その人がどんなことを経験しても、何をやろうとすべてバーチャルです。夢の中の夢なのです。そのように思うと人の気持ちは楽になるのです。「起きて来ることがすべて現実だ」と思うから泣きわめくのです。本当に存在するのは、実在の法ではなく、実存の法のみです。これが大事です。
実在はVRですから、すべて消えてしまいますが、実存は消えません。どんなことをやっても消えないのが、実存の法です。人間は実存を求めています。消えない永遠の世界を求めて、「何が実存の世界なのか」ということを探求したのが仏教です。
我々が見たり聞いたりしていることは、すべてVRです。「では、何が存在しているのか?」ということです。これを探求したのが仏教です。「どの御本尊が実在か」という話ではありません。
*
手で触り、確認できるもの。
女性の肌や金塊、株券
手離したくない
この変わらない法、実存の法のことを天台大師は「一念三千」と言ったのです。この一念三千の前に説かれた法門が、般若心境の「空(くう)」です。「空(くう)」とは何かというと、「すべてVRだ」と言っているのです。
*
自分の1つの念(おもい)が、三千世界(あらゆる世界)に通じる。
高い天国、低い天国、聖霊界、浅い地獄、深い地獄
生前の思いと行いと結果(影響)の積み重ねが、死後に往く世界を決める。
法則であり、自分の存在とは何かの法
当時の人々には、「バーチャル」という観念は難しいことです。「現実はすべてVRです」ということを教えるために「空」と言ったので
す。「これは私の実存だ」としがみついているものはすべて空なのです。すべて消えてしまうのです。今、たまたま感じているだけで、10年先にはもうありま せん。今ある現実もすべて空です。般若心経は空を説いた教えです。
それから天台大師が出てきたのです。空は実存を説いていません。「この世のものはすべて空だ」と教えているのです。「空の奥には一体何があるのか?」と天台大師はそれを取り出して一念三千と証明したのです。
我々が考えている一念というものは、何事であっても三千が実数なのです。一念はVRです。「その奥に三千の実存があるのだ」と教えるのが一念三千です。
三千という実数は犬、猫、草、木、人間、みんな実存が現れたものです。「実存とは何か?」というと、三千が一念心として現れているだけです。その奥にあるものは、三千という実存です。これで仏法は完成するのです。
*
人間も高い天国~深い地獄までの思いの段階がある。
同じ人でも状況や時間帯によって変わる。
あと、犬とか猫とか、トらや、シマウマ、蛇とかワニとか。
昆虫も含めて、肉食系や草食系いろいろ。
細菌(まがつかみ)や宇宙人(異形の者)も加えたら、無限のヴァージョン
老子から見れば「すべてタオの働きやあらわれ」
差異はない。
川に住む魚から見たら、絶世の美女も「とって食う怪物」
荘子に書いてあったか。