中国軍が台湾の周辺で行った軍事演習を行った。台湾周辺と言うことは、台湾の領土を奪う練習と推察される。

 軍事演習を行うのは、その国の自由なのだろうか。そうであれば、欧米や日本も中国による領土侵略に対応する軍事訓練を同時に行えばよいのではないだろうか。良いチャンスだと思う。

 衝突はしないだろう。訓練と宣戦布告は、まったく別なことである。

 この前の都知事選で敗れた蓮舫氏が、自身のツイッターに「平和賞を国家としてどんな行動に繋げるのかも総選挙の一つの争点に」と記した。国民の関心事だからということなのだろうか。いや、国民は目の前の自分の生活や老後についての不安が一番大きいので、それは違うだろう。不明であるが、そもそも論で言うと今回の解散総選挙でも(公明党と合わせて)過半数を取るであろう自民党の主張通りにすべてが決まるのだから、他党が選挙前や選挙後に論争を吹っかけても何の意味もない。争点になる、ならないの話などではない。

 蓮舫氏の思考は、「争点探し」が大きな部分を占めているのかもしれない。都知事選の時も、一人で勝手に「〇〇が都知事選の争点になる」と決めつけて、小池氏からは「都で検討中だから、(争点に)なりません」と一喝されていた。

 蓮舫氏と辻元氏、何を目指しているのか私にはよくわからない人達である。

 お笑いの松本氏の強制性交疑惑について、女性をアテンドしたとされているたむらけんじ氏が、取材で「正直、本当にいわれのないこと。僕らのことならなんでもいい。でもあの人のことは100(%)ないので」と言い切ったという。松本氏についても「(活動休止が)長すぎる」、「これで人の人生変わるとか、仕事がなくなるって、ちょっと日本をどうにかしたほうがいいと思います」と語った。

 なぜ松本氏やその子分たちは、お金を払ってお店で遊ばずに、素人をターゲットにしていたのかがこの事件の本質である。お店ではできず、素人相手ならできることとは何かということだ。有名になった吉本芸人達は、どのような目で一般人(特に女性)を見ているのかといった、本人たちの人権意識にも関係してくる話である。彼らが街を歩いている日常の姿を写真などで見ても、ほとんどやくざやチンピラの歩き方と変わりがない。心がそうなっているのだろう。吉本芸人っていったいどいういう人達の集まりなのだろうか。

 たむら氏は、「(休止活動が)長すぎる」、「日本を・・・」などと話すが、現在は裁判の審理が行われている最中である。松本氏や手下の吉本芸人たちの罪があやふやな状態で、テレビに出て仕事をしたほうがよいというのだろうか。加害疑惑のさなかに公のテレビに出演させる日本に変えていこうと主張しているのだろうか。なぜ「日本」まで持ち出してきたのか。「国」云々のレベルや範疇の話などではない。人としての基本中の基本の話、小学生の道徳レベルの個人的な問題である。

 吉本芸人のお笑いの仕事以外のまじめな話を聞いていると、気持ちが悪くなってくる。吉本芸人達の、判を押したような傷のなめ合い発言(擁護発言)は、もううんざりだ。

 衆院解散総選挙が行われ、国民によってこれまでの自民党による様々な不適切問題がすべて許され、継続を任される。

 国民が一番恐ろしい。国民には、正義も記憶力も改善や改革の気持ちも何もない。選挙演説中の議員たちが真の姿を隠しておこなう、何の保証もない一般的な理想論や嘘(「~をします」)の絶叫、演技(走り、笑顔を作り、握手をしながら何度もお辞儀をして誠実ぶる姿)などを真剣に見聞きしては、考え込んだりしている(それらを材料に投票する人を選ぶ)。バカじゃないだろうかと思う。気持ちが悪い(議員ではなく、そうやっている一部の国民)。9年間に及ぶ義務教育の無力さを痛感する。

 高市早苗氏を見ていると、女性に特徴的な性格がしっかりと身についている人だなあと感じる。

 国民の生活や命を預かる国会議員である以上、それではまずい。まずは、あごを出して上目遣いで人を見下す所からやめてみよう。次に改めるのは「怖い作り笑顔」(極端な裏表)、その次が無理のある(微妙に内容を変えていく)詭弁であろうか。

 いや、誠実で謙虚になれば一瞬で全てを変えられる。しかし、女性に特徴的な性格というのは、女性として数十年間生活する中で徐々に身についたものである。それを短期間で変えることなど、よほどのきっかけがない限り無理なことであろう。

 衆院が解散した。衆院選が行われる。

 石破首相は、「国民に信を問う(選挙)」と言う。ボールは国民に投げられた。国民が物申せる唯一のチャンスである。

 国民は、自民党議員達の数々の悪行について、そして年金などの社会保障の不安定化、高齢化社会や非正規雇用者数をさらに悪化させて手遅れにしてきたこれまでの政策などについて、どのような審判を下すのだろうか。

 これまでの、そしてこれから(次の衆院選まで)の自民党のすべての責任は、国民(正確に言うと自民党議員に投票した国民)が負うということだけは、忘れてはいけない。

 音楽プロデューサーの秋元康氏が、新たなグループを作るという。これまで彼はたくさんのグループを作ってきたが、売れなくなっても最後まで一人一人の面倒を見るというわけではなかった。多くのメンバーは、年だけ取ったその時点から、一般の人のように専門学校に行ったり大学(はもう遅いか)に行ったりするか、非正規の仕事やバイトについたりすることになるのだろう。正規雇用だとしても、年齢的に不利があれば他の若者には負けてしまう。年をとってからの就職活動はかなり不利になる。

 秋元氏が、一生芸能界で面倒を見てくれるなら就職時期の大切な自分の人生を秋元氏に捧げてもいいだろうが、売れなくなったら使い捨てにされるのであれば、最初から秋元氏のグループに入るかどうかはよく考えたほうがよい。大人たちの営利活動に自分の人生を翻弄されないように、親ともよく話し合ってもらいたいと願う。

 

 ジャングルポケットの斉藤容疑者が書類送検を受けた件で、お笑い芸人のコメンテーターは残った二人のメンバーについて、お笑い芸人達が面白くしてくれるから頼ったほうがいい、さんまさんなども面白くしてくれるからどんどん甘えたほうがいいなどと話していた。この事件を笑いで吹っ飛ばそうという意味なのだろう。被害者がいる刑事事件なのだが・・・。

 お笑い芸人達の「人」としての感覚や倫理観、常識、責任感は、こうなんだよなあ。不自然で大げさな大笑いの姿をやって見せることで、いじめも暴力もからかいもハラスメントも刑事事件もすべてチャラにできると思う人は、社会にとってマイナスであり危険でもある。

 お笑い芸人を抱える芸能事務所は、月に1度程度は(コミュニケーションや行動についての)マナーやハラスメント、人権、違法行為などについての研修を行ったほうがよい(コメンテーターをやらせるなら、最低限の社会問題の情報や論理(話の筋)についての学習も)。今はどこの会社や公務員でも、一般の人に向けてこの手の研修を頻繁に行っている。多くのお笑い芸人は、一般の人より非常識で教養もない(日々多くの芸人をテレビでずっと見ているとわかる)のだから、事務所は責任をもって一般企業よりも余計に研修を行わなければいけない。

 石破氏の国会答弁を聞いていると、「適切な時期に・・・」、「適切に対応して・・・」と、「適切に・・・」という言葉を使って、まずい指摘や質問からすべて逃げていた。あまりにも多用しているので、おそらく「適切に・・・」を使えば何でも切り抜けられると気が付いて、あえて使っているのだろう。

 他の答弁拒否の目立った表現方法として、「個人的な考えをここでは申し上げませんが」や「予断をもって申し上げることは差し控えますが」、「個別のことにはお答えいたしませんが」などがあった。もちろん決定事項でなくてもよいので総理大臣としての考えや今後の予定している対応など話すのが総理の仕事である。それもせず、何を質問されても答えなければ、なぜ彼は総理になったのだろうか。単に情報も判断力もリーダー性もカリスマ性もないために、そうやるしかなくなっているのだろうか。それにしても、最後の「個別のことには・・・」は、そもそも政治はほとんどの事案は個別のことである。もはや、彼は自分の言動を客観的にみられなくなっており、日々の仕事を周囲から言われたとおりになんとかこなすことで精いっぱいのように見える。

 現在の彼は、自信もリーダー性もないうえに、国会答弁を遊び(ただの形式的儀式)だと思ってバカにしている(前の席でニヤニヤしながら質問を聞いては、答弁拒否)。彼は政府の外から評論家として思った正論を発言していたほうがよかった。

 田原総一朗氏は、「日本は米中の間を取り持つ国に」と話す。

 どちらの国からも本心では見下され、いいように利用されている国が、間を取り持つなど論外である。

 彼は現実を踏まえない主張が多すぎる。それでは、絵に描いた餅で終わってしまう。

 

 なぜ日本は、多くの国からバカにされているのだろうか。日本は相手のことを非常に気遣うので、他国から見ると何でも言うことを聞いてくれたり、自分たちの作り話や罪も全て受け入れてくれる。それならどんどん利用したくもなるだろう。弱い者を徹底的にやっつけ、できるだけ奪い、自分が余裕をもって安心して過ごせるようにしたくなる。それが、動物の本能だ。強いものは一目置かれ、信用もされる。仲間も増える。残念ながら、それが実態であろう。