が中心の会社の社長がいるのですが、何でも、かなり、危ない橋を渡っているという噂があるようです。そこまでは分かったのですが・・・」

「そうですか。僕と一緒に来た、刑事がマニラ警察の刑事と調べに行っています。何か分かると思いますが、やはり、中国との関係でしたか・・・それと、殺された、アンジェラスという男のことも調べていますが、今のところは何も分からないということです。実は、日本で、連続殺人事件が起こったのです・・・」

と、僕は、佐藤さんに、今までのいきさつを全部話した。

「そういうことでしたか・・・何やら大きな事件ではないかと思っていましたよ。私に協力できることがあれば、遠慮なく言って下さい。車が関係している事件ですから、何か、お役にたてると思います・・・」

「はい・・・その時は、是非・・・」と、僕たちは、店を出た。

そして、佐藤さんに別れを告げて、携帯電話で、マニラ警察へ電話をした、15分で、刑事が迎えにきてくれる。

僕の英語も何とかなるものだと思う。フィリピンの人の英語には、なまりがあるが、欧米のように流暢ではないから、英会話が少しだけできる僕にも、理解することができたのだ。

一方、新開刑事と大越刑事は、ケソン市の、ラマダという会社のことで、思わぬ展開になっていた。

ラマダについて近隣からの聞き込みをしていると、昼過ぎにラマダの事務所に誰かが入るのを見たという人がいたのだ、二人は、すぐに事務所に向かった。

確かに、外から見ると事務所の中には電気がついていた。

大越刑事は、ピストルを片手に、用心深くドアを叩いた。

ドアの内側から、何やら声がした。大越刑事は、何か話している、何を言っているのかは、タガログ語なので分からない。しばらくして、ドアがゆっくりと開いた。70才過ぎぐらいの、白髪の男が顔を出した。

大越刑事が警察手帳を見せた。二人は、何やら話している。その男の目は、かなりするどい。

2,3分話してから、部屋の中に入ることになり、新開刑事も一緒に入った。大越刑事の片手には、しっかりとピストルが握られている。新開刑事も、かなり緊張したと、後で、僕に話してくれた。

それよりも、驚いたことは、二人とも、防弾チョッキを事前に身につけていたということだ。

この国では、何があってもおかしくない。ましてや、怪しい会社なのであるから、当たり前のことだと思う。

部屋の中は、意外に整頓されている。確かにオフィスという雰囲気であり、応接ソファーに二人は座った。

何やら、話しているのだが、新開刑事は、言葉が全く分からない。とにかく、静かに聞いているしかないのだ。

ところどころ、ジョジズや金田、アンジェラスという言葉が聞こえていたらしい。

10分ぐらい、やりとりがあって、大越刑事が「新開さん、この人が候です。ジョジズの金田とは、10年ぐらい前からの付き合いです。最初は、ジョジズラマダ・カンパニーという名前だったそうですが、3年前からラマダという名前に変わったそうです。アンジェラスが殺されたということを知らないと言っています。アンジェラスは、東京のジョジズの社員だが、ここの社員ではなく、ただの、連絡係りだということです。本当のことを言っているかは分かりませんが・・・聞きたいことがあるので、とにかく、これから、マニラ署に来るように話しました。OKだということで、一緒に戻ります。詳しいことは、それからです・・・」と、素直に同行するという。

三人は、車に乗り込み、マニラ署へ向かった。

そのころ、僕は、例の集落へ到着していた。今日、運転してくれた刑事は、かたことの日本語は話せるということである。僕は、集落で長年住んでいる人を探しているということを告げた。

一軒の家で聞いてみると、大半の住民は、20年以上、ここに住んでいるということが分かったが、その家の人は、その事件については知らないという。とにかく、他の家を一軒ずつ探してみるしかない。

それと、別荘のことである。この集落で、何も収穫がないとしたならば、別荘にも行くしかない。

大越刑事は、別荘も調べてみると言っていたが、僕のほうが先に調べることになると思った。

集落の家を全て回ってみたが、情報を得ることはできなかった。若い人には記憶がないし、その当時、生きていた人も大半は亡くなってしまっていたのだ。ただ、一人、かすかな記憶が残っているという、女性がいたが、それも、日本人が落ちたということだけであり、多分、裏の別荘の人ではなかったかということであった。

僕は、別荘地帯へ向かった。

別荘地帯には、十数軒の家があり、その中の、数軒は、廃墟となっていた。

とにかく、片っ端から、ドアを叩いて回ることにした。刑事が同行しているので、何の不安もない。

5軒を回ったところで、道を歩いている初老の男に会った。理由を話してみると、その事故のことは覚えているということで、その老人の家に行くことになった。

その当時、日本人も何人か別荘を所有していたが、今は、誰も日本人は所有していないという。

バブルがはじけた影響で、皆、ここを二束三文で売り払ったという。その中に、金田という名前に記憶はないかと聞いてみたが、そのような名前の記憶はないという。しかし、話していると、金田ではなく、御手洗という名前に覚えがあるという。そして、その家は、廃墟になったまま存在しているというのだ。

その老人は、その家までの道順を教えてくれた。歩いて、3分程度だという。

とりあえず、行ってみることにした。完全に廃墟と化している。20年近く、何も手入れをしていないのであるから、至極、当然のことだと思った。家の周りを一周してみたが、特に、何があるものでもない、鍵の壊れている窓から、中に入ってみることにした。中は、荒れ放題である。何かの野獣が住み着いていたようでもあった。

あまりの臭さに、頭がクラクラしている。スモーキーマウンテンの匂いよりも悪臭であった。

ハンカチで鼻を押さえながら、各部屋を回ってみた。食器や電気製品は、そのままの形で残っている。

書斎らしき部屋の中に、日本語で書いたメモが残っていた。確かに、ここには日本人がいたと想像できる。

が、そのメモも、何だか意味のないものであった。僕は、御手洗という文字を探していたのだ。

それ以外には、何やら中国語で書かれた書類もあったが、全く意味は不明だ。

英字新聞も、沢山残っていたが、日付までは見なかった。関係ないと思っていたし、20年以上前の新聞だと思い込んでいたのだ。

しかし、どんなに探しても、御手洗という名前を見つけることはできない。

諦めて、外に出た。今度は、玄関から出てみた。玄関の鍵も壊れていた。

すると、同行していた刑事が、僕を大きな声で呼んだ。

呼ばれたほうに、急いでいくと、壊れかけた門の表札に、かすかに、薄汚れたMITARAIという文字を確認することができたのだ。間違いない。ここに、御手洗の別荘はあったのだ。

ここでは、携帯の電波が届かないので、さっきの、老人の家に戻り、急いで、新開刑事の携帯へ電話した。

新開刑事も、何度か僕の携帯へ電話していたようだ。しかし、僕のいる場所では、携帯が使えなかったのだ。

マニラ署で、候という男の取調べをしているという。僕も、御手洗の別荘を発見したことを伝えた。

何か、点であったものが、線として繋がっていく予感を感じていた。

急いで、マニラ署へ戻ることにした。

すでに、夕方になっていた。相変わらず、マニラ湾へ沈む夕陽は美しい。その美しさが、何か、これから展開していくおぞましい復讐劇の幕開けの暗闇の中の一本の光となっていたのだろうか?

マニラ署では、候の取調べが続いている。任意であるから、そんなに拘束はできないと思ったが、国が違えば何もかも違うのであろうか?任意といっても、強制に近い。

今までの、候の話を、新開刑事から聞いた。

特に、御手洗の事件に関しては、おかしい点はないが、何やら密輸の匂いがするということであった。

殺人課だけではなく、貿易関係のセクションの刑事も取り調べにあたっていたのだ。

僕たちは、何を聞いても言葉がわからないので、別室で待つしかない。







さて、例の艶子さんであるが、息子の昇さんの力で久保さんの婦人服店も順調になっていっているようである。

昇さんという人は思ったよりも力があるのかもしれない。大阪で失敗したということが大きな原動力になったのかもしれない。店は、近所でも有名な繁盛店となったようである。

婦人服に限らず、輸入雑貨等の販売も好調のようだという噂は聞いた。

ある日、泉さんが「田口さん、弟も喜んでいるのよ、昇さんにも給料が払えるし、店の売上は2倍になったの」と満面の笑顔で話してくれた。

「最初は駄目かと思ったけど、昇さんは結構すごいよね」と話すと「そうなのよ、昇さんとは仲もいいし、弟の知らなかったことを教えてくれるから助かると言っていたわ」と泉さんも満足そうである。

「ただ、一つだけ問題があるのよ・・・」と少し曇った顔になって言った。

「弟と昇さんはいいのだけど、艶子さんが投資してくれたでしょ、だから何かあると必ず口を出してくるのよ、それも店内の商品の配置を変えろとか、こんな商品を仕入れろとか・・・」やはりそうか、艶子さんが3百万円の投資をしているのだから何も言わない理由はないと思っていたが案の定である。

間髪入れずに聞いた「やはりね、それはそれで何とかなっているの・・・」泉さんが言う「ええ 昇さんが何とか防御しているらしいのよ、でも全てを無視するわけにはいかないようで少しは取り入れているらしいけど、艶子さんの指摘が大半は的はずれだそうよ」と半ば諦めている。

「だって、艶子さんは素人でしょ、でもあの人なら何でも言うかもね」と首をすくめて聞いてみた。

「でもね、全くのど素人だけど、艶子さんと同年代くらいの人の商品を仕入れたら全部ではないけれど売れたりするから困ってしまうらしいの」

と、全く的はずれでも無いこともあるようである。

「なるほどね、100%残ったりしたら駄目だと言えるけど、少しでも売れたりしたら有頂天になるかもね」と言うと

「それで困っているらしいの、5着仕入れたら3着は売れるから損はないようだけど、売れるまでに時間もかかるし、その分のスペースも必要になるから、できたら完全に売れるものだけにしたいと言っていたわ」それは当たり前である。泉さんにしては、弟の店は心配事の一つなのだろう。

お店ごっこをしているわけではないし、ボランティアでもない。

いつも、素人の艶子さんにひっかきまわされたらたまったものではない。

「それとね、艶子さんが近所の人に自分の息子の店だから行って欲しいとまで話しているらしいのよ、弟の店なのに、まるで息子の昇さんの店のような言いかたをしているの、知り合いから聞いたのだけど、うちの弟は金がないから、昇さんが金を投資して大きくしたとまで言っているのよね」とため息をついた。

「えっ そんなことまで言っていたの、それはひどすぎるわよ、久保さんの作った店じゃないの、それはひどい」と、むっときた。確かに、お金は出したかもしれにいが、久保さんがお願いしたわけではない。

艶子さんが勝手に投資してやるから息子を使ってくれと言ったのだ。

久保さんにしても渡りに船だったのかもしれないが、今後どうなるのだろうかと不安になった。

「このままなら店を乗っ取られることはないの・・・」と聞くと「ないことはないかもしれない、でも、昇さんには、そんな考えはないようよ、この店を大きくして多店舗展開していきたいと弟と話しているらしいの」と今のところは大丈夫だと思っていると言う。

「そうなんだ、で、昇さんは役員か何かになっているの・・・」と聞くと「艶子さんが投資したから、取締役という形にはなっているけど、弟が代表だから勝手なことはできないと思うの」と少し安心したような顔である。

そんな話を立ち話として話したのだ。

今年も後1ケ月で大晦日になる。

この町に越してきて3年目に入るのであるが、今年は今までよりも色々なことがあった。

だんなの将来も見えてきたし、だんなはこのままの地位で定年になると思う。

よほど何か運が良くないと課長以上にはなれないであろう。子度は、来年中学生になる。

地元の中学にそのまま入ることになる。お金持ちや頭のいい子は私立の中学に行くかもしれない。

うちの息子は、多分、普通の高校に行って、もしかしたら大学に行くかもしれない。

だんなも大学は卒業しているが3流大学だから出世は無理だと思う。

私も、息子が中学になったならパートに出て家計の助けをしないといけないと思っているから、来年は楽しみなのだ。外で働くということは、今の私にとっては将来の楽しみの一つとなっている。






明日は、CPモータースの佐藤さんと会う。新開刑事は、大越刑事と、ケソン市にある、ラマダという会社に行く予定になっていた。

僕たちは、マニラ市内へ車を走らせた。

今夜の宿は、エルミタ地区の中にある、安いホテルだ。高級なホテルも沢山あるが、旅行でもないのに、そんなホテルに泊まることは出来ない。ましてや、僕と新開刑事は、同じ部屋であった。

大越刑事がホテルの前まで、送ってくれた。明日は、8時に迎えにくるという。

部屋は、オーシャンビューであり、目の前には、マニラ湾が見える。安いホテルでも、マニラ湾が、見えるホテルを、僕は探していたのだ。せっかく、来たのであるから、それぐらいの贅沢は、許して欲しい。

新開刑事も、警察の予算よりは多くなるが、不足分は自腹で払ってくれるというので、ここのホテルにしたのだ。

部屋に入ると、マニラ湾には、船の灯りが瞬いている。何度も来ても、このマニラ湾の風景は、格別なものがあった。ホテルの部屋は、ツインで、決して広くはないが、夜、帰って寝るだけであるから、十分である。

7階建ての、6階であった。

「雪ちゃん・・・腹 腹がへったなぁ・・・何、食べるんだい?」と、新開刑事。

「ホテルの中は、高いから、外へ行きましょう・・・和食にしますか?それとも・・・」と、いいかけると。

「いや・・・ラーメンだ。異国にいると、無性にラーメンが食べたくなった。でも、ラーメン屋なんてあるのかい?」

異国と言っても、たかだか、まだ、6時間ぐらいしかいないのに、無性にラーメンはないだろうと思ったが、

「何でも、ありますよ。寿司もお好み焼きも、すき焼きも・・・何でも・・・」

「よし・・・行こう・・・で、どこにあるんだい?知っているのかい?」

「任せて下さいよ・・・何度か来ているから、知っている店もありますよ・・・」

と、いうことで、エレベーターに乗って、1階に降り、大通りへ向かった。

外は、むっとする暑さだ。この時間になっても、28度はある。何日か、いたなら慣れてくるのだが、着いた当日は、日本と比較して、やはり、蒸し暑い。新開刑事も、Tシャツに着替えていた。

新開刑事の、Tシャツ姿というものを見たことがないので、何とも不思議というよりも、全く似合っていない。

腹が出ているので、おなかの回りが、パンパンになっていた。

5分ぐらい歩くと、ミッドタウンホテルという傍の、ラーメン大将という、ラーメン店が見えてきた。

過去に、一度行ったことがあるが、ラーメン、餃子、ちゃんぽん、と、何でもある。おまけに、日本よりも、かなり安い。おおよそ、半額である。今夜は、ここで、食べることにした。

店の中は、どうみても日本人という人はいない。旅行者で、ここで食べる人は少ない。

しかし、店内には、日本語を話せる人がいる。おそらく、日本人だと思う。

「雪ちゃん?金田栄一のことは、どう、思う?あそこから、落ちるということは考えにくい。それに、あの釣り人も言っていたが、ここから落ちたという人は、ここ数年、聞いたことがないと言っていたしな・・・」

「僕も、そう思います。不自然ですよ・・」と、ラーメンの、スープをすすった。

「目撃者に会えるといいが・・・20年以上も前なら、探しようはないかもしれない。探したとしても、死んでいたら何にもならない・・・」

「いぇ、探してみますよ。確か、あの集落の人だと聞いています。調書には、そう書かれていました。明日、時間があれば、行ってみます。新開さんは、ケソン市で、ジョジズの関係のラマダという会社を調べるのですから、例の、華僑らしい、候という男のことが分かれば、一歩前進すると思いますが・・・」

「そうだな・・・大越さんが一緒だから・・・安心だよ・・・ハハハ」と、餃子にも食いついた。

新開刑事が、ビールを飲もうということになって、僕にも、おごってくれた。

フィリピンの、サンミゲルという旨いビールを飲むのも久しぶりだ。

ラーメン大将を出て、僕たちは、少し、散策した。寝るには、まだ早い。

新開刑事が、少しは観光気分に浸りたいということもあって、僕の知っている場所に案内することになった。

10分ほど、歩くと、リサール公園というものがある。この公園の傍は、東京でいうところの、丸の内みたいなものだ。ロハス大通りに沿って、公園の中に入った。とても、美しい公園だ。いたるところに、若いカップルが話をしていた。この、リサール公園というものは、近代フィリピンの英雄の名前なのだ。いまなお、国民の尊敬を一心に集めている。19世紀の独立運動の闘士の、ホセ・リサールという英雄だ。その名前に由来していた。

ここから、見る、マニラ湾の景色も絶景であった。しばし、僕たちは、事件のことを忘れて海を見ていた。

少しノスタルジーを感じていた、愛する人と一緒に眺めることができたなら、いっそう美しく見えたであろう。

翌朝、大越刑事が、迎えにきた。僕は、別の刑事の車で、佐藤さんの会社に向かった。

例の、スモーキーマウンテンで見つかったライターは、徹底的に調べているという。

かなり、高価な品であるから、出所は早く分かるということだ。何でも、通しナンバーも刻印されているので、所有者を見つけることは難しくないという。

普通のフィリピン人が、持つことはないということで、さらに、販売されている店も少ないということが、昨夜の時点で分かったということであった。

今日は、新開刑事とは、別行動となり、夕方、マニラ署で落ち合うことになった。

新開刑事と、ジョニー・大越刑事は、ケソン市へ向かった。

僕は、別の刑事の車に乗ると、佐藤さんの会社のある、シンガロングストリートの会社へ向かった。

シンガロングストリートといっても、ここからだと車で、15分もかからない。

オフィス街というよりも、住宅地の雰囲気のエリアであった。

歩いていこうかと思ったのだが、限られた時間しか滞在できないので、時間は有効に使わないといけないと思い、お願いすることにしたのだ。佐藤さんとの、ビジネスの打ち合わせといっても、そんなに時間のかかることはない。打ち合わせが終わったなら、例の集落へ行って、目撃者を探してみることにした。打ち合わせが終わったなら、マニラ署に電話してくれという約束になっていた。

大きな5階建ての自社ビルであった。受付で、名前を言うと、すぐに応接室に案内された。

「ご無沙汰しています。東京で会ってからですから、5年になりますか?」と、佐藤さんは笑顔で迎えてくれた。

「こちらこそ・・・色々とご手配いただきまして感謝しています。アルミホィール以外でも、直で取引をしていただけるということは、私のような小さな会社にとっては、とても、ありがたいことです」と、僕は、言った。

「いえいえ・・・こちらも助かりますよ。それで、詳しい資料をお持ちしましたので、後で、目を通しておいて下さい。雪田さんなら、そんなに難しい輸出の品目ではないと思います。商品は、例の埼玉の業者へ運んでもらって下さい。コンテナ料金は、その都度、打ち合わせして決定したいと思いますが、それでいいですか?」

「それで結構です。助かります。中古車の売れ行きが芳しくないので、佐藤さんのような方からのビジネスをいただけると助かるのです。それで、フィリピンの中古車の情勢は、どうですか?」

「そんなによくもないですよ。ただ、日本のように、物が氾濫しているわけではないので、少しずつですが、よくなっているような感じはしています。ですから、今のうちに、色々な商品を揃えておきたいと思って・・・」

「それで、大量に仕入れをされるということですか・・・」

「その通りです。しかし、信用できない日本の業者も多いので、信用できる人を、探していたのです。雪田さんなら、何の問題もなく、お付き合いができると信じています。こちらこそ、宜しくお願いしますよ」

と、僕に握手を求めてきた。僕も、その手をしっかりと握った。

しばらく、輸出についての、注意点や、疑問を伺っていた。僕も輸出については素人ではないが、完全に直で取引をするということは初めてであった。この話が、続いていくなら、店の売り上げの、約20%に匹敵する。








「えっ、そうですね・・・新しい感じがしますね・・・どこにあったのですか?」

「死体のあった場所の傍です。ゴミの中に埋もれていました・・・」と、大越刑事から、ライターを受け取ると

「まさか・・・火がつくことは・・・」と、金属のライターの上のボタンらしいところを押してみた。

火がついた。新しいものに間違いはない。何年も前のものなら、そんなことはないであろう。

もしかしたなら、犯人、又は、アンジェラスが落としたものかもしれない。

その金属のライターの横には、有名な、ヨーロッパのブランドの名前が刻印されていた。

どうみても、かなり、高価なもののように思える。僕も、ハンカチごしに手に持ってみたのであるが、ずっしりとして重い。

「大越さん・・・とにかく、調べてもらえませんか?」と、新開刑事は、話した。

「分かりました。これは、ひょっとしたら・・・?」と、大越刑事も、驚いていた。

さすがに、新開刑事である。僕は、心の中で、本当の刑事というものは、こういう人のことを言うのだろうと思った。帰りの、車の中で、大越刑事が「私たちに、先入観があったと思います。ただの、殺しだから、そして、このエリアの殺しだから、どうでもいいと思っていたと思います。これが、マニラの中心部であったりしたなら、もっと、しっかりと調べていたと思います。日本の警察は、すごいと聞いていましたが、新開さんを見ていて、本当にそうだと思いました。フィリピンの検挙率が悪いのは、こういうことなのかもしれません?」

と、新開刑事に話しかけた。

「いえ・・・私のやり方ですから・・・」と、新開刑事は、特に反応することもなく、短い言葉であった。

車は、金田栄一が、釣りの最中に、海に落ちたという場所に向かっていた。

1時間ほど、平坦な道を走った。目の前に、いきなり、大きな海が見えてきた。

どこなのかと、大越刑事に尋ねると、ここは、マニラ湾の、北の端の入り江だという。

入り江のようになっていて、断崖絶壁であった。車は、道というよりも、獣道といったほうがいいような、狭く曲がりくねった舗装もしていない道をゆっくりと走る。

左側には、常に海が見えていた。

ほどなくして、何軒かの家が見えてきた。小さな、集落であった。20軒ほどの家の前を通り過ぎると、道がそこでなくなっていた。ここからは、数分歩くことになるという。

僕たちは、車を降りて、泥の道を歩く。そうすると、今度は、また、海が見えてきた。

大きな木が茂っている、傍らには、人が歩いた跡が、多数残っている。

断崖の上から、下を見ると。10mぐらい下には、岩肌がむき出した岩場であった。

「ここです・・・ここは、釣りをする人には、最高の場所です。ここから、落ちたということです。ここから、落ちたなら、助かることはないでしょう。ここです・・・」と、大越刑事が言った。

確かに、ここから落ちたとしたなら、助かることはないかもしれない。

どうみても、この断崖を降りていくことも不可能だとも思った。

僕は、恐々と断崖の端から顔を出して、下を見た。岩肌に、波が打ち寄せていて、何か恐怖心すら感じた。

新開刑事も、覗き込んで「ここからなら無理だな・・・」と、怖そうな顔をしている。

100mぐらい向こうを見ると、何人かが釣り糸を垂れていた。

「大越さん・・・あそこで釣りをしている人に聞きたいことがあるのですが?通訳してもらえませんか?」

と、僕が聞くと。大越刑事は、釣り人のほうへ歩き出した。

7人ぐらいの人が、等間隔で釣り糸を垂れていた。

どうやら、皆、バイクで、ここに来たようで、何台かのバイクが停まっている。

大越刑事は、その中の一人に声をかけた。

「雪田さん・・・何でしょうか?」と、大越刑事。どうやら、OKのようだ。

「ここは、マニラから釣りに来る人は多いのですか?」

すると、その釣り人は、結構多いですという。そして、この崖の後ろの山には、金持ちの別荘地帯だということが分かった。さっき、通った、集落の中で、道は二手に分かれていて、一方の道を数分いくと、別荘地帯があるということだ。確かに、この位置から山のほうを見ると、何軒かの大きな家が、並んでいる。

20年ぐらい前から、別荘が建ったということであった。

釣り人が言うには、この断崖にも、別荘の住人が、釣りにやって来ることも多いというのだ。

この釣り場は、釣り人の間でも、昔からかなり有名な場所だということが分かったのだ。

「大越さん、金田栄一は、もしかしたら、別荘に来ていたんじゃないでしょうか?」と、聞くと。

「さぁ・・・20年以上も前ですから・・・調べようが・・・」

「でも、一応、調べてみませんか?何か分かるかもしれません。20年前からの所有者なら・・・」

と、言うと。署に戻って、調べてみるということを確約してくれた。

新開刑事は、僕たちの話を聞きながら、遠くの海を見ている。

そろそろ、夕陽が沈む時間であった。とても、美しい。異国で見る夕陽というものは、最高である。

遠くに見える、灯りは、マニラのエルミタ地区の高層ビル群やホテルの灯りだと、大越刑事が教えてくれた。



エルミタ地区 マニラ湾に面した、旅行者の滞在拠点。多数のホテルがある。

ここで、一体何があったのであろうか?金田栄一は、本当に、過って落ちたのであろうか?

それにしても、そう簡単に落ちるような感じはしない。崖の上には、いくつも大きな石があり、さっきの釣り人も、その石に足をかけて釣り糸を垂れていた。よほど、崖の傍に寄らない限り、落ちることは考えにくい。

新開刑事も、大越刑事も、僕と同じ考えのようであった。






「ここが、アンジェラスの死体が発見されたところです。顔を下にした状態で発見されました・・・」と、大越刑事が言う。そこは、まさに、ドブ水が溜まっていて、ゴミが散乱している場所であった。

僕は、自然と手を合わせていた。何か、こんなところで息絶えていることに同情すら覚えていたからだ。

「ここで、殺されたのでしょうか?」と、新開刑事が尋ねた。

「多分・・・他で、殺して、ここまで運ぶことは難しいです。みなさんが歩いてきた道しか、ここに来ることはできません。ここまで、死体を運ぶということは、無理だと思います・・・」

確かに、ここまで、死体を運ぶということは難しい。何故なら、細い道であるし、足元は、ゴミやドブ水であり、車を置いている場所から、運ぶとしたなら、相当な労力が必要だと思った。

「大越さん・・・ここに、アンジェラスが呼び出されたということでしょうか?こんなところに、呼び出すというのは不自然だと思います・・・もし、そうだとしたなら、アンジェラスにとって、信用のできる相手だと思いますが・・・?」と、僕は尋ねた。

「雪田さんの言うことは正しいと思います。私たちも、同じ考えなのです。しかし、こんなところ・・・何、誰にも聞かれたくないという気持ちなのだったかもしれませんね。それにしても、変ですけど・・・もしかしたら、複数の人間によって運ばれたかもしれません・・・このような状態ですから、足跡も特定できないでいるのです。どちらにしても、他殺は、間違いない・・・」と、言った。

新開刑事は、周りを歩いている。何かを探しているようであるが、ゴミだらけなので、どれが殺人に結びつくものであるのかを特定することは無理であろう。それにもまして、殺されてから、10日以上も経過しているのであった。

「新開さん・・・マニラ警察がとっくに調べていると思いますよ。もう、帰りましょう。ここの匂いを嗅いでいると、気分が変になります。そうしませんか?」と、僕は、うんざりしたように話した。

「新開さん・・・そろそろ・・・次は、例の金田栄一が、海に落ちたとわれている場所に案内します・・・」

と、大越刑事が話した。




新開刑事は、僕たちの言葉を無視して、必死に探している。僕は、半ば、あきれたように声をかけた。

「新開さぁーん・・・行きますよ・・・もう、いいでしょう?」と、大きな声になっていた。

と、その時である。

「大越さん・・・ここは、ゴミあさりの子供たちが来るところですか?」と、新開刑事が尋ねた。

「ここですか?ここは、何年も前の古いゴミしかないと思いますから、ゴミあさりはしないと思います。かなり、昔のゴミですから、こんなところに来ても何もないと思いますが・・・?」

「と、いうことは、新しいものはないということですか?だったら、このライターは何でしょうか?どう見ても新しいと思います・・・それも、ほとんど汚れていない・・・」と、ハンカチでつまんだ、ライターを見せた。






3日後、私の息子の学年でも保護者が集まって、今後の対応について話し合った。

各学年でも同様な話し合いがもたれてということだ。

学校だけに任せておくわけにはいかない、親は親としてできる最大限のことをしないといけない。

ということを結論として互いに確認しあったのである。そして、各学年とも縦の繋がりを持って、いじめに対しては断固許さないということで落着したのであった。その採択文を校長に渡して、再発防止をお願いした。

この問題が発覚して、学校というものに対しての見方が変わったのと、親として子供を守っていくという再認識を持ったということは、ある意味において良かったのかもしれない。



親とは、いかにあるべきかということだ。

学校側は、風通しのよい環境にしていくために、精一杯努力していくということを約束してくれた。

いつの時代でも、どのような場所においても、人が集団でいる限りいじめというものは多かれ少なかれ存在する。

それをいかに早く察知することができるかということが一番大事なことであると思う。


私も、息子に対してもっと目を向けなければいけないと思った。

日々、忙しさにかまけて、子供に対して注意を怠ると大きな問題になるかもしれない。


また、自分の子供だけは大丈夫という考えも捨てないといけない。

子供は、親にとっての宝物であるとともに、社会においても宝物なのである。

その宝物を宝物として大事にしていく知恵と守っていくという勇気が必要なのだろう。


それが欠けていたなら、子供は宝物が入っている箱の中から飛び出してしまい、壊れてしまう。

宝物は、親の一生をかけて守るべきなのだ。

この事件を契機として、息子の祐樹を今以上に注視して、何があっても守っていくという気持が強くなった。

そして、この学校に子供が通っている親も定期的に懇親会を開いて、色々な問題を早期に解決していこうという会を創設したのである。PTAだけに任せるということではなく、何かが起こったなら即会合を持って解決していこうということになった。


一度、なくした宝物は二度とは戻ってこない。



●五話 大人がいいかげんだ

あのいじめ事件以来、学校側の態度は急速に変わっていった。

今までは、学校の中においてのことは定期的に送られてくる学校だよりだけであったが、今は、週に一度は何らかの学校内の問題点が書かれた文章を見ることができる。


少しは、学校側も変わったという証明なのかもしれない。ただ、形だけに終わるかもしれない。

親としては、注意深く見ていかないと同じことが起こる可能性もあると思う。

子供と同じように、親も学校に通学しているという認識を常に持ちたいと思った。



それから、5日もするとマスコミの報道も殆どなくなっていった。

僕は、徳野茂美に、そのことを話した。

「えっ、そうなんですか?私も来月初めに、フィリピンに行く予定があるのです。今、フィリピンのミタライ・コーポレーションには、ボエット・チャンがいますから、仕事の打ち合わせをかねて・・・」と、言う。

「そうでしたか・・・では、フィリピンで会いましょう。僕たちは、月末に出発予定です。新開さんの、パスポートを取得してからになります。何か収穫があるといいと思います。日本にいても、何の進展もありませんから・・・」

「そうですね。では、フィリピンで・・・」と、徳野も行くのだ。

新開刑事の、パスポートも取れたので、僕たちは、成田へ向かった。

フィリピンまでは、約4時間半のフライトだ。7日間の滞在だから、査証は不要であった。

しかし、7日間で何ができるのであろうか?何ができるというよりも、何かをしないといけないし、何かをつかんでこないと何のためにいったのかさえ無用なものとなる。

いつになく、新開刑事は緊張しているようであった。僕も同じ気持ちだ。

7日間といっても、僕は、佐藤氏との打ち合わせで、1日はつぶれてしまう。実際は、6日間ということになる。

マニラ空港に着いたのは、昼過ぎであった。日本と違って、南国の日差しが目に痛い。

日本とは、全く違う匂いが漂っている。

僕も、久しぶりのフィリピンであった。新開刑事は、海外自体が初めてなのであるから、僕の後ろを、まるで子供のように歩いて着いてきている。

日本では、僕よりも先を歩く人が、ここでは、僕の後ろになっているのだ。何だか、可笑しい気持ちになっていた。

空港のイミグレーションを通過して、外に出ると、中年の人が声をかけてきた。

マニラ警察の、刑事の、ジョニー・大越さんという人であった。

僕たちの写真を事前に送っていたので、探してくれたのだ。

「初めまして、新開です。こちらは、雪田君といいます。宜しくお願いします」と、新開刑事は、少し緊張して話した。

「大越です。日本語は、何とか話せる程度ですから、早口だと分からないこともありますが、勘弁して下さい。表に車を待たせていますから、早速、マニラ警察署に案内します」と、思った以上に、日本語は上手であった。

僕たちは、大越刑事の案内のもとに、空港の駐車場まで歩いた。

新開刑事は、周りをキョロキョロ見回している。

「雪ちゃん・・・空気が違うな・・・何か甘酸っぱい匂いだ。南国という感じは、こんな感じなのかい?」

「南国といえば、南国ですが・・・国には国の匂いというものがありますよ。ここは、フィリピンの匂いです。東京は違いますよ。それと、日本人と見ると、怪しい人たちが声をかけてきますから、注意して下さいよ。特に、荷物なんかを手から離して置いておくと、取られますから・・日本とは違いますから・・・」と、言うと。

僕の顔を見て、頷いた。

車に乗り込むと、高速道路を走る。日本と似たような光景なのであるが、新開刑事にとっては、交通の流れが日本とは逆なので、何か変な感じがしていたようである。フィリピンは、右側通行なのであった。

大越刑事が、「お疲れでしょうが・・・署で、簡単に今までの経過の説明をしたいと思います。アンジェラスのフィリピンでの行動は、今のところは分かりません。日本からの入国履歴がないのですが、今、他の国からの入国履歴も調べています。本名や、本当のパスポートではないと思いますから、時間がかかると思います。私の考えは、中国から来たのではないかと思っています。最近、香港から不法に入国する人が多いのです。中には、ベトナムからもいます。飛行機の時もありますが、不法な船で入ってくることも多いのです。フィリピンも日本と同じで、島国ですから、どこからでも入ってこられます。それと、アンジェラスは、首を絞められて、そして、頭の後ろを何か硬いもので叩かれて殺されていますが、持ち物は一切ありません。署に行くと、死体の写真がありますから見て下さい。雪田さんは、CPモータースの佐藤さんとお知り合いだと聞いています。実は、私の友人の知り合いなのです。

日本人ですが、マニラでは、有名な人ですよ。色々な、ボランティア活動をしているし、マニラの日本人倶楽部の理事というんですか?何といったらいいのか分かりませんが、代表の人のひとつ下のランクの人です。明日、佐藤さんに会うのですか?もし、よかったら、うちの刑事に送らせますが・・・」と、結構、流暢な日本語だ。

「はい、お世話になります。佐藤さんからも聞いています。何か不思議な縁ですね。とにかく、この事件を解決したいのです。僕以上に、新開さんは強い気持ちだと思います。色々とご迷惑をかけるかと思いますが、宜しくお願いします」と、前の席に座っている、大越刑事に話しかけた。

車は、マカティにある、マニラ警察署の正面に到着した。

新開刑事は、相変わらず、外の景色ばかり見ている。確かに、日本とは違う建物や、違う顔の人だらけである。

署内に入ると、日本でいう課長クラスの人が出迎えてくれた。

タガログ語なので、大越さんが通訳をしてくれた。

日本の警察とは全く違う雰囲気に、新開さんも僕も戸惑っていたのは確かである。

一応、アンジェラスの件についての詳細な報告を受けた。

大半は、大越刑事が、答えてくれていたので、言葉の壁というものを感じなかった。

それから、アンジェラスが殺された場所に行くことになり、再び、車に乗り込んだ。

市街地を抜けて、だんだん裏道のようなところに入っていく、いくつかの線路を通過して、さらに、奥まった場所に向かう。周りを見渡すと、バラック作りの小屋のような家が林立していた。歩いている人の姿も、マニラの中心部とは全く違って、貧民だと一目で分かる。ここは、フィリピン一のスラム街なのだ。

大きなゴミの山の麓で車は停まった。

このゴミの山の向こう側で、死体が発見されたということで、車を降りて歩くことになった。

僕たちの周りを、ハエが飛び交っている。何ともいえないゴミの匂いに、頭がクラクラしている。

新開刑事が、「これは、ひどいな・・こんなところに人が住んでいることが信じられん。山の中で、ゴミをあさって何をしているのだろう」と、言うと。

「ゴミを拾って、金になるものを見つけているのです。ここは、こういう人たちが生活しているエリアなんです。毎日、何人も、病気や事故で死んだり、3日に1回は、殺人もあるエリアなんです。日本の人には、理解できないでしょう。これが、フィリピンの現実です。どうしようもない・・・本当は、外国の人には見せたくないのです・・・」

と、新開刑事の顔を見た。

僕たちは、何も言うことはなかった。無言で、歩くしかなかったのだ。フィリピンの現実を見て、日本という国が、いかに裕福であるかということを、考えないではいられなかった。

数分歩くと、さらに匂いで、めまいがしてきた。

ここが、有名な、スモーキーマウンテンという、最悪な貧民エリアであった。

戦後の日本の殺伐とした風景そのままが、ここにはある。いたいけな子供たちが、毎日、毎日、食うためにゴミをあさり、必死で生活しているのである。一旦、この場所に住み着いたなら、這い上がることは不可能なのだ。

フィリピン政府としても、国の恥部として隠していたいのであろうか。









翌日、予期せぬ、事態になった。

フィリピンの佐藤さんから、とんでもない情報がもたらされたのだ。

佐藤さんも、気づいていなかったのであるが、社員の人が教えてくれたということだ。

例の、アンジェラスの他殺死体が、発見されたという。丁度、数日前のフィリピンの新聞に出ていたというのだ。

アンジェラスが、殺された。ということも、驚きであったが、フィリピンにいたということのほうが、大きな驚きであった。何故、アンジェラスかということが分かったのかというと、指紋照合で分かったらしい。過去に、何かの、事件を起こしていたということだ。

僕は、早速、その件を新開刑事に伝えた。

「何だって・・・フィリピンにいたのか?分かった、本庁の国際課に聞いてみる。出国した形跡はないが・・・後で、また、電話する・・・」と、すぐに電話は切れた。

偽造のパスポートなのだろうか?もし、井上や金田も、同じように偽造パスポートだとしたら、日本にはいないかもしれない。しかし、金田の似顔絵や、井上の写真は、手配されているのだから、見落とすことはないのではないか。そうすると、他の何か?飛行機でも船でもないとしたならば・・・?

そんなことを考えていると、社員の新藤が「社長、月刊中古車に、こんな記事が載っていますよ。ゆっくりと見たことはなかったのですが、何げに見たら・・・これ、もしかしたら、例の金田ではないでしょうか?もう、数ヶ月前の記事です。たまってきたので整理しようと思って、何気に見てみたら・・・」と、そのページを見せた。月間中古車という新聞は、業界紙であり、一般の人の目にふれることは少ないが、業界としては、この新聞は、とても必要なものなのだ。つまり、この新聞によって、全国の業者と付き合いができることもある。

そうすることによって、自分の会社を大きくすることもできる。つまり、人脈形成のための一面もあった。

「何だ・・・」と、僕は、そのページを見た。

特集記事として、載っていた。業界の若き社長特集という項目である。顔写真も載っていた。

内容を簡単に説明すれば、20才前後の社長特集であり、5人の社長のプロフィールや事業展開のことが書かれていた。金田純一郎。年齢、30才。車の輸出と国内においての中古車販売となっていた。そして、プロフィールには、元は、自動車の整備士となっていた。国内と海外で展開していると書いてあり、特に、東南アジアに強いということだ。僕は、目が釘付けになった。こんなところで、金田という男を見るとは何ということだ。そして、整備士ということで、車に対しての知識はある。そうであれば、今回の事件のトリックも簡単に作ることは可能だろう。

しかし、こんな記事に金田が載るということは・・・と、新聞の日付を見ると、1年近く前だ。おそらく、新聞社に頼まれて、取材を受けたのであろう。

僕は、新開刑事に電話した。

「新開さん・・・金田の・・・」と、言おうとしたら、僕の言葉をさえぎった。

「分かったよ・・・雪ちゃん・・・やはり、親子だ。DNAが一致した。親子に間違いない。丁度、電話しようと・・・」

と、あせったような言葉であった。

「そうですか・・・こちらも、大きな収穫がありました。金田の顔写真が見つかったのです。業界紙に出てました」

「何・・・写真・・・今から、そっちへ行く・・・」と、電話は切れた。

僕は、写真を発見してくれた新藤に礼を言うまもなく、その業界新聞社に電話をしていた。

1年ぐらい前の、若き社長の特集を取材した担当の方はいますか・・・第198号ですが・・・」

「ちょっと待って下さい・・・そのページの担当は、替わっていませんから・・・確か、ちょっと・・・」

しばらく、待たされると「担当の磐田といいますが、何か?」と、担当が出た。

「この号の、金田純一郎という社長のことは覚えていませんか?ちょっと、知り合いなので・・・」

と、言うと。

「えぇっと・・・198号ですよね・・・ああ、ああ、よく覚えていますよ。この人ですね。これは、相手からというよりも、確か、女の人からの紹介です。前の号で、募集していたのですが、若き優秀な人がいるので、是非、取材してほしいという形でしたよ。普通は、本人からの場合が多いのですが、この人は違っていましたね。それと、取材の申し込みをしたら、最初は、断ってきたのです。名前も、写真も載せないで欲しいとか・・・普通なら、良い宣伝になると思うのですが・・・でも、他になかなか良い社長が見つからなかったので、強くお願いして取材したのです。それで、記憶に残っているのですが・・・この人が何か・・・」と、問い返した。

「いえ・・・ちょっと知り合いなので・・・それと、その紹介してくれた女の人は、分かりますか?」

「えぇー、ちょっと待って下さいよ・・・連絡先をメモしていたと・・・あっ、ありましたよ・・・井上さんという女の人ですね。福岡の電話番号でしょうか?092・・・となっていますが・・・それが何か?」

「ありがとうございます・・・助かりました・・・」

「ちょっと、あなたは・・・何ですか?・・・」と、相手が話しているうちに電話を切った。

これで、井上が金田を業界紙に紹介したことは確かである。

もしかしたら、親の子を思う気持ちなのかもしれない、子が大きくなることを真剣に思っているのであろうか?

息子の会社が大きくなるということであれば、親は、何でもするのであろう。

親の子供に対する強い思いを垣間見た気がしていた。

「おーい・・・雪ちゃん・・・確定だな。親子だ。殺人の証拠はないが、一歩前進だな・・・いゃ・・よかった」

と、新開刑事が入ってきた。

「それと、写真だと・・・見せてくれ・・・」

僕は、その新聞を見せた。それと、その新聞に載ったいきさつも話した。

「やったな・・・新藤君、お手柄だよ・・・今度、おごるから一杯やろう・・・」と、新開刑事が言うが、今度、一杯やろうということは、口癖であり、あまり信用はしていない。その言葉に何度期待したことか・・・

「いぇ・・・何となく見ていただけですよ・・・」と、新藤が答えた。

「お手柄だ・・・今まで、金田の写真は一枚もなかったからな・・・よく見ると、井上八千代に目元が似ているな・・・親子だからな・・・」と、新開刑事は、くいいるように新聞を見ていた。

「新開さん、アンジェラスがフィリピンで死んだということは、何らかの方法で出国したのだと思います。飛行機や船ではないとすると、一体何で・・・?」と、僕が尋ねると。

「そこなんだよ・・・そこが・・・闇のルートかもしれないな?」

「闇のルート?もしかしたら・・・密輸船・・・中国のマフィアなんかが使う・・・」

「それかもしれん・・・今、アンジェラスの行動について、フィリピンにも照会している。入国履歴がないとすれば、闇のルートしか考えられない。そうであれば、警察としてもお手上げだ・・・金田や井上も同じように出国していたとしたなら・・・どこにいるのかは分からない・・・困ったものだ・・・今は、金田と井上の戸籍を調べている。これから、何かが分かるかもしれない。しかし、動機が分からないのに、勝手に犯人にするわけもいかない。罪名がないのだ。全ては推測だからな・・」と、ため息をついた。

「親子かどうかのDNA鑑定をしてあげたということだけですね。警察が勝手に・・・」と、僕が笑うと。

「そういうことだ。何とも・・・車を仕入れることを依頼したことだけで犯罪にはならん。トリックしたことは、確認されているが、それも、金田が工作したという証拠はない。元、整備士だというだけでは何にもならん。金田が生まれたフィリピンに何かが隠されていると思うがな。金田栄一と、八千代、それと息子の純一郎の何かがあるのは、フィリピンだな。しかし、20年も前のことだからな・・・どうしたものか・・・」

「新開さん・・・いっそ、行ってみませんか?僕も、取引先との打ち合わせもありますし、その取引先の社員が、ジョジズのアンジェラスを知っていたのです。それと、フィリピンの支店は、ラマダという会社で、代表が、候という中国系の人間らしいのです。今まで、線上に出ていなかった、候という男のことも気になります。アンジェラスを殺した犯人の件はどうなっているのでしょうか?日本にいても何の情報も入ってこないのですよ。ここは、思い切ってフィリピンに行ってみませんか?何か分かると思います。どうですか?」と、提案した。

「フィリピンか・・・課長が何と言うかな?俺としては、行ってみたい。海外には一度も行ったことがないしなぁ・・・雪ちゃんがいたなら、心強いし・・・署に戻って説得してみるか・・・雪ちゃんの言うように、日本にいても何も始まらない。親子も、フィリピンにいるような気がしてならない。闇ルートでの出国なら、とっくに着いているだろう。後で、連絡する・・・」と、言い残して事務所を足早に出て行った。

「新藤、フィリピンに行くことになるかもしれない。その時は、店を頼む。どっちにしても、フィリピンの佐藤さんとは会わないといけないし・・・頼むな・・・」と、言うと、新藤は、まかせておいて下さいと胸をはった。

翌日、新開刑事から電話があった。課長は、なかなか了承はしてくれなかったらしいが、署長に話したなら、すんなりと許可が出たということであった。しかし、7日間という期限つきであった。

このことについては。本庁の国際課から、マニラ警察へ連絡もしてあるということだ。マニラ警察の、日系の刑事をつけてくれることになった。タガログ語は、勿論、片言ではあるが、日常不自由しない日本語も話せるという刑事だということだ。