感動日記 四二〇八 利己人間と利他人間 令和六年五月十三日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

利益優先で大きくなったビックモーターが不正まで働き事実上倒産しました。

利益追求を優先するような会社は度を超すと倒産してしまいます。

如何にしたらお客様に喜んで戴けるかを優先して考え、その商品やサービスにみあった価格を提示するような会社は繁栄しています。

己の欲望を優先して生きている人と他の人に喜びを与えてそれを喜びとするような人の割合はどれ位の比率であろうか。

伝教大師最澄の言葉に「忘己利他」(己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり)という言葉です。

中々そのように生きられないからの言葉なのでしょう。

利己中心的な人で魅力的な人はまずいない事でしょう。

特に威張っているような人は人間のクズです。

どんなに偉い人であろうとも威張ったならクズ人間なのです。

人間とは何者であろうか、から始まって人間にとって最も大切な事、心は何かを考え実行する事が自然の法則にかなっている事でしょう。

日本語には多くの人間の生き方の基本になるような言葉が多くあります。

何よりも大切な事は広くは「有難う」の感謝の心ではないでしょうか。

言うは難しで人間にとってこれほど自らの自覚を求めている言葉はありません。

その言葉の深みは「サンキュー」などの軽い言葉とはかけ離れているのです。

先日、外国人が無断駐車したので注意した所、アイムソーリーと言って両手を持ち上げていましたが、どうも英語には言葉の深みがないように感じます。

次が「勿体ない」というへりくだった懺悔的な言葉であろう。

ものを大切にすることは地球に対する自然に対する心構えにも繋がります。

人間とは考える葦であるとはフランスの思想家、パスカルの「 パンセ 」の言葉です。

   

人間というのは弱い面もたくさん持って いるが、「考える」という働きがあるから偉大であるというのです。

世の中には考える人と殆ど余り考えないで時の流れるままに、そして自己中心的に生きています。

ほぼ、70パーセント位の人がそのような生き方の人ではないでしょうか。

そのような人を世の中を幾らかでもよくしよう美しくしよう、幸せにしようと思ったなら何をすべきなのでしょうか。

やはり教育なり思想の啓蒙という以外にはないのでしょう。

世襲の政治家や僧侶が問題になっています。何故なのでしょうか。

世襲で引き継いだ政治家や僧侶には初心が乏しいからではないでしょうか。

なる時の心構えが違ってくるのです。