地球が病気にならない生き方をしよう!
書籍『病気にならない生き方3~若返り編~』で著者の新谷弘実先生は、『地球が病気にならない生き方をしよう』とおっしゃっています。
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地球の土壌を汚し、微生物のバランスを崩し、地球を病気に追いやっているのは、私たち人間です。
農業では農薬や化学肥料を大地に撒き、また工場では化学物質を含む汚水を垂れ流し、処分できないものは大地に埋め立て、ありとあらゆる汚染物質を大地に押しつけてきたことを、私たちは深く反省しなければいけません。
人間は自然から多くのことを学んできましたが、まだまだ人間が知らない自然の摂理はたくさんあるはずです。自分たちの科学ですべてが解明できると思うのは、とんでもないおごりです。もっと自然の摂理に畏敬の念をもち、微生物に対する感謝と思いやりの心をもつべきではないでしょうか。
「地球が病気にならない生き方」をすること。それこそが、本当に「人間が病気にならない生き方」に通じているのだと思います。
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まったく、新谷先生のおっしゃるとおりだと思います。
昨日までお話ししてきた佐藤先生のスーパーで売られている野菜の怖さにも通じるお話しだと思います。
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地球の土壌を汚し、微生物のバランスを崩し、地球を病気に追いやっているのは、私たち人間です。
農業では農薬や化学肥料を大地に撒き、また工場では化学物質を含む汚水を垂れ流し、処分できないものは大地に埋め立て、ありとあらゆる汚染物質を大地に押しつけてきたことを、私たちは深く反省しなければいけません。
人間は自然から多くのことを学んできましたが、まだまだ人間が知らない自然の摂理はたくさんあるはずです。自分たちの科学ですべてが解明できると思うのは、とんでもないおごりです。もっと自然の摂理に畏敬の念をもち、微生物に対する感謝と思いやりの心をもつべきではないでしょうか。
「地球が病気にならない生き方」をすること。それこそが、本当に「人間が病気にならない生き方」に通じているのだと思います。
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まったく、新谷先生のおっしゃるとおりだと思います。
昨日までお話ししてきた佐藤先生のスーパーで売られている野菜の怖さにも通じるお話しだと思います。
アトピーは病気ではない!
昨日の続きです。
山梨県にお住まいの健康料理研究家である佐藤裕治先生の「食と健康について」と題した講演の内容です。
佐藤氏は、「アトピーは病気ではない」と主張されています。
アトピーは食材が原因であり、食材に含まれる毒素が体外に出されることで起きる現象だそうです。
ですから、とても健全な身体の解毒作用の結果として現れる現象だから、病気ではないというご意見です。
『なるほど』と納得してしまいました。
そして、驚いたことに、アトピー症状が現れた部位で、どういう食材の毒素が原因なのかがわかるのだと佐藤先生はおっしゃいます。
アトピーが現れた部位と原因となった食材の毒素の関係は次のとおりだそうです。
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○顔から首筋 :小麦に含まれる残留農薬や化学物質
○肘・膝の裏 :牛乳や卵、肉に含まれる化学物質
○手や足首の先 :養殖魚に含まれる化学物質
○上腕の柔肌 :肉食中心の人に多い
○腰から尻 :合成甘味料の取りすぎ
○額や目の下 :サツマイモに含まれる農薬・化学物質
○目のまわりや頬:大豆に含まれる農薬・化学物質
○股間部のまわり:蕎麦に含まれる農薬・化学物質
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私は、幸い、アトピー症状はないので、よくわかりませんが、みなさんはいかがですか?
顔から首筋は目立つので、ときどきお見受けしますが、小麦に含まれる残留農薬が原因なんですね。
原因がわかれば、対策を検討できますから、とても貴重な情報だと思い、掲載させていただきました。
アトピーでお悩みの方の参考になれば、幸いです。
山梨県にお住まいの健康料理研究家である佐藤裕治先生の「食と健康について」と題した講演の内容です。
佐藤氏は、「アトピーは病気ではない」と主張されています。
アトピーは食材が原因であり、食材に含まれる毒素が体外に出されることで起きる現象だそうです。
ですから、とても健全な身体の解毒作用の結果として現れる現象だから、病気ではないというご意見です。
『なるほど』と納得してしまいました。
そして、驚いたことに、アトピー症状が現れた部位で、どういう食材の毒素が原因なのかがわかるのだと佐藤先生はおっしゃいます。
アトピーが現れた部位と原因となった食材の毒素の関係は次のとおりだそうです。
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○顔から首筋 :小麦に含まれる残留農薬や化学物質
○肘・膝の裏 :牛乳や卵、肉に含まれる化学物質
○手や足首の先 :養殖魚に含まれる化学物質
○上腕の柔肌 :肉食中心の人に多い
○腰から尻 :合成甘味料の取りすぎ
○額や目の下 :サツマイモに含まれる農薬・化学物質
○目のまわりや頬:大豆に含まれる農薬・化学物質
○股間部のまわり:蕎麦に含まれる農薬・化学物質
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私は、幸い、アトピー症状はないので、よくわかりませんが、みなさんはいかがですか?
顔から首筋は目立つので、ときどきお見受けしますが、小麦に含まれる残留農薬が原因なんですね。
原因がわかれば、対策を検討できますから、とても貴重な情報だと思い、掲載させていただきました。
アトピーでお悩みの方の参考になれば、幸いです。
虫のついた野菜は食べるな!
先日、山梨県にお住まいの健康料理研究家である佐藤裕治先生の講演を聞く機会がありました。
「食と健康について」と題したその講演の中で、佐藤先生は、スーパーで販売されている野菜を食べると病気になるとおっしゃっていました。
植物の栄養素は、窒素、燐酸、カリだと言われているが、これは間違いであり、窒素は毒素で、その毒素(窒素)は虫の餌なのだとおっしゃっていました。
だから、虫がついた野菜は、毒素(窒素)が含まれたいるので、食べてはいけないということです。
窒素、燐酸、カリを植物に与えると、確かに見映えよく大きく育つが、その野菜には生命力がないのだそうです。
私たちがスーパーで野菜を買う時に、見映えを気にして購入するために、スーパーも見映えを気にして商品を作ることになってしまったのだと思います。
私たち消費者にも責任の一端はあると思いますが、だからといって、毒素(窒素)の含まれた野菜を販売していいわけはありません。
佐藤先生は、「スーパーは病人製造メーカである」とまでおっしゃっていました。
生命力のある野菜を手に入れるためには、野菜を育てるための土から作り直さなければならないとのことでした。
この佐藤先生の講演内容については、また明日、お話ししたいと思います。
「食と健康について」と題したその講演の中で、佐藤先生は、スーパーで販売されている野菜を食べると病気になるとおっしゃっていました。
植物の栄養素は、窒素、燐酸、カリだと言われているが、これは間違いであり、窒素は毒素で、その毒素(窒素)は虫の餌なのだとおっしゃっていました。
だから、虫がついた野菜は、毒素(窒素)が含まれたいるので、食べてはいけないということです。
窒素、燐酸、カリを植物に与えると、確かに見映えよく大きく育つが、その野菜には生命力がないのだそうです。
私たちがスーパーで野菜を買う時に、見映えを気にして購入するために、スーパーも見映えを気にして商品を作ることになってしまったのだと思います。
私たち消費者にも責任の一端はあると思いますが、だからといって、毒素(窒素)の含まれた野菜を販売していいわけはありません。
佐藤先生は、「スーパーは病人製造メーカである」とまでおっしゃっていました。
生命力のある野菜を手に入れるためには、野菜を育てるための土から作り直さなければならないとのことでした。
この佐藤先生の講演内容については、また明日、お話ししたいと思います。
むかっときたけど、プラス志向で乗り越えました。
先日、いつもの通勤電車で座っている時に、事件が起きました。
通常、私は、始発駅から順番を待って、座って通勤電車に乗ることにしています。
私が電車に座る時は、いつも、深く腰をかける癖があり、また、膝下を座席の下に引き寄せる癖もあります。
そのとき、事件が起きました。
私の座っている座席の右膝裏の部分(座席前面)に噛み終えたチューインガムが貼り付けてあったのです。
右足を前へずらした時の違和感でわかりました。
満員電車の中ですから、みんなの視線を一心に浴びながら、持っていたポケットティッシュで小さなゴミを出さないように気を遣いながら、少しずつこびりついたそのガムを取り除きました。
むかっとしそうになったとき、ここで、怒りの感情を出してはいけないと思い、プラス思考で考えるように努めました。
そうだ、ちょうどこのスーツは、クリーニングに出そうと思っていたところだったし、クリーニングへ出すきっかけができてよかった、よかった、と考え、うんうんと笑みを浮かべてうなずきながら、こびりついたガムをとりました。
その様子を見ていた他の乗客は、私のことをどのように見ていたのかはよくわかりませんが、なぜか、この私のプラス思考が自分の気持ちを穏やかにしてくれたのは確かです。
座席側についたガムまでは、取る時間がなかったので、余ったポケットティッシュを1枚、そこに貼り付けたまま、席を立ちました。
私が降車したあと、その席に誰がどうやって座ったかは見ることができませんでしたが、あれだけ注目を集めた私の行動をみんな見ていたので、同じ過ちをする人はいないだろうと思っています。
しょうもないエピソードではありますが、遭遇した事実をどういう気持ちで受け止めるかによって、その後の行動も変わってくるんだなぁ~、ということを身をもって体験できたわけです。
体験できたことにも感謝したいです。
昨日は、「怒り」と「悲しみ」の話をしましたが、今日は、「怒り」を「笑い」で消し去るお話しでした。
(病気にならないために、ストレスを溜めないために…)
通常、私は、始発駅から順番を待って、座って通勤電車に乗ることにしています。
私が電車に座る時は、いつも、深く腰をかける癖があり、また、膝下を座席の下に引き寄せる癖もあります。
そのとき、事件が起きました。
私の座っている座席の右膝裏の部分(座席前面)に噛み終えたチューインガムが貼り付けてあったのです。
右足を前へずらした時の違和感でわかりました。
満員電車の中ですから、みんなの視線を一心に浴びながら、持っていたポケットティッシュで小さなゴミを出さないように気を遣いながら、少しずつこびりついたそのガムを取り除きました。
むかっとしそうになったとき、ここで、怒りの感情を出してはいけないと思い、プラス思考で考えるように努めました。
そうだ、ちょうどこのスーツは、クリーニングに出そうと思っていたところだったし、クリーニングへ出すきっかけができてよかった、よかった、と考え、うんうんと笑みを浮かべてうなずきながら、こびりついたガムをとりました。
その様子を見ていた他の乗客は、私のことをどのように見ていたのかはよくわかりませんが、なぜか、この私のプラス思考が自分の気持ちを穏やかにしてくれたのは確かです。
座席側についたガムまでは、取る時間がなかったので、余ったポケットティッシュを1枚、そこに貼り付けたまま、席を立ちました。
私が降車したあと、その席に誰がどうやって座ったかは見ることができませんでしたが、あれだけ注目を集めた私の行動をみんな見ていたので、同じ過ちをする人はいないだろうと思っています。
しょうもないエピソードではありますが、遭遇した事実をどういう気持ちで受け止めるかによって、その後の行動も変わってくるんだなぁ~、ということを身をもって体験できたわけです。
体験できたことにも感謝したいです。
昨日は、「怒り」と「悲しみ」の話をしましたが、今日は、「怒り」を「笑い」で消し去るお話しでした。
(病気にならないために、ストレスを溜めないために…)
怒ってはいけない!
昨日のお話しの最後に、
『喜怒哀楽、そのときの感情を我慢しないで素直に表現することが、ストレスを溜めないコツであり、免疫力を高めて、病気に強い身体を作るんですね。』
と申し上げました。
何気なく「喜怒哀楽」という言葉を使ってしまいましたが、この中の「怒」つまり「怒る」ことだけは、ストレス解消にはならないなぁ~ってことに気がつきました。
そこで、ネットで「怒る」と「健康」について調べてみました。
サイト『怒りのない人生へ』にわかりやすく怒ることの問題点が次のように説明されています。
----------
人間の感情は古くから「喜怒哀楽」といいます。
この中で、「怒り」だけが、人の心身に自らダメージを与える感情として存在しています。
怒りは、動物の進化の中で、身体的攻撃に対する反撃のために生まれました。
自分の心身や生命がおびやかされる時、まず不安や恐怖がおきます。
それは、「危険を回避せよ」という脳の信号です。
でも、逃げることもできず、追い詰められたとき、「怒り」の感情が生まれます。
「怒る」ことによって、心身の痛みが消える反面、実はそれは私たちの心身にダメージを自ら与えているわけです。
----------
そして、「怒り」と「悲しみ」とを対比させて、次のように説明されています。
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一方、怒りを捨てた場合は、代わりに「悲しみ」が起きます。
もう反撃する必要はない、つまり安全になった時、傷ついた動物は悲しみの中で自分の体を癒します。
悲しみは、損なった痛みを修復するために起きる感情です。
「悲しみ」は、痛みを麻痺させるのではなく、癒し、同じ損失によってはもう痛むことがないよう、心を強くします。
「悲しみ」は「病」ではありません。
こうして、人は、精神的な痛みに際して、「怒り」と「悲しみ」のどちらを選ぶかの選択肢を持つようになりました。
「怒り」を選んだとき、自分はまだ安全ではないと考えたことになります。痛みが麻痺する一方で、心身のダメージとストレスが続きます。
「悲しみ」を選んだとき、自分はもう安全だという安堵の中で痛みを癒すことになります。やがてすっかり癒えた心身で立ちあがり、再び生き生きと生きはじめることができます。そのとき、心は前より強くなっています。
「怒り」よりも「悲しみ」の方が望ましい、私たちをより幸福に近づける感情であることは明らかです。
ところが、人間は素直に悲しむことができず、頻繁に「怒り」を選択するようになってしまいました。
人間が他の動物よりも不幸な存在というとしたら、このことを指しているのでしょう。
----------
そう、「怒る」ことを手に入れてしまった人間は、不幸なのかもしれませんね。
このサイト『怒りのない人生へ』は、長文ですが、内容は、心理療法的な考え方だと感じました。
このサイトの全体は『ここから』閲覧できます。
『喜怒哀楽、そのときの感情を我慢しないで素直に表現することが、ストレスを溜めないコツであり、免疫力を高めて、病気に強い身体を作るんですね。』
と申し上げました。
何気なく「喜怒哀楽」という言葉を使ってしまいましたが、この中の「怒」つまり「怒る」ことだけは、ストレス解消にはならないなぁ~ってことに気がつきました。
そこで、ネットで「怒る」と「健康」について調べてみました。
サイト『怒りのない人生へ』にわかりやすく怒ることの問題点が次のように説明されています。
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人間の感情は古くから「喜怒哀楽」といいます。
この中で、「怒り」だけが、人の心身に自らダメージを与える感情として存在しています。
怒りは、動物の進化の中で、身体的攻撃に対する反撃のために生まれました。
自分の心身や生命がおびやかされる時、まず不安や恐怖がおきます。
それは、「危険を回避せよ」という脳の信号です。
でも、逃げることもできず、追い詰められたとき、「怒り」の感情が生まれます。
「怒る」ことによって、心身の痛みが消える反面、実はそれは私たちの心身にダメージを自ら与えているわけです。
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そして、「怒り」と「悲しみ」とを対比させて、次のように説明されています。
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一方、怒りを捨てた場合は、代わりに「悲しみ」が起きます。
もう反撃する必要はない、つまり安全になった時、傷ついた動物は悲しみの中で自分の体を癒します。
悲しみは、損なった痛みを修復するために起きる感情です。
「悲しみ」は、痛みを麻痺させるのではなく、癒し、同じ損失によってはもう痛むことがないよう、心を強くします。
「悲しみ」は「病」ではありません。
こうして、人は、精神的な痛みに際して、「怒り」と「悲しみ」のどちらを選ぶかの選択肢を持つようになりました。
「怒り」を選んだとき、自分はまだ安全ではないと考えたことになります。痛みが麻痺する一方で、心身のダメージとストレスが続きます。
「悲しみ」を選んだとき、自分はもう安全だという安堵の中で痛みを癒すことになります。やがてすっかり癒えた心身で立ちあがり、再び生き生きと生きはじめることができます。そのとき、心は前より強くなっています。
「怒り」よりも「悲しみ」の方が望ましい、私たちをより幸福に近づける感情であることは明らかです。
ところが、人間は素直に悲しむことができず、頻繁に「怒り」を選択するようになってしまいました。
人間が他の動物よりも不幸な存在というとしたら、このことを指しているのでしょう。
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そう、「怒る」ことを手に入れてしまった人間は、不幸なのかもしれませんね。
このサイト『怒りのない人生へ』は、長文ですが、内容は、心理療法的な考え方だと感じました。
このサイトの全体は『ここから』閲覧できます。