こんにちは。

 

世の中の悪さを知り、聖書福音を見聞きして学べたのは良いものの、実際には誰が聖書の真理に基づいて説明しているか見分けられる人はかなり少ないでしょう。インターネット上を見ても、解釈が人によって異なり、聖書の内容に関して色々な考えが飛び交っており、キリスト信仰者を自称していても聖書の一貫した真理に基づいて物事を発信しているわけではない人が多いと推測できると思います。なぜなら、実際は神(主イエス・キリスト)の御言葉は永遠に変わらない(ペトロの手紙一 一章二十五節参照)、すなわち神による真理は一つであり、何通りもの教義や解釈なんて生じないはずですからね。世の悪人どもが人々に聖書を真に理解させまいと虚偽を垂れ流しているのもありますが、そもそも人々の肉の思いが強く神の御意志を汲まずに身勝手に捉える人が多いせいだと考えています。そんな背景から、例えば…

「嘘つきを信じて騙されるのは嫌だ」

「偽り者の特徴をよく知りたい」

「聖書の言葉は現代にも当てはまり、信用に足るだろうか」

といった疑問や考えのある方々に、自らが惑わされずに何を固く信頼し、どう対処して行動していけばいいか理解するきっかけとしてもらえたら幸いです。世の中の人間全般に当てはまりますので。既に聖書に馴染んでいる方々にとっても、世の「キリスト教」を騙る諸教会が欺瞞に満ちている実態を強く認識し、騙された人が悔い改めて一人でも多くの方が真の聖書福音に立ち返ることを願います。

 

今回の記事を書くにあたってとりわけ参考にした箇所は、ペトロの手紙二の二章にある、「偽預言者」や「偽教師」について、十二使徒の一人であるペトロが示した警告の内容です。ペトロの手紙二の二章から言葉を抜粋し、当時の「偽教師」らの特徴や振舞い等について原語の意味から調べ、その結果からわかった内容と現代の自称キリスト者たちの様々な発言とを比較しました。そこから、十二使徒が生きていた当時の「偽教師」どもの姿は、現代の「支配層やその駒」「世の中の自称聖職者や諸教会関係者、諸教派の信者」「(媒体問わず)聖書に関する自称教師」「不信仰者や異教徒」と幅広く当てはまるという結果に至りました。上記の考えや疑問の解決に導く内容になったと思います。

ところで、前回記事「偽使徒パウロとパウロ教徒=ファリサイ派=悪魔の子」ではファリサイ派や律法学者らに対する主イエスの徹底的な非難の御言葉を中心に考察しました。一世紀当時、彼らがキリストに敵対した邪な者達であったのは周知の事実ですが、偽使徒パウロ信者ら(世の自称キリスト者のほとんど)が最愛するパウロが「ファリサイ派の子だ(使徒言行録二十三章六節参照)」と自白しており、パウロを狂信する彼らも同じくかつてのファリサイ派や律法学者らの悪い姿勢とほぼ同じだと明らかにしました。しかし、今日の彼らがファリサイ派同様、自らを客観視してその事実を認める者はほぼ皆無でしょう。聖書のできる限り多くの箇所から偽り者の特徴を考え、とことん徹底的に偽り者を弾劾することが必要で、それにより、彼らの虚偽や悪行に関する言い訳や弁解の余地を完全に無くすべきだと考えます。

 

それでは、該当するペトロの手紙の箇所を、数節ずつに分けて見ていこうと思います。

 

多くの者が彼ら(偽教師達)の破滅的事柄に倣うであろう。その者達の故に、真理の道はそしられるだろう。そして、貪欲に偽りの言葉であんた方を食い物にするだろう。そんな者らに対する裁きは昔から滞らず、彼らの破滅も遅延しない。

新約聖書 ペトロの手紙 二章二節~三節(拙訳)

 

「破滅」というのは、マタイによる福音書七章十三節にあるように、「広い門」と「広い道」の行きつく先でもあります。すなわち、神に逆らい悪魔と悪魔崇拝者どもに従う世の多数派に倣って歩む先が火と硫黄の地獄であり、第二の死に渡され魂をも滅ぼされるということです。「悔い改めなければ滅びる」(ルカ十三章三節、五節参照)という御言葉から、破滅に繋がる事柄とは神の秩序である律法に違反する事柄だと言えるでしょう。「キリスト教を信じる人間ならその聖書にある戒めに従うもんじゃないの。」と考える人も居るかもしれません。確かに神の掟を守る必要はありますが、残念ながら世の「キリスト教(実質パウロ教)」界関係者らは「神の掟を捨てている」(マルコ七章九節参照)という主イエスの御言葉の通りです。

破滅に繋がる事柄と聖書の真理への誹謗中傷は、具体的にどんな事例が当てはまるでしょう。

まず、以下引用元で説明されている、ローマ教皇による「イエスと関わることは危険でヤバい」発言(出典:トカナ)や「教会外に救い無し」という言葉と真意です。

 

彼らは自分らがでっち上げた階級制度や教会制度に権威付けをし、彼らが作り上げた偽りの「神学」を通してのみ学び、教会に所属して自称聖職者らを信じて彼らを媒介しないと救われないと無知な人々を騙してます。実際、多くの庶民は自分で聖書を最初から最後まで何度も読み通して理解しようとする努力をせえへん。そのせいで、カトリックやその他の地上の諸教会の欺瞞を見抜けへん。聖書にのみ依拠すること、聖書の知識を持つことは、このように自称聖職者どもに惑わされへんためにも非常に重要なんや。

(引用元:動画二回目投稿 これぞ真の聖書福音(真の聖書福音と預言 (ameblo.jp))

 

「この世で設立された教会のどこかに所属していなければ救いは無い」みたいな言葉は当然聖書に一言もありません。創造主なる神(主イエス・キリスト)の教えではなく、反逆者ニムロド起源で古代バビロンの太陽神崇拝や女神崇拝、すなわち悪魔崇拝でしかないカトリックやその派生である正教会やプロテスタント等の諸教派の教会に行っても、聖書の真理ではなくパウロの偽教義を発端とし、イエズス会といった悪魔崇拝者らがでっち上げた虚偽の神学由来の偽福音(「信じれば行い問わず救われる」「神への愛がー」とばかり言って神の義や秩序を無視すること等)に騙されるだけです。そんな実態にも拘らず、「教会が絶対だ」と教会を崇拝させるようにして、神ではなく教会の聖職者らに意識を向けさせ偶像崇拝という大罪を犯させようとしています。偽福音の広まりという反キリストの諸教派の思惑は長年成功し、多くの人が世の諸教会の実態を知らず、見聞きしても「そんなん嘘だ」と信じず、偽福音から離れようともしません。そして、警告通りの破滅へと進んでしまうのです。上記のペトロの手紙二章二節にある「倣う」を意味する原語には、「服従する」「屈する」の意味もあり、悪魔崇拝者らが崇める悪魔に屈しているとも読み取れます。また、貪欲な諸教会は「神はあなたを愛しておられ、罪を告白しイエスを信じさえすれば救いが確定する」といった甘言を用いて、特に心の弱った人には響いてその人が虜となり、信者から献金を集めて私腹を肥やす実態も少なくありません。まさに、偽りで釣って信者を金蔓と看做して食い物にする姿です。自称聖職者らの支配欲や名誉欲を満たすためでもあると推測します。カルトですね。それらに限らず、例えば偽預言者RAPTもそうであり、こちら(真の聖書福音と預言(ameblo.jp))ではカルトの特徴を七つほど列挙しつつ、RAPT教もカルトに当てはまり、彼が貪欲であり、嘘で信者を釣って自らの欲を満たしていることが明らかになっています。

過去には、「キリスト教徒」が大半を占めると言われる欧州の白人の蛮行、日本でも中世に宣教師たちが人身売買等を行った黒い歴史があり、それを持ち出す人がいます。その行為自体は非難されて然りとしても、それを聖書やキリストと勝手に関連付けて、聖書の教えをも邪教だ等と貶す人も見かけます。彼らの蛮行に関しては彼らの醜悪な欲望や思惑が原因であって、聖書は全く関係ありませんし、聖書では殺人やあらゆる蛮行を明確に禁忌と教えており、神への畏敬、愛、隣人愛の精神とは真逆でしかありません。

 

画像引用元:https://twitter.com/takigare3/status/1626097268020609024

 

また、上記ツイートは、多くのフォロワーを持つ人が、NHKの報道記事にてポルトガルのカトリック教会における性的虐待の件を取り上げたものです。カトリック教会、バチカン等で性的異常者が多いのは割と知られた話で、これは聖書が悪いのではなく、彼らが聖書の御言葉に反する反キリストで悪魔崇拝者であるが故に、精神も悪魔に支配されて異常な性癖を持ち醜い肉欲を抑えきれない故の出来事です。この投稿への返信投稿には、「もう面倒くせぇからアブラハムの宗教全面禁止でええやろ(゚∀゚) アイツら揃いも揃って全世界で戦争と性暴力ばっか繰り返してる癖に自分たちに甘過ぎるんよ(゚∀゚)」「宗教は害悪だ」という嘲りの内容が散見されます。確かに世のあらゆる宗教は有害なものばかりなのに同意しますし、聖書を都合よく取り入れただけのカルト宗教を非難するのはもっともなことです。しかし、聖書もまともに知らん人間が、世間で勝手に抱かれる偏見を基に聖書の真理までそしることは許されません。それと、「聖書には、避妊はダメ、生殖行為で不必要に快楽を感じてはダメと書いてあるから生理の来てない処女に対しては性行為をしてもいいという誤解釈してるやつがキリスト教の中には多いらしい」というのがあったが、夫婦間の性交以外が罪であって別に性欲そのものを否定するわけではないし、(夫婦間であれば)避妊が禁忌というわけではありません。聖書の内容について勝手な憶測をしたりするのも困ります。そうは言っても、「宗教」について甚だ無知な人が多いのに変わりはなく、残念ながら聖書やキリストの教えも数ある偏った宗教の一つのように捉えられてしまうことが絶えません。まあ性犯罪者は滅多に居らんとしても、あらゆる面で神の律法に反する不法行為をする自称キリスト者のせいで、聖書を知らん外部の人間にはその悪行すらも「聖書の教えか」と誤解させてしまうと思います。結果、まさに使徒ペトロが警告した通り。世の諸教会やそれに倣い従う信者といった主イエスの御顔に泥を塗る者達も、知ったかぶって聖書の真理を貶す者達も、悔い改めなければ地獄行きという破滅の運命です。

 

彼らはおこがましく、我がままで、威厳を畏れずそしっている

天使たちは、力強さや権能についてより大いなる者達であるのに、主の御前で彼らへ向かって中傷的な告発を持ち出さない。

しかし、これらの者は、分別のない、捕獲と死の目的で生まれた本能的な動物のようで、(彼らが)知らないことでそしっていて、自分たちの堕落により滅ぼされるだろう。彼らは不正の報いを受けるだろう。(儚い)日のうちに放蕩を喜びと考えており、しみや傷であり、彼らの惑わしであんた方と共に楽しむ。彼らは姦淫の満ちた罪の絶えない目を持ち、不安定な魂を魅惑し、貪欲に動かされた心を持ち、呪いの子らである

新約聖書 ペトロの手紙二 二章十節(後半)~十四節(拙訳)

 

上記で列挙された特徴として、まず聖書の真理への誹謗中傷、放蕩で放縦な有様は、パウロ信者であれその他の不信仰者であれ同様だと思いますパウロ信者は聖書を読んでいるようで全然まともに理解してなくて、自分たちにとって都合の良い内容(神は愛、罪を赦してくださる、恵みがどうの等)しか頭に入っておらず、パウロが偽使徒かつ嘘つきの反キリストである事実(反論の余地無し)を全然検証もせず感情的に罵ってくるのばかり。不信仰者は、聖書の内容をまともに知らない(多少内容をかじって知った気になっているのも同様)分際で、神に反逆する悪魔かのような卑しく歪んだ見方をし、神への何の畏れも無く身勝手に聖書やキリストに関して憶測や偏見を並べる人がなんと多いことでしょう。ツイッターでも「キリスト教」と検索して流れてくる投稿を見てみると、本当に無知な人らの愚かな発言が散見されるんですよね…。それらの一部を抜粋して突っ込んで、如何に彼らの発言が客観性皆無で酷いものかを示して差し上げましょう。もし似たようなことを考えている人が居るなら、ご自分の為にも即座に認識を改めるよう推奨します。

 

元投稿の引用元:

https://twitter.com/IJb2CQ6rQ5gyvtu/status/1531799529754066945?cxt=HHwWgoDQ4c7jhcIqAAAA

 

この人は恐らく世の悪魔崇拝者の支配層(白人の偽ユダヤ人ども)の祖先が聖書に記録された古代イスラエル人と酷い勘違いをしていると見受けられます。律法や預言書やその他史実の中で、動物の犠牲制度(現在は主イエス・キリストの贖いによって廃止された)について繰り返し述べられているから、神が生け贄をやたら欲しがると勘違いするのかもしれませんが、創造主であり全知全能である神にとって、地上で人間が献げるものなんて本来全く必要ありません。神は生け贄や献げ物より愛を求めているのであって(ホセア書六章六節)、動物の犠牲は人間に罪を犯すことの悪さを知らしめるもの、主イエス・キリストの十字架の贖いの御業の予型であり、神を礼拝し行いで信仰を示すことの重要性を理解させるものでもあったと考えています。異邦人に対して例外的に侵略が許可されたのも、当時の行く先の異邦人らが創造主なる神を捨てるだけでなく、放縦であり偽りの神々(悪魔)に対して子供を火に投じて生け贄とする等の忌まわしい行いをしており(申命記十二章三十一節他参照)、それに対する裁きの意味もあったと読み取れます。何だか悪魔崇拝における人間の生け贄を彷彿とさせるし、異邦人らのヤバさの方が一目瞭然。この背景に関して丸っきり無視なんですね。こんな愚かな発言を固定ツイートに長らく設定しているのがまた滑稽です。自分の罪の重さを増幅させ自らの首を絞めつけるだけですし、何より神や聖書を侮辱しまくったところで神の御計画が変わるはずもありません。ただ悪魔が「地獄の道連れに出来て最高だわ~(大笑い)」と大喜びするだけでしょう。

それにしても、この人と似たような思想の人が一定数ツイッターに存在する気がします。過去記事「人生は神に従うか悪魔に従うかの二択」で弾劾した者も突っ込みどころ満載で似たような恥ずかしい言論を並べてました。どっかの反キリストの団体の工作員なのかはわかりませんが、いずれにせよ無知丸出しで恥知らずであるし、改めないなら甚だしい冒瀆の重罪の報いを受けることになるでしょう。

 

画像引用元:https://twitter.com/HashimotoKotoe/status/1625259819107254279

 

他にも、先日上記の投稿がなされており、これは新改訳聖書(二千十七年版)にて今何かと話題のこおろぎ食を推進するような感じに意図的に悪意ある翻訳にされている旨の内容だと思います。原文(聖書ヘブライ語)を参照しても「こおろぎの類」なんて食べて良いとされていないのに、「こおろぎの類」を食べて良い項目に勝手に追加し、意図的に翻訳を改悪するのは神への冒瀆です。また、ミカエル氏によって数多くの情報が一つにまとめられたサイト「キリスト道 (themedia.jp)」の中の「虫の「こおろぎ」を食べるな。」の項目で、精選された外部からの有益な情報を集めて、こおろぎ食が二千二十二年頃から異常なまでに推進されるとんでもない理由が明らかにされているので、ご覧になることを推奨します。

それに、この投稿への返信にも無知な不信仰者達が聖書を貶しているのを見かけました。例えば、以下の通りです。

「奇リスト教は 昔は植民地支配、 現代は💉&昆虫食を推進して奴隷制を進める悪い👿宗教です。」

→ 何故「キリスト教」の「キ」をわざわざ「奇」としたのかが謎です。ローマを発端に世界各国に広まった現在の「キリスト教」(=パウロ教)は太陽神崇拝や女神崇拝等の土着宗教と偽使徒パウロの偽教義を融合させてできた異教カトリックとその仲間であり、聖書の教えとはもはや全く異なるものであるとはご存知ないでしょうし、聖書の翻訳についての話題にも拘わらずわざわざ聖書そのものの信用を貶める言動を取る神経が理解不能だなと思いました。聖書を悪用した世の諸教派(パウロ教)を悪い宗教と呼び、その信者らの悪行を非難するのは問題ありませんが、聖書そのものが宗教だという認識は大間違いで、聖書は本来の人間の普遍的な生き方の指針だと認識しています。悪魔崇拝者らがやっている行為は十戒の第六項にある「殺してはならない」という掟、隣人への慈愛といった精神とは真逆でありので、普通に考えて聖書で推進されているわけがありません。全て内面から悪魔に支配された人間の醜い野望や悪魔崇拝者の策略によるものです。

「モーセに導かれてエジプトを出たヘブライの民が行く先々で他の民族を虐殺しまくり、それを神が積極的に支援していた事は旧約聖書にきっちり書かれてますね。」

→ これについては、上記の「リモニアス@UC潰瘍性大腸炎攻略中(@IJb2CQ6rQ5gyvtu)」という人と同じことが言えます。論外です。

 

また、世の悪に気づいたとしても、ほとんどの人々が放縦を望んでいることも問題です。ほとんどの人間は神の律法、掟、戒めの重大性にも気づかず、神の御目にはまさに「おこがましく、我がまま」と映るでしょう。人間は生まれながらに罪(神の律法への違反)に弱い性質を持ち、人間の性質や心理を熟知している悪魔はそれらを利用して人間を神の秩序から引き離し、人間を悪魔に従わせて神の怒りを買わせて地獄への道連れにしようとしています。悪魔が自身を崇拝する支配層や大富豪らを利用して計り知れない悪を行ってきたことは、このご時世調べたらすぐわかるはずです。しかしながら、とんでもない悪事の数々に憤りを感じ、彼らの策略に惑わされて屈しないようにしなきゃと考えている人は居るけど、結局のところ悪魔の目的や手口の根本を理解しようとしないから、何の対策もできないままです。遊技(ゲーム)において、強敵が使う技をはっきりとは知らず、操作者が使っている登場人物(キャラクター)の弱点すらも調べないまま強敵に立ち向かうような無謀さだと思います。遊技なら勘とかまぐれとかで攻略不可能ではないですが、自分の弱さを克服して悪魔の誘惑にも打ち勝とうとする場合そうはいきません。他に注目していただきたいのが、上記引用のペトロの手紙二の二章十一節にある「天使たちは、力強さや権能についてより大いなる者達である」ことです。イザヤ書十四章等からもわかりますが、悪魔も元は神に仕えていた天使として、人間とは比較にならない程に大いなる能力が備えられていました。だからこそ、現に悪魔は世の中全体を支配できているのでしょう(神にとっては人間を試すために悪魔を利用している)。神でありながら人間と同じ立場にまで遜って人間と全く同じ肉の性質を持ちながら、その弱さや世に勝利し(ヨハネ十六章三十三節参照)全人類の模範ともなられた主イエス・キリストが示した生き様に倣う他に、強力な悪魔による秩序に最期まで断固従わない道は存在しません。「聖書を知らなくてもこれまで自分は善良に生きてきたんだけど」、「神を知らなくても生きていけるよ」といった間違った思い込みを捨て去りましょう。

また、わしも何度か示してきたように、パウロ信者はキリストの恵みによって神の律法の下に無い等と律法廃止論を唱え、神が一貫して命じてきた「悔い改めよ」の御命令を無視し罪の奴隷のまま平然と生活しています。この世の中でまともに生きていくには法律を守る必要があるのと同様に、神が再創造される永続する平和や義に満ちた世界に入るに相応しい者となるためには神の律法を守る必要があります。そこを勘違いしてパウロ信者らの放縦さに倣うことが決してありませんように。

 

彼らは虚栄心から傲慢なことを口に出し、誤りの内に振舞うのをすっかり逃れた者を肉の欲、ふしだらさにより魅惑する。彼らは彼ら(逃れた者)に自由を約束するのに、自身は堕落の奴隷である。ある人は、これに打ち負かしたその者に屈従させられるからだ。

新約聖書 ペトロの手紙二 二章十八節~十九節(拙訳)

 

悪魔崇拝者らが用意した偽教義に騙され吹聴するパウロ信者がまさに上記に該当します。偽教師、牧師等の自称聖職者に限らず、彼らが信じる「福音(偽福音)」を伝道する者全員に当てはまると考えます。さらに上の二章十節(後半)~十四節に書かれている「彼らは姦淫の満ちた罪の絶えない目を持ち、不安定な魂を魅惑し、貪欲に動かされた心を持ち、呪いの子らである」を含めて。艱難前携挙信者らは、世の悪の実態を拡散して聖書を読むように勧めるまでは良いものの、艱難前携挙という実現しない嘘を信じさせようとしてきます。艱難前携挙は、キリスト者は艱難期を通らずに主イエスのもとに携挙されるみたいな耳触りの良い内容であり、苦難に遭いたくない臆病者や自己愛者にとってかなり魅力的だと思います。まあ艱難前携挙を否定する人は結構居るんですが、彼らの大半は律法廃止論信者または十戒のみ有効論者で、かつパウロは使徒だとパウロ一派の嘘を鵜呑みにしています。「神を信じて罪の赦しを乞いて祈り求めれば誰でも救いは確定する」、「律法を人間は守り得ないからこそキリストの十字架の御業や救いがある」等の内容は、「救われたい」と自分の利益ばかり考えて「自由」を放縦と勘違いする人らにとって魅力的なんでしょうね。しかし、「真理はあんた方を自由にする(ヨハネ八章三十一節~三十二節参照)」の「真理」は世の諸教派が唱える偽福音では決してないですし、神の秩序たる律法を守るのが「自由」(「自由の律法」)だと説明されています(ヤコブの手紙一章二十五節参照)。パウロ信者は、主イエス・キリストが教えた「悔い改め」について無視し、パウロ書簡発端の律法廃止論(十戒だけ有効論者も含む)等の偽福音を信じ切っており、まさに神以外を愛する「姦淫」を行っているような状態で、有害無益な発言を繰り返して律法廃止論等の放縦さで釣っている有様は、まさに上記のペトロの警告の内容そのものと言えます。彼らはファリサイ派と同じで「罪の奴隷(ヨハネ八章三十四節参照)」でもあります。「真の聖書福音と預言」の管理人ミカエル氏による、パウロが偽使徒で嘘つきの反キリストである事実だけでなくパウロ信者らのおかしさも聖書を根拠に徹底的に論証している「偽使徒パウロの反キリスト教義 一」に続く連載や「パウロを偽使徒と認めない反キリストの有様」からよくわかるはずです。

 

ここまで色々と書きましたが、結論としてペトロが警告した内容は現代にもほぼそのまま当てはまり、現代の自称キリスト者のほとんどであるパウロ信者、聖書に従わない不信仰者や異教徒の発言や行いに、一世紀当時の「偽教師の姿」がそのまま受け継がれていると考えられます。現代のパウロ信者も偽使徒パウロも一世紀当時のファリサイ派や律法学者らも皆同類であることに加え、一層実感できたのは「太陽の下、新しいことは何も無い」(コへレトの言葉一章九節参照)が真理であることです。だから、生温い偽キリスト者は勿論、不信仰の者や異教徒であっても、警告通り破滅は免れないことがおわかりいただけるでしょう。決して他人事ではありません。今も昔もこの世は悪魔が支配することが許され、神に従わず逆らって生きる反キリスト(真のキリスト者以外)が悪魔に操られて掌で転がされており、この世の中がまさに「神から出た者」「世から出た者」(ヨハネ八章四十七節他参照)の二種類だと裏付けていると考えます。汚れた世の支配から脱して神に従うには、聖書から学んで信仰を固持して主イエス・キリストに倣って神の律法、掟、戒めを実践し、偽り者の特徴を把握して備えることが重要だとやはり思いました。

 

悪魔は悪魔崇拝者らを使って、人々を娯楽や快楽、豪勢な贅沢さ、金銭に夢中にさせ、神を忘れて放蕩に耽るように仕向けています。ペトロの警告はここでも活きてくるに違いありません。「貪欲に偽りの言葉であんた方を食い物にする」という様相は、聖書を悪用して金銭欲や支配欲等を満たす悪人に限らず、世の中の詐欺師全般(支配層も含む)や占い師、各企業、各機関にも適用できそうです。「食い物にする」と訳した原語(ἐμπορεύομαι)は意味合いとして「取引、商い、売買する」「利益の為に利用する」が強く、実際に多くの人間が貪欲に儲けばかり考えていますね。世の中所謂「マッチポンプ」という言葉(参照:コトワカ/KOTOWAKA)があり、国や地方行政や報道機関等は、良心の欠片も無い医師や学者らを雇い、「思いやりワクチン」だのと偽善を言ってひたすら国民に接種をさせ、支配層の為に躍起になってコロナ犯罪を実行してきました。しかも、当の製薬会社は責任を負わないという何ともあり得ない話。コロナワクチンとか以前に、現代の医療自体がマッチポンプに溢れているとも言えます。例えば、こちら(世の中思ったよりも悪くない、ここにヒントが隠れてる (ucdki.com))を参照すると、ワクチン全般や健康診断の実態が端的にわかると思います。個人番号券(マイナンバーカード)や5G(今後は6G)についても、実態は監視管理社会への布石だったり大衆をより不健康にしたり操ったりするものだけど、そんな実情はひたすら隠して建前の利点しか言わなかったりしてますし…。

それでも、結局は表面的な嘘を見破れずに騙される多数派は支配層らの施策にまんまと引っかかり、「多くの者が彼ら(偽教師達)の破滅的事柄に倣う」の通りに悪魔の秩序に従い、黙示録にもあるように獣たる人間を拝んで従わないなら売買さえもできなくなるような世の中にいずれはなるのは目に見えているかな。本当にあらゆることが聖書で予め伝えられた言葉の通りと実感します。

それと、つい最近気になった件です。同性婚に賛成する芸能人が取り上げられており(Share News Japan)、所詮は支配層側の広告塔や駒に過ぎない芸能人や有名人ですが、彼らを用いると途端にコロッと動かされる人が経験上少なくありません。「好きな俳優やファッションモデルの誰々が使ってるからー」ってある商品を真似して買って使う人多くないですか。かく言う自分もかつてはその一面もありました。同性婚については、日本国憲法第二十四条に合致しないし、そもそも創造の秩序に反し、「男女の結婚」という神が定めた厳粛な制度を踏みにじる罪深き行為です。それを大々的に日本でもやろうとするのかと思い、終末の近づきを一層改めて感じました。

確かに世の中の状況が良いに越したことがないのは当然です。しかし、世の実態に気づいた方々、周りに説得してもあたかも住む世界が違うかのように多くの人間と分かり合えなくなったと思います。貴方の勧告を蔑ろにし、正当な理由も無く行政や報道機関や有名人らを盲信し、支配層の施策にホイホイ従う人々。非常にもどかしいのはわしも同じですが、視点を変えましょう。堕ちるところまで堕ちる腐った有限の世の中の好転を期待するのではなく、主なる神が再創造される予定の新しい天地に希望を置きましょう。そこは、黙示録二十一章にも預言され、苦しみも悲しみもあらゆる悪も無く、当然ながら悪魔や悪人どもも全く存在しない平和で正義に溢れた世の中です。この世の生涯は、如何なる状況でも人々がどのような選択をするか試される時であり、神に従うか、悪魔と同じように罪(律法違反)を重ね続けて滅びるかの二者択一です。まともな人間であれば、神の慈愛や義の偉大さに心打たれ、神への固い信頼が生まれると思うのですが…(その人数が少ないのが、ものすごく不思議である)貴方はどちらを取りますか。もちろん、今までの生活をがらっと改善するなら、今日の内にでも開始すべきです(詩編九十五編七節参照)。支配層は自分達の目的実現に向けて絶えず動いており、日本では特に最後の砦である日本国憲法が政府に恣意的に改悪されたらおしまいです。

そこで、最後に「神のイスラエル教会」について。

わしがこちらに所属し学ばせていただいてからの感想や変化を率直にまとめた「「神のイスラエル教会」での学び」も良ければご覧になってください。この場では、世の諸教派のような下心や醜悪な欲等一切無く、やましさも無く、ひたすら誠実に聖書の御言葉に向き合い実践していく兄弟たちが集まります。皆が互いの霊的成長を喜び合い、そのためには相談を受けることも全く厭いません。兄弟との定期的なやり取りによる気づき、学び、発見。励まし合いがあります。物理的距離や各々の都合もあって基本的には文字でのやり取りではあるものの、対面交流も可能な限り行ってきました。

わしは、聖書にこそ真理が示されており信頼に足るものと確信したのは良いが、最初は一人で信仰を持とうとしており、一人だと自分を甘やかす傾向にあった自分は今思えばどこか独善的になっていました。聖書を知ってから周囲とはかなり異なった見方や価値観が得られ、同じ価値観や信仰を持って分かり合える人が身近に居ないのは辛かったです。それで居ても立っても居られなくなって、管理人のミカエル氏にわしの思いを認めてもらい、既に参加していた皆さんにも歓迎していただきました。掛け替えのない交流や学び合いの場があるからこそ、兄弟愛(主イエスが新たにお命じになった掟)の意義も真にわかってきたものでした。

キリスト信仰が「狭い門、狭い道」と言われている通りで大いに覚悟は必要ですが、その覚悟や信仰への思いが十分にある方なら最早何も迷うことはないはずです。わしの経験も何か後押しや参考になればと思います。