いつも、楽しい時間は光のよう。





一瞬の、儚い光か―――――。


心を、照らし続ける光か―――――。






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自転車を押す二つの影。



長く縦に伸びた二つの影はゆっくり闇に消えていく。



二つの影は、ゆっくり帰路についている。





他愛もない話をして、二つの影が笑う。





塾の話、学校の話、家族の話、友達の話。





他の誰かとすれば他愛のない話。

かみゆとすれば楽しい話。




恋の魔力以外の何者でもない。





胸が苦しくなるくらい、ドキドキしている自分がいる。

かみゆの笑顔の一つ一つが、僕の心にしみこんでいく。






その間も、僕はこの一言を言おうか言うまいかぐるんぐるん駆け巡る。









かみゆ、好きな人はいるの――――――?








眼前に展開される、この一言から1000光年は離れた会話。






歩き始めて30分。






「わたしそこの信号曲がったら家すぐだから」






シンデレラタイム、終了のお知らせ。





まだ信号は「止まれ」と真っ赤な顔して主張している。






僕は意を決して、口を開こうとしたとき、かみゆが言った。






「さっきはね、かっこ悪いって言っちゃったけど、





私の中ではかっこよかったよ。少なくともね!」





少なくともが肝心なんだからね!と後から付け足してかみゆは笑った。





そして信号が青になった瞬間、それじゃね!とかみゆは自転車に乗って横断歩道を駆け抜けた。






僕はそのかみゆの後姿を見ていた。

かみゆが後ろを振り返ると小さく手を振ってきた。

僕も小さく手を振り、かみゆは闇に消えていった。







僕の聞きたいことは聞けなかった。でも胸は高鳴っていた。






少なくともかみゆの中ではかっこよかった―――――。






100人中99人がかっこ悪かったと言っても、

最後一人、かみゆが認めてくれれば僕はそれでよかった。





ありがとう、かみゆ。





そして闇が世界を支配したころ、僕はゆっくり家路についた。





これから数ヵ月後、僕らは中学を卒業する。

高校ではどんな未来が待っているのだろう。





願わくば、かみゆの傍に。かみゆの隣に。





闇夜に光り続ける星たちに、僕はそう呟いた。






夕暮れが、ゆっくり、「昼」という時間を侵食していく。

夕暮れが、「夜」という時間に、徐々に支配されていく。



夕暮れの時間というシンデレラタイム。



少しだけ、大人になったと背伸びしてた時間。



夕暮れに、消えていく二つの影。







あのとき傍からみたら、僕らはどういう風に見えたんだろう。






あの時、僕は―――――。






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誰にだってあると思う。




予期しなかったことが起きて、頭が真っ白になるってこと。



僕の場合、それが陸上大会の閉会式後だった。

人がごった返す出入り口で。











会場出口というゴールを目指す人の流れの中で、

川の流れを遮るおっきな石みたいに、僕とかみゆは立っていた。

距離およそ30センチ。







「自転車で帰るの?」







うん、といういつもながらにつまらない返事しかできない。

ボキャブラリーって大事だとこの時ほど思ったことはない。






「かみゆは?」






オウム返しってこのことだろうなって自分で思ったのをすごく覚えている。






「自転車だよ。」






あ、そうっていう最悪の返答をしなかった自分を少し褒めてあげたい。






「じゃあ、途中まで一緒帰ろ。」






そこにはYES以外の選択肢はなかった。






自転車置き場。





自転車に鍵を差し込む。いつもと同じ、いつも通りの作業。

ただ10メートル先にはかみゆがいるってことだけが普段の作業と違う。



カチン!



勢いのいい音で自転車が心を開く。




10メートル先にはかみゆが悪戦苦闘していた。

近づくと、




「鍵があかない。」




鍵の表裏逆じゃ開かないに決まってる。




それはこうだよ、と鍵を差し込む。




カチンッとかみゆの自転車も主を迎える。

少し恥ずかしそうにかみゆは言う。




「まぁわかってたけどね!」




強気な返答。本気で悪戦苦闘してたくせに。

嘘ばっかって言って、二人して笑った。




僕の黒い自転車と少し黒がかったシルバーの自転車。




自転車を押しながら、坂道を下る。夕闇に吸い込まれていく。




保護者の車で帰る同級生から、おぉ!とか言われながら、

F1みたいなスピードで車は一瞬にして去っていく。




「気にしないで」




かみゆに言ったものなのか、次の日の自分に言ったものなのか、わからず声を振り絞る。



「うん、気にしてないよ。」



陽気なかみゆの声。かみゆの口が開く。



「今日、残念だったね?」



「うん。ごめん。」



優勝候補と言われた種目では優勝をを逃し、リレーでは転倒。

かっこ悪い。




「リレーの後は話しかけれる雰囲気じゃなかったけど、高校で頑張れってことだよ!」




高校では絶対負けない。

そう思いながらも、言葉では・・・・




「カッコ悪かったろ?」





と自己卑下な一面が顔を出す。





甘えてるのか、俺は。





でもその時僕は、かみゆの率直な感想が聞きたかった。

嘘を平気でつけるような子じゃない。





「カッコ悪かった」





胸がズキーンときた。





「だって、転倒しないようにって言われたから転倒しませんようにって思ってたのに、

本当に転倒する人なんていないじゃん!」






実際転倒したとき、触れたのはかみゆと同じ中学の子だった。





抜こうとした瞬間、ユニフォームを引っ張られた―――――





僕は何も言わなかった。




審判の判定は、セーフの範囲内だったから。

僕はその時全てを自分の中で葬った。





そして、かみゆは続けて言った。





「でもね、あれは引っ張ってたよ。かみゆ、あーいうの大嫌い。」





見てたんだ。




そう思うとほんとに驚いた。




「だって近くだったし」




見てたってよりも見えてた。

その表現が近いと思う。



何故か憤ってるかみゆがかわいい。

そうは思っても、僕は微塵にも出さない。




「でも、かみゆの中学が一位だったじゃん?」



「反則で一位っていっても、全然嬉しくない」




それを聞いて、真っ直ぐな人なんだなって思った。

そこに惹かれてるっていうのもすごくわかってる。

自分に真っ直ぐで。





そうこうしているうちに、シンデレラタイムは終わりを迎えていた。





「夜」という闇が、僕らを包み始めていた。

何が起きたかわからなかった。



相手と体が触れた。



グラッときた。



次に地面が見えた。





そして目の前が真っ暗になった。













最後のリレー種目、アンカー、転倒、最下位。








それが自分の中学時代最後の結果だった。







ゴールしたとき、かみゆの顔は見れなかった。



見れるわけがなかった。



ただ静かに、トラックを後にした。







なんとも言えない気分の中、閉会式を終え荷物を片付ける。







手元には、常温に戻ったあのポカリ。






片づけを終え監督の話が終わる頃には、

オレンジ色が青色の空をゆっくり呑みこんでいく。







転倒しないように――――――。




うん、わかった―――――――。






頭の中で、同形反復されるリレー前のやりとり。





かっこわり、俺。





自嘲の笑いが自分を静かに包み込む。









会場の出口に向かう。駐輪場へ足を向ける。








出口に向かって整然と続く人の流れが、出口の隅で少し乱れる。





出口の隅の影。





誰だ、こんなとこに立ち止まっているのは・・・・と視線を上げる。






そこには模試の帰りに、雨を見つめていたあの時と同じ視線。






今回は雨ではなく人でごった返す出口を見つめている。





視線が重なる。

その瞬間二人いた女の子は片方の肩を三度叩き、一人を置いて立ち去る。





肩を叩かれ置いていかれた一人が、ちょっと苦笑しながらこっちへ来る。





僕はいつの間にか立ち止まっていた。






「お疲れ。自転車で帰るの?」





かみゆの声が、僕の中に響いた。

代表男子100m決勝。


否応なく緊張感がみなぎる。



集中力を高めるため、完全に自分の世界に入る。

何も耳に入らない。



召集前にチョコレートを一かけら食べる。



これも僕の癖ともいえない癖のひとつ。



ほんのり甘い苦い、DARSのビター味。

今は売ってるのかわからないけど、

当時の僕の定番。



そして召集所へ。



ゴールにはかみゆがいる。

一番で、かみゆのもとへ・・・。



いざ、スタートライン。



二位までは地区代表で上に進める。





イチニツイテ・・・




ヨーイ・・・




パンッ!!!





地面を蹴った。



加速する。



まだ加速する。



・・・マックススピードに乗った。



半分を過ぎたとき僕の前には誰もいなかった。



いける。



そう思った。








しかし






ゴール間際、二つの影が僕の視界に入った。






まさかの三着だった。





勝ったと思ったその瞬間に、奈落に落ちた。

気を抜いたわけじゃない。

その時の自分の最高の走りだった。




だが息を整えながら呆然としていた。

状況を飲み込めなかった。




「審判補助員」かみゆと目が合う。




一言、ごめんと勝手に口が動いた。




かみゆは小さく頭を振り、






おつかれ






と言った。








僕は小さく頷くと、トラックに礼をしテントへ戻った。





その差、0.1秒。まばたきほどの時間で僕は三位。

でも負けは負け。

まだリレーもある。気持ちを切り替えた。



リレーの予選。

優勝候補のチームの次に入り、二位通過。

地区予選突破も見えていた。




決勝前。

代表男子4×200mリレー。

プログラム最後の種目である。




リレーのバトン練習も終わり、

かみゆにもらったポカリを飲んでいた。




「吉日くん」




不意に呼ばれると、かみゆが立っていた。

審判補助員の白いTシャツ。黒の帽子。

微笑む姿に胸が高鳴る。



でも表面的には何も出さない。




「どうした?」




我ながらもっとまともな返事ができないのか、

と少し考えてしまう。




「リレー、頑張ってね。」

「おう。あ、でもかみゆの中学と一緒だよ。抜いちゃうかも?」

「あっそうだねぇ・・・吉日くん速いからねぇ。困ったぁ」




ちょっと本気で困ってる表情がまたかわいく見えてしまう不思議。




「まぁ転倒しないように願っといて。」

「うん、わかったー。がんばれ」




もう僕にはそれだけで充分だった。

かみゆは同じ中学の人の輪の中に消える。



僕はDARSのビター味をまた一つ口に入れる。







じゃあ、いこうか。






最終種目。最後の舞台に上がる。

秋季陸上大会。


駆け抜けた、11秒間。


アスリートは皆、その一瞬に全てを捧げる。




一瞬で最高に輝き、消える、流星のように。





ついにやってきた、夏の約束。





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その日の朝は少し肌寒く、秋の季節が徐々に

夏を飲み込んでいくかのようだった。



秋が夏をゆっくりと飲み込む。



夏の思い出も一緒に。



過去の思い出は、飲み込まれていくかもしれないけれど、

これからまた、新しい思い出が生まれていく。



この日の、陸上大会の日も、きっとそうなるだろう。




開会式。

各中学の代表が、運動場を行進する。


各中学が、本部席の前を通過するとき、

入賞候補の名前が呼ばれる。


"100メートル優勝候補"とスピーカーの

大音量を通して自分の名前が紹介される。


夏までの記録を見ればそうだ。

でも「今」の自分は、どうなんだろう。

走ってみなければ分からない。



開会式を廊下の窓から、かみゆと同じ中学の

生徒が人の列となって見ている。



どこかで見ているのかな?



少し自意識過剰。

たとえ見てたって僕のことを見ているわけじゃないのに。



そして開会式が終わり、大会が始まる。



プログラムでいうと、一時間後の100m予選に僕は登場する。



準備運動。そして完全に自分の世界に入る。

人を寄せ付けない雰囲気が、勝手に出てくる。



そして予選。



ゆっくりスタートラインに立つ。



少しだけゴールを眺め、位置につく。

僕の癖ともいえない癖。



ヨーイ・・・・



パンッ!




あっという間。




一位で通過したものの、タイムに納得出来ない。


少し凹み気味に、テントに帰ろうとすると、聞き覚えの

ある声がした。




「おつかれ~!一位じゃん!すごーい!」




あ、あれ・・・かみゆ。

制服姿が、何だか新鮮。




「授業じゃないの?」



「審判員の補助員やることになったんだー!」


「!!」


「あ、これ補助員かみゆからの差し入れのポカリ。次も頑張ってね~」


「あ、ありがと!」



嵐のように登場し、嵐のような仕事現場に戻る、かみゆ。



手の中でひんやりと、ポカリのペットボトルが自己主張する。




学校のテントに戻ると、かみゆと話していたのを

目撃されていて嵐のような問答攻めが待っていた。


「吉日、誰からもらったのかなぁ、このポカリ」

「あのコ、誰?かわいいよな」

「ひゅーひゅー」


少し赤くなる。



友達、だよ。



としか言えない。



客観的には事実。

主観的には嘘。




ポカリのペットボトルを開ける。


ポカリが体に染み渡る。



空を見上げた。



曇り空から少しだけ、日の光が差し込んでいた。






かみゆが見ている中、100メートル決勝が始まる。







夏が終わり、秋の季節がやってくる。



陸上大会。


各中学を代表した、地区大会。



そこでまた会える。



それは夏の約束。



約束っていってもただ雑談の中で、

応援してくれるっていっただけ。



今あの子は何をしてるんだろう。


授業中?雑談?

女友達と?それとも男友達と?



見えない時間。

僕の知らない時間。



ぼーっと空を眺めてる。




授業が終わり、陸上の練習の時間。



一ヶ月のブランクは正直きつかった。


自分の体じゃないってぐらい、足が重い。体が重い。


これを取り戻すのには、普通一ヶ月以上かかる。


だけどそんな時間はない。



ひたすら、そして黙々と、練習に没頭する。




一週間ぐらいたったろうか。



ベストに戻らない歯がゆさと悔しさで少しヤケになっていた。

陸上に対して少しプロフェッショナルな僕。


自分で自分を信じないと、ベストタイムは出ない。

走れど走れど、自分を信じることができなかった。


もっとやれる。行く場所がある。会いたい人がいる。


そう思うと、走るしかない。



朝練、夕練、夜練。



くったくたになって家に戻る。



プルルルル~♪



電話だ。



「はい」


「あの、私かみゆといいますけど、吉日くんは・・・」


「あ、、えっ?俺ですけど・・」



かみゆだった。



頭の中真っ白。くたくただったのが嘘のよう。



「げ、元気してた?」


「うん。私は元気だよー。吉日くんは?」


「走ってばっかだよ。」


「おーすごいね!青春だねー。」



かみゆに会いたいから頑張ってるなんて

言えるわけがなかった。



「よくうちの番号わかったね?」


「だって傘に書いてあって・・・」


「あ・・そうだった」



お互い笑う。

電話でつながる喜び。


ボタン一つで本人とつながる今とは違い、

電話をかける時は親が出たり、兄弟が出たりで

難関だらけ。

親父さんなんかが出たりすると、

ほんとにガチガチものだった。




お互い笑った後の空白。

何を話そうか、頭が高速フル回転。


かみゆが口をひらく。


「あのね、今度大会これそう?」


「うん。」



根拠のない自信。

体が仕上がってない今、

大会に出ても結果は知れてる。

だけど行きたい。



「じゃあ傘はその時返そうか?」



傘がつなぐ一本の線。

返さなくてもいいって僕には言えない。



「うん。いつでもいいよ。」



答えになってない。



「わかったー。」



まだ電話切りたくない。

もう少し、話したい。



「そういや、話すの模試以来だね。」


当たり前だ。学校も塾も違うのだから。


「そうだねー。どう、志望校いけそう?」


「何とか頑張ってる。」


頑張らない受験生はそうはいない。


「私どうだろー。あー頑張らなきゃね。」


「いけるよ。来年は同じ高校だといいね。」


「そうだねー。あ、ごめん、お兄ちゃんが電話使うって。」


「わかった。電話ありがとね。」


「うん。またね。ばいばい。」


「ばいばい―――。」



プツッ。プープープー。



終わった。


電話が終わった後になって、

こういう話があったとか、

ポンポン出てくるのは何故なんだろう。



電話番号も聞いていない。


好きなタレントも聞いてない。


次の約束も何もない。



また明日から、待つだけ。



ちょっとずつ、後悔が僕を侵食し始める。


考えたってしょうがないこと。


でも考える。考えてしまう。





ラジオから、オールナイトニッポンの

テーマ曲が流れ、僕の一日が終わる。





完全に僕は、恋に落ちた。





君に・・・かみゆに。







始まれば、いつか終わってしまうけど、


この恋の終わりは、


ずっと、ずっと、遠い未来でありますように。


ずっと、ずっと、彼女が笑顔でいれますように。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



あの日模試が終わり、人が減っていくエントランスに

かみゆがいた。



雨を見つめる、彼女の視線。



彼女とは休み時間に少し話をしただけ。

話しかけていいのか、どうなのか。


ただ僕がここに残っているのは、

かみゆともう一度話したいと思ったから。



その時僕は、普段体のどこかで眠っている「勇気」を、

総動員した。

かみしめるように、一歩一歩、踏み出す。



「あの・・」



微妙に上ずる声。

振り向く、彼女。




「あ、さっきの・・」




覚えててくれた。




そう思うと同時に、

頭から湯気が出そうなくらい、

次の言葉を探してる僕がいる。




「雨、すごいね。」




すこぶるつまらない一言。

そんな僕をあざ笑うかのように、

雨が強くなる。




「私、傘持ってきてないんだ。」




そういうとかみゆはちょっと苦笑して、時計をみた。

ちょっとおっとりとした、その口調。

それからお互いの名前とか二、三言、言葉を交わした。

そして、




「今度陸上大会で、かみゆさんの中学行くよ。

会場が、そこなんだ。」




すっかり忘れていた、陸上大会。





「あ、知ってるよ。学校対抗なんだよね。

じゃあ私は吉日くんの応援できないね。」





そう言うと、彼女は悪戯っ子っぽく笑った。

「残念。」

そう言って、僕も笑った。




「じゃあ、うちの中学の人と同じじゃない時は、

応援してあげる。何にでるの?」




「100メートルとリレー。

かみゆさんは出ないの?」




そこは毎年僕の席。

僕と同じ中学で僕にかなうヤツはいない。





「私、足遅いんだよね。

部活はテニスやってたけど、

高校じゃ何しようかな。」




「そうなんだ。俺は陸上かな。

あ、雨が止んでいく・・」




すごく楽しい時間だった。

だけど、楽しいときの時間は

あっという間に過ぎていく。




終了の時間を告げるかのような、夕立の終わり。




パラパラと振る夕立の残り雨。




「雨も弱くなってきたし、私帰るね。

陸上大会、頑張って。」



「うん、ありがと。あ、これ使って。」




え?っていう彼女に、僕の傘を手渡した。

どこからそんな勇気が出たのかわからない。



「いいの?吉日くんが濡れるじゃん」



「家近くだから、大丈夫。それじゃ、また!」




そういうと、僕は一目散に自転車置き場に走った。

残り雨が、冷たく頬を打つ。





いつもと同じ帰り道も、

いつもと同じファミマのポテトの匂いも、

今日だけは、いつもと違った。





始まった日。




これからどんな未来が待っているのだろう。




僕とかみゆの、始まりの、終わり。







その日の夕立も、いつもと同じように

怒涛の雨を運んでくる。

乾いたアスファルトがすぐに水滴で覆われる。

雨を待ち望んでた雑草たちに、自然のシャワーが注がれる。

その日の夕立は、僕にあの彼女を運んできた。

雨音と僕だけのエントランス。

そこに降り立つ、二人の女の子。

気づかないフリをしていても、

僕の心は否応なく高鳴る。

突然の夕立を見にきた二人。

同じ塾の子とあの彼女。

ねぇ?

聞き覚えのある、同じ塾の子の声。

ここには僕と彼女らしかいない。

どう考えても僕は話しかけられている。

ん?

すこぶるつまらない返答。

でもその時の僕には、精一杯の返答だった。

高鳴る、胸。

振り返ると、その子達との距離、50センチ。

目に飛び込む、あの彼女。

今度は、気のせいじゃなく、目が合った。

否応なく鼓動が早くなる。

「雨がすごいから見にきちゃった」

「俺もそうだよ」

「テストできた?」

「ぼちぼち」

「ぼちぼちか。私も、かみゆもボロボロだよ」

そういってその子と彼女は笑った。

彼女の名はかみゆ。

普段聞かない名前だからすぐ覚えることができた。

ウソ。

普段聞かない名前だけじゃない。

恐らくここ何時間の間で、一番知りたいことだったから。

テストの答えよりも、何よりも。

何か、話さなきゃ。

そう思った矢先、次のテストが始まる時間。



またね。



そう言って二人は試験会場に消えた。




雨音と僕だけのエントランス。

試験会場に、僕も戻った。



少し笑っただけ。

彼女と話という話はできてない。



右斜め二列前。

彼女はそこに座っている。


このテストが終わると、もう見れない。

この45分が終わってしまうと。



夕立が、会場の中まで聞こえてくるほどの

ドシャ降り。



やめ。



模試が終わった。

みんな帰る。



車で帰る人、傘をさして帰る人。



何をするでもなく、エントランスに立つ。



もう一度かみゆと話したい。



雨音と僕とざわついたエントランス。



待ち合わせをしてるわけでもない。

ひょっとしたらもう帰ったかもしれない。



人でごった返していたエントランスも、

どんどん人が減っていく。




夕立はまだ、雨を運んでいる。




ふと入り口を見てみると、

外を眺めている女の子がいる。




色白の肌に少し茶色い髪。




高鳴る、鼓動。




僕の待ち人が、そこにいた。


いつだったか、誰かが言ってた。




ある一瞬が、何の意味もないときもある。

その一瞬が、とても大切なときがある。





日常に溢れている「一瞬」という時間。



その時の僕は、あの一瞬をどう捉えていたのだろう。





ただの一瞬・・・?


それとも


大切な一瞬・・・?





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




模擬試験の昼休み。



ファミマのお弁当の空箱が、机から消える。

代わりに出てくる、筆箱と参考書。



参考書の誌面に現れた、一つの影。



顔を上げると、影の正体-

同じ塾で一緒の子が立っている。




「午前中の模試どうだった?」


「いつも通りだよ」


「私数学が難しかったかな」


「俺数学できないから、いつも難しいよ」


「あはは」


「・・・うん」






何気ない会話に生まれた、一瞬の空白。




ふとした、一瞬。




その子が笑って少し体がずれたとき、

右斜め前が少し開けた。


そこに見えた、二列先の空間。

その空間にいた、笑っている女の子四人。

そのうちの一人と一瞬、目が合った気がした。





ただの気のせいかもしれない。





でもその瞬間胸にきた、ドキッとする感覚は

まぎれもない事実。





だけどこの事実を、僕は知らないふりををした。





何でもない、と自分に言い聞かせた。

何も見ていない、とも。





そうこうするうちに、午後の模試が始まった。





国語の問題を解いていても、静かにあの一瞬が

頭の中をフィードバックする。







一瞬が、ゆっくり僕を侵食していく。









やめ。



国語の思考をやめる試験監督の声。


僕は席を立つ。

外の空気に触れるため。

いや、この気分を変えるため。






見上げると入道雲が、ゆっくり光を飲み込んでいく。





まるで誰かの心の中みたい。









静寂を打ち消す夕立。




そこに誰かが降りてくる。




雨音と僕以外無人のエントランス。




僕と同じ塾の子と、



あの彼女だった。


中学生活最後の夏。



野球もやめ、走ることもやめ、

ただひたすら受験勉強に奔走していた。




国語算数理科社会英語。




秋にある学校対抗陸上競技大会の

練習にも顔を出さず、


友達の誘いも断り、

己の精神力との勝負かのごとく

勉強していた。




八月。




毎日繰り返されるセミの声と、夕立。

Family Martのポテトの匂い。

この日もそうだった。




全く同じ、変わらない一瞬。




ただ一つ違うのが、この日各塾合同の模試であること。

でも、それだけだ。

普段と変わらない、五教科の模擬試験。





ただそれだけだと思っていた・・・・。






模試会場は隣町にある商工会館。




広い会場。




商工会館の殺風景な会場に、

二人がけの長机が縦に横に連なっている。




始め。




ストップウォッチを片手に、始まりの合図を告げる

試験監督。


午前中の英語算数社会。


昼食のファミマの弁当。


同じ塾の友達との会話。


いつもと何も変わらない。





変わらないはずだった。







その子は僕の席の二列先で笑って、話をしている。


僕も笑って、友達と話をしている。


そこら中に溢れてる、会場の景色の一風景。






まだお互い名も知らない。







その時僕はまだ気づいていなかった。





静かに、この恋が始まっていたということを。