人類を悲観的に考える人が多くなっているのではないでしょうか。
少年よ大志を抱けなどと言えない時代のようです。
人間も動物です。直感的に自然災害を含め肌で人類の危うさを感じ取っているからの悲観論ではないだろうか。
このような人類の将来を明るい方向に向かうようにするにはどのようにしたなら良いのかを考えた結果が仮称、道求会という小グループの全国的な集団の設立です。
このような事を考え実行しない限りは人類の将来は危機に瀕し人類が絶滅してしまうかも知れません。
この和を基本にした小グループが世界のコロナのように移り拡大していくにはどのようにしたならばいいのでしょうか。又、多人数だとお互いに心底からの意見が聞けず結論も出ないでしょうから小グループの人数は十人位までが望ましいのではないかと思われます。
それには保守系の地方議員さんに相談することが望ましいと思われます。
それには道求会のこれはと驚き感動するよいうな趣意書的なものを作成しなければなりません。
世界人類が自らの繁栄と欲望の為に人類の将来を危機的な状況に追い込んでしまっています。
それには多くの原因があります。
そのような原因が重なり交わりながら人類を苦しめているのです。
人類にとって最も大切な事はお互いを認めあい愛し合う慈悲の心です。
その心から人類にとって生きる道は「和」の心であり導きなのです。
和とは妥協ではなく徹底的な話し合いという意味です。
現代社会において最も欠けていることは実は話し合いの欠如なのです。「和を以て貴しとなす」の心なのです。
先日、新聞に次のような文章が載っていました。
「同年配の人たちが集まる会合で、昼食に弁当が出た。
蓋をあけ、まず蓋の裏に付いたご飯粒を食べる人が何人かいた。
それを見て、誰かが「育った時代が分かるよな」と言って笑った。(余市町渡辺和夫)
この弁当箱の蓋についたご飯粒を勿体ないとして食べるか食べないかが人類の将来の生存をうらなう上のキーワードになるように思えてなりません。
その理由は果たして何なのでしょうか。
其のあたりから話し合いのテーマにしては如何でしょうか。
もう一つの疑問がありました。
四月から五月の連休にかけて田植えが行われました。
田植えが終えた田圃には稲の苗が隙間なく田圃の淵まで綺麗に植えられているのです。
最近の田植え機は乗る事が出来て6畝(うね)列も苗を植えることが出来ます。
はじから植えてきて後3列が残った場合の植え方はどの様にするかを考えていましたが分かりませんでした。
やむなく知り合いの農家の奥さんに聞きました。
すると何と今迄に植えた畝(うね)列を踏んずけて残りの列を植えるのだそうです。
今までに植え込んだ畝の苗が勿体ないなど考えないのです。
田植え機のスピードと一人の孤独での田植え作業なのです。
昔は近所のおばさんたちが助け合って数人並んで手作業で隅々まで綺麗に植えたものです。
そして田植えが終わった頃には牡丹餅とタクアンを食べながら皆で喋って意思疎通をしていたものです。
この今と昔の田植えの一つを考えてみても人間社会が精神性が乏しくなってきた証拠であり将来の人類社会が危ぶまれるのです。
四月は卯月と申します。
同業の農家の家の庭先にややピンクがかったタニウツギが咲いているのを見つけました。
卯の花は「ウツギ」という樹木の花で、濃い緑の葉に白い清楚な花をつけます。
茎が中空なので「空木うつぎ」であるとか、卯月(四月)に咲くから「卯つ木」とか、語源説は様々あるようです。
唱歌に『夏は来ぬ』という歌がありそのはじまりが「卯の花の匂う垣根に、時鳥早も来鳴きて」とあります。
卯の花を愛でる余裕などない社会が果たして幸せなのであろうか。皆で話し合ってみましょう。
さて人類を救う会「道求会」の設立は如何すればできるでしょうか。