嫌いな言葉

 「見える化、プレゼン、インフルエンサー」

 格好をつけた名前に変えただけで、「高度なもので効果的で正しくて流行の先端を行っていて・・・、つまりすごいもの」という錯覚をさせる、いわば詐欺のように私には見えてしまう。能力の劣る者は、中身ではなく外見でカモフラージュする程度のことしかできない。

 その具体例を挙げると、例えば「見える化」という言葉はトヨタ自動車から生まれた言葉で、「問題点の判断基準が共有されており、問題・課題の改善が繰り返し行われる状態をいい、良いことも悪いことも全員に共有されるため、良いことは真似して、悪いことは改善を行うことができます。」との説明がなされている。その結果、先日基礎中の基礎である型式指定の認証不正をトヨタが長年行っていたことがばれ、謝罪会見でも自分たちを正当化する言い訳が目立ち、国交省を怒らせた。このような技法、このようなレベルなのである。

 既存の言葉で単語を構成したり日本語で表現したりするのではなく、あえて注意を引くように作り出された単語は、国連やマスメディアをはじめ、教育界(「GIGAスクール」等々)やビジネス界など、いたるところで見られるようになってきた。時代なのだろう。十分に注意が必要だろう(中身がすべてダメということではなく、他意があったり不都合なことを隠そうとしたりしているから、気を付けようということ)。