感動日記 四二〇二 子供の日に思う 令和六年五月七日 | 雨にも負けず菩薩道

雨にも負けず菩薩道

菩薩の心で人生を生きる。

連休は田植えの真っ最中です。

最近、疑問に思う事がありました。

最近の新型の田植え機は乗っていての運転で六~八条(列)を一気に植える機械です。

さて最後に例えば二条だけ残ってしまった場合にはどのようにして植え込むのかが疑問でした。

農家の知人に聞いた所、今まで植えてある所はふんずぶして隅まできれいに植えるのだそうです。

なるほどと合点がいきました。

さて何処かがおかしいのではないだろうか。

昔はお互いさまで、手伝いの人が三、四人が来て大きな物差しのようなものをずらしながら並んで手で植えたものです。

当然、綺麗に隅々まで苗を無駄にすることなく植えたものでした。

田植えが終えたころには美味しい牡丹餅を皆で戴いたものでした。

そして皆で喋りながら和が出来るのです。

 

この苗を無駄にしても平気であるという心が現代社会なのです。

経済優先、スピード優先、の社会が人間の心を単なる動物の世界へと追いやっているように思えるのです。

昔は子供の日には農家の家などでは大きな鯉のぼりの旗を立てたものでした。

最近では鯉のぼりの旗も子供の日の祝日の日の丸の旗も殆どみることがありません。

例えば駅前で国旗を掲げ「少年よ大志をいだけ」などの演説でもしようものなら誰かが精神異常者がいると連絡して救急車がきてしまう事でしょう。

現代社会は狂ってきています。

  

フランスの思想家トクウィルはデモクラシーは社会秩序にとって不可欠な公共精神を衰弱させるだけでなく物事を考える際の時間の幅を短期化すると指摘しています。

 

「いまの」「自分にとって」という観点を優先させる自己中心的な人間が生まれやすくなるというのです。

最近の衆議院の補欠選挙の投票率は過去最低でした。

日本国民の平和ボケとあいまって公共精神が衰弱しているのです。