雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

最近、高市首相はじめ日本民族が世界から注目されています。

何故なのでしょうか。

その根底にあるのが日本民族の性格なのではないでしょうか。

その性格とは一口で言えば謙虚・慎ましい・さり気無い・などの言葉が当てはまるのではないでしょうか。

  

謙虚とは自分の能力や立場を誇示せず、他人を尊重しながら自分の限界や欠点も認めて学ぼうとする姿勢を指します。

自分を卑下することではなく、相手への敬意と自分への適切な評価のバランスが取れた状態の事です。

慎ましいとは行動や生活、態度が控えめで、贅沢や出しゃばりを避けるさまを表す言葉です。

 

性格や暮らしぶりに対して使われ、「慎ましい生活」「慎ましい人柄」のように、落ち着いた好ましい印象を与えることが多いのです。

そして、さり気無いとは「然り気無い」と書くのだそうです。

「そうである様子を表に出さない」「いかにもそうとは見せない」

「わざとらしくなく自然である。」「何気ない深い意図なく、特別ではない様子。」「自然で不自然さがなく、普通である様子。」というような意味の言葉です。

    

これらの言葉の根底が、お念仏を前提にしての言葉のようにも思えるのです。

それらの言葉には、「お蔭様」や「有り難う」という他や自然に対しての感謝の意味合いが深くかかわっているのです。

世界は今、個人主義で息詰っています。

   

権利を主張するのではなく感謝を生きがいとして生きている民族であるからして世界から注目されているのです。

世界にはそのような民族はいないからです。

日本民族よ、自信を持ち、甦り、羽ばたき人類の為に飛び周り役立とう。

 

ニチニチソウ(日々草、)は、キョウチクトウ科の一年草でニチニチカ(日日花)とも呼ばれます。

初夏から晩秋まで次々に花が咲くので、「日々草」というのだそうです。

古利根川の桜の木の下に、青い日日草の花が10輪程咲いていました。

パッと咲いてパッと散る桜の木の下に日日草の花が咲いているとは何か因縁めいた意味があるように思えたのです。

一日一日を大切にして生き抜こうというような想いを伝えてくれるのです。

わたしは79歳になりました。

日本人の男性の平均寿命は男性が81.09年、女性が87.14年で世界最高水準を誇っているのだそうです。

女性の約2人に1人が90歳まで生きる時代を迎えています。

さてわたしが平均寿命まで生きたとすると後、895日で旅立つことになります。

時は刻々と過ぎ去っていきます。

   

先日、カラオケ屋さんの営業さんが来社されました。

弊社で仲介したスナックのママさんが2ヶ月で止めたいとの事での連絡がきていたので、それに付随してのカラオケの話なのです。ママさんは射抜きで次にやる人を見つけると言っていますのでカラオケ屋さんも継続してやりたい人を見つけるとの話でした。

その時に話が出たのが「空のオーケストラ」カラオケの言葉についてでした。

カラオケという言葉は空とオーケストラの合体言葉で45年位前に出来た日本がつくり出した言葉です。

空は仏教でいう空で万物は空であるという深い意味があり、オーケストラは指揮者の元に演奏者が曲を合わせ和してこそ音楽となるのです。

舞台での演奏者たちは半円を描くように並び演奏します。

輪となり皆と一緒に共同してオーケストラとしての音楽を奏でるのです。

古賀政男さんが「音楽和也」という言葉を残されました。

正に音楽は和を楽しむ日本の為の音楽のようです。

日本の歌と言えば日本の歌は大きく見ると、伝統系(雅楽・声明・民謡・童謡・わらべうた)、芸能系(長唄・浄瑠璃・端唄・小唄など)、近代以降の歌謡(唱歌・軍歌・歌謡曲・演歌)、現代のポピュラー音楽(J-POP・ロック・アニソンなど)*といった種類に分けられます。

  

更に広い意味では俳句「五七五季語」や短歌(五七五七七)も歌なのです。

カラオケの営業さんに言ったのですが日本発祥の「空とオーケストラ」の意味合いを大切にして日本を盛り上げるような発想を研究して日本を甦らせて欲しい旨を伝えました。

人生は苦の娑婆と申しますが、もう少し整理整頓して生きられないものでしょうか。

未熟者のわたしは、もやもや、どろどろの中を這いずり回って生きています。

もがけば、もがくほど泥の中に吸い込まれて身動きが出来なくなるような気がしてなりません。

人間に生まれてやはり行き着く所を明確に押えておかなければならない気がしてならないのです。

わたしは妙好人になる事が最終人生の到達点であり、これが本望であると思っています。

これを最終の目標として素直に純真に単純化して生きられれば良いのです。

一心一向にまっしぐらに、他に寄り道する事なく進めば良いのです。

 

到達目標である妙好人になる為の工程を素直に単純化すればよいのです。

それにはお念仏の浄土を習慣化する事でありそれが修行でもあるのでしょう。

心の底からの、お念仏を習慣化するには如何にしたならば自覚することができるようになれるのでしょうか。

  

夜やすむ前に阿弥陀仏を思い浮かべる観想念仏(目をとじて-仏の姿や浄土の様子を心に思い描くこと)そして称名念仏(声を出して念仏を称える事)の二つを同時に実践してみましょう。

わたしのお念仏は一回に三度の念仏であるから、それを10回で計30回のお念仏になります。

此れを必ず毎日寝る前に繰り返す事です。

       

そして終っならば「有難ございました」と合掌してやすむのです。

正に浄土とはこの時の中にあるのでしょう。

人類の歴史は戦争の繰り返しの中にある、とも言えます。

ウクライナのロシアの侵略戦争、テロ国家イランへのイスラエルとアメリカの爆撃、ベネズエラの大統領の拘束など戦争が絶える事なく起きています。

世界で最も恐ろしいのはテロ集団です。

例えばですがテロ集団が日本の原発に対してドローン500発を撃ち込んできたならば一瞬の内に日本が世界から消滅してしまうのです。

平和ボケしている場合ではないのです。

北朝鮮の金正恩が、気が狂ってミサイル一発の発射ボタンを押したならば世界が死の地球と化してしまうのです。

そんな世界において大変なことが起こったのです。

それは日本において完成したレーザーシステム兵器なのです。

敗戦によって防衛のみの研究しかできなかった日本が、アメリカが断念したレーザーシステムを完成させ実用化してしまったのです。

飛行物体をマッハで瞬時に撃ち落とす事が出来のです。

ドローン500発が飛んできても4分で壊滅する事が出来るというのです。

当然、飛行機なども即、撃ち落とせます。核兵器は核のバランスによって戦禍に至らずにいます。

このレーザーシステムによって日本の防衛は可能となり世界から戦争が無くなるのではないかと思ったのです。

だがしかしそのレーザーシステムがテロ集団に渡ったならば核のバランスどころではない恐ろしい世界が待ち受けているようにも思えるのです。

以下、ネットでの説明の一部です。

装備庁は、試験艦「あすか」に搭載する「電気駆動型高出力レーザーシステム」の性能確認試験に向け、専門的な技術支援を行う企業の募集を開始しました。この試験は、日本のレーザーシステム開発が次のステージへ進むことを示す重要な取り組みとなり

電気駆動型高出力レーザーシステムについて防衛装備庁防衛装備庁が発表した研究資料によると、高出力レーザーには次のような利点があるとされています。

電源が続く限り弾切れがない「無限弾」システム

迎撃コストは電気代のみで極めて低コスト

小型無人機(ドローン)や迫撃砲弾に対応可能

将来的にはミサイル迎撃への応用も視野に入る

こうした特徴から、レーザー兵器は現代の防空における「ゲームチェンジャー」として注目されています。

日本はすでに50kW級レーザーの照射試験や目標物の破壊試験に成功しており、レーザー兵器としての基礎的な成立性を確認している、とのことです。

近年では、国産の10kW級ファイバーレーザーを10本結合させ、総出力100kWのレーザーシステム を構築する試作開発にも成功しています。

この装置は令和5年に完成し、地上に設置した迫撃砲弾をレーザーで加熱し、内部の火薬を誘爆させる実験にも成功しているのです。

防衛装備庁によると、地上での破壊実験を経て、試験艦「あすか」での実証に移行することで、日本はレーザーシステムの実用化に向けた大きな一歩を踏み出します。

海上での試験では、以下のような要素が検証されます。

船体の揺れの中で高精度に目標を追尾できるか塩害や湿度など、海上特有の厳しい環境への耐性艦艇搭載システムとしての小型化・安定化の評価これらは、実戦配備に向けて避けて通れない重要な検証です。

今後、200〜500kW級へとシステムが強化されれば、巡航ミサイルや高速無人機など、より高度な脅威への対応も可能になると期待されています。

今回の海上試験は、そのロードマップの中でも特に重要な節目となります。

無人機攻撃が増える現代において、レーザー兵器は新しい防空の形を切り開く技術として位置づけられるでしょう。

レーザーシステムは宇宙のデブリ除去にも応用可能に?

高出力レーザー技術は、防空分野だけでなく、宇宙空間で深刻化する「スペースデブリ問題」の解決に向けても有望な手段として注目されています。

現在、地球の周囲には人工衛星やロケットの残骸といったデブリが数百万個以上存在するとされ、その一部は秒速7〜8kmで飛行しているため、衛星や宇宙ステーションにとって重大な衝突リスクとなっています。

そこで、軌道上にレーザー衛星を配置し、デブリに接近して照射する方式が注目されています。

強力なレーザーでデブリの軌道を確実に変えることで、最終的には地球の大気圏に突入して燃え尽きるような軌道に移動させることが目的です。

そのため、高出力レーザーは、ドローン迎撃などの防衛分野だけでなく、宇宙空間の掃除を行う新しいインフラ技術 としても期待されているのです。

皆さんは、急速に進む「レーザー技術」への取り組みをどのように捉えますか?ぜひコメントお待ちしています。

一機が5万程度で製造されているドローンで飽和攻撃して来ても、陸、海それぞれ沿岸部に設置し、1発精々100円程度での電力があるだけ打ち続けられる。

スパイ防止法を早く 法整備して技術が盗まれないようにしないといけない。

レールガン レーザー兵器の実用化を急務。コンピューター シュミレーション上の核爆弾の実験とを成功させ、また 、衛星軌道に打ち上げるミサイル、潜水艦から直接打ち上げるミサイルなどの技術開発。

電力としての核を兵器としての転用がすぐさま行える 術などを確立させ、製造する気になればいつでも製造できるということを世界に認識させ 抑止をさせないとダメだ。

核兵器は製造して保管するものではなく、直ぐ製造できる段階に準備できるようにしとけば問題ないわけで、いつでも 量産できるぞ !世界に対して示せば抑止力となるだろう。

潜水艦発射型の発射装置を組み込んだ潜水艦を建造し、いつでもそのミサイルを積める 潜水艦も数隻建造するべきである。

日本の場合、 日本から仕掛けることは絶対にないので、相手国は仕掛けてこなければ戦争にならない構図が出来上がる。

素晴らしい!5万程度で製造されているドローンで飽和攻撃して来ても、陸、海それぞれ沿岸部に設置し、1発精々100円程度で電力あるだけ打ち続けられる。

近代戦では運用時コストがカギとなる。

 

戦闘機エンジンも高出力高性能だけではなく、高効率で省エネが最大の武器となる。

レールガンは消耗するが、高出力レーザーは連続も耐久性も十分だ。

半導体半減期は7年もある。

敵の攻撃コストの100分の1以下と言う最大メリットがレーザーシステムにはあるのだ。

電源についても三菱重工はマイクロ炉原子力発電をすでに完成させており、大型トラックに積載可能なサイズとなっている。

これは原子力の平和利用であり、兵器、装備だけではなく、離島などでの電力確保などの利用も出来る。

現在はまだ100kw級だが、すでに100倍化等の研究は世界に先駆けて日本が先行している。

 

人間にとって大切な事は、己が極悪深重の凡夫である事の自覚です。

人間は食欲無くしては生きている事は出来ません。

この食欲から己が極悪深重の身であるという事を分からせる方法があります。

それは料理をつくるときの使う俎板(まないた)にヒントがあるのです。

俎板は魚を捌き、肉を切り、菜を刻み、多くの生きものの命を奪う土台板です。

この俎板を使わざるを得ない人間の業を自覚する為に台所に「南無阿弥陀仏の俎板」という言葉を書いておくのです。

貴方は多くの命を奪う権利があるほど尊い人間ですか、と問われたならば殆どの人は自信がないのではないでしょうか。

人間は生きている限りは殺生の重犯罪者なのです。

そしてその罪は許されるはずのない重罪なのです。

誰でもが極悪深重の悪人です。

 

この重犯罪者の身である事の自覚が阿弥陀仏の回向により甦り浄土に生まれるための最も大切な要因なのです。

昨日は人類にとって最も大切なお祝いの日であり、という感謝の日でもある、お釈迦様の誕生の日です。

人類にとって、お釈迦様がこの世にお生まれになられなければ、人類は永遠に地球地獄と化したことでしょう。

お釈迦様の人類に対しての究極のプレゼントは何なのでしょうか。

お釈迦様の教えの相続によって究極的に到達した教えは浄土教の阿弥陀仏の信心と悪人の自覚の二つの事だと思えるのです。

この項目の二つの習得が人間の目的である「究極の真の幸せ」であることを明確にして下さっているのです。

歎異抄の冒頭の言葉に信心と悪人の自覚についての二つの教えが説かれています。

これが人生の決め手の教えなのです。

 「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐる なりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなわ ち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少・ 善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。そのゆゑ は、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑにと云々。

 

信心はどの様にして習得する事が出来るのでしょうか。

信心は阿弥陀様が授けて下さると言われています。

幾ら私の心を預かって下さい、お任せしますと言っても阿弥陀様が受け取って下さらなければ信心は得られません。

要は阿弥陀様の教えを聞き続ける事、泣き続ける事、その中から信心が生まれるのではないだろうか。

今日はお釈迦様が、お生まれになられた日であり花祭りの日です。

今生において一番おめでたい日なのです。

 

クリスマスには大騒ぎするのに何故、お釈迦様の誕生日は静かなのでしょうか、噂にもなりません。

所でわたしの法名は「釈直来」と申します。

 

「お釈迦様が直ちに来る」という素晴らしい法名で罰当たりな己には勿体なさすぎる法名なのです。

今から二十二年前に坂東市にある古刹の浄土真宗大谷派の妙安寺さんで「おかみそり」と言う帰敬式で得度を行い戴いた法名なのです。

そして阿弥陀仏のお弟子にならせて戴いているという事になっているのです。

そんな勿体ない法名を戴いているのですが、その域に達する事が出来ずに迷っています。

所で人生の完成という言葉や人生の仕上げという言葉は余り聞いた事がありません。

仏教においては涅槃、往生、成仏などの言葉があります。

   

難しく結論の出来ないようなテーマであるので「人生の仕上げ」などという言葉がないのでしょう。人生において死後の人生はあるのであろうか。

わたしには分かりません。

であるならばやはり生きている内に人生を仕上げておきたいという事になるのではないでしょうか。

このことこそが人生の本望ではないでしょうか。

自分で人生を仕上げたと思えるような己になって旅立ちたいものです。

それには人生の完成目標を明確にしなければなりません。

その目標とは妙好人になる事なのです。

   

妙好人とは絶対的な幸福者のことです。

この妙好人になる為には、「お念仏の信心」しかないのです。

この信心を習慣化させる事なのです。

継続から信心が生まれるのではないでしょうか。

  

そのお念仏の習慣化については次回に掲載致します。

 

駅前の掃除をしていると桜の花びらが、所々に落ちていました。

近くには桜の木もないのに何処から飛んできたのだろうか。

散りゆく時も一人で、一枚の花弁となって親である木から別れ同じ一房の兄妹たちの花びらとも別れ、風に吹かれて分かれ逝く、

されど寂しいとは言わない。

見事な花びらたちである。

春日部の浜川戸当たりの街路樹に枝垂れ桜が植えられています。

殆どの木が枯れてしまうような貧弱な見るに堪えないような木です。

発想はいいのですが桜を街路樹として植える事自体が間違っているのではないだろうか。

街路樹として推奨できるような木を植えるべきです。

    

一日の新聞に「物にも声をかける」という記事が載っていました。

「娘は幼い頃、道具などにも友人のように話しかけていた。

幼稚園の卒業式、通園バスのヘットライトをなで、『ありがとう。

これからも安全運転でお願いします』と小さな声で言っていた姿が忘れられない。

公園の滑り台の支柱に頭をぶつけたときには、涙を浮かべ、『痛くしてごめんね』と支柱に謝った。

成長した娘は今、物に語りかけることはなくなったが、物を大切に扱う姿を見ると、幼い頃の世界が、何処かに残っているのかも知れない。あの頃の娘を思い出す、私たち大人が忘れてしまった気持ちをふと取り戻せたような気がする。」

会社員 菊池 竜治 50 墨田区

     

アメリカの35代、大統領のケネディーの就任演説に「国が諸君に何をしてくれるかを問うな。

諸君が国に対して何が出来るかを問え」という有名な言葉があります。

国や社会に対して何もやっていない己はこの言葉を聞いて身震いするように己に対して嫌悪感を覚えてしまいました。

只、生かされて生きているだけで何等、報いようともしないで生きているからです。

罰があたるのが当たり前のように思えてなりません。

権利と義務という言葉がありますが、己には権利など微塵もない悪人なのです。

もしかすると死ぬ時には悶え苦しみ七転八倒して地獄行であると覚悟していれば間違いないとも思えるのです。

故にそのように哀れな人間を救うために阿弥陀様があらわれてくださったのです。

正信偈に「極重悪人唯称佛」(極めつけの悪人は、ただ、御佛の名を称えるがよい)

「正定之因唯信心」(真実に生きて往く方向が定まるその原因は、唯、誓願を信じるにあるのです。)と教えてくださっています。