日常を愛で彩るあなたへ

 

 

誰もが認める不幸な状況 から、 誰もが認める幸せな状況虹に、

 

みごとに現実をシフトさせることができた時、

 

 

その”ふり幅”は、

その人のキョーレツな魅力となり、武器となり、かけがえのない財産になります。

 

 

私の身近にも、その”ふり幅”の素晴らしい方がいらっしゃいまして・・・

 

自己肯定感を一切育めないような家庭で生まれ育ちながらも、

血のにじむような努力で、自分と必死に向き合い、愛し、受け入れていく作業を繰り返し、

今までに味わったことのないような、愛と幸せを手にされた方がいらっしゃいます。

 

私もその仕上げとして?

最後の方にチョロっと、「予祝セッション」という形で関わらせてもらったので、

彼女が今手にされている幸せを本当に嬉しく思ってるし、祝福の気持ちでいっぱいですおねがい

 

 

と同時に、

 

私では絶対無理だな、、と思うことをやり遂げられた彼女に対して、

 

心からの敬意と、尊敬と、称賛と、感動を覚えます。

 

 

 

私には到底無理だぁ笑い泣き

 

だからといって、わたしは、自分を卑下する気もさらさらありませんよ♪

 

 

そもそも、全く違うものについて、”比べる”ことって、完全に意味不明なのです。

 

 

 

「こちらの超高級外車と、こちらの超高性能システムキッチン

 

果たしてどちらの方が、すごくて、役に立つでしょ~か!」

 

 

っていう問題と同じくらい、的外れな愚問です。

 

 

そもそも、”物”が違うでしょ!って話。

 

使う目的も、欲しい人も、何もかも違う。

別ものだから、同じ土俵に立たないよね!

 

 

これだけ別物感があるのは、なにも

 

「わたし」 VS  「彼女」 の場合だけではありません。

 

 

「わたし」 VS  「世の中の全ての人」に、このことが当てはまるんです。

 

 

仲良しの友達であっても、自分の遺伝子が入ってる我が子であっても、

 

「人」 VS  「人」 は、

 

いつだって、

 

超高級外車」 VS 「超高性能システムキッチン」です。

 

 

車には車の、キッチンにはキッチンの役目がある。

 

 

例え同じ職業、同じ立場の人であっても、

 

育った環境も違えば、人生の前提も違う、

何に喜ぶかも、どう生きたいかも全く違うんです。

 

「人と和気あいあい色んな物を分かち合うことができてこそ、人生最大の喜びである」

と、感じる人もいれば、

 

「一人で過ごす時間にこそ、人生最大の喜びがある」

と、感じる人もいます。

 

何を豊かだと感じるかも、

何を幸せだと感じるかも、

 

本当にみんな違うの。

 

 

だからね、こうなるんだよ。

 

 

「あなたのエンジンは、力強くて音もカッコイイ!

ボディーも最高にクールで、ゴージャス!

本当に素敵ですねラブ

 

 

「ありがとう!

あなたの方こそ、最高にエレガントだし

ゆったりとしていて、とても使いやすい設計で、高級感に溢れていて、

本当に素敵ですよラブ

 

 

「ほんと?ありがとう!」

 

 

わ~いキラキラわ~いキラキラ

 

 

あ!誰か来たよ?

 

 

「こんにちは!わたし、超高性能加湿器です!よろしくね♪」

 

「いらっしゃ~い❤」

 

「はじめまして!わたしは超高級羽根布団と申します。よろしく~♪」

 

「ようこそ~❤」

 

 

 

スゴイよね~。

 

私たちが一人ひとり全く違う存在だからこそ、

 

この世界は、どんどん豊かになり、彩り豊かに繁栄していく。

 

 

 

それぞれが、

 

「私は超高級品なのだ!」

 

「私って、超高性能だわ~ん♪」

 

と、自分自身を認め、喜び

 

その役割・個性を、最大限に発揮していく。

 

 

それだけで、もう充分♪

 

あとは自由に楽しんじゃって~♪

 

 

そんな感じです。

 

 

 

こういう軽~いノリに「イラッ」とくるときは、

 

重~いなにかが潜んでいるのかもしれません。

 

 

そこに、あなただけの素晴らしいオリジナルの価値観が眠ってる。

でも、自覚していないから、「イラッ」とした。

 

「イラッ」は、警告音!!

 

ってことは、自覚するチャンス到来!

 

自覚出来たら、今度はそのまま持っておくか?違うのに変えるか?

選択のチャンス!です。

 

「私は、こういうことを大事に思っているし、これからも大切に抱きしめていきたい。」

 

それでいいんです。

 

「軽い、重い、持ってる、持ってない」

は、本当はどっちだってよくって。

 

「自覚のないまま、いつの間にか勝手に持たされてた」

 

からこその、「イラッ」なんだよ。

 

 

自覚的に、持っておくことを選んだなら、

それこそが、最善なんだ。

 

もし自覚的に持っているなら、もう「イラッ」っていう反応じゃなくなるんだよ。

 

きっと、

「へ~」とか「ふ~ん」、「そうなんだ~」、「それもいいねハート」とかいう反応に変わる。

 

 

そういう意味で、

 

「イラッ」も、「超ムカつく」も、「寂しい」も「辛い」も「超楽しい」も、「超幸せ~♪」も

 

 

あなたが抱く感情の全ては、あなたを幸へと導いてくれる、

かけがえのないパートナーです。

 

あなたさえ、その感情を悪者にせず、

どこまでも、寄り添っていく姿勢があるのなら。

 

 

では、警告音は、「なぜ」、「どういう時」に鳴るのでしょう?

 

【なぜ】→あなたを”あなたが幸せだな~♪と心から感じられる現実”へと導くために、

 

【どういう時に】→あなたが望む未来と真逆の方向に進んでいる時に、

 

鳴ってくれます。

 

 

アラーム音には色んな種類がありますが、主にこんな音を発します。

 

「イラッ」 「ざわざわ」 「モヤモヤ」 「ギューッ」 「キーッムキー」 「ヌォォォムキー

 

 

これらのアラーム音は、実に不快でうるさいため、

アラーム音が、なぜ、どんな時に鳴るのかを知らないと、

アラーム音が鳴ること自体を恐れます。

 

また、鳴ったら耳をふさぎ、逃げようとして、間違った方向へとさらに駆け出し、

最後には周りの人まで使っての、力づくでの警告。となるのでしょうか?

 

でもその経験さえも、「宝」であり、「武器」にできるはずなんだけどね。

 

「幸福感を感じていたい」という人にとっては間違いでも、

 

「自分という人間を探求したい、生ききりたい」という人にとっては真っ当な道なのかもしれない。

 

人が通りたがらない道は、それだけで価値があり、

”ふり幅”や”器”や”感動”の元にもなる。

 

 

ほんっっと、

 

人生って、野菜みたいだなぁ。

 

意外と、茎とか皮とか食べられたり、そっちの方が栄養豊富だったり(笑)

 

一概には言えないんだよな~~~

 

 

 

結局、「これ!」っていう方法は、ないんだろうな。

 

なにか言えるとすれば、自分の感情がベクトルだよ~。ってことくらいかな。

 

 

「自分の事を幸せにしてくれるのは、結局は自分だけ。」

 

 

それは、

「感情」という最大の武器を使えるのが、自分しかいないから。

 

 

 

 

「これはGOサインだねルンルン

 

「これは警告音だったよねびっくり

 

 

手取り足取り、いちいち指差し確認しながら、

 

一歩一歩、自分自身と共に歩んでいきましょう!

 

 

 

かけがえのないあなたの人生が、

 

あなたにとって、いつも幸福なものであるよう願い、

 

お祈りしています。

 

 

 

 

 

 

今日も最後までおつきあいくださいまして、

 

誠にありがとうございました流れ星

 

 

 

≪予祝講師 / コトダマシンガー 原田枝里について≫
OL歴9年。結婚後、一人娘を持つ専業主婦に。
『普通界』の大道と言っても過言ではない、『ド』普通な私が、
このブログを始めたことをきっかけに、
『大好きな事で起業する!』という夢を叶えることに!


その秘訣は、
『望む未来の感情をリアルに感じて”先にお祝いをする”という”予祝”』と、
『自分の周波数を高めてくれる言霊”幸福筋エクササイズ”』をはじめ、
とにかく自分のワクワクすることを追求したことでした。

2020年は、これまで取り入れ、実践してきたワクワクを
このブログを通して、またリアルの場でも、たくさんの方達と分かち合っていきたいと思っていますピンクハート

お仕事の詳細・ご連絡につきましては、
こちらのオフィシャルサイトよりお願いします♪
https://yoshukudehappy.com/
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