安倍派の象徴である高市氏と麻生派の会長である麻生派がいる限り、古い悪しき自民党政治、つまり数に物を言わせた独裁政治(金や人事、首相等の操作)は無くならないだろう。

 自民党は、次の選挙でこれまでの自民党の行なってきたことの審判を仰ぐという(自民党選挙対策委員長談)。ここで自民党に過半数を与えたら、政治資金パーティーの存続や裏金行為、派閥政治(数による政権操作)も含め、様々な不適切行為をすべて認めることになる。

 高市氏や麻生氏を当選させたり落選させたりするのも、これまでの自民党が行ってきた数々の不適切行為、違法行為(泥棒が盗んだ物を後で返せば無罪とはならない)を全部許したり責任を取らせたりするのも、国民なのである。実行犯ではなく、全てを知った上で任命する任命者が首謀者であろう。

 この国の政治において、真の悪者は政治家なのか国民なのか、まもなく明らかになる。

 石破氏は、大きなミスを犯した。それは森山氏を幹事長にしたことだ。あまりにも古株の大物過ぎて、石破氏は彼の言うことを聞くしかなく、自分の思っていた政治ができなくなっている。

 幹事長にふさわしい人とは、石破氏本人が話していた通り、泥をかぶりながら総裁の考えをうまく実行していける人であろう。石破氏はそれを望んでいたのに、正反対の人を選んでしまった。森山氏はこれまでの自民党のやり方や慣習が骨の髄まで染み付いている人だ。相談相手、女房役の森山氏は、石破氏の考えを聞いたりそれを実行しようと努力するのではなく、これまでの古い自民党のやり方を上から押しつけようとしているのであろう。これほど石破氏の言動が日々変わっていることが、それを証明している。これでは、何のために石破氏が総裁になったのかわからない。

 石破氏は、自民党の全てを壊し、新しくするために総裁を目指したはずである。その実行のためには、これまでの古い悪しき自民党の体質が染み付いている人は、自分から遠ざけなければいけない。融和ではなく、解体なのである。悪人たちをバラバラに蹴散らし、力を奪い、古い自民党を壊した後に、堂々と去ればよい。それが彼の仕事であろう。これまでのことを踏襲するだけなら、彼ではないほうがよかった。

 次々に自分の考えを変えなければいけなくなっている石破氏は可哀そうだと思うが、自業自得であろう。

 石破新総裁の記者会見では、新調したメガネが斜めになっていて、コントのようであった。あれでは、まじめな話をすればするほどおかしくなってしまう。

 私の記憶が間違っていなければ、彼はたしか前々回の総裁選でも、急に新しい眼鏡をかけるようになり(太枠の黒い眼鏡)、その眼鏡が選挙活動中にいつも曲がっていて残念だった。彼は、いつも眼鏡で印象を悪くしている。ちなみに、向かって右側のレンズの下に文字が入っているが、あれはメーカーのシールではないのだろうか。それともファッションか。ファッションだとしたら、あの眼鏡で外交はやめたほうがよい。

 皇居での任命式や首相官邸の階段での新内閣の写真撮影で石破氏はモーニングを着ていたが、ネットで話題になっている通りよれよれの上にすそが余り過ぎていた。よくあのモーニングで天皇陛下の前に行ったなあと、驚きである。 

 彼には、身なりを常時チェックしたり細かいお世話をしたりする専門の係(汗拭きハンカチやマスク、櫛や顔のテカリ抑えなどの化粧道具、服用コロコロ、靴をふくミニタオル、裁縫セット、軽食などを持ち歩き、すぐに対応する人)を、秘書とは別に1人つけたほうがよいと思う。

 中国の清華大学が、大国に対する認識についての世論調査(自国民2662人)を行った結果、回答者の81%が日本に対して否定的な見解を持っていると答えた。

 国民の認識や考えの世論調査など何の意味もない。特に外部情報が統制され遮断されている中国においては、国民の認識は政府や政府に統制されたマスコミが流す情報と同じになる。「国民の認識」というより、「政府がどの情報に力を入れて流しているかの割合」といったほうが正確だろう。

 人は、得られた情報によって、思い、考えるしかない、いわば「ただの箱」のようなものなのだから。

 日本は、中国に比べるとネットなどで他国の情報に多く触れることもでき、判断や認識の客観性が少しは高いのだろうが、その海外の見方が適切で普遍的に正しいものとも限らない。例えば欧米は、先の対戦でのアメリカによる日本の一般市民を対象とした大規模な空爆や核爆弾を批判しないし、今で言えばあれほど女性や子供などを無差別に殺しているイスラエルの味方をしている。すべての国は政治判断であり、日本政府や日本のマスコミの情報を含め、それぞれの国の自己中な情報を集めて判断してみても、あまり意味がないのである。それなりの結論が出るだけであるし、それが道徳に合致していたとしても現実に反映できるわけでもない(いくら立派なことを世界に訴えても)。人類は、数十年間道徳や宗教教育をやって来ても、今が最も第三次世界大戦に近い状況となっている。道徳も学問も平和活動も、各国の政治家の判断には、はるかに劣るものなのである。

 そう理解すると、どうすればよいかが見えてくるだろう。世論調査(「政府・マスコミ調査」?)など無意味なことをやっている時ではない。

 小泉進次郎氏は、今度の選挙で裏金議員問題も国民の審判を仰ぐことになると話していた。そればかりか、政治資金パーティーや数に物を言わせての派閥による独裁政治等々、批判を浴びてきた様々な問題も、次の選挙で国民の審判を仰ぐことになる。

 もし次の選挙で、裏金議員たち、派閥を守ろうとする議員たち、パーティーをやめない議員たち、私利私欲のために新総裁の足を引っ張って政治を混沌とさせようとしている議員たちを国民が当選させ、自民党に過半数を取らせたら、これまでの様々な悪事を認め、続けてもよいという判断を国民がおこなったということになる。そうなれば、自民党はこれまでの問題についてだれも責任を取らなくてもよくなるばかりか、続けてもよいと国民からお墨付きをもらったことで、今後も続くことになる。国民の審判がそう判断したのだから、政治家たちは堂々とやれる。

 記憶力も想像力も思考力も判断力も極端に劣る日本国民に判断を任せることで、裏金議員たちを当選させ、派閥を存続させて数の力による独裁政治を温存したがる長老たちを当選させ、自民党が過半数を取り、これまでの自民党の不適切行為をすべて正当化しようとするなんて、自民党は本当に狡猾で悪い人たちだと思う。最も愚かな国民を、自分たちが悪事を続けるための道具に使うとはひどすぎる。国民に判断を任せられたら、もうおしまいだ。

 国民に問いたい。今度の選挙は、「これまで地元のために尽くしてくれたから、云々」という判断基準で投票してよいのだろうか。それはどういうことを意味するのか、よく考えてもらいたい。地域の市長や市議会議員を選ぶ選挙ではないのである。麻生氏や高市氏が、再び政界に戻って来たら、新内閣はどうなるだろうか。少し想像力を働かせてもらいたい。せっかく、自民党のこれまでの悪しき習慣を壊滅させられる最初で最後の人が総裁になったのだ。国民は、これを無駄にするというのか。

 政治ジャーナリストの田崎史郎氏が、テレビ朝日の情報番組の中で、石破内閣の顔ぶれについて、「非主流派の在庫一掃セール」と切り捨てたとヤフーニュースに載っていた。

 全国に向けて、テレビ局やヤフーなどが、新内閣はこのようなものだと足を引っ張るようなことを発信し、ひいては国政を混とんとさせようとすることは、許されるのだろうか。もしマスコミが、こういう意見もあるということを発信しているだけと言い逃れるならば、これと反対の意見や表現のしかたの人の意見も同時に紹介しないといけない。

 マスコミは、争いや炎上、社会の対立を生みだし、煽って盛り上けるのが大好きであるが、政治に関しては、国や国民の行く末に関係してくるので、マスコミは関わってはいけない(意見を述べたり無責任なコメンテーターやエセ専門家の主張を紹介してはいけない。やるなら正反対の意見も同時に紹介しなければいけない)。NHKのニュースのように、事実のみを淡々と伝えるだけでよい。

 麻生議員が、自民党最高顧問になるようだ。

 彼にはプライドがないのだろうか。あれほどの行動や態度を露骨にとっておいて、敵から権力の座をちらつかせられると、すぐに飛びつく。見ていて恥ずかしい。彼は、外見や態度はでかいが、人間はとても小さくて臆病に見える。言い換えれば、それを隠すために必死になって傲慢(ごうまん)にふるまっているのだろう。

 高市氏は、多くの裏金議員たちからの推薦をうけて立候補し、ルールも守らず、それでいてひどい言い訳ばかりである。それでも役職を固辞し、プライドだけは守った。

 安倍元首相も、政策も外交も態度も他人への暴言もひどかったが、数の力で生き残っていた。麻生氏や高市氏など、それに群がる人々も同じ穴の狢のように私には感じられていた。「類は友を呼ぶ」のだろう。

 石破氏は、総裁決定後に次々とこれまでの主張をかえて、党内の意見に寄せていっているが、皆(自民党議員以外の全ての人々)は彼に旧来の自民党をすべて壊してもらいたいと思っている。彼もまた「自民党」に飲み込まれていくのだろうか。

 お笑い芸人が、漫才やバラエティ番組、街散歩レポートなどで笑いながら話している時は、大抵おもしろくない話である。その話を笑ってほしい時に自ら笑ってみせ、相手につられ笑いをさせようとしているのであろう。それでも笑ってもらえない場合、中には「笑えや~」と、急遽陳腐なキレ芸に変更して笑ってもらおうとする人もいる。ここまでくると、共演者たちも仕方がなく苦笑いをするが、視聴者としては気分が悪くなるし、つらくて見ていられない。

 このようなことが続くと、お笑いの才能がない「つまらないお笑い芸人(?)」ということになる。三流お笑い芸人達も、一応お金をもらって仕事をしているプロとして、少しは恥やプライドを持ってもらいたいものである。

 ビートたけし氏も、昔のおもしろかった全盛期には、笑いながらおかしい話をしたりギャグを言ったりは絶対にしなかったが、交通事故を起こしたあたりからおもしろさが無くなり、それからは相手を笑わせようと思って話す時には自ら笑いながら話すようになった。ここ数年は、声を出して笑いながらつまらない話をしていた。コメンテーターも、もう終わりだなあと思っていたら、本当にやめてしまった。

 自分がおかしいと思う話をしても、観客や視聴者が笑わないのであれば、無理をしてお笑い芸人の仕事をしなくてもいいと思う。

 日曜日と言うこともあり、石破新総裁が朝から各局の番組に出演している。よく聞いていると、微妙にこれまでの自民党のやり方や決定に、主張を寄せていっている。

 党内融和を大事にするためだと思うが、党内のこれまでの悪しき習慣やしくみを守ることを最優先にするなら、別に彼でなくてもよかったと皆が思うであろう。

 悪人たち(バレなければ何でもやったり言ったりしている人々)の融和などどうでもいいから、国民や党員たちの期待を忘れず、自分の数十年にわたるスタンスや主張を否定することなく、自民党総裁としての自分にしかできない仕事を遂行していってもらいたい。

 

世間では、遺産相続問題がよく起きているようだ。

遺言がある場合を除き、法定相続分で分ければ問題が起きるわけがないはずである。

人それぞれに希望や考えがあり、それを言い合っていたらまとまらないので、法定相続分が決まっている。誰も何も言わず法定通りにやれば、身内同士の争いや喧嘩、裁判など起きないはずなのであるが、なぜか遺産相続問題は起きている。

どうしても身内同士の争いや裁判を避けたいというのであれば、法定相続分以外の割合を主張する相手の言う通りにやるしかない。

身内が集まり禍根を残すような醜い協議をして割合を決定する制度は廃止して、遺言以外は法定相続分で遺産分割(現金以外の動産や不動産もすべて現金化して分割)することを法律で義務付けることが、家族の平和や亡くなった人の望みにつながるだろう。