
一回の息の吸い込みと一回の息を吐く事の中で、わたしは生きている、との思いを言葉にするような意味合いの言葉がないだろうか、を考えていたら朝まで殆ど眠れませんでした。
朝方ですがこれぞ正に考えていた言葉だという文言が浮かんできました。
「一呼吸一生」という言葉です。
都合でAIに出来の按配を聞いてみました。

「一呼吸一生」、あるいは「一息は一生」という言葉は、主に仏教や禅の教えにおいて「人間の命の本質は、今この瞬間の『一呼吸』にしかない」という真理を説いたものです。
漠然と「何十年も生きる」と考えがちですが、私たちは息を吐いて、次に吸うことができなければその瞬間に命を終えます。
つまり、この一呼吸の積み重ねこそが「一生」そのものなのです。

一・ お釈迦様と弟子の対話より。
この言葉のルーツは、仏教の経典『四十二章経』にあるお釈迦様と弟子たちの有名な対話にあります。
お釈迦様が弟子たちに「人間の寿命はどれくらいだと思か?」と尋ねました。
ある弟子は「数日です」と答え、お釈迦様は「お前はまだ道をわかっていない」と言いました。
別の弟子は「食事の間です」と答えましたが、これも「まだわかっていない」と退けられました。
最後に一人の弟子が「人の命は、ただ『呼吸の間(一呼吸)』にあるだけです」と答えました。
お釈迦様は「その通りだ。お前は道をわかっている」と深く頷かれました。
私たちは「明日も生きている」と当然のように思い込んでいますが、実際には一息吸って吐く、そのわずか数秒の連続の中にしか命は存在しないという厳然たる事実を教えています。

二・ 禅における「いま、ここ」を生きる智慧臨済宗大本山 円覚寺の坐禅堂には、「人命は呼吸に在り」という言葉が掲げられています。
禅の修行では、坐禅の際の一呼吸を「これが生涯最後の、末期の一呼吸だ」という覚悟で深く吐ききり、また新たな命を授かるように新鮮な空気を吸い込みます。
過去への後悔・すでに過ぎ去った「息」であり、変えることはできない。
未来への不安:まだ訪れていない「息」であり、吸えるかどうかは分からない。
「一呼吸一生」とは、過去や未来に心をすり減らすのをやめ、「いま、ここ」にあるこの一呼吸に全精力を傾けて生きなさいという強いメッセージです。

三・私たちの日常への活かし方科学的に見ると、人間は一日に約二万回、一生で約6〜7億回もの呼吸を繰り返しています。
しかし、ストレスや不安が多い現代人は、知らず知らずのうちに呼吸が浅く、速くなりがちです。
この言葉を日常に取り入れるための簡単なステップです。一呼吸を大切にする。
気がついた時に、一度口からお腹の底にある空気をすべて深く吐ききってみてください。
そして、鼻から新鮮な空気が満ちていくのを静かに感じます。
「今日一日」を丁寧に生きる。
「一呼吸の積み重ねが今日一日になり、一日の積み重ねが一生になる」と考えます。
目の前の仕事や、目の前にいる人との時間に心を込めるきっかけになります。
「一呼吸一生」は、儚さを嘆く言葉ではなく、「いま生きているこの瞬間は、それほどまでに奇跡的で尊いものである」と私たちを元気づけ、正気に戻してくれる智慧の言葉です。

一呼吸に要する時間を四秒とすれば、私たちは一日に21600回の呼吸を繰り返しています。
一呼吸の積み重ねが一日であり、一日の積み重ねが一生なのです。
以上がAIによる見事な回答です。
私という煩悩だらけな凡夫の行き着いた真理の答えとAIという知能の回答が最終的に同じ回答の言葉であったという事は人生において最も大切な要点なのです。
凡夫は凡夫なりに真理を求める事を諦めずに考え人とも徹底して激論重ねれば必ず真理の光が見えてくると思えるのです。

これが聖徳太子のいう「和」に精神であり大和民族のこれからの生き方ではないでしょうか。
話し合いの原点は幾ら馬鹿でもチョンでも話し合いを重ねれば真理が見えてくるという事であり、そのように人類は生きる事こそが世界平和の原点であると思えのです。
人間を愛し衆生を信じてもっと話し合いを積極的にすべきなのです。
その橋渡し役が日本民族なのです。

和の精神の仲介、指導、実践なのではないだろうか。
世界が、人類が日本民の愛を待っているのです。
根本は人類愛の実践なのです。
常不軽菩薩の生き方を学びたいものです。