神社に行ってもお願い事をしない人もたくさんいる。その人たちは、「神様などいないから」といった理由ではないだろうか。

 たしかに、願いことを何でも叶えてくれるような物質(固体や液体、気体)や質量をもたない光、電磁波のような存在の神はいない。神社の建物の中にも御神木にも滝にも山にもいるわけがない。しかし私はそれらに向かってお願い事をする(本来であればお願い事をするのではなく感謝を伝える場のようだが)。

 理由は、自分の目標を明確化し、それに向かって努力をしようという決意を新たにするためである。そのような精神的対象を「神」と定義づけるとしたら「神は存在する」とも言えるだろう。定義づけ次第である。 

「神」の定義をはっきりと現実的に明記すれば、皆がお参りするようになるのだと思うが、そうすれば神話との整合性が崩れてしまうのか。ファジーにしておくことがよい場合もあるのかもしれない。