感動日記 四三三七 幸せの涙 令和六年九月十七日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

暫く前ですが、ある雑誌に「幸せって何だろう・意地を張ってでも好きなことを選択する。

それが幸せの原点。」という記事が載っていました。

一般的にはそのような事になるのでしょう。

あなたの幸とは何ですか、との質問があった時、あなたなら何と答えるのでしょうか。

果たして好きな事を成し遂げる事が幸せなのでしょうか。

質問の「幸せって何だろう」の幸せの中に当然、答えがあるのです。人は幸せとは何かを知ろうともせず、求めようともせず、知らないで生きているようです。教育でも鮮明には教えない、だから分からないで、好きな事をやること、というような答えになってしまうのです。

人は可愛そうな悲しいドラマなどを見ると涙を流す事があります。本などを読んで感動する時にも涙が出る事もあります。

涙には嬉し涙、悔し涙、孤独の涙、喜びの涙、悲しい涙、切ない涙、苦しい涙、赤ちゃんが泣く時の涙、法悦の涙、など様々です。本能と煩悩からの涙と精神的純粋性からの涙とがあるように思われるのです。

この精神的純粋性から涙が出てくる時の感動こそが幸せの絶頂ではないでしょうか。

精神的純粋性とは今命有る事に対しての感謝の心が伴っていなければ決して幸せにはなれないのです。

感謝の心が充満した時、そして佛さまに信じられていることを信じた時、人生の真の幸せが得られるのではないでしょうか。

幸せとは勝利することだ、という動物的な欲望達成の成就を人間の幸せだとの考えを聞いた事がありますが余りにも人間を断片的にとらえた浅はかな考えのようで悲しくなってしまいます。