ジャニタレ優遇措置が再開しつつある。歌番組には複数のジャニタレが出るようになり、帰れマンデーなど旅番組にも再びジャニタレが1人くっついてくるようになった。

 数か月前には、「メディア業界は生まれ変わらなければいけない」などとみんなが言っていたが、テレビ局は、そろそろ国民も忘れるころだと思ったのだろうか。ジャニーズ事務所の圧力営業によって今の地位を得たジャニタレ達が再び依然と同じようにテレビに出るようになってきた。

 数か月前、テレビ局員はどこかで聞いたことがあるような立派な言葉を口にしていたが、何のことか実感としてわかっていないため(心に落ちていないため)、少し経つとまたすぐに元に戻るのである。忖度や癒着、人間関係重視を改め、公平・公正な出演者の人選、番組作りをすることは当然のことだろう。

「ゴメンチャイ」と口から発することと、責任をとることは、全く別物である。

 謝ることは、「私が悪く反省しています。ご迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちを伝えることであり、責任をとるということは損害分を補填したり、原状を回復したりするということである。そしてさらに精神的な苦痛を受けた分に対してはお金で代替えしてもらうということである。

 最近、謝罪の言葉を言っただけで、責任をとらない場面をテレビでよく見る(政治や事件、社会問題や芸能問題等)。それについてメディアも多くの国民も良しとしている(口で謝ればもう終わり)。だから、それがずっと続いている。

 世の中は不思議なコトにあふれてる。

 

 自民党員が記者や野党から違法行為や不適切な行為を指摘された時、「適切に対応してまいります」という。一般人や他人が言う「適切」であれば、法律的、社会的に責任をとるという意味だが、悪人側が自ら言う「適切」だと、うまくごまかし逃げてみせるという意味になる。実際、責任をとることはなく、「盗んだ物は後で返したからいいでしょ!(政治資金収支報告書の不記載は修正したからもう大丈夫)」で終わる。

 政治家の言うこと(表現や論理)が、十年程前から私にはよくわからない。政治家の言い訳や詭弁を聞いていると、自分の頭の中で整合性が取れずに頭がおかしくなる。

 ジョークなのか真剣なのかわからないほど、時折ニヤニヤして横目でカメラを見ながらかっこをつけて踊っている羽生氏の映像がTikTokにあった。芸能人でもないプロのスポーツ選手が大げさにかっこをつけて踊ったり歌ったりすると、「何をかっこつけてんだ」となるのが自然ではないだろうか。

 彼のイメージのためにも私は削除したほうがよいと思うが、国民の多くは彼のTikTok映像には好印象なのだろうか。

 離婚問題でもそうだが、彼は本当に相手の気持ちや周囲の状況がわからないように見える。言い方を変えれば、自分が感じたことや考えたこと(組み立てた論理)は絶対に正しいと信じ込んでいる感じがする。一分野で極めた人によく見られる傾向だ。

 悪い人ではないと思うので、裸の王様にならないように苦言を呈してくれる信頼できる人からアドバイスを受けながら、離婚問題など今の難局を何とか乗り切ってもらいたい。

 

 今放送されている「日テレ系音楽の祭典」の総合司会は、ジャニタレ(「旧ジャニーズ事務所による圧力営業によって今の地位を得た元ジャニーズタレントたち」を当ブログではこのように呼んでいる)の櫻井翔氏だ。

 見ていると、彼はずっとカンペを読むだけである。これなら、新人の局アナかAIロボットでもいいだろう。もっと言えば小学生でもできることだった。視聴者にとっては総合司会が彼である必要はない。むしろニュースキャスター失格のイメージが強く傲慢な雰囲気からも、違う人のほうが嫌な思いがない。

 しかし、テレビ局にとっては彼である必要があるのだろう。父親がらみでの総務省への忖度か、それともスマイルアップ(旧ジャニーズ事務所)の一定数の社員との個人的癒着関係だと私は思うが、どうだろうか。

 少なくとも実力や魅力で彼が音楽祭の総合司会に抜擢されたわけではないだろう。これを非難しなければ、日本テレビはいつまでも続け、公平・公正な実力主義(一部のファンだけではなく国民的な「人気」も含め)の人選、番組作りをしないだろう。おかしなことに対しては、改善されるまでみんなが声をあげ続けることが最も重要である。見て見ぬふりをすることは、認めることである。ジャニーズ問題をきっかけに、テレビ業界を忖度や癒着のない業界にしていこうとメディア全体も国民も決意したのではなかったのか。

 繰り返すが、いじめでも不正でも、その事実を知った者が黙っていることは、「認めた」ということである。

 司会の神田氏が、番組をしばらく休むことになった。

 個人的な感想だが、現在の彼がいるよりはいないほうが安心して見ていられる。それに、他の出演者も適任ではない。レポーターは、「〇〇で~~~~す」「おはようございます~~~~」と、声が通らずに聞き取りにくいチャラ男系で、ため口で話したりカンペを凝視して棒読みしながら、当たり前すぎる説明やコメントだけで、あまり見たくない(私は彼のコーナーだけ他の番組を見ている)。スタジオは、これまた声がこもってよく聞こえないガヤが、単発発言だけで流れを作れない(落ち着いた長い会話が成立しない)。一人で大笑いしている姿もひいてしまう(うるさいバラエティ番組なら適任だろうが)。明るく爽やかで聞き取りやすい声の松下奈緒氏が一人で頑張って、気の毒に見えてくる。

 また、竹内都子氏や三船美佳氏のポジションがいなくなった。明るくて会話を元気にうまくつないだり回したりする重要な存在だった。それを無くして、残った人たちがこれでは、番組終了も近い感じがする。初期メンバーが光って見える。

 人選や人数(役割)など、初期に比べてすべてが悪くなってしまった。出演者というより、制作側のテレビ局の責任だと思う。出演者はそれぞれの性格や個性、得意分野があるので、依頼されたからやっているのであって悪くない。芸人たちが適材適所ではなくなっているだけである。

 番組は、松下氏を除くすべてを一新したほうがよいだろう。司会は土曜日の朝にふさわしく、楽しくてさわやかな男性(例えば「相棒」の寺脇氏など)、松下奈緒氏、それからレポーターは無理をしている「ふざけた人」ではなく、明るく元気で「楽しい人」がよい。スタジオ内のサポーターも2人に戻したほうがよい。誰がよいか考えたが、田中義剛氏と都子氏があまりにも適任だったので代役が想像できない。

 いずれにせよ、「旅サラダ」が劣化していくのは、人選と出演者の構成によるものである。内容は以前同様に見たいものばかりだし、実際見ていて楽しい。テレビ局員も世代交代があるのだろうが、世間の声を大事にしながらやらないと、方向違いの自己満足になってしまう。最近、どのテレビ局にもそれが目立つ。

 宝塚歌劇団の公演が、本日からはじまった。

 自殺者がでて、その原因にいじめやパワハラの疑惑があり、遺族と真っ向から対立している中で公演を強行するとは、自分たちのことしか考えておらず、普通の感覚ではない感じがする。

 ここまで書いて、過去にこのブログに書いた宝塚歌劇団の記事のことが急によみがえってきた。たしか数年前にコロナが大流行している時、芸能人などがコンサートや演劇公演を中止にしているさなか、宝塚歌劇団だけが強行して公演をやろうとしたが、世間から非難を受けてようやく中止にしたことを記事にしたことがある。

 あれから数年経過したが、宝塚歌劇団の体質は全く変わっていない。自分たちがよければ他のことは関係ないという自己中心的な発想と、それを本当に行動に移してしまう鈍感さ(社会の状況や反応、相手の気持ちがわからない)が根底にあるように感じられる。そういう劇団であれば、いじめもパワハラも言い訳もありなのかな・・・と思ってしまう。

 今回自殺者が出て、その原因が解明されず、改善策も出ず、遺族が怒っている中で公演を再開できてしまうような劇団が、今後改善していけるとは私には思えない。上の者が1~2人代わったようだが、それがあっての今日の公演である。何も変われないし、何もわかっていないと思う。

 本日派閥の政治資金問題について、安倍派の座長が「キックバックはあったと思う」と発言したが、「誤解を与えたということで撤回する」と発言を撤回した。

 「キックバックはあったと思う」と話したから国民はその通りに理解したのに、国民が誤解したから撤回し、もうなかったことにするという。国民はどこを誤解したというのだろうか。あとで撤回すれば、発言したことをなかったことにできるのか。それは物理的に不可能なことである。

 政治資金規正法に違反しても、ばれた時に修正すれば政治家なら無罪なのだろうか。

 悪事がばれた時、政治家が過ちを認め、罪を償うまでテレビ局が追及し続けないから(1、2回報道して許すから)、政治家はいつまでも悪事を続けるのである。学校内でのいじめでも、周りで見ている者が止めなければ、見ている者もいじめを認めたことになるし、いじめる側も罰を受けないのでやり続けてもよいと思っていつまでも続ける。「今後もしっかりと仕事を続けることで責任を取りたい」、「修正したから違法ではなくなりました」、「『誤解を与えたこと』を謝罪する」「説明責任を果たしていきたい(うそや詭弁、自分の都合を何十回話しても、不適切な事象の責任をとることにならない)」等々、政治家特有のおかしな表現もテレビ局が徹底的に批判しないから、政治家たちは免罪符のように使っている。

 テレビ局は、マイナス以外のことはできないのだろうか。テレビ局と政治家、どちらのほうが悪か悩んでしまう。日本における二大悪が、日本国のかじ取り役とその広報マンとは、なんとも悲惨な国だと思う。

 俳優の高知東生氏が、日大のアメフト部廃止について「こうして伝統ある部活や活動をつぶしていくのか」とツイッターに投稿した。

 同じ現象(事実)であっても、表現の仕方(言い方)によって、その現象がもつ意味や与える印象をどのようにでも変化させることができる。

 言葉は、現象に忠実とは限らない。人を介す伝聞は意味がなく、実際に見た現象であっても見た人の言葉(思考)に左右されて処理される。言葉とは、使い勝手の悪い道具だ。

 

 

 国民民主党の前原誠司氏が離党し、新党を結成するという。

 野党は何十年同じことを繰り返しているのだろうか。これでは、いつまでたっても自民党の独裁政治が続き、不正や愚策が増える一方だ。

 最も大切なことは、政権交代可能な野党を作ることであり、そのためには自民党に匹敵する「数」が必要だということである。今の野党は自ら分裂を繰り返して数を減らし、自民党に有利になるような動きばかりやっている。民主主義では数で全てが決まるのだから、野党はまず数を集めることを基本にしなければいけない。基本的な政策合意などいらない。自民党内でも様々な意見の違いがあるが、数が集まらないと政権をとれないので、数を集めるためにはお互いに妥協をしている。しかし野党は数よりも政策合意や意見の一致を最優先にしている。そのやり方は、民主政治においては、間違っている。これを続けている限り、永遠に自民党の独裁国家となり続ける。野党はおかしい。政権をとれば苦労するから、あえて野党でいられるように努めているとしか思えない。