寅子は、だれに対しても、口癖のようにすぐ「はて」と言う。

「はて」という言葉について考えてみた。もし私が言うとしたら、誰に対してだろうか。おじいさんやおばあさんなどの年配者に対しては絶対に言わない。

 上司にも絶対に言うことはない。

 同じ年代の友達には、やはり言わない。もし言ったら、喧嘩を売っているようだ。嫌われて友達関係が崩壊しかねない。

 年下はどうか。中~大学生には言わないだろう。討論を吹っかけているようだからだ。少なくとも相手は馬鹿にされているように感じ、不快感を覚えるだろう。

 では、言い返してこないような小学生には言えるだろうか。私だったら言わない。覚えられて、いろいろな人に「はて」というようになったら困るからだ。

 親しい人に対してはどうだろうか。家族に対しては・・・、やはり言わない。仲が悪くなっていくだろう。思いやりも共感も感じられない言葉で、相手にしてみればいちいち大上段から否定されて、家族がぎくしゃくしていく感じがする。

 結局、誰に対しても、私は「はて」などと言えない。言いたくもない。

 祇園祭は涼しい自宅でテレビでじっくり見るのがいいとの書き込みを複数目にしたので、初めて生中継を見てみたが、30分くらいでテレビを消した。

 あまりにも変化がなく、一番の目玉が「辻回し」という1~2メートルの方向転換だった。もちろん、それを見てもなんとも感じるものはなかった。現地で見学をしていた人へのインタビューを見ていると、「辻回しがよかった、すばらしかった」と言っていた。わざわざ遠くから来ているのだから、そう思わないと悲しすぎるのかもしれない。

 ナレーションを聞いていると、山車に飾られた絨毯の絵が美術館レベルの物で、動く美術館を見るだけでも素晴らしいお祭りだと何度も繰り返し話していた。なぜ繰り返すのか。本音を考えてしまうではないか。やめてほしかった。話を戻すと、絨毯の絵に価値があるとしても、山車に下げられた絵も山車に乗っている人の動きも人数も、無理に取ってつけたような感じがした。それらが、ただ行進していく。近所の人は、夏の始まりを感じにちょっと出かけてみるかと思うだろうが、遠くから行き、猛暑の中、人ごみの中でじっと地味な山車を眺めていることは、私には無理だった。やはりテレビが正解だった。

 以上は客観的な評価ではなく、私一個人の感想である。祇園祭が好きな人は好きで、遠くに住んでいても毎年行くのだろう。人それぞれでよい。ただ、今後行く予定でどういう祭りか知りたい人のために一つの情報として書いてみた。同じ情報だけではなく、多様な情報を持ち合わせておいたほうがよいだろう。

 お祭り好きである私の夏の計画は、仙台七夕、ねぶたと立佞武多、竿灯まつりをめぐってこようと思っている。

 テレビ朝日の「じゅん散歩」をたまに見るが、1年程前から高田氏の発言が、(もちろん自分ではジョークのつもりで言ってるのだが)ストレートの悪口や皮肉ばかりになり、見ていて笑えないことが多くなってきた。

 相手の気持ちやジョークの反応が想像できなくなってきたのかもしれない。彼も、もうすぐ80歳になる。

 世代交代も必要だが、それがいわゆる「ジャニタレ」や、うるさいだけの「吉本芸人」では悲しい。家族みんなで楽しめる、例えば中山秀征氏やナイツの塙氏、石塚氏、東京03など、関東系の芸人の番組がもっと増えれば、テレビが健全で明るくなっていくと思う。その前に、人選の権限を持つテレビ局上層部(会長や社長、局長等)の外部招へいが必要か(コンプラや一部芸能事務所との癒着の改善も含めて)。

 第二次世界大戦後、数十年にわたって平和や軍縮などが世界中でさけばれ、各国では歴史教育や平和教育が行われ続けてきた。その結果どうなったかというと、現在世界各地で本格的な戦争が起き、多くの市民がなくなり、第二次世界大戦後最も次の世界大戦に近づいている。

 いくら平和を訴えても、首脳同士が会談を重ねても、国同士が市民レベルの交流を続けても、学校で歴史教育や平和教育、人権教育などを行っても、国同士が真に仲良くなったり戦争を回避したりする上で、「全く効果がない」という実証結果が明らかになってしまった。そうであれば、世界中の人々が本当に仲良くなる別の方法を真剣に検討する必要があるだろう。そうしないと、これまで通り数十年単位で世界大戦を今後も繰り返していくことになる。

 その達成のためには、国の体制(これが一番大事で、世界の全ての国を民主国家にしなければ、必ず「世界におけるならず者」、「独裁者」が存在し続ける)や経済のしくみ、宗教、法律、世界共通の道徳や歴史教育、国連の在り方等々、根本的なことを総合的に調整する必要がある。しかし、数百年後を想像してみても、これらが達成できているイメージを持てない。やはり歴史は繰り返されるしかないのか。人類は、歴史から学ぶことは不可能なのか。

 次の第三次世界大戦において、ならず者国家側の国々をすべて無条件降伏させるまで攻撃し、その後先進国が中心となって、独裁国家、自己中国家の体制と法律、教育を変えてやることができれば、第四次世界大戦は回避できそうにも思えるが、ならず者国家も核を持っているため世界が終わり勝者無しで終わってしまう感じもする。そうなると、大きなダメージを受けた世界中の国々がそれぞれ自国に都合の良いように体制や法律を作り直し、数十年は細々と生きていくことになるのだろう。理想を求めた世界共通のものが生まれる余裕はないだろうし、誰も権限を持てないだろう。

 そうなると、やはり今後の世界はこれまでの世界と同様に、国同士が小競り合いをしながら100年程やっていき、最後に大戦争する、ということを永遠に繰り返していくのだろう。残念だ。最後のチャンスは第二次世界大戦後の戦後処理であった。

 嫌いな言葉

 「見える化、プレゼン、インフルエンサー」

 格好をつけた名前に変えただけで、「高度なもので効果的で正しくて流行の先端を行っていて・・・、つまりすごいもの」という錯覚をさせる、いわば詐欺のように私には見えてしまう。能力の劣る者は、中身ではなく外見でカモフラージュする程度のことしかできない。

 その具体例を挙げると、例えば「見える化」という言葉はトヨタ自動車から生まれた言葉で、「問題点の判断基準が共有されており、問題・課題の改善が繰り返し行われる状態をいい、良いことも悪いことも全員に共有されるため、良いことは真似して、悪いことは改善を行うことができます。」との説明がなされている。その結果、先日基礎中の基礎である型式指定の認証不正をトヨタが長年行っていたことがばれ、謝罪会見でも自分たちを正当化する言い訳が目立ち、国交省を怒らせた。このような技法、このようなレベルなのである。

 既存の言葉で単語を構成したり日本語で表現したりするのではなく、あえて注意を引くように作り出された単語は、国連やマスメディアをはじめ、教育界(「GIGAスクール」等々)やビジネス界など、いたるところで見られるようになってきた。時代なのだろう。十分に注意が必要だろう(中身がすべてダメということではなく、他意があったり不都合なことを隠そうとしたりしているから、気を付けようということ)。

 日テレと櫻井翔氏やいわゆるジャニタレとの関係は、何とかならないものだろうか。尋常ではない。父親(の経歴)か旧ジャニーズ事務所のどちらかが影響しているのだろう。

 近年の日テレは、タガが外れたように何でもできる状態で、どの事件においても自粛をしたり責任を取ったりすることはない。「これから頑張ります」と言うだけで、そうかといって改善する気配もなく平気で続ける(24時間テレビにしても櫻井氏起用にしても)。ひどすぎる。局アナも愛想をつかして、どんどん退社している。

 おそらく自分達ではよくわからなくなっていると思うので、社長と局長級を外部(大手制作会社や旧ジャニーズ事務所がらみではなく、コンプラなどに取り組んできた大手一流企業の社長経験者など)から招いて局の改革をお願いするしか、変れる方法はないように感じる。

 クリーピーナッツというグループがドジャースタジアムで始球式をし、キャッチャーまで届かなかったためにキャッチャーに向かってマウンド上で深々と土下座をして見せた。多くのアメリカ人が見守る前で・・・。これを見たアメリカ人は、日本人をどう見るようになるだろうか。

 土下座で思い出されるのが、韓国に行って鳩山元総理がスーツ姿で土下座をしているみじめな姿や、元慰安婦たちが叫びながら土下座を要求する姿だ。なぜ元慰安婦が土下座の謝罪を要求するかというと、相手のプライドを傷つけ自分に服従させたいからである。心からの謝罪の言葉や手紙ではいやなのだろう(実際日本は何度も謝罪してきた)。

 おそらく、アメリカ人が自国のスタジアムの中心で目にしたクリーピーナッツの土下座は、私が韓国がらみの土下座に対するイメージと同じではないのだろうか。わかりにくいなら、例えば大谷選手がドジャースタジアムの中心であるマウンドで土下座をしてみせたら、アメリカ国民はどう思うか想像してみればよいかもしれない。 

 アメリカのバイデン大統領の立候補辞退に関わって、ペロシ議員やハリス副大統領などアメリカの女性議員がテレビに出てくることが多くなった。

 外見や話し方などを見ていると、能力を持った実力のある人のように見える。少なくとも、社会人としての普通の大人であることには間違いないだろう。

 日本の女性議員を振り返ってみると、与党の衆議院で目立っている人は稲田朋美氏、小渕優子氏、高市早苗氏、野田聖子氏、参議院では今井絵理子氏、生稲晃子氏、三原じゅん子氏あたりだろうか。野党では蓮舫氏と辻元清美氏ぐらいである。

 私には、虚勢を張ったりハッタリをかましたりしているか、あるいは言い訳や謝罪、又は逃げ回っている印象しかない。私個人としては、一般の国民と比較して、信頼したり期待したりできない人々ばかりである。社会人(普通の会社員や主婦)としての基準に達していないように感じられるのである。

 国を代表する国会議員の質を比較してみると やはり日本はアジアの一国にすぎず、科学技術以外の分野ではまだまだ発展途上国であり、今後数十年は改善の見込みも全く見えない状況である。

 

 社会の中で目立つ職業の女性たちがこうだと、日本社会では「これだから女性はだめなんだよなあ」と言われても仕方がなく、ますます女性の社会進出が遅れていく。いくら国会議員や研究者、医師の女性の割合を強制的に高めてみても、質が伴わなければ数十年後には無理がたたり、「やっぱり男性でないとだめだ」となって時代が逆行しかねない。だからいくら形式的に女性の数を増やしてみても意味がないのである(女性にとっても社会の発展にとっても結果的にマイナスになる)。

 ではどうすればよいのか。これについては、このブログで散々書いてきたので詳しいことは省略するが、専業主婦がいい、女性は男性から守ってもらいたい、大変な商社や都市銀行の総合職は男性の仕事、深夜や汚い仕事はイヤ等々の女性側の男女差別の意識を無くすることが、まず第一歩である。これが変わらなければ本当には何も始まらない。今後数十年かけて女性側の意識が変わり、実力主義の大学入試や就職競争に臨む女性の割合が男性程度まで高まれば、自然に実力の伴った真の男女平等の世の中に成熟していくだろう。

 

 今日も東京は猛暑日になるようだ。

 暑くなればなるほど、おかしな行動が多く見られるようになる。

 一つは、白い綿のフェイスタオル(温泉タオル)をマフラーのように首に巻いて首の動脈を温める行為だ。普通、首を冷やすことで全身をめぐる血液を冷やし体温を下げて熱中症を防ぐのだが、猛暑日になると一気にタオルを首に巻いて動脈を温める人が急増する。どうして?。

 もし汗をすぐに拭けるようにするためであれば、カバンやポケットに入れたり(小さなハンドタオルでもよい)、汗をたくさんかく屋外労働者であればベルトから下げたり腕に巻いたりすればよい。それなのに、なぜ冷やさなければいけない首を逆に温めだすのだろうか。余計に体温を高め熱中症になる危険性が高まる。マフラーはとても暖かいものだ。猛暑日には首を冷やしたほうがよいのであるが、温めるくらいなら何もせずにそのままのほうがよい。

 もう一つは、猛暑日になるとハンディ扇風機を使いながら街中を歩く人が急増するということだ。これまた私には不思議でならない。「一人ロウリュウ」をやる目的を一度聞いてみたいものである。猛暑日に外を歩いていて、突然風が吹いてくると熱風を感じ、暑さに耐えられなくなるだろう。熱風を浴びるより浴びないほうが楽であるのは小学生にでもわかることだ。利益を追求するメーカー側でさえ、猛暑日は逆効果であると注意喚起をしているのに、なぜやるのか?

 命にかかわることである。バカなことはやめたほうがよい。「周りがやっているから私もやる」なら、多くの人が信号無視をしたり泥棒をしていたら、自分もやるのだろうか。いや、本当にやりそうだ。

 愛知の商業施設の女子トイレで、男子高校生が12歳の女子を盗撮したとして逮捕された。

 女子によると、個室の上からスマートフォンが見えたので店員に助けを求め、警察が来て逮捕となったらしい。高校生は、おなかが痛くて女子トイレに行ったと容疑を否認しているという。高校生のスマホに画像は無かった。

 もしおなかが痛く、すぐトイレに行かないと漏れてしまうという状況で、トイレが満室であった場合、通路で漏らすわけにもいかないから、異性のトイレに駆け込んで用を足す。これは全ての男性でも女性でもそうするのではないだろうか。商業施設の通路で大便をもらすほうを選ぶ人はいない。また、おばけを怖がっている人はカーテンが揺れただけで本当におばけに見えたりする。特に子供は見まちがいや勘違い、思い違い、嘘が大人に比べて多い(経験上)。

 電車内での痴漢同様、女性だから訴えをすべて信じて即「逮捕」というのは、警察はやめなければいけない。間違いだったらどうするのだろうか。「ごめんちゃい」では済まされない。責任を取ることは不可能である。今回のように、逮捕されると新聞に載りニュースでも流れ、SNSで全国に伝わり、(後日小さく「釈放された」との報道があったとしても)その人の一生が終わってしまう可能性もある。実際、女子高生から電車内で痴漢扱いされて教員が逮捕され、誤解のために翌日釈放になった教員のその後の人生がすっかり変わってしまったということがある。家族も苦労をしたようだ。

 今回の事件の真偽は別にして、女性が盗撮被害や痴漢被害を訴えたら即「逮捕」というのは禁止にし、女性から訴えがあった場合はとりあえず身柄を拘束するということにしたほうがよい。そして自白なり証拠が出たりした時に逮捕するのが自然な流れであろう。女性だって間違いはある。確認もせずに逮捕などやってはいけない。人権無視も甚だしい。独裁国家や大昔の話ではないのである。