バレーボール日本女子はカナダに負け、オリンピック出場決定は持ち越された。

 それにしても相変わらず石川選手は、日本に流れが来ている時に彼女にボールが行くと、必ず100%ミスをしたりブロックにあって自爆したりして、流れを切ってしまう。一進一退の時は時々アタックを決めたりもするが、それでもすぐに自分の責任で点数を与えてしまい、プラマイゼロになる。サーブはとても速いが相手を崩すことは1度もなく、相手にとってはとりやすいサーブともいえる。

 ここではどうしても点数が欲しいという場面や、流れが日本に来ている時には、絶対に彼女にトスを上げてはいけないと思う。彼女が嫌いということではない。性格はとてもいいと思う。

 しかし、自分がいつも日本チームのよい流れを止め、重要な場面になると点をあたえてしまい、それでも自分がアタックをしようと手をたたいてトスを要求する。彼女は日本の代表には向いていない。もちろん彼女は悪くない。選手を選ぶ監督にすべての責任がある。昔から国際大会では彼女が原因で・・・、ということがずっと続いているので、彼女自身も自分のことを自覚しているだろう。それなのに彼女を使い続けることは、彼女を苦しめ、日本代表チームをマイナスに導くことになる。

 国の代表を選び、国を代表して戦うのである。実業団同士の試合ではない。監督にはもっと責任を感じてもらいたい。

 日本テレビは、「セクシー田中さん」の原作者を自殺に追い込んだ事件で、先日調査報告書を公表した。

 自分達で調査して公表すれば、すべて終わりということにはならない。結果を公表したかどうかが重要なのではなく、その内容が重要なのである。

 例えの話であるが、明らかに何か不正や殺人を行った企業が自主検証をして「自分たちは全く悪くない」と結果を公表すれば、悪くないことになるのだろうか。その中身がすべてであろう。

 日本テレビは、「そごがあった(だから直接的にはあまり悪くない?)」「これから気を付ける」と公表したから、もう責任を取らなくてよいのだろうか。逃げ得はいけない。今後のことではなく(どうすればよかったかはテレビ局以外の人は皆わかっている)、日本テレビはまずはやってしまったことに対して第三者による公平正当な調査報告を受け、きちんと責任を取ることが必要だと思う。今日も日本テレビは何事もなかったかのように番組を放送している。本当にこれでいいのだろうか。国民の記憶の悪さを利用してこのまま時を待って無かったことにする手法は政治家だけで十分だ。世論を作っているテレビ局の逃げ得を許しては、社会から正義がなくなってしまう。

 最近のお笑い芸人は、普通の会話なのに相手が何か話すと手をたたき体をのけぞらせて大笑いすることが多い。それをお互いにやりあっている。

 一般人の間では普通に話されている会話なので、それを聞いて笑うということはない。あえて言うなら、視聴者がつられて苦笑いをする程度だろう。最近のお笑い芸人達自身がおかしいと感じるレベル、基準が極端に低すぎる。その程度だから、一般の視聴者がおかしいと感じることも言えず、酔っぱらった大学生サークルのように身内だけでバカ騒ぎして大笑いをしあっているのだろう。プライベートでやるなら別に良いのだが、それを電波を使って強制的に全国の人々に見せたり、それで金をもらって仕事をしていることに、どうも違和感を感じるのである。

 昔は面白い芸人や実力のある芸能人、歌手が売れていったが、現在はテレビ局の悪知恵(度を過ぎた演出や芸能事務所との癒着等々)のおかげで、面白くない芸人、実力のない似たようなアイドル(大勢が踊りながら頭に残らない曲を歌う)がテレビを占領するようになり、視聴者はそれを見るしかなくなってしまった。

 視聴者にとっては、悪夢のようなテレビ界になってしまった。

 日曜の朝、日本テレビでは「シューイチ」が放送されている。番組のほとんどがVTRの情報で、それを見て時々コメンテーター達が感想を述べるという形だ。

 毎回出てくる出演者にジャニタレ(素性や扱われ方がわかるようにあえて使っている)の中丸氏がいる。VTRの間、出演者は順番にワイプで抜かれて画面の右下にうつっているのであるが、彼が出てくると必ず両肩が耳の横から出ている。なぜなのだろうか。それに彼はスーツを着てきている。どのような意図なのだろうか(自分が思いついたことの正当性を高めてそれを視聴者に刷り込むため?)。

 そういえば、日本テレビは「セクシー田中さん」の事件(中心となっていじめて自殺に追い込んだ事件)は、「齟齬(そご)があった」、「これから気を付けます」で終わらせるつもりなのだろうか。人を自殺に追い込んで無罪とは、日本の法律はそうなっていたのだろうか。

 ジャニーズ問題で、第三者による調査・公表から逃げ切った全てのテレビ局に対しわたしは正義も社会常識も感じられないのだが、特に日本テレビは様々な点(ジャニタレニュースキャスターによる偏向報道や親も含めた癒着、出演者の人選等々)において、幼稚ゆえに残酷で非常識なことでも安易にやってのけてしまうように個人的には見えてしまうのである。私の誤解だろうか。

 すべてのテレビ局は、不正や不公平、癒着、ばれるとまずいような根回し(上司がきびしく監視する)、ごまかし、嘘(一部分の正論では全体として嘘となる)や責任逃れなどを完全に「禁止」にし(これがあたりまえなのだが)、破った局員に対しては懲戒を与えるきまりを社内で作ったほうがよい。

 不正や癒着、身内だけのバカ騒ぎや傷のなめ合いを放送してみせることなどはもうやめて、いつか誠実で楽しく(演出による笑いの強要ではなく)、信頼されるテレビ局になることに期待したい。

 卓球の国際大会で、伊藤美誠選手がフランス人選手を相手に2セットを先取したが、その後に連続で3セット取られ、セットカウント2‐3で負けた。

 本当に彼女らしい試合だ。これが彼女そのものであると思う。彼女の場合、いつも何が起きてもおかしくないような試合をする。これほど彼女の試合がいつも不安定な理由は、彼女は技術で戦っているのではなく、自分自身の本当の気持ちに完全に影響を受けて実力が出せなくなるからであろう。いくら「試合を楽しみたい」と笑顔でウソやはったりを口にしてみても、それはさらに自分を追い込み逆効果である。

「試合を楽しみたい」などと言わず、「相手の胸を借りるつもりで頑張りたい」と心から謙虚に言えるようになれば彼女は最強なのだが、性格上そのように変わることは無理だと私は見ている。スポーツ選手にとって、性格や考え方、セルフコントロールといった競技の技術以外の要素も非常に重要だと思うが、その対策や訓練があまりにも軽視されすぎているのではないだろうか。

 NHKの朝ドラ「虎に翼」では、主人公が相手の言葉尻を捉えて「はて?」とつぶやいてから、相手の真意を曲解して的外れな自己主張を攻撃的に行う。

 とても嫌な人に描かれており、実際にもここまでひどい人はいないだろう。先進的な女性だからこのように攻撃的に自己中の主張を述べるような主人公像にしているのだとも思うが、視聴者がさらに女性に対してマイナスのイメージをもってしまわないか不安も残る(ちょっと頭のいい女性は「面倒くさい、手に負えない」というイメージ)。

 ドラマなので創作なのだろうが、主人公の性格がとても悪く、「坊主にくけりゃ・・・」で俳優さんが眉間にしわを寄せて「はて?」というシーンも二度と見たくないところまで来てしまった。これ以上続くと、俳優さんまで、そしてドラマ自体まで嫌いになりそうだ。

 シナリオも稚拙に感じられる。新憲法の男女平等を主張するための脚本上の手法として、実際にその条文を読んで繰り返す場面が何度も出てきているが、それでは視聴者は「またか」と飽きてうんざりしてしまう。新憲法では男女平等となったことを主張するためには、単純にその条文自体をこれでもかと繰り返し読む演出ではなく、その条文を読まないで男女平等がうたわれていることを表現するのが脚本家や演出家の仕事というか能力であり、映像表現である「ドラマ」であろう。

 最近の朝ドラは、脚本家も演出家もプロデューサーも、どうも手抜き(能力?)のように感じられてしまうのである。

 男女平等って、どういうことを指しているのだろうか。

 例えば、消防士やごみ収集車運転手、自衛隊の戦闘員、山岳救助隊、バキュームカーの操作員、大企業や商社の社長などをやっている女性は見たことがない。それぞれに異なった理由が想像される。

 そうであれば、「完全な男女平等」などは非現実的なことであり、全体的な整合性を取ることもできない。

 別に「やりたくないものや大変なことは男性に」という理由でもよいのだが、それなら堂々とそう宣言し明文化すればよい。それなら理解でき、すっきりする。

 真の男女平等というのは、男性優位の形式(あり方やきまり)を変えることと同時に、女性側の意識(体を鍛えたり甘えを捨てて責任感を持ったり3Kの重要性を自覚したり等)も変えることで、達成できるのではないだろうか。

 教師が親と信頼関係を築くのか、その逆なのか、それとも両者による努力なのか。

 教師にしてみれば、例えばモンスターペアレントと本当の信頼関係を築くことは不可能だ。モンスターペアレントは、自分の考えや思いが絶対に正しく、それを学校に理解させよう、認めさせようと全力で相手に向かっていく、無知で経験が狭くプライドの高い保護者である。

 それでも保護者と信頼関係が築けないと、全部教師の責任となるのだろうか。そうだという人がいたら、その人はまだとんでもない親を実際に見たことがない人である。

 札幌の中学校で、教師が生徒267人分の成績や個人情報が書かれた資料を体育館に置き忘れ、それを十数人の生徒が見て、インターネット上にも流出した可能性があるという。

 他人の物、特に教師の物を勝手に触ったり見たりしないように小学生の頃から繰り返し指導しているため、担任がいない時に教室の担任の机の上のものを触ったり見たりしないことを含めて児童が教師の物に勝手に触っている姿を一度も見たことも聞いたこともない。

 中学に行くと、小学校では当たり前に行われている生活上や道徳上の指導がおろそかになってしまっていると思う。おそらく中学の教師は、そんなことは小学校で教えてもらっているからもうできるだろう、小学生じゃないんだからいちいち当たり前のことは言わなくていいだろうと思い込んでいるのではないだろうか。小学校6年間の指導だけで身につかない子どもも大勢いるはずである。せめて義務教育期間である9年間は子供たちをまだ大人扱いせず、当たり前と思われることを丁寧に繰り返し指導し、できるだけ定着させてから社会に出すようにしたほうがよいだろう。小中交流で中学へ見学に行くと、(小学校の教師から見ると)中学校の教師と生徒の関係が友達のようで、教師の話し方もとても乱暴に聞こえる(呼び捨てや命令口調)。あれでは子供たちは不誠実で思いやりに欠けた人になるだろうなあと感じる。

 話を戻すと、このような事件やいじめなどが学校で起きると、悪いことをした生徒ではなく教師のみが取り上げられて責められる。喫茶店でパソコンを置いてトイレに立っても、誰もパソコンの中身を見たり盗んだりしない(近くに人がいなくても)。万が一誰かが見たり盗んだりしたら犯人は悪くなく、そこにパソコンを置いた人が法的・道徳的に悪いということになるのだろうか。学校で起きた事件は全て教師が悪いという感覚というか風潮は、本当に適切なのか、はなはだ疑問に感じる。「学校内で起きた子供による事件=教師の責任」という発想は、その子(の将来)や親(の教育の在り方)にとって大きなマイナスにならないか、今一度考えてみたほうがよいだろう。

 韓国海軍艦海軍艦によるレーダー照射問題は、再発防止で合意したという。

 韓国がこれまで合意を守ったことがあるだろうか。韓国は、今回の合意も破ろうと思えば何らかの理由をつけて平気で破るだろう。何の意味もない。韓国は、合意も法律(国際法)も事実(慰安婦問題で何度謝罪しても謝罪していないという)も関係ないのである。

 中国との外交は、主張が自己中で大変だが一応成立するという(国家間での決め事は守られる)。しかし韓国とは、外交が成立しないと言われている。二度と起きないようにするためには、韓国側に事実を認め、謝罪させること以外になかったのに・・・。

 政治だけではなく、安全保障面でも嘘をついてくる国と、軍事協力の面で信頼関係を築けるはずがないではないか。再発防止の合意のスタートが嘘からとはどういうこと?

 これまでの数十年間、どれほど韓国に騙されてきたか(恩をあだで返され合意を反故にされ)、日本政府はまだ韓国を理解できないのだろうか。あと何十回だまされ、裏切られたら、認識できるのだろうか。不思議だ。

 いずれにせよ、日本は嘘をついている韓国と合意をし、不信感を持ったまま防衛協力をしていくことになった。ここ数十年、日本はずっと韓国の言いなりにしてきたのに、それでも日本は何もやっていない、謝罪しろ、言うことを聞けと韓国に言われ、世界中に日本は悪い国だと言いふらされてきた。百年後には、日本という国は韓国に奪われてしまうと思う。いや、中国と日本列島を分け合うのだろうか。日本はお人よしすぎる。それが欧米で通用しても、韓国、中国、北朝鮮、ロシアには通用せず、むしろ逆手に取られて骨の髄までしゃぶられるだろう。日本は外交に強くならなければいけない。