「セクシー田中さん」の原作者を、寄ってたかって苦しめ精神的に追い詰めて自殺に至らせた日本テレビが、何カ月もかけてようやく自分たちによる調査結果を公表した。あまりにも時間をかけたので、どれほど詳細な内容かと思ってみたら、「齟齬(「そご」=食い違い)があった」という非常に簡単で責任逃れの結論だった。ふざけている、というより、私には悪人に感じられる。

 高校で、ある生徒に対し複数の生徒が長期にわたって精神的苦痛を与え自殺に追い込んだ場合、いじめと認定されて書類送検される。日本テレビと脚本家は、大人だから、マスコミだから許されるのだろうか。

 加害者側が、ふざけた調査ごっこをし(わざと何カ月もかけて世間やマスコミの「忘却」を利用する姑息な手法)、責任逃れで他人ごとの結果を発表して(「齟齬があった」)、それで終わりなど、人として許していいのだろうか。悪は滅ぼさなければいけない。誰か(身内や弁護士、市民団体など)が加害者側を訴えて、法的に調査、判断をくだしたほうがよい事案である。人命が奪われたのである。皆、あまりにも軽く考えすぎている。

 日本テレビの社長は、「ドラマの制作関係者や視聴者の皆様を不安な気持ちにさせてしまったことについてお詫び申し上げます」と謝罪している。謝罪するのは、制作関係者と視聴者に対してなのだろうか。謝罪は、不安な気持ちにさせたことに対してなのだろうか。そんなのは間違っていると、高学年の小学生でも言うだろう。日本テレビと、ブログによって追い詰めた脚本家が、人一人を自殺にまで追い込んだのだから、自殺した人に対して精神的に追い込み自殺に至らしめたことを謝罪するのである。当たり前であろう。私に言わせれば、この社長は一般的な感覚も論理性もなく、会社の管理職として失格である。

 そもそも、加害者側の自主検証など、ごまかしで責任逃れの結果を主張するために行われるものである。公平で客観的な調査や判断がされるわけがない。目的が違ってくるのである。それがテレビ局や政治家であれば限度を知らず、ほどほどのカモフラージュをまぶしながら堂々と過失0を主張してくる。テレビ局と政治家による自主検証だけは、絶対にやってはいけないことなのである。

 このままでは、原作者は死んでも死にきれないだろう。日本社会に正義はあるのか、この後の社会の動きを見守りたい。

 那須町で発生した雪崩事故で、教諭達に実刑が言い渡された。「自然災害ではなく被告らによる人災で起きた事故」との宇都宮地裁判決だ。

 教諭達は自分たちの命もかかっているし、実際に教諭1人も亡くなっている。教員として、引率している児童の命も大事に思っているのは当たり前だ。したがって、想像しうる危険に対しては、当然対策や準備をしていたはずである。怠けて、あるいは意図的に自分達や生徒たちの命をあえて危険にさらす行為をする人などいるはずもない。馬鹿げている。だからこの事故は、私は人災ではなく自然災害だと思うのである。

「人災云々」の話なら、今年の初めに羽田空港で起きた事故こそ、管制官や海上保安庁側の機長の職務怠慢で起きた事故であり、業務上過失致死で起訴される事案だと思うのだが、誰も起訴されなかった。どこからかの圧力でもあったとしか、私には思えない。

 今、バレーの世界大会が行われている。

 この前は、日本女子が世界2位のブラジルとフルセットまで戦い惜しいところまで行ったが、やはり最後は日本が負けた。ここまで接戦になると実力の差はない。しかし、強い国と戦って接戦になった試合は、いつもなぜか必ず日本が負ける。その理由は、他に精神力しかないだろう。

 これはバレーに限ったことではない。自分よりも強い選手と戦い、接戦まで行った試合は、必ず最後に日本人選手が負けることになっている。強い選手やチームと戦い、ここまで相手を追い詰めたのだからもういいだろう、と負けてもよい言い訳が頭をよぎり、緊張感や努力から無意識のうちに逃避し、「楽(らく)」に逃げて負けてしまうのだと私は思うが、皆さんはどうお考えだろうか。

 家族旅行で子供を休ませるのはアリかナシか、ということがちょっとした議論になっている。

 学習が遅れるとか不公平感が生じるなどの理由で休ませないほうがよいという雰囲気になっているようだ。

 私も、家族旅行や家族でディズニーランドに行くからなどの理由で学校を休ませることには反対であるが、理由は異なる。もしそのような理由で安易に本分の学校を休ませると、その(遊びに行くから学校を休んでもよいという)感覚や基準を子供自身にも身に付けさせてしまい、(中高はもちろん)大人になってからも仕事や会議、会合などを安易な理由で簡単に欠席にしたりするようになるからである。早い話が、自分がやりたいように何でもやってしまう、自己中で努力や我慢もできない大人になってしまう(絶対ではなく、傾向の話)。

 私の経験上、旅行に行くから休むという子供は5年間に1人位いたが、その子の親は癖が強くワンマンの個人主義で自己主張も強かった。一言で言えば面倒な親だった。子は親の鏡というが、このように育てられて似ていくのだろう。

 北朝鮮が、韓国に汚物風船を飛ばしているという。国がやることだろうか。大人がやることだろうか。まるで汚物に対し異常に興味を示す幼児やうんちを投げるチンパンジーのようだ。あまりにも幼稚で低レベルである。世界からどう見られるか、わからないのだろうか。近隣の中国や韓国も、電車内でウンチをしたりウンチの銅像を作ったり教授が学生にウンチを食べさせるいじめをしたりなど、ウンチに対する興味関心が他国とは全く異なるが、それでも国として他国に送り付けるようなことはしないだろう。

 北朝鮮という国は、実情は我々が考えている国とは全く異なるのかもしれない。国際法や正義(拉致問題等)を伝えたところで、北朝鮮には実感もなく訳も分からず、ポカーンとしているのかもしれない。幼稚園児に核ミサイルのボタンを持たせるほど危険なことはない。世界は、北朝鮮への対応を変えたほうがよいと思う。

 事実上の独裁国家は自己中で世界の問題児だが、家族経営の国では話にならない。

 戦死と病死を扱うドラマは、もういい。他にシナリオが考えつかないのであれば、無理に作らないでほしい。あまりにも陳腐で手抜きで、恥ずかしくて見ていられない。かなり神経が図太くなければ、あるいは無知や鈍感でなければ、戦死や病死を扱う脚本を書いたり制作したりできないはずだと思うのだが。

 戦死と病死の2つは、簡単に視聴者の同情を買い、視聴率アップにつなげることができることはわかる。しかし、物には限度というものがあるだろう。NHKの朝ドラも、戦死と病死の完全版が多い。安易な発想で視聴者の感情をもてあそび、歌謡曲のようにドラマの世界も画一化していく。手抜きで視聴率アップを目指すと映像文化の衰退に直結することをテレビ局は自覚してもらいたい。

 ところで何度も言うが、「セクシー田中さん」の原作者自殺に関する日テレ自主検証はどうなったのだろうか。政治家とテレビ局の言動を考えると、怒りと気持ち悪さが沸いてくるのは私だけだろうか。

 韓国や中国は、よく「歴史教育が」や「歴史を直視し」という。しかし、この歴史がどのような物かが問題である。例えば、適当につくった物語に「歴史」と名をあたえれば、その物語が正しいものになるわけでもない。

 同じように、ロシアは「(自国の)法律に従って正当に・・・」といって自らを正当化する。しかし、ロシアの法律は誰がどのような過程を経て作られたものかが問題である。例えば、独裁者が自己保身のための法律を事実上自分一人で決めて、「これが法律だ」と宣言してみたところで、内容に「客観的な」正当性が生じるわけでもない。

「歴史に基づいて・・・」や「(自国の)法律に従って・・・」などと叫んでみたところで、「歴史や法律であるならば、それは正しい」とはならないのである。言葉による単なるごまかし、言葉の罠であり、第三者や第三国は意味のない幼稚な「だまし」に引っかかってはいけない。「(証拠のある)事実」と「客観的・総合的な正義」のみによって歴史は作られる。感情や願望は、SNS上と政治の世界だけにしておき、学問(歴史)の世界に持ち込むべきではない。

 今朝も羽田空港で日本航空の飛行機同士が駐機場で接触した。

「2度あることは3度ある」という。1度目の後、反省し分析し改善訓練したのに2度目が起きるということは、反省の仕方や心構え、そして能力の問題であるため、そのまま3度目も引き続き起きるという自然の流れを表している。

 日本航空の姿勢や能力だけの問題ではない。管制官や地上担当の姿勢や能力の問題でもある。3度起きるということは、このままいっても4度目も起きやすいので、まずは現場の監督責任者を交代し、その後に管理職が責任を取り、最後に現場の訓練を徹底することが必要だ。

 どうも毎回ほどほどにやり過ごしているように見えるのである。何かを真剣に根本的に変えないと、止まらないだろう。

 ネイションズリーグの男子バレーを見ていたが、背の高いアルゼンチン相手に、日本は単調な力任せのアタックが目立つ。同じ選手に3回打たせ、全てブロックされ、最後は返せずに点を取られた。

 これは男女ともによく見られる日本の特徴である。時間差攻撃やバックアタック、横に走ってのアタックなど、相手のブロックを崩しておいて打つのではなく、ブロックの高い相手に対してなかなかアタックを決められない同じ選手に連続でトスを上げて、3~4回目の最後はブロックされる。日本は、この最悪攻撃をやめてもらいたい。

 アタックを打つ時は、相手の高いブロックに向かってただ力任せにアタックを打たないこと(ブロックされて自爆する。必ず何らかのフェイントを入れてからアタックするようにする)、アタックを決められなかった選手に3回4回と連続でトスを上げてアタックをさせないこと(単調アタックしかできずに何度も強烈ブロックをされているうちに、疲れてジャンプが低くなり打ったボールも遅くなり、最後は自滅する。これは私が見た内では100%そうなった)。

 それから、大事な場面で必ずミスをしてセットを落としたり、分岐点となるような大事な場面でブロックに合ってそこから一気に点を取られる流れにしたりする選手がいる。女子選手だが、その選手のせいで過去2回、大きな国際大会で日本が負けたと私は見ていたが、今回もその選手が出てきてがっかりした。普段はよく点を取るが、接戦の試合となった時、大事な場面になるとサーブミスをしてみたりアタックもきめられなくなったりして、流れが向こうに行き、今回も4試合目は負けた。彼女がいるからいつも大事な試合で、大事な場面で勝てないのが事実だと思うが、違うのだろうか。2度あることは3度あるという。監督には、呪縛や過去からの思い込みを捨て、現実を見て出場選手を決めてもらいたい。

 ここ5、6年間の横綱は、多くの力士の中で最も(途中)休場が多いのではないだろうか。最低限、出場できるくらいの体の持ち主でなければ話にならない。戦い以前の問題だ。

 もし14日間戦っても横綱として恥ずかしい結果に終わりそうだから途中で逃げるために欠場という方法を選んでいるのであれば、横綱を選ぶ基準を変えたほうがよい(何度やっても勝てるほどの強い力士のみを横綱にするなど。「年間で全場所の5割以上で優勝」など)。今は、簡単に横綱を作りすぎだ。

 本当に戦えないほど体のどこかが悪くなったのであれば、そうなった時点で横綱から大関などに落ちるようにきまりを変えたほうがよい。そのまま横綱にしておくのは残酷であり非合理的だ。