和田アキ子氏が、やり投げの北口選手に対し、公共電波を使い全国に向けて誹謗中傷(「悪口などを書き込むなどして、相手の人格や名誉をおとしめたり傷つけたりする行為」)を行った事件について、今日の「アッコにおまかせ」で謝罪、説明をするという。

 自分の行為を理解できるのであれば、翌日にでも事務所を通して謝罪するべきだった。1週間だんまりを決め込んできたために、この話題がとても大きくなり、和田氏が語った具体的な悪口の内容が、知らなかった多くの国民にも知れるところとなってしまった(北口選手に対する悪い見方が広まってしまった)。「やることなすこと和田氏は・・・」と思うのだが、せめて今日の番組での謝罪は、自己保身よりも北口選手に対する国民のマイナスイメージをできるだけ払しょくする説明を行うことに全力を尽くすべきだろう。

 それからもう一つ、和田氏は彼女のイエスマンたち(レギュラーたち)に、自分が謝罪説明をしている時におかしな言動(謝罪中に首を横に傾げて「そうかなあ」という仕草をしてみたり、和田氏を擁護する発言をしたりなど)をしないように、事前にお願いしたほうがよいだろう。

 昨日テレビでやっていたが、6月にポツダム宣言受諾にまとまっていた日本が通達をグダグダと2カ月ほど伸ばしていたために、8月の原爆投下やソ連による侵略と日本人の大量殺害をゆるしてしまった。

「時を見誤れば、事は悪化する」とは、どのような場合にも言えることである。

 ヤフーが取り上げる記事の基準は、それを広く社会に広めることで賛否両論が起き、SNS上で誹謗中傷合戦になるかどうかのような気がしてならない。ご丁寧に、個人の思ったことを書き込めるコメント欄まで設けている。

 それからもう一つ、情報番組も司会者やコメンテーターが一面的な偏った意見を総合的な結論として報じて国民をあおることも、誹謗中傷を生み拡大させる要因となっていると思う。

 国民をあおり社会を混沌とさせている大元は、「誹謗中傷はいけない」と非難しているヤフーニュースと情報番組だと感じるのは私だけであろうか。この2つが取り上げなければ、あるいは断定的な意見を付け加えたり批判的に取り上げたりしなければ、国民も興奮して(怒って)SNS上に限度を超えた悪口を書いたりしないだろう。

 バレーボール女子日本代表で主将を務めた古賀選手が引退会見を行った。

 彼女はパリ五輪直前に引退宣言を行ったが、それが吉と出るか凶と出るかは賭けであると、このブログで書いたが、パリ五輪ではチームの一体感もメダルへの執念も感じられなかったことから、やはり凶と出たのではないだろうか。

 例えば辞任を表明した首相を中心に皆で全力でがんばろうなどとは思わないのと同じく、チームのメンバーたちは、もうやめていく人、みんな苦しいけど頑張っているのに一人で逃げ道を作っているような人と、一緒に頑張って戦おうと前向きな気持ちにはならないのではないだろうか。

 わざわざオリンピック直前に、「終わったらやめます」などと言う必要は無かったと思う。というより、言ってはいけなかったと思う。帰国後、彼女は笑顔で「オリンピックが終わってスッキリした」と話していたが、彼女以外の残るメンバー達はすぐに負けてがっかりしていることだろう。一体感など生まれる関係性ではなかったのである。

 岸田氏が次の総裁選に立候補しないことを表明したのは、麻生氏の協力が得られなかったからというニュースが流れている。菅前総理の時と同じだ。

 麻生氏は国のことを考えて行動しているだろうか。それとも自分個人が独裁者のごとく思ったように国(首相)を動かしたいと思っているのだろうか。

 岸田総理は民主政治を取り戻すべく一人で派閥解消に向けて頑張ったのに、マスメディアは岸田氏をバックアップすることもなく、麻生氏と茂木氏が派閥(「派閥」という名前を変えたとしても数を残せば同じこと)を温存することを認めた。派閥政治は、数にかまけた独裁政治である。それを地で行くように、自分の言うことを聞かない総理を次々に降ろしていく。黙っていることは、認めることである。マスメディアは派閥温存時に追及することを放棄して麻生氏を擁護し、この国の独裁政治を守り抜いた。

 政治に対し、現実的、効果的に直接批判をおこなえるのは、警察でも法務省でも裁判所でも国民でもない(現実的に難しい)。それができるのは、唯一マスメディアだけである。マスメディアは、視聴率や利益、忖度、バラエティで頭がいっぱいなのかもしれないが、国や国民にとって最も重要な仕事も担っていることを思い出してもらいたい。

 テレビ番組で食レポやスタジオで一口食べた感想を聞いていると、「すごくおいしい」、「とてもおいしい」という人はゼロで、100%「めっちゃおいしい」という。なぜ、「おいしい」の前には、関西方言の「めっちゃ」を使うのだろか。

 私の想像だと、もちろんテレビで「めっちゃおいしい」というのは芸能人であり、芸能人があまりにも普通の「とてもおいしい」ではまずいし、そうかといって全く異なる他の表現で味の感想を言うボキャブラリーもない人が、少し奇をてらって「めっちゃ」を使い、それが便利なツールとしてテレビ界で広まったように感じられる。

 この「めっちゃ」という響きは、個人的に好きになれない。例えばサンドイッチマンは特別で、「めっちゃおいしい」といったことを私は1度も聞いたことがない。感情をこめて「おいし~」という。それが視聴者にもよく伝わり、こちらもうれしくなる。ごまかしではなく、気持ちが伝わる感想がよいのである。

 生き物(生物)の中には、哺乳類や昆虫のように脳や神経を持つものと、草木や野菜のように脳や神経を持たないものがある。

 この2つを一緒にして、「生き物を殺してはいけない」「野菜であろうと命を食べることになり罪深いこと」などというから、いたるところで無理が出てくる。人間や像などを次々に殺すことと、家を建てるために木を次々に切ることを同等に扱うことは、生物学的、医学的、環境的、社会学的、道徳的、法的等々、様々な点からできないだろう。

「生物」のくくりが広すぎるから矛盾やむちゃが出てくる。この2つを分けて、それぞれに適切な名前を付けたほうが、すっきりするのではないだろうか。

 神社に行ってもお願い事をしない人もたくさんいる。その人たちは、「神様などいないから」といった理由ではないだろうか。

 たしかに、願いことを何でも叶えてくれるような物質(固体や液体、気体)や質量をもたない光、電磁波のような存在の神はいない。神社の建物の中にも御神木にも滝にも山にもいるわけがない。しかし私はそれらに向かってお願い事をする(本来であればお願い事をするのではなく感謝を伝える場のようだが)。

 理由は、自分の目標を明確化し、それに向かって努力をしようという決意を新たにするためである。そのような精神的対象を「神」と定義づけるとしたら「神は存在する」とも言えるだろう。定義づけ次第である。 

「神」の定義をはっきりと現実的に明記すれば、皆がお参りするようになるのだと思うが、そうすれば神話との整合性が崩れてしまうのか。ファジーにしておくことがよい場合もあるのかもしれない。

 中国製品に発がん性物質が含まれていることが明らかになり、問題になっている。

 韓国で調べたところ、通販で販売されていたサンダルは韓国の基準の229倍、ビーチボール(空気の注入口)は148倍あったという。その他、帽子、下着、浮き輪、マニキュア、靴の中敷きなどからも発がん性物質が確認されたという。

 中国の工場は、他国の人がいて監視をしているわけではない。バレなければ何でもできる人々なのだろう。

 以前、中国の農産物には大量の農薬が使われ、中国の食堂のテーブルにある紙ナプキンは使用済み生理用品の再生品だったことがニュースになった時から、中国からの野菜(冷凍食品も含む)と紙類、マスクだけは買わないようにしていたが、多くの製品にも危険性があるようだ。

 私は100均でよく買い物をするが、中国製品はとても多い。100均の会社は、自分の店で売る前に、輸入商品の安全性について検査をしているのだろうか。私は100均の会社も信用できないので(知らない人の健康などより利益優先だろうと個人的に思っている)、今後は茶わんや皿、箸などの食器類、肌に直接触れる文房具やタオル類など、中国製品は一切買わないようにしようと思った。

 しかし、今回の検査は韓国で行われたものであった。なぜ日本では検査もせずに中国から輸入したものを国内で販売することを許可しているのだろうか。日本の政府も、国民の健康や命より利益のために簡便化しているのだろうか。韓国も日本向けのキムチ工場で、製造しているおばちゃんがキムチに唾を入れている写真をみたことがある。どこの国もみな信用できないか・・・。

 「やればできる!」というお笑い芸人がいたが、「バレなければできる!」のだろう。いや、「バレてもまたできる!」が現実である。人間とは、理想を語りながらやることは正反対、嘘や戦争(相手をやっつけること)を好み、何千年たっても学ぶことができない不思議な動物である。

 悪人になることはすぐにできるが、善人になることは長い年月の教育が必要だ。

 なぜだろう。悪事を働くことで快感や私利を得られるからなのか。それに逆らって生きることの喜びを体感させ納得させ定着させることは、並大抵のことではない。

 五輪選手達がスーツ姿で首相官邸を訪れた際、進行役のスポーツ庁長官である室伏氏がブレイキンの初代女王AMI選手に対し、「即興が得意ということであれば、もし、ちょっと場を和ますというか、お時間もありますので(披露するのは)いかがでしょうか、AMI選手」とその場でやってみせるように促した。AMI選手は「スーツじゃ踊れないので、また機会があれば、すみません。お願いいたします」と丁寧に断っていた。

 「お時間もありますので」って、それなら選手達と総理がオリンピックの話題で楽しく会話が進むように、話題を提供したり話を振ったりするのが進行役の仕事であろう。情報も能力もない準備不足の人にこのような大切な役割をさせてはいけない。

 数十年前の公務員や会社員の世界では、本人の意に反してみんなの前で特技や芸をやらせることは日常的であったが、今の時代にまだこのようなことを口にできる人がいたとは驚いた。室伏氏は、社会と離れたところで生きてきたのだろうか。あまりにも世間知らずである。