雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

最近は新聞などで毎日のようにAIについての報道がなされています。

AIによる人類に対する悪影響が、問題になってしまうようですが、やはり自らを、人類を、愛するからこその心配からの出来事とも言えます。

所でAI人工知能による人類の将来のベストな生き方について、AIはどのように回答するのであろうか。

AIには出来るが人間にしかできない分野が鮮明になる事でしょう。

創造性、共感性、倫理観などの人間特有の能力を育てることが重要になってくる事でしょう。

そしてAIのお陰で人間本来の心の充実とは何か、真の幸せとは何か、人類の目標とする人間とはどのような人なのか、どうすればそのような人間になれるのかの回答が出てくる時代がくるのではないでしょうか。

そして世界平和を実現するにはどのようにすればいいのかの答えも出てくるのです。

世界人類がこぞってプーチンや習近平、金正恩の独裁政治を滅亡に追い込み実行するにはどのようにすべきであるかの回答が出るようになるのです。

それも裏の仕組みまでをも回答してくれるようになるのです。

AIの普及でインチキ宗教はなくなり宗教統一が進むことで人間の幸福感が統一されてくることでしょう。

 

毎日のように詐欺の報道がなされています。騙す人と騙される人がいると言いう事です。

「騙」という字の偏は馬で旁は扁です。

扁は、戸(薄い扉)に冊(薄い木の札)で、「門口にはりつける戸籍票」の意味だそうです。

転じて、薄い軽い物を表すような意味になりました。

騙は、軽々と馬に飛び乗る様子を意味していました。

これが、いつの間にか、『浮ついたうすっぺらい浅はかな言葉で人をだますこと』となったとの事です。

「白兎(しろうさぎ)」のことを古来から通称「さぎ」といい、一羽二羽と鳥のように数えるのだそうです。

そこから「(さぎ)する」とは、この「因幡の白兎のマネをして相手を騙す」という意味 で古来から使われてきたのだそうです。

 

インターネットにおいても多くの詐欺の罠が仕掛けられています。

中國が、自国が世界を牛耳るにはどのようにすべきかをAIを使って研究しているようです。

世界の国や人々をさりげなく騙して中國の為に如何にしたら誘導することができるかを国家的に研究しているのです。

日本においても都知事の小池百合子氏のカイロ大学卒業学歴詐称疑惑が問題になっています。

これが本当だとしたならば大変な詐欺女であり刑務所行きです。

明確にして欲しいものです。

 

アメリカの大統領選が今年の十一月に行われます。

世界がどのような方向で動いていくのか、大きな岐路になります。

書籍の広告でマイク・ロスチャイルド著の「人々搦(から)めとる黒い福音」という本で小泉悠さんが評論が書かれていました。

『世界は腐敗したエリートの集合体ディープステートによって支配されている。

トランプ前大統領はこれに対抗する善の勢力を代表しており、両者は今も目に見えない密かな戦争を続けているのだ―本書が対象とする陰謀論、いわゆるアノンの世界観を要約すると大体こうなろう。

はっきり言って荒唐無稽(こうとうむけい」である。

だが米国では多くの人々がこのストーリーに心酔し社会から孤立したり家族が崩壊したりする事例が続出した。

議事堂を襲撃した人々は、不正選挙が行われたという陰謀論を信じていた。

それをトランプと一緒になってネットに拡散させたのが、「Qアノン」と呼ばれる人々であった。

反動的・極右思想をもつ人々を駆り立てるこの集団が、アメリカに生まれた背景とは何だったのか? もともと人付き合いに向かないパーソナリティであるとか生活に問題を抱えているという人が非常に多いのである。

そうした現実はまもなく全て変わる。

あなた方を苦しめているのはディープステートであり、連中は一斉逮捕されて新しい善の世界がやってくる。

アノンとは「Q」はインターネットの掲示板に投稿を始めた謎の人物が名乗った名前で、「アノン」は匿名を意味する。Qの主張を信じる人々はQアノンと呼ばれる。

「アメリカの政財界やメディアは“ディープ・ステート(闇の政府)”に牛耳られている」とか「世界は悪魔を崇拝する小児性愛者によって支配されている」などの陰謀論を掲げている。

 

はっきりとした数はわからないが、アメリカだけで数百万人いるともされ、日本を含む70以上の国に広がっているという報告もある。

新型コロナウイルスによって社会を覆った不安が人々の心理につけ込む隙を与え、広がりを加速させたとも言われている。

いずれにしても世は詐欺の蔓延社会になっています。

如何にすれば騙されないように生きるか、難しい世の中です。

 

 

 

 

利益優先で大きくなったビックモーターが不正まで働き事実上倒産しました。

利益追求を優先するような会社は度を超すと倒産してしまいます。

如何にしたらお客様に喜んで戴けるかを優先して考え、その商品やサービスにみあった価格を提示するような会社は繁栄しています。

己の欲望を優先して生きている人と他の人に喜びを与えてそれを喜びとするような人の割合はどれ位の比率であろうか。

伝教大師最澄の言葉に「忘己利他」(己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり)という言葉です。

中々そのように生きられないからの言葉なのでしょう。

利己中心的な人で魅力的な人はまずいない事でしょう。

特に威張っているような人は人間のクズです。

どんなに偉い人であろうとも威張ったならクズ人間なのです。

人間とは何者であろうか、から始まって人間にとって最も大切な事、心は何かを考え実行する事が自然の法則にかなっている事でしょう。

日本語には多くの人間の生き方の基本になるような言葉が多くあります。

何よりも大切な事は広くは「有難う」の感謝の心ではないでしょうか。

言うは難しで人間にとってこれほど自らの自覚を求めている言葉はありません。

その言葉の深みは「サンキュー」などの軽い言葉とはかけ離れているのです。

先日、外国人が無断駐車したので注意した所、アイムソーリーと言って両手を持ち上げていましたが、どうも英語には言葉の深みがないように感じます。

次が「勿体ない」というへりくだった懺悔的な言葉であろう。

ものを大切にすることは地球に対する自然に対する心構えにも繋がります。

人間とは考える葦であるとはフランスの思想家、パスカルの「 パンセ 」の言葉です。

   

人間というのは弱い面もたくさん持って いるが、「考える」という働きがあるから偉大であるというのです。

世の中には考える人と殆ど余り考えないで時の流れるままに、そして自己中心的に生きています。

ほぼ、70パーセント位の人がそのような生き方の人ではないでしょうか。

そのような人を世の中を幾らかでもよくしよう美しくしよう、幸せにしようと思ったなら何をすべきなのでしょうか。

やはり教育なり思想の啓蒙という以外にはないのでしょう。

世襲の政治家や僧侶が問題になっています。何故なのでしょうか。

世襲で引き継いだ政治家や僧侶には初心が乏しいからではないでしょうか。

なる時の心構えが違ってくるのです。

人類を悲観的に考える人が多くなっているのではないでしょうか。

少年よ大志を抱けなどと言えない時代のようです。

人間も動物です。直感的に自然災害を含め肌で人類の危うさを感じ取っているからの悲観論ではないだろうか。

このような人類の将来を明るい方向に向かうようにするにはどのようにしたなら良いのかを考えた結果が仮称、道求会という小グループの全国的な集団の設立です。

このような事を考え実行しない限りは人類の将来は危機に瀕し人類が絶滅してしまうかも知れません。

この和を基本にした小グループが世界のコロナのように移り拡大していくにはどのようにしたならばいいのでしょうか。又、多人数だとお互いに心底からの意見が聞けず結論も出ないでしょうから小グループの人数は十人位までが望ましいのではないかと思われます。

それには保守系の地方議員さんに相談することが望ましいと思われます。

それには道求会のこれはと驚き感動するよいうな趣意書的なものを作成しなければなりません。

世界人類が自らの繁栄と欲望の為に人類の将来を危機的な状況に追い込んでしまっています。

それには多くの原因があります。

そのような原因が重なり交わりながら人類を苦しめているのです。

人類にとって最も大切な事はお互いを認めあい愛し合う慈悲の心です。

その心から人類にとって生きる道は「和」の心であり導きなのです。

和とは妥協ではなく徹底的な話し合いという意味です。

現代社会において最も欠けていることは実は話し合いの欠如なのです。「和を以て貴しとなす」の心なのです。

先日、新聞に次のような文章が載っていました。

「同年配の人たちが集まる会合で、昼食に弁当が出た。

蓋をあけ、まず蓋の裏に付いたご飯粒を食べる人が何人かいた。

それを見て、誰かが「育った時代が分かるよな」と言って笑った。(余市町渡辺和夫)

この弁当箱の蓋についたご飯粒を勿体ないとして食べるか食べないかが人類の将来の生存をうらなう上のキーワードになるように思えてなりません。

その理由は果たして何なのでしょうか。

其のあたりから話し合いのテーマにしては如何でしょうか。

もう一つの疑問がありました。

四月から五月の連休にかけて田植えが行われました。

田植えが終えた田圃には稲の苗が隙間なく田圃の淵まで綺麗に植えられているのです。

最近の田植え機は乗る事が出来て6畝(うね)列も苗を植えることが出来ます。

はじから植えてきて後3列が残った場合の植え方はどの様にするかを考えていましたが分かりませんでした。

やむなく知り合いの農家の奥さんに聞きました。

すると何と今迄に植えた畝(うね)列を踏んずけて残りの列を植えるのだそうです。

今までに植え込んだ畝の苗が勿体ないなど考えないのです。

田植え機のスピードと一人の孤独での田植え作業なのです。

昔は近所のおばさんたちが助け合って数人並んで手作業で隅々まで綺麗に植えたものです。

そして田植えが終わった頃には牡丹餅とタクアンを食べながら皆で喋って意思疎通をしていたものです。

この今と昔の田植えの一つを考えてみても人間社会が精神性が乏しくなってきた証拠であり将来の人類社会が危ぶまれるのです。

四月は卯月と申します。

同業の農家の家の庭先にややピンクがかったタニウツギが咲いているのを見つけました。

卯の花は「ウツギ」という樹木の花で、濃い緑の葉に白い清楚な花をつけます。

茎が中空なので「空木うつぎ」であるとか、卯月(四月)に咲くから「卯つ木」とか、語源説は様々あるようです。

唱歌に『夏は来ぬ』という歌がありそのはじまりが「卯の花の匂う垣根に、時鳥早も来鳴きて」とあります。

卯の花を愛でる余裕などない社会が果たして幸せなのであろうか。皆で話し合ってみましょう。

さて人類を救う会「道求会」の設立は如何すればできるでしょうか。

この地球に生命が誕生したのはおよそ40億年前とされています。

そして人類が誕生したのは、およそ500万年前のアフリカだそうです。

そんな人類が今、危機に陥っているのです。

その原因とは人類自らの欲望がそのようにさせているのです。

人類の繁栄と欲望がごちゃまぜになって整理がつかないのです。

その原因についての幾つかを考えてみました。

 

①核の利用で核爆弾が世界中を覆いボタン一つで人類が壊滅状態になります。

又、原発、原子力空母や潜水艦の事故が起きた場合にも地球全体に大きな被害をもたらします。

 

②地球上には多様な生物が生息しています。

地球上の生物の数は約175万種と言われてもいますが、実際には300万種~一億1100万種が生存しているとの推計もされています。これらの生物は、必ず他の生き物とのつながりの中で生存しているのです。

現在の人間活動によって引き起こされている種の絶滅は、過去とは比較にならない速度で起きていることが問題視されています。1600年~1900年には一年で0.25種だった生物種の絶滅速度は、1975年以降、一年に四万種と急激に上昇し続けているのです。

  

③ロシアのプーチンによるウクライナへの侵略戦争が長期に及んでいます。

その加害者でもあるロシアに中國と北朝鮮が武器などを送り協力しているのです。

更にテロ組織ハマスとイスラエルとの戦争も報復の繰り返しです。宗教戦争とも言えます。

 

④生成AI(人工知能)が人類の知能を上回り人間社会を支配する可能性があります。対話型AI「チャットGPT」がすでに人間の脳の数千倍の知識を蓄えられているのです。

自分たちより知能の高いデジタル的存在が人間社会を乗っ取るという実際に脅威に今まで経験のない人類はどう対処すべきか分からないのです。

 

⑤気象庁は2023年の天候について 日本の年平均気温および日本近海の平均海面水温は、いずれも統計開始以来、最も高い値になったと発表しました。

また、WMO(世界気象機関)でも、2023年の世界の平均気温が観測史上最も高かったと発表し注目を集めました。2023年は世界各地で異常高温が発生したほか、熱波や干ばつ、大規模な洪水、山火事などが多発。その影響を受けて農作物の不作が深刻化し、食料価格が高騰しました。

近年、産業活動が活発になり、二酸化炭素、メタン、さらにはフロン類などの温室効果ガスが大量に排出されて大気中の濃度が高まり熱の吸収が増えた結果、気温が上昇し始めています。これが地球温暖化です。

今世紀末までに3.3~5.7Cの上昇と予測されています。

今後、地球温暖化に伴う海水温の上昇による熱膨張と氷河などの融解によって、2100年までに海面が最大82センチ上昇すると予測されています。

 

⑥2022年11月国連は世界人口が80億人を超えたと発表しました。

今後も人口は増加傾向にあり、2037年には90億人、2080年代には104億人でピークを迎えると予想されています。

世界規模で問題視されていることは、食料不足と水不足です。

大げさなことではなく、世界の総人口が100億人を超える日が、必ずやってきます。つまり、早めに新しいエネルギー源を開発しておかないと、地球上にエネルギー源がなくなってしまう恐れがあるのです。

私たちが日常的に飲んでいる水ですが、水道水を浄化せずに飲める国は、わずか15カ国しかありません。

アジア圏内で浄化なしで水が飲める国は、日本とアラブ首長国連邦の二カ国だけだそうです。

今後は、いかに早く新しいエネルギー源を開発できるかが鍵となってくる事でしょう。

 

⑦精神障碍者と自殺者の急増が心配されます。日本の総人口は約1億2400万人であり、日本の自殺者数は毎年約二万二千人であるが、年間行方不明者数が約八万人とか、変死者数は毎年約十五万人とか約九万人であると言う。WHO(世界保健機関)の基準では、この変死者数の半数を自殺と判断しているため、飽くまで統計ですが、日本の年間自殺者数は約十万人以上ということになります。

世界各国の自殺率ランキングでは 日本は先進国(Gでトップなのです。経済優先、競争社会、ハイテク社会、ロボット社会においては人間疎外となり精神病患者が多くなり孤独から自殺者が急増しているのです。

  

⑧人類の幸せ感の共有と宗教統一が人類の精神的な心の支えとなり戦争のない世界平和につながります。

この問題が将来の人類にとって最も大切なテーマでもあります。

人間としての生き方が様々では、世界平和は何年経っても訪れないのです。

以上のような原因などから人類の将来が危機に瀕しているのです。

これらの原因を分析調査し人類に夢が持てるように一刻も早く打開策を嵩じなければ人類の将来は絶望の崖へと追いやられてしまうのです。

   

その先頭にたって世界をリードしなけれてばならないのが日本民族なのです。

 

世界は戦争の繰り返しで戦争が無くなる事がないようです。

どうしてなのでしょうか。

平和とは普く須らく皆が平等に世界を戦争のない世界にすることが出来るという意味ではないでしょうか。

先日、新聞に『政治と宗教を考えると政教分離はそれほど簡単な原理原則ではなさそうだ。

難しさは二月にスイスのイタリヤ語放送局が行ったのインタビューからも読み取れる。

教皇はロシアによるウクライナ侵略の終結に向けて両国に「白旗を掲げて交渉する勇気」を持つよう促した。

これに対してウクライナの駐バチカン大使は「誰がヒトラーに白旗を掲げることを考えただろうか」と強く反発したのだ。』さてこのような問題について世界の皆が積極的に平和の為に議論をしなさいというのが平和という言葉なのではないだろうか。

ロシアのウクライナ侵略戦争、テロ集団ハマスとイスラエルの戦争で多くの人が亡くなっています。

人の命は尊いとは言いますが何故尊いのかは世界的には共有する答えがないままに、只、尊いという所までで回答がないままになっているのです。

更に言えば「人間の真の幸せ」とは何かについても人類としての回答が得られていないのです。

人間には佛心が備わっているから尊いのです。

そして真の絶対的幸福者に妙好人という人がいる事を世界人類は知るべきです。

世界平和をもたらすにはまずは小さな和、話、輪、環、のグループをつくるべきです。

そのグループが結集して大きな和になり世界を平和に導くのです。

それが出来るのは大和民族なのです。

 

わたしという人間は世界には一人しかいません。

そして今までも、これからも生まれるはずがない命を賜って今、生きているのです。

それは世界人類の一人一人、全ての人間も生まれるはずのない人間として生まれてきたのです。

この事は不思議な事で有りえない事で驚きです。この事を「天上天下唯我独尊」というのでしょう。

先日、自転車に乗っていてバランスを崩し転んでしまいました。

幸い無事ではありましたが転んだ所に縁石でもあり頭でも打てば死んでしまっているのです。

たまたま縁が来なかったので生きていられるのです。

命は一瞬にしてこの世を去ってしまうのです。

森繫久彌が歌っている「ゴンドラの唄」があります。

吉井勇作詞・中山晋平作曲

 

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に

熱き血潮の 冷えぬ間に明日の月日は ないものを

 

いのち短し 恋せよ少女 いざ手をとりて 彼(か)の舟に

いざ燃ゆる頬を 君が頬に ここには誰れも 来ぬものを

 

いのち短し 恋せよ少女 波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に

君が柔手(やわて)を 我が肩に ここには人目も 無いものを

 

いのち短し 恋せよ少女 黒髪の色 褪せぬ間に

心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび 来ぬものを

 

この歌について追記的に次のような事が書かれていました。

 黒沢明監督の映画「生きる」のなかで、志村喬ふんする一市役所の市民課長が、この歌を幸せそうに歌うシーンがありました。

 彼、渡辺勘治は、30年間無欠勤という模範的な役人だったのですが、ある日、自分が胃ガンで余命幾ばくもないことを知らされます。 

早くに死に別れた妻との間にできた息子にも冷たくされ、絶望と孤独に陥った彼は、街にさまよい出て、飲みなれない酒を飲むのです。

ああ、自分の人生はいったい何だったのか?・・・。  かれは生きることの意味を考えはじめ、人生の最後の時間に、ほんの少しでも市民の役に立つことをしようと考えはじめます。

 住民の要望を死にものぐるいで実現し、かれの努力により児童公園が完成します。

そして小雪の舞う夜、完成したばかりの公園のブランコに揺られながら、彼はこの『ゴンドラの唄』を楽しげに歌うのです・・・・

命みじかし、の対処の方法は一生懸命に生きる事しかありません。

そしてお念仏を称える事です。

春日部の小渕の観音院の境内に花塚があります。

花の供養の為の、言わば墓なのです。

花の命と人間の命には違いはないはずです。

それを勝手に人間の命の方が貴いと思うのは人間の驕りではないだろうか。

ただ人間として生まれただけの事なのではないだろうか。

手のひらを太陽にという歌があります。

その歌詞の中に「手のひらを太陽にすかしてみれば、まっかに流れる、ぼくの血潮、ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんなみんな生きているんだ、ともだちなんだ」友達であり同じ命の生きものなのです、決して人間だけが特別に貴い命ではないはずです。

 

所が人間は神のカケラと称して人間以外の生きものをまるで人間の為にあるのだと殺し食べているのです。

そして感謝や恩の心も無くなってきているのです。

どの様な生きものも命は平等である、という事は真実なのではないでしょうか。

人間はこの事を誤魔化して、この世を我がもの顔で栄華を極めているのではないだろうか。

地球は一つなのです。

その地球の中で人間が他の生きものを殺し人間同志も殺し合っています。

本来は命あるものは平等なのです。

この事が人間が生きる上で最も大切な事として、根本として考えておかないと生きる事自体が問われるのではないだろうか。

他力によって我がある事を忘れてはならないと言う事なのでしょう。

アンパンマンを世に出す前の、やなせたかしさんの話ですが、冬の夜、卓上ライトにかざした手の指の隙間が赤く透け「真っ赤に流れる、ぼくの血潮」という言葉が頭に浮かんだ。

 

普段あまり気に留めない血液が元気に流れ、自分を励ましてくれている。

その発見が「手のひらを太陽に」の歌詞に結実したのだそうです。

連休は田植えの真っ最中です。

最近、疑問に思う事がありました。

最近の新型の田植え機は乗っていての運転で六~八条(列)を一気に植える機械です。

さて最後に例えば二条だけ残ってしまった場合にはどのようにして植え込むのかが疑問でした。

農家の知人に聞いた所、今まで植えてある所はふんずぶして隅まできれいに植えるのだそうです。

なるほどと合点がいきました。

さて何処かがおかしいのではないだろうか。

昔はお互いさまで、手伝いの人が三、四人が来て大きな物差しのようなものをずらしながら並んで手で植えたものです。

当然、綺麗に隅々まで苗を無駄にすることなく植えたものでした。

田植えが終えたころには美味しい牡丹餅を皆で戴いたものでした。

そして皆で喋りながら和が出来るのです。

 

この苗を無駄にしても平気であるという心が現代社会なのです。

経済優先、スピード優先、の社会が人間の心を単なる動物の世界へと追いやっているように思えるのです。

昔は子供の日には農家の家などでは大きな鯉のぼりの旗を立てたものでした。

最近では鯉のぼりの旗も子供の日の祝日の日の丸の旗も殆どみることがありません。

例えば駅前で国旗を掲げ「少年よ大志をいだけ」などの演説でもしようものなら誰かが精神異常者がいると連絡して救急車がきてしまう事でしょう。

現代社会は狂ってきています。

  

フランスの思想家トクウィルはデモクラシーは社会秩序にとって不可欠な公共精神を衰弱させるだけでなく物事を考える際の時間の幅を短期化すると指摘しています。

 

「いまの」「自分にとって」という観点を優先させる自己中心的な人間が生まれやすくなるというのです。

最近の衆議院の補欠選挙の投票率は過去最低でした。

日本国民の平和ボケとあいまって公共精神が衰弱しているのです。

休日は近くで何か催し物がないかと新聞を見ると、直ぐ近くの春日部小渕にある観音様で円空佛の拝観があるとの事で三日の日に自転車で行ってきました。

到着寸前にバランスを崩し転んでしまいました。

そろそろ心臓病を患ってからは危険だと思っていたのですがやはり自転車は無理のようです。

小渕山観音院は鎌倉時代の古刹で本山修験宗聖護院門跡の末寺で小渕山正賢寺と申します。

御本尊は正観音、応安二年(一三六九)住持玄通が書し縁起によれば、古き像なるべし。中興開山は尊慶と云、年代を知らず。」と記されている由緒ある古刹です。

 

この寺は、この地方の観音信仰の霊場としても有名で、家内安全、商売繁盛のほか、いぼ、こぶ、あざにご利益があるといわれれています。

毎年八月十日には、この日にお参りすると四萬六千日分のご利益が授けられると言われる祭があり、県内の山伏が参集して護摩修行を行い、近隣の善男善女が枝豆を奉納する祭礼がありまさす。

また、三月には、かって馬寄祭があり、農耕に住持した牛馬がいろいろな飾をして安全を祈願する祭りがありました。

本堂内には、木像の白馬が安置されています。

 

本尊「正観音像」には、その昔、洪水でこの地に流れ着き、一度はもとの寺へ戻したが、その後洪水でまたもこの寺に漂着したのでお堂を建てて安置したものといわれる伝説があります。

また、寺には、「毛の(もの)いへば 唇さむし 秋の風」と詠まれた芭蕉の句碑、市内唯一の楼門(仁王門)、七体の円空仏などがあります。

楼門は昭和四十七年に春日部市指定の有形文化財に指定されています。

円空は、江戸時代前期の修験僧・仏師・歌人。特に、各地に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られています。

円空は生涯に約十二万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5300体余りの像が発見されています。

生木を鉈 (なた) でたち割り背面は手を加えず前部半面に仏像や神像などを鉈、のみ、小刀によって荒彫りしたもので円空仏と称しています。

 

円空は、寛永九年(三九二年前の江戸後期)岐阜県郡上市に木地師の子として生まれたと伝えられています。

木地師とは、お椀などの木工品をつくる 職人のこと。

円空が木のことをよく知り、彫刻に生かしているのは幼いころから山で遊び、木に親しんできたからこそと考えられています。

 

円空は地元の粥川寺で経文や手習いを教わり、成長すると伊吹山や白山で山岳修行を学びました。

今から約760年前の鎌倉時代に開基して以来、60年に一度(丙午)の御出座しをされる御本尊様、聖観世音菩薩像(推定:飛鳥時代の木仏)の御開帳が、いよいよ二年後の令和八年に厳修する事となっています。