「シン・二ホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成 著安宅和人」を読む
「シン・二ホン AI×データ時代における日本の再生と人材育成 著安宅和人」を読む帯の広告表読者が選ぶ総合グランプリ第1位AI時代の未来地図裏この国は、もう一度立ち上がれるマクロからミクロまで、未来への商法線を呈示していて並の本ではない。座右の書決定40代男性データ、AIに関する本は溢れているが、人間に残る「知覚する力、生命力、人間力」にまで言及した本は珍しい。AIだけでは、未来はつくりだせないのだ。30代女性この本を読めば多かれ少なかれ何かの気付きを得ることができるだろう。ただ、私を含め、すぐに行動に移せる人ばかりではない。それでも何ができるか、わからなかったら、この本を媒介としてだれかと話してみればいい。シン・二ホンは1つの「プラットホーム」なんだと思う30代女性これまでの経験や努力を丸ごと武器に替えて、私だからこそ目指せる未来があるかもしれない。やってみなくちゃ、何も始まらない。20代女性表紙裏現在の世になかの変化をどう見たらいいのか?日本の現状をどう考えるべきか?企業はどうしたらいいのか?すでに大人の人はこれからどうサバイバルしてゆけばいいのか?この変化の時代、子どもにはどんな経験を与え、育てればいいのか?若者は、このAIネイティブ時代をどう捉え、生き延びていけばいいのか?国としてのAI戦略、知財戦略はどうあるべきか?AI次代の人材育成は何が課題で、どう考えたらいいのか?日本の大学など高等教育機関、研究機関の現状をどう考えたらいいのか?著者の提案幾つかの(引用)l 理解する領域を狭めるのは避けつつも、まずは1つでもいいから半ば変態的にこだわる領域を見つけることが、深い近くを持つ領域を生み出す近道なのではないだろうかl データ×AI世界の全体館、分析とは何か、どのように価値を生み出すも可などを肌感覚で理解できる人材を育てる。l 具体的には、機械学習や自然言語処理など情報科学的なツールの中身は線形代数、微積分の打の言葉で書かれた数学的もデアルであり、これらの素養がないとそもそも自分がやろうとしている解析の中身や、適用しようとしているモデルの理解すらできないことになる。l 30代半ばくらいまでの時期に生計そのものを過度に気にすることなく研究や技術開発に打ち込める環境を整える。l マルケスの言葉を引用し「老人を活かさんがために、若者を犠牲にするような国に未来はない」⇒数%で未来は変わる(経済的問題の分析として)ビット・バイ・ビット訳者があとがきで言っているようにデータサイエンスの遅れが致命的にならないようにと緊急に訳しているのは、日本の学問に危機感を感じているからだろう。若い人をどう育てるかに並行して何を求めているのか、研究者を育成に必要なのは生活保障と研究の場と研究用のサポート体制だろう。判っていてできないのは問題があるからだ。未来に何を残すか‥‥を考える。著者に言わせればこうなる<毛沢東の言葉を引用>創造的な仕事を成し遂げる3条件があるそれは①若いこと②貧乏であること③無名であることであればまず一人の生涯学習者としてできることがあるとすれば、若手教授・準教授クラスの著書を買って読む。キーワードl すべての産業がデータ×AI化するl マッシュアップエコノミーl 未来=夢×技術×デザインl 遺された課題2つ①人づくり②リソース配分l 大半の産業が宿題をやっていない⇒<伸びしろ>が大きい爪を立てる30年くらい前に日本社会は違う1歩を踏み出してしまったのではないかと漠然と感じてきた。それは、キャッチアップ・イノベーションの行き詰まりであったり、阪神淡路大震災による社会全体が守る姿勢に、今も言われる<自助・共助・公助>の役割の中で共助にフォーカスを当てた論文が多く産生されたりした時代になったように感じている。自助努力が報われる社会は<システムとして正しい>と思う。しかし、災害に対しては個として対応できることは少なく、システムとしての公助が社会を支えてくれることを漠然と期待していた。道路も、上下水も、電気もインフラとして提供されてきたので、個は自分の希望かどうかはわからないが当たられた仕事をこなして税金を払い、それなりに生きてゆけば何とかなると考えていたのではないか・・・公助の部分がほつれを見せたので共助という部分にフォーカスを当てたのはそれなりに成果があったとしても、問題を隠してしまった面はないか?天災だけならまだしも、天災だけでは済まされない3・11が続いて起こると、その時の判断が正しかったのかその結果は継続して検証されてゆく。今言えることは、世界を変えるイノベーションが起こっている時に阪神淡路大震災で社会全体に蔓延する守りの姿勢、結果平等などにつながってしまって、3・11でその判断にお墨付きを与えてしまったのではないか?人災部分が含まれているにもかかわらず検証やその後の責任が果たし終えたとは言えない。インフラを守りながら未来に投資する、リスク管理をするというコントロールが今もできていないのではないか?ならば個々のレベルでできることを果たしてゆこうという自覚するヒトがいるはずだ。そしてその人がぶつかる壁にシステムとして提供できる「知」は著者の紹介する人材育成だと理解する。現代経済学の直観的方法になかで著者長沼信一郎がはじめに述べている。(引用)一般にどの分野でも、完全な初歩向けに易しい用語解説から始める入門書と、専門用語で埋め尽くされた高度な専門書は数多く出ているのだが、そこをつなぐ中間レベルの本というものがひどく少ないのである。逆に言えばそのレベルこそが物事の鍵なのであってそこさえ押さえれば全体像が一発で把握できる。残りの細部はほかの本に委ねればよい。個人的な意見です。サイエンスの面白さと意味が理解できる教育を普及させ技術立国を目指すのであれば高等教育の3分の2を理系にするとか、文系にもデータサイエンスを基礎教育としてシステムを変える方向を目指す具体的な動きとして滋賀大学データサイエンス部というのがあると聞いた。GAFAの強みは蓄積されてゆく膨大な顧客情報と言っていいだろう。それを見据えた学部(博士課程まで完結した学部として)できるのに30年かかったとすれば、一つの世代が終わっている。つまり10年で書どうするヒトの代替わりが起こるとすれば3世代が過ぎている訳になる。その差を埋めるには、教科書作成、データ作成例・活用例など講義内容を、学内という柵を設けることなくオープンに社会と連携しながら学部に貢献できる収入確保手段を考えたらどうか?社会的インフラとしての教育施設が大きな情報発信と、社会ニーズを取り組みながら成長してゆくそんな未来を想像させる本だった。社会人で興味のあるヒトは当然ネットビジネスを見据えながら自分におかれた環境の中で、情報を取り込んでゆくし、社会科学系の研究者はビット・バイ・ビットにあるような研究システムを構築してゆくだろう。二ホンが30年で貧しくなったのは経済的な面だけではない。経済的な面よりもチャレンジする人に実践的なエールを送る・サポートする手段を探すという努力を怠っていたのかもしれない。<投資する>という事は未来に何を残すかというその人の価値観であり、リスクを分散しながら引き受けるかという生き方だろう。そして個人の管理する時間軸がある。この本の著者の最後の言葉と未来に対する著者の考え最後の言葉の部分(引用)僕らはどんな未来を残すつもりなのか。それが今、一人ひとりに問われている。未來に対する著者の考え(事業プランニングについて)(引用)目先5~6割、中長期2~3割、未来1~2割というのが理想的だ。さて国という大きなこみいゅてぃで考えるならば、本書でここまで状況をシェアし、提案してきたことの多くが中長期以上の未来につての打ち込みであることを理解してもらえるのではないか。10年を超えるリスクのトレス期間は国や公的機関しか存在しない。ライフスパンの<老いなき世界>は、究極ヒトは死なない方向に行っているようだが、個人的にはまだ死ぬ覚悟もできていないのに、生き続ける覚悟なんてとてもできない。だから、老いなき世界に行きつく前に多分<オサラバ>すると思うが、ヒトの成長はこれほどにゆっくりだ。引き換え、機械の進歩はすさまじく、ドウスル?という疑問がわくばかりだ。<ドウスル?>そんな事を考えながら人が生き続けられるのは、極度に楽観的なのか、バトンを次に渡すべき時を知っていて、何を残すか模索しながら生きてきたからだろう。「誰かが情報を独占してデジタル全体主義を完成しようとしている」という疑問に答えるヒトを探す。そして何ができるか考える。自分だけではできなくても、協力できる方法はある筈だと100%前向きに思考する。行動に移る。信頼とは何かを考えながら、書籍を媒介にして、生涯学習が行動の糧とするような前向きな発言を心掛けていますにほんブログ村