毎週末、お泊まりデイに夫を預かってもらっています。
今月は、間を繋げて10日間預かってもらい、私は一人で実家に帰省しました。

実家に行くのは、昨年5月の湯治旅行以来です。
あの時は、親切な駅員さん達に助けられながら、車いすで夫を連れて行ったな~と思いながら新幹線に乗って行ってきました。

母は87歳になり、今年米寿のお祝いです。
夫が認知症の診断を受けた同じ時期、母は雨上がりに滑って転んで、大腿骨を骨折して3ヶ月の入院をしました。
今から丸八年前のことです。
右手首も骨折していたので、しばらくは自分のことを自分でできなくて、辛い思いをしただろうと思います。
自分でお風呂に入りたいとの一心で、リハビリに励んだそうです。
なにしろ、右手が使えないと、タオルを絞ることができませんから。

今では、シルバーカーを押しながらですが普通に歩けますし、また右手もすっかり恢復して、筆で字を書けるまで戻りました。
でも、やっぱり年相応に体も衰えてきたのは否めなく、腰や膝が痛いと訴えています。
滅多に逢えない、後何回逢えるのか...
元気でいて欲しいと思っています。

実家は、母と、弟夫婦、その娘達が3人、一番上の娘=私の姪は結婚して、去年子供が生まれました。
それと、その旦那さんが顔を揃えていました。
近くに住む親戚も交えて、料亭で米寿のお祝いをし、その足で、隣の県にある温泉に行って、一泊して帰って来ました。

温泉では予定していた続き部屋が使えなくなったとのことで、代わりにと提供された部屋が貴賓室!!でした。
部屋に行くまで、両開きのドアが3つもあるような、広々とした造りでした。
12畳位の和室と、7畳位の畳の通路、それから、琉球畳が敷いてある囲炉裏を切った部屋、ベッドが2つの洋間が私たちが泊まった区画で、もう一つの区画は、広いリビング風の洋間がありソファがおいてありました。その他に和室が二間。
この区画の間の仕切りのドアを開放してもらって使いました。
大浴場も広々として気持ちよく、母にとって、思いがけず素晴らしい米寿のお祝いになりました。

姪の子供、なんて呼ぶのか知りませんでしたが、検索したところ、姪孫(てっそん)・又甥(またおい)と呼ぶのだそうです。
一歳を過ぎたところで、かわいい盛りです。
歩くのがちょっと遅かったらしく、丁度この日に、2,3歩歩けたとみんなで大喜びしていました。
広いリビング風の洋間のじゅうたんの上で、歩いては転び、すぐまた立ち上がって歩いていました。

この子に対する世話を見ていると、夫にしている世話とほとんど同じだと気がつきました。
食事、おむつ、話しかけ、etc。
でも、この子には未来がある。
今、ちゃんと歩けなくても、すぐに歩けるようになる。
言葉が話せなくても、すぐに話せるようになる。
比べること自体、無意味ですが、私はその明暗の大きさに、めまいがしそうでした。




家に戻り、夫も戻ってきて、いつもの生活が再開しました
長期間お泊まりデイで過ごした割には、とても反応がよく、一安心しました。
ただ、また喉のゼロゼロがでてきていました。
やっぱり痰切り薬を飲ませる必要があるようです。
歩行は、私はもう一人では歩かせられないけど、デイでは歩かせてくれたらしく、両側から支えれば、足が前にでていました。
歯を磨いた後、口を漱ぐとき、いつもは、歯ブラシを口の中にいれて、無理矢理?水を出させるのですが、なんと、ブクブクぺっができました。
一回だけで、二回目はいつも通りでしたが、ヘルパーさんと二人ですごいねーと喜びました。


帰って来た週の木曜日、アメリカに住む友人が訪ねて来てくれました。
実家が割と近いところにあるので、日本に帰ってくる度に会いに来てくれます。
今回は旦那様と一緒に来てくれました。
旦那様はアメリカ人ですが、とっても誠実な優しい方で、私にもわかる英語を話してくれます。

夫と4人で、おいしい中華料理を食べに行こうと思って、お店に予約をしていました。
木曜日は、足浴の日です。
いつもなら、ヘルパーさんに二階まで送ってもらうのですが、この日は一階の寝室で、彼女たちを待ち、そのまま出かけるつもりでした。

ところが、指定した時間より、1時間も早く到着してしまったのです。
まだ夫の介助、全開中で、にっちもさっちも行かなくなりました。
とりあえず、二階に上がってもらって、飲み物を出して待ってもらうことにしました。
その後も、放っておく訳にはいかず、夫の体を拭いたり、保湿剤を塗ったり、ヘルパーさんに冷たい飲み物を用意したりしながら、私は、何度も階段を駆け上がったり降りたりしていました。

やっと落ち着いて、夫を寝室のロッキングチェアに座らせ、飲み物を飲ませ、服を整えて、私も外出できる支度をして、二階に二人を迎えに行きました。
そして、寝室に戻ってみると....

夫は床に転がっていました...。
慌てて駆け寄り、夫の名前を呼びました。
夫は、額にうっすらと傷がありましたが、極く普通の様子をしていました。
さっき着せた外出着は、ズボンから、シャツから、濡れていました。

なんて私は不注意なんでしょう。
以前もロッキングチェアに座らせて、二階で食事の支度をし、戻ってみたら、床に倒れていたことがありました。
その時はもう自分で立ち上がることはしなくなっていた頃なので、つい油断をしていたのです。
それ以来、ドアの下に挟む三角形のドアストッパーを二つ買ってきて、私がその場を離れる時には、ロッキングチェアの足の下に挟んでいました。

今回も、挟んではいたのですが、片方がずれて、外れていました。
夫はおそらく、尿意を催して、トイレに行こうと立ち上がったのだと思います。
喜んでいる場合じゃないですが、私は、夫が立とうとしたことに驚き、嬉しくなりました。
でもー...
お願いだから、私のいるときに立とうとしてねっ(>_<)

お医者さんに連れて行って、CTを撮ってもらうことも考えましたが、全く普通の様子をしているし、どのみち、1,2ヶ月したら、もしかして症状がでるかもしれないので、気をつけて下さいと言われるだけだろうと判断し、やめておきました。

友人に手伝ってもらい、着替えさせたりして、時間も遅くなってしまいました。
友人は、食べに行かなくても、出前をとればいいと言うので、残念だけどそうすることにしました。
友人が階段を登らせるのを手伝ってくれました。
最近では、足を持ち上げてやらないと登れなくなっていて、そのタイミングがとても難しくなってきています。
それでも友人は一生懸命手伝ってくれました。

ダイニングに座った後も、夫の手を取り、ずっと話しかけてくれました。
夫は、彼女たちをもう覚えていない筈なのに、二人を見て、くつろいだ様子をしていました。
ひさびさに遠い所に住む友人と、ゆっくりおしゃべりできて、楽しかったです。


おまけ:英語では、姪孫のことを、grandnephew/grandnieceと呼ぶそうです。
わかりやすい。(笑







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ブログ、更新しなきゃなーと思いつつ、うだうだと過ごしていたら、あっという間に20日も経ってしまいました。
私はとっても遅筆で、一つの記事を書くのに、3時間とかかかってしまいます。
ひどいときには5時間とか...。(笑
まとまった時間がとれる時にしか、ブログに取りかかれないのです。

で、毎日、いろいろなことがあるわけですが、これ書こうと思っても時間がとれずそのままになってしまっています。
いいことがあって、書こうと思っていて、その後落ち込むことがあると、なんかもう書けなくなってしまいます。

とまぁ、言い訳がましくてすみません。
更新少ないブログですが、どうぞ時々覗いてやってくださいませ。



3年ほど前から、便秘がちになり、その後、10日ほど便が出なかった時に、熱を出してしまったこともあり、去年の4月から、訪看さんに来て頂くようになって、週一回の浣腸をしてもらっています。
また、お泊まりデイの看護師さんも、浣腸をして下さって、週二回の排便は確保できるようになっていました。
この間、その二回以外は自力での排便は、ほぼありませんでした。

ところが、今年8月に入ってから、ぽちぽちと、自然排便ができるようになってきました。
二回の浣腸時以外に、一回、もしくは二回、合計で週3,4回の排便があります。


思い当たることと言えば、7月中旬の主治医受診時に、これまで続けてきたメマリーを中断することにしたことです。
傾眠が強くなって、日中でも眠って居るときが多い状態でしたので、なんとかしたいと思って相談しました。
予想したように、先生は、傾眠がでるのは病気の進行のせいだと言っていました。
でも、なんとかしたいと重ねて言いましたら、じゃ、メマリーやめてみる?ということになったわけです。

夫が飲んでいる薬は、その時点で、

 ドネペジル(アリセプトのジェネリック) 1.5mg 朝食後 1錠
 イーケプラ(抗てんかん薬)       250mg 朝食、夕食後、各1錠
 メマリー                   10mg 夕食後 1錠

のみでした。
このうち、イーケプラに関しては、もう、てんかんを起こさせるのは危険なので、やめるわけにはいきません。
そこで、メマリーを中断してみようかとなりました。

本当は、メマリーの10mgでなく、5mg錠を出して欲しかったのですが、厚かましい私もさすがにそこまではお願いできなくて、中断という形になりました。
ちなみに、メマリーの通常の常用量は20mgです。


メマリーが、日本で発売になったのが、2011年です。
それ以前から、NamendaやEbixaという、同じく塩酸メマンチンが主成分の薬を、個人輸入で買って飲ませていました。
発病後、比較的早い時期からずっと飲ませているので、やめてしまうことに不安がありました。
でもまぁ、もはや、この薬が効いているとも思えないし、やめちゃおうと決心しました。

先生に、飲ませなくなったら、どうなるでしょうかと聞いたところ、症状が進むでしょうねと言われました。
具体的には、目が合わなくなるとか。


様子をみていこうということで、メマリーをやめて、2ヶ月過ぎました。
今のところ、目が合わなくなった感じはしないし、日中の傾眠も少なくなって来たような気がします。
デイからも、そう言われています。

でも、やっぱり症状は進んでいるんだろうなぁと思います。
朝、カーテンを開けて起こすとき、名前を呼んでもしばらくの間、虚ろな目をしていて、反応がありません。
先生の言う、目が合わなくなるとはこういうことなのかと思います。

それから、食事の時、噛んだ後、飲み込むのを忘れたかのように、口の中に貯めておくことがでてきました。
また、時々痰が絡んだような咳をするようになりました。


今月の主治医受診時にその報告をしました。

飲み物をうまく飲めなくなって、咽せることがでてきたのは、5月頃からですから、メマリーをやめたこととは関係ないのですが、噛んだ物を飲み込めないときがでてきたのは、やめてからです。
もしも、これがメマリーをやめたことによって症状が急速に進んだ結果なら、またメマリーを再開してもらおうと思って受診に臨んだわけですが、まぁ、先生もわからないんでしょうね。
再開の話はでませんでした。

ソフト食を考えるようにと言われました。
夫は、いまのところ全部自分の歯です。
毎回、しっかり噛んでいるように見えます。
ご飯だと一口分を40回くらい噛んでいます。(待っている間ヒマなので、数えてみました。笑)
口の中の食べ物がなくなってからでないと、次の食べ物を受け付けません。
それなのに、ソフト食がいるのかな?私はかなり疑問に思いました。
当面、食事に関しては、今まで通りのものにしようと思っています。


痰が絡んだ咳については、ムコソルバン内用液0.75%というのを処方されました。
これは痰の切れを良くする薬だそうです。
しょっちゅう痰が絡むわけではないので、私としては、その時だけの頓服の形で欲しかったのですが、朝夕二回、2mlずつ継続して飲むようにと言われました。

薬を異物としてとらえている私としては、できるだけ常用する薬は避けたいところですが、もう嚥下障害が始まっていて、知らない間に誤嚥している可能性があるし、痰が出なくて、気管が詰まったりして窒息することがあると言われると、やっぱり、飲ませないとダメなのかなと思います。

どんな味がするのか、試しに舐めてみました。
うーーーー!ものすごくまずい!!!
ちょっと舐めただけで、口の中に、かーーーっとまずさが広がりました。

夫には、これすごくまずいよ、でも痰の切れをよくするんだって、だから、我慢して飲んでねと言って飲ませています。
夫は嫌がりもせずに、飲んでくれています。

問題は、この内用液が、ビンに入っていて、毎回、極々小さな計量カップに2ml注いで飲ませなければならないことです。
家では問題ないのですが、お泊まりデイにそれを頼むのはためらわれます。
当分の間、家でだけ飲ませて、次の受診の時に、錠剤を処方してもらおうと思っています。
液と錠剤で、何か違いがあるのかはわかりませんが..。



9月ももう終わり..。
早いですねぇ。
診断を受けてから丸8年が経ちました。
来月から、9年目。
夫がなにかを失っていく度に、胸が塞がる思いをしてきましたが、最後に残った食事、これさえも奪われてしまうのでしょうか..。

おいしいものを食べた時に、おいしい?って聞くと、頷いて嬉しそうな様子をする夫を、いつまでも見ていたいです。







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先日、100円均一のお店に両面テープを買いに行った時、不思議なものを見つけました。
タテヨコ40㎝位の大きさで、カープした金属の枠にネットが張られています。
説明書を見ると、車の運転席に取り付けて、腰を保護するためのものらしいです。

家の座椅子に使えるかも?と思って、買ってきました。
ダメでもまぁ、100円だし~と思って。(笑

金属の枠には、ゴム紐がついていました。
それを座椅子の背もたれに引っかけると、まるで誂えたかのようにぴったりと納まりました。

早速座ってみました。
いい!これいい!
ちょうど腰のあたりをネットが支えてくれる感じです。
ネット自体はポリエステル?で出来ていて、体の形状に沿ってある程度形を変えてくれます。

ヘルパーさんや、マッサージ師さんや、来る人来る人みんなに座ってみてもらいました。
みなさん、異口同音に、これいいねーと言ってくれました。




座椅子3


座面にも改良を加えていて、腿が乗る部分に詰め物を足して高くしています。
少し低くなった部分にお尻がすっぽり入れば、前に滑り出すこともなくなりました。

敷いてあるシートは、これまた優れものです。
素敵なブログをお持ちのJuliaさんから教えていただきました。
沖縄へ行く前に教えて頂いたので、飛行機の座席とか、レストランの座席とかに、サッと敷いたりして、とても重宝いたしました。
薄いし軽いし、しっかり防水してくれます。


肝心の夫の感想は、残念ながら聞けないのですが、この座椅子を自分の座るところだと認識しているようで、連れて行くと、ちゃんと後ろ向きになって、座ろうとしてくれます。
座り心地も、ずいぶんよくなっただろうと思います。


見た目は、まぁ..えーっと..あの...その..。
ダイニングの違和感は、更に増幅しました!(笑








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年に一度、8月には市の指定病院へ健康診断を受けにいっています。

去年、採血の時に暴れてしまったので、今年はどうしよう...もう無理だろうなと思っていましたが、先生は連れていらっしゃいと言って下さいます。
この先生は、私の大腸がんを見つけてくれた先生です。
がんの経過を見るのと、高脂血症が治療を必要とするくらいになってしまいましたので、毎月定期的に受診しています。

折角先生がそう言ってくださるので、先週の木曜日に予約をとってはいましたが、私は気が重くて重くてたまりませんでした。


去年のインフルエンザの予防接種を、夫の主治医のところで受けましたが、その時は思いがけずおとなしく、びっくりしたり喜んだりしました。
その時主治医の先生は、「静かな環境で、待たせたりしないから」だと言っていました。

毎回暴れるわけではなく、その時の状況によるものだとわかりましたが、普通の総合病院で、大勢の人達でざわざわしているところだし、静かな環境は望むべくもないし、無理だろうなぁと思っていました。



当日朝は、いつも通り、ヘルパーさんに来てもらい、入浴の後着替えて、そのまま病院まで送ってもらう段取りにしました。(正確には、木曜はシャワーと足浴のみです)

今までヘルパーさんを指名したことはありません。
誰が来てくれても、来てくれるだけありがたいですから。
でも、この日だけは、我が儘を言って、Mgさん(スーパーヘルパーさん)に来てもらうよう頼みました。

Mgさんが来てくれてほんとに助かりました。
私が他のことをしている間に、水を飲ませてくれたり、おひげも剃ってくれました。
おかげで、私もシャワーを浴びてから着替えることができたし、出掛ける前に洗濯物も干せました。

車いす用の車で来てくれていたので、家の車いすに乗せ、出発しました。
病院へ着いて、Mgさんは帰って行きました。
交代に、姉が来てくれました。
いつもは、金曜に外に連れ出してくれているのですが、今回は木曜に変更して来てくれたのです。


受付を済ませて、5分も経たないうちに診察室に呼ばれました。
先生はやれることだけやりましょうと言ってくれて、立ってレントゲンは難しいだろうからと、胸の写真は、腹部と同時にCTを撮るように手配して下さいました。

血圧を測ったり、一通り問診が終わった後、通常ならば、これから身長体重を測って、その後、別な部屋(処置室)で採血になります。
そのつもりで、立ち上がろうとしたら、先生が、いや、ここで採血しちゃいましょうと言いました。
あら~それは理想的と思いました。

病院へ着いてから時間は経ってないし、この診察室は処置室と違って静かです。
夫はとても落ち着いています。
看護師さんが、採血の支度をしてやってきました。
ここの看護師さん達は、顔見知りの人も多く、とってもいい感じの人達ばかりです。
夫のこともわかっていて、気にかけてくれて、時々様子を聞いてくれたりしています。
私が入院するとしたら、ここにしようと決めています。


来てくれた看護師さん二人は、私が知らない人でしたが、ニコニコして夫に話しかけたりしてくれました。
私も、夫の右手を握り、「ちょっとだけ痛いけど、我慢ね。血液検査するんだからねー。」と因果を含めました。

左腕にゴムのバンドをして血管を出した後、いざ針を刺したのですが、ちょっとだけ手元が狂ったみたいで、夫は、痛い!と叫んで手を払いのけようとしました。
あー、やっぱりダメなのか..と思ったけど、周りが静かでアットホームな雰囲気だったせいか、すぐおとなしくなってくれました。
もう一度針を刺したとき、握っている私の手に、ものすごい力が入りましたが、それからは声を上げることなく、普通の顔をして、採血を済ませることができました。

その後、立って身長を測ることができないので、巻き尺を持って来て、大体の身長を測ってくれました。(笑
体重は知りたい?と聞かれたので、知りたいです~と答えたら、そうだよねと言って、重さが分かっている車いすを持って来てくれました。
それに乗り換えて、乗ってきた車いすは姉に預かってもらいました。

看護師さんが一人付き添ってくれて、地下のCTの撮影室へ行きました。
私は、ここの撮影技師さんとも顔なじみです。
私たちが打ち解けておしゃべりしているので、夫も落ち着いていました。
CTの台に横にされ、動かないように、タオルを入れて、バンドをかけられても、不安な様子を見せませんでした。

夫がCTを撮っている間、私の胸のレントゲンを撮りました。
CTの部屋に戻ってみると、夫は動いたりせずに無事撮影してもらっていました。

その後、二階にある車いす毎体重を測れる体重計に乗せました。
体重は、80いくつかkgで、車いすが、17.75㎏だったと思うのですが、引き算ができなかったので、あきらめました。
引き算できないーと言ったら、看護師さんが、わたしもーと言っていました。

ここで夫の健康診断は終わりました。
その後、姉に夫を預かってもらい、私自身の健康診断を受けました。
心配していたことはなんだったんだろうと思う位に、スムーズに事が運びました。
病院の健康診断なのに、決められている手順はすっかり無視して、夫の負担が少なくなるように気を配って下さいました。
本当にありがたかったです。



病院を出て、姉の車に3人で乗りました。
抜けるような青空で、3年前の夫が失踪した日を思い出しました。
あの頃は、まだ歩けていたんだなぁ...電車にも乗れたんだなと思いました。
今では見る影もない夫ですが、生きていてくれるし、時々私の言うことをわかってくれる。
これ以上、何も望むまいと思いました。
お昼は、牛肉の網焼きを食べにいきました。
最近、ちょっと気がかりになってきた嚥下不調もなんのその、夫はパクパクとおいしそうに食べてくれました。









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熱はすっかり下がって一安心ですが、時々痰が絡んだような咳をします。
食事にかなり時間がかかるようになりました。
口に入れて、噛んで、そのまま忘れたように口の中に貯めておくことがでてきました。

夫は、もうほとんどのことができなくなっています。
これまでは、おいしい食べ物は、おいしいと感じてよく食べてくれていたのですが、それも怪しくなってきました。
食べる楽しみだけは、残って欲しいと思っていますけど、どれだけ維持できることやらです。


なんとかまだ立ち上がらせることはできます。
でも、歩くのが難しくなってきています。
両側から支えても、足を前に踏み出すことが本当に難しくなりました。
足が竦んでしまって、小刻みにしか歩けません。
支えていないと立っていることもできません。

生活自体は変えていません。
毎朝ヘルパーさんにきてもらって、お風呂に入れ、その後、二階まで送ってもらっています。
週2回は、マッサージをしてもらいます。その時はマッサージ師の人に送ってもらいます。

夜もヘルパーさんが来てくれて、階段を下ろし、歯を磨いて、パジャマに着替えさせ寝かせるまで手伝ってもらっています。

二人がかりならば、多少大変になったとはいえ、これらのことが普通にできています。


困ったのが、私一人になったときです。
なんとか一人でもやっていけるようにと、車いすを借りました
車いすに乗せてしまえば、移動は簡単です。
でも、椅子から車いす、車いすから椅子への移乗がどうしてもうまくいきません。
何度も床に落としてしまい、その度に助けを呼びました。
それがたまにではなく、連日のようになってきました。

加えて、トイレで、自分で立っていてくれないので、ズボンの上げ下げが困難を極めます。
手すりはつけてあるのですが、手すりを持って自分の体を支えることがもうできません。
やむなく片手で支えて、片手でズボンを下ろそうとするのですが、支えきれずにやっぱり床に落としてしまいます。
便座の前に立たせているので、いったんは便座にお尻がつくのですが、私が引くのと反対方向へ力を入れるので、そのままずるずると落ちてしまうのです。

やっとの思いでここまで連れてきたのに..。
やっとの思いで車いすから立ち上がらせ、方向転換をして、便器の前に立たせられたのに..。
便器と壁の狭い隙間に横たわっている夫を見下ろしながら、自分が情けなくて悔しくて、涙がでました。
そうしたことが何度かあって、トイレに連れて行くのが恐怖になってきました。

私一人でトイレに連れて行くのはもう無理なのだと思いました。
ずっとヘルパーさんにいてもらうわけにはいきません。
一日の大半は私一人です。
これまで何度ももう無理だなと思い、その度になんとか乗り越えてきましたが、ここにきて、今度こそ、家での介護は限界かなと思いました。

私一人で、何もできない以上、ずっと食堂の座椅子に座らせっきりになってしまいます。
それなら、施設に入れて、ずっと車いすで放っておかれても、同じことだろうと思いました。

とはいえ、笑っちゃう位、全くその気になれない私です。
いい加減、往生したらいいのにと我ながら思います。


トイレに連れて行けないので、食堂で、尿取りパッドを交換で済ませることにしました。
その際、少しズボンが濡れていても、仕方がないと思うことにしました。
便が出ているときは、これはどうしようもないので、その時はヘルパーさんに来てもらうことにしました。
ケアマネさんが、そういう緊急の時だけ来てくれるヘルパーさんを手配してくれましたが、お泊まりデイの方に話したところ、全面的に面倒をみるつもりだからと、人員をやりくりして来て下さるそうです。


でもなぁ...。
トイレに連れて行って座らせる事ができれば、トイレで排泄をしてくれているのです。
これはいずれ改めて書くつもりでいますが、メマリーを中断しているせいか、このところ自然排便が多くなってきています。
トイレで排泄するのと、食堂に座ったまま便失禁するのと...。
何もわからなくなっているのかもしれませんが、さぞかし不快なことでしょう。
しかも、それが、私が連れて行ってあげられないばかりに....。

やっぱり、不快な思いはさせたくないと、必死に解決の道を探しました。
思いついたのが歩行器です。


歩行器
画像はお借りしました


歩行器はブレーキがついていないので、危ないですよと言われたのですが、私が後ろから抱きかかえるようにして補助すれば、なんとかなるだろうと思って借りてみました。

この歩行器は高さが調節できるので、肘を曲げて腕を黒い部分(ハンドル?)に乗せられる位に上げました。
その場で回転できるので、小回りが効いて便利です。
早速トイレに連れて行ってみました。

食堂の座椅子から立ち上がらせた時、車いすの場合は、体の向きを90度変えなくていけなくて、その時に足がもつれて倒れてしまっていました。
歩行器の場合、立ち上がった状態で、そのままハンドルを掴ませることができるので、格段に楽になりました。
歩くとき、体が傾いて、支えるのに全力を要しますが、ある程度歩行器の方が体重を受け持ってくれるので、倒れることはありません。

トイレに入って、便器ぎりぎりまで歩行器を進め、そこで歩行器毎、方向を転換させました。
危なっかしいながらも、なんとかできました。
更に、立ったまま、ズボンを下ろすことができました。
ハンドルから手を離して、私の手に握り変えるのは無理そうなので、そのまま便座に座らせました。
手前に座ってしまったけど、歩行器をどけて一旦立ち上がらせ、改めて座り直しをさせました。
うまくいきました。


体中から汗が噴き出て、腕も背中も腰も筋肉が悲鳴を上げていますけど、なんとかなりました。
これでしばらくの間は、夫をトイレに連れて行ってあげることができそうです。

できなくなったら...
それはその時また考えようと思います。










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朝、電話が鳴りました。
夫が泊まりに行って、不在の時の電話は、心臓に悪いです。
しかもお泊まりデイの看護師さんからでした。

一瞬のうちに、てんかん発作を起こしたんじゃないかという思いが脳裏をよぎりました。
看護師さんが、実はご主人がお熱を出しましてと言うまで、長い時間が流れたような気がしました。
昨夜、鼻水が出ていて、今朝になって、熱が37度9分あるし喉がゴロゴロしているので、お医者さんに連れて行った方がいいと思うとのことでした。

取るものも取りあえず、保険証を持って、デイに駆けつけました。
着いてみると、夫は、両脇を冷やしてもらい、頭には冷たいタオルが載って、ベッドに寝かされて眠っていました。
触ってみた感じ、それほど熱っぽくはありませんでしたが、口を開けて息をしていました。

いつも家へ来てくれているMgさん(スーパーヘルパーさん)が、付き添っていてくれました。

Mgさんと、夫を起こして車いすに座らせ、すぐ近く(車で2,3分)のクリニックへ連れて行きました。
ここへは、去年の3月、やはり熱を出した時にお世話になっています。
受付を済ませた後、それほど待たずに呼ばれました。

一通りの問診があり、サチュレーションが94しかなくて、ちょっと心配なのですと言ったら、測ってくれました。91しかなくて、尚更心配になりました。
でも先生は、さほど重大には思ってないようでした。
念のためレントゲンを撮りましょうとのことで、撮ってもらいました。
立ったまま撮ることができないので、台の上に寝かせて撮りました。
結果、現時点では肺炎にはなっていませんとのことで、一安心しました。


実は、今年の5月あたりから、嚥下が少し気になってきたのです。
水分を飲み込めない時がでてきて、飲み込んでも、咽せることもでてきていました。
朝、起き抜けに飲ませる水分には、とろみ剤をいれることも始めていました。

黒胡椒のアロマパッチというのを使っています。
これは、本来の、嚥下機能の改善目的ではなく、覚醒作用があるというので、去年の3月から使っていました。
使い始めた当初、なんとなくそれまでより発語が多くなったかなという気がして、ずっと使ってきましたが、内心、嚥下が悪くなることの予防になるかもと当て込んでいました。
でも、夫の場合は効かなかったようです。
或いは、効いていたから、これまで嚥下に問題がなかったのかも。
よくわかりません。
覚醒作用は、今ではほとんど期待できないし、しばらく中止してみようかなと思っています。


クリニックでは、抗生物質と、解熱剤と、去痰剤を処方されました。
抗生物質は、ボトルに入った顆粒で、そこに水を入れて溶かし、一気に飲むのだそうです。
薬局の人の話では、ものすごく苦いそうです。
これ、夫に飲ませられるのかなと心配しました。

薬をもらって、デイに戻りました。
Mgさんが、ボトルから、水で溶かした薬を湯飲み茶碗に移し、とろみ剤と少量のお砂糖をいれて、かき混ぜました。
一見、ヨーグルト状になったものを、スプーンで掬い、手際よく夫に食べさせてくれました。
夫は、嫌がりもせず、ちゃんと口を開けて食べていました。
さすがだなー私じゃとてもこうはいかないと思いました。

その後、口直しにと言って、桃のゼリーの固形物のないところを、3口ほど食べさせてくれました。
現金なことに、夫は、さっきと違って、大きな口を開けて食べていました。

もうお昼時になっていましたが、この抗生物質を飲んだ後は、しぱらく食事ができないので、ベッドに寝かせて、起きたら食事にすることにしました。
ベッドに寝かせたら、夫はすぐさま、眠ってしまいました。
苦しそうでもないし、すやすや眠っているので、私は後はお願いして帰ることにしました。


今回は、たまたまデイに行っていたとき、発熱したので、全面的に助けてもらえました。
早めにお医者さんに連れて行くことができ、大事に至らずにすみました。

うちでだったらどうなっただろうと思います。
夫は、てんかん発作以外は、内科的な疾患はなく、お医者さんにかかることなく毎日を過ごしていました。
前々から、救急車を呼ぶほどの状態ではないけど、具合が悪くなった場合、どうしようと悩んでおりました。
一応、往診に来て下さるという先生は紹介して頂いてるのですが、一度も診察してもらってないし、会ったこともありません。
一回お伺いをと言ったら、先生もお忙しいし、その時でいいですよと言われ、そのままになっています。

今まで夫の内科的な健康さ(?)にあぐらをかいておりましたが、そろそろ誤嚥の心配をしなければならない時期に来ているようです。



翌日、またデイに行きました。
薬のおかげでしょうか、熱はすっかり下がったとのことで、お風呂に入れてもらっていました。
さっぱりとした顔つきで、顔色も悪くないので安心しました。
Mgさんは非番でいませんでした。
女性の職員さんが3人と、夫の他に利用者さんが6人いました。

夫はお風呂から上がった後、疲れたのか眠そうにしていましたので、ベッドに寝かせてもらいました。
みんながいる部屋の一隅にあるベッドで、ざわざわしていたけど、関係なしにすぐ眠ってしまいました。

2年9ヶ月前の不幸な入院の後、一時的に歩けなくなっていた夫をしばらく預かってもらった時、ここへ毎日通っていました。
その当時の利用者さんは、もう誰もいません。
亡くなったり、特養に入ったりして、離れていったようです。

夫が眠ってしまったので、私は、その時と同じように、利用者さん達の相手をして過ごしました。
大抵はまだ話せるし、自分でトイレに行ける人達でした。
一人、「わかんねー、わかんねー」と連呼する人がいて、あぁ、これではご家族は大変だなぁと思いました。
なにかが不安なんだろうなと思って、ニコニコしながら、大丈夫ですよ~と言ったら、一時的に「わかんねー」が止まりました。
辻褄の合わない話を延々と続ける人がいました。
すぐ怒ってしまう人もいました。

ご家族は大変なのが、手に取るようにわかりました。
それと、夫も含め、もしも病気でなかったら、みんなごく当たり前の充実した第二の人生を歩んでいるのになと胸が痛くなりました。

おやつの時間に夫を起こしました。
甘いものを食べて、砂糖をどっさり入れたコーヒーを飲んで、そのままなので、ちょっと気になりました。
コーヒーに入れる砂糖はほんの少しにしてくれるように頼みました。
エアコンが効きすぎていて、肌寒く感じたので、カーディガンを羽織らせてくれるように頼みました。
たまにこうしてデイを訪問して、様子を見るのも必要だなと感じました。
少し歩かせようとして、立ち上がらせましたが、足に力が入らなくて、ほとんど歩けませんでした。
夕方になったので、後をお願いして帰りました。


今日、電話で様子を聞いたところ、熱はすっかり下がっているそうです。
歩行の方も、多少回復したらしく、今日は少し歩かせてもらったようです。








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お世話になったダイビングサービスのスタッフ、Tさんはとても素敵な女性です。
まだ若いのに、ベテランのダイビングインストラクターです。
私たちは、ダイビングだけでなく、こまごまとしたことで、すっかりお世話になりました。

ボートダイビングに行くときは、ランチ(普通は出来合いのお弁当など)を、ダイビングサービスの方で手配してくれて、どこか無人島に上陸したり、或いは船の上でいただきます。

今回も、クルーザーにはランチが用意されていました。
Tさんが、なにか四角いお弁当箱をとりだしました。
中には、一口大の俵型に作られたそうめんが、整然と詰められていました。
たっぷりの薬味と、Tさんがわざわざ取り寄せたというめんつゆで、とってもおいしく頂きました。
以前鹿児島を旅行した時見つけて、それ以来はまってしまったのだそうです。

初日は、船酔いした日でしたが、それでもおいしく食べられました。
何か食べたいものがあれば、言って下さい~と言われたのですが、そうめんがおいしくて、翌日もそうめんをお願いしました。
結局3日間共、そうめんにして頂きました。



家に帰ってから、ハタと気がついたのですが、あのそうめんは、ものすごく夫に食べさせやすかった!(気づくのが遅いというのはおいといて)

夫は麺類が大好きでした。
おいしいラーメンがあれば、遠くまで食べに行く人でした。
今もできるだけ、麺類を食べさせてあげたいのですが、どうしてもつゆがはねて、あたりを汚してしまうのが悩みの種でした。

あの俵型のそうめんは、全くつゆがはねませんでした。
あー作り方を聞いてくればよかったーと思いましたが、後の祭り。

とりあえず、箸で一口分をすくい上げて、もう一方の指でぐるぐると巻き付けてみました。
なんとか俵型に近いものにはなりました。
でも、あのお弁当箱に入っていた、整然とした形にはほど遠いです。(>_<)
なにかコツがあるに違いありません。


そうめん

そうめんは、水から上げて数分すると固まるんですね。
これまでは、あまり気がついていませんでした。
これの両側を箸でつまむと、つゆにつけてもほどけないので、とても楽に食べさせることができます。
まぁ、形が悪いのは目をつぶることにしました。(笑

Tさんご愛用のめんつゆは、ネットで買えるというのを聞いていましたので、早速検索して買いました。
うまみが効いていて、おいしいです。


このそうめんに気をよくして、今度はざるそばで同じように俵型にしてみました。
でも、ざるそばは、ダメみたい..。
一応成形はできるのですが、麺が太いせいか、つゆにつけるとばらけてしまいました。(>_<)


ここまで書いてきて、もしかして、こういうのって、常識でした?
私だけが知らなかったのなら、恥ずかしい~~(笑





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いよいよ海への三日目、最終日です。
沖縄の海はからりと晴れ上がり、私たちを歓迎してくれました。
やっと梅雨が明けてくれました。

同じクルーザーに乗って、同じ海を走るのに、なんという違いでしょう。
海面は鏡のように穏やかで、キラキラと光っています。
その上を白波を立てながらクルーザーが走ります。
快適で、申し分のないクルージングでした。

今日もキャビンに入らず、デッキの椅子に腰掛けて、碧い海と潮風を心ゆくまで堪能しました。
ところが..
梅雨明けした後の沖縄の日差しの強烈さをうっかり忘れていました。
わずかな時間のうちに、夫の半ズボンから出ていた膝がすっかり日に焼けてしまいました。
ピンク色になって、後で少し腫れ上がってしまいました。(>_<)
病気になってから気がついたのですが、夫は色白でした。
私なんかは、赤くならないで、そのまま黒くなるんですけど、夫は赤くなってしまうのです。
慌てて日焼け止めを塗ったのですが、時既に遅し..。
足も、ビーチサンダルを履いていましたが、その鼻緒形に焼けていました。(笑


今日も目的地はチービシです。
到着して、一休みした後、夫にウエットスーツを着せようと、Tシャツと半ズボンを脱がせました。
その後、海水パンツの中から尿取りパッドを取りだそうとしたとき、便失禁をしているのに気がつきました。
うはーー...困ったな....どうしようと思いました。
今日は木曜日です。
月曜に、自然排便があったので、そろそろヤバいかしらとは思っていましたが、案の定でした。
沖縄に来て、普段よりずっと運動量が多かったので、また自然に出たのでしょう。
いつもなら、自然に出てくれれば嬉しいのですが、今は困ります。
私は途方に暮れてしまいました。

そうしたら、Hさんは、慌てず騒がず、夫の体を抱きかかえ、「支えてるからシャワーをかけてあげて」と言って下さいました。
このクルーザーには、デッキにも温水シャワーがついています。
私は我に返って、尿取りパッドを取り出し、シャワーでお尻を洗いました。
幸い、便は少量で、ほとんど尿取りパッドの中に収まっていました。
わずかに海水パンツについていたのは、すぐ洗い流すことができました。
助かりました..。


夫にウェットスーツを着せて、またトランサムデッキまで運びました。
今日は、海中に入ったら、下を向かせる予定で、私は潜って下から夫の様子を見ていることになりました。
昨日、バタ足をしていたけど、フィンをつけていると水の抵抗が大きいだろうということで、今日は、ブーツも履かせず、素足です。

みんなが見守る中、いよいよ夫にフルフェイスマスクが装着されました。
そして、ゆっくり海中に落とし込みます。


海へ

私はそばに寄って、夫の表情を注視していました。
水に入るまではスムーズだったのですが、すぐに夫はちょっと顔をしかめて、左手は、なにか払いのけるような動作をしました。
あー...これはダメだなと思い、私はすぐさま、中止してもらいました。

やっぱり、スキューバはできませんでした..。
マスクに空気が送り込まれるというのは、流量を絞ってあっても、圧力が高くなり、結局息が吐けない状態になってしまうのかもしれません。
後から思うと、もうちょっとだけ私が冷静になって、様子をみてもよかったのかも..。
折角ここまで来たのだから、わずかな時間でも、海の中を覗かせて上げればよかったかなと思います。


マスクを外し、BCジャケットを外しました。
夫は身軽になって、また今日もバタ足をしています。
水に入ったら、バタ足をするというのを体が覚えているようです。

BCジャケットから、空気ボンベを外して、もう一度着せました。
ボンベを外す前に、少しジャケットに空気を入れておいたので、上半身が上に出て安定しました。
夫の周りをみんなして取り囲み、みんなでプカプカ浮かんでいました。

もう一度、海中に連れて行ってあげたかったんだけどなぁ...。
でも、これで充分なのかな。
今の状態の夫を見たら、到底旅行などできそうにない。
まして、海にはいれるなんて、想像もできなかった。

ゆったりと体を珊瑚礁の海に浮かべて、満更でもなさそうな顔つきの夫。
今、この瞬間を楽しんでいてくれるかしら..。


到底叶わぬ夢と思っていた南の海。
沢山の人達に助けて頂いて、実現することができました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

100%、思い通りにいったわけではありません。
心残りがいくつかあります。
でもそれでも、この海に連れてきてよかったなと思っています。

Hさん達は、今度は、スキューバに拘らないで、海水浴だけでもいいんじゃないの?またお手伝いさせて下さいと言ってくれています。
来年も...もしも夫が今の状態をキープできていて、いろんな状況が許してくれるのなら..
もしかして..もしかして...。








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海への二日目。
晴れて欲しいとの願いも空しく、まだ梅雨は明けず曇り空でした。
でも、時々、お日様が顔を覗かせてくれました。

この日も、前日と同じ、チービシです。
この旅行に行く前に、天候と体調がよければ、慶良間の方まで足を伸ばしましょうと言われていたのですが、とても行ける状況ではありませんでした。

昨日と同じく、外海に出たあたりから、揺れました。
でも、今日は、キャビンには入らず、ずっと後部デッキの椅子に座っていたので、船酔いの方は大丈夫でした。
夫は、うたた寝をしたり、時々目を開けて海を眺めていたりしてました。


チービシに着いて、早速またウェットスーツを着込みました。
姉は、前日、よほど怖かったのか、もうスキューバはいいと言います。
それで、Tさんが付き添って、シュノーケリングをしに行きました。

4年前の与論島旅行にも姉がついてきてくれて、その時、姉は生まれて初めてのシュノーケリングをしています。
お天気に恵まれて、海もとびきりにきれいで、姉はシュノーケリングを楽しんでくれました。
やっぱり、一番最初の印象が大事なんだと思います。
体験ダイビングが、もっと条件のいい日だったなら、姉はきっとスキューバも楽しんでくれたに違いないと残念です。


その時間を利用して、私も潜ることにしました。
Aさんが付き添ってくれました。
前日のチェックダイブで、一応器材の使い方を思い出したので(笑)、とりあえず一周してきました。

夫が病気になってから、もう潜ることはないと思っていました。
ダイビングに対する興味がなくなってしまっていたのです。
もともとカナヅチだった私は、新婚旅行で与論島へ行き、その初めて見る珊瑚礁の海の碧さに虜になりました。
この海で泳ぎたい! そう思ってプールに通って泳げるようになりました。
その後、シュノーケリングだけでは物足りなくなって、ダイビングの講習を受け、世界のあちこちの海へ潜りに行きました。

いつも、どんな時も夫が一緒でした。

水中で、ぽっかり浮かんで、傍らを見ると、Aさんがいました。
なんで夫はここにいないんだろう...。

ファンダイブ

二度と入ることはないと思っていた水中に、今、私はいる。
それは、懐かしいような、よく知っている所へ帰ってきたような不思議な感覚でした。

でも、もういいな...
ダイビングは夫と一緒でなければ、つまらない..
一緒にマンタを見て興奮し、ギンガメアジやバラクーダの大群を追いかけた日々はもう戻ってこないんだ..

そんな感傷に浸りながらのファンダイブでした。


上がってみると、既に姉は戻っていました。
Hさんは、以前家に送ってくれて、練習させてくれたフルフェイスのマスクを、なにやら調整しています。

レギュレーターは、フルフェイスのマスクもそうですが、息を吐かないと、空気は入ってきません。
私たちは、無意識に鼻で呼吸していますので、意識しないと、口で呼吸はできないのです。
ところが、夫は、口から息を吐くことができなそうでした。
マスクをかぶせて、タンクに繋いでみると、時々は、息を吐くのですが、連続して安定して息を吐くことができませんでした。

これでは危険だということで、Hさんは、吐かなくても空気が送り込まれるように調整してくれていたのです。


いよいよ、念願の南の海です。
夫は、おニューのウェットスーツを着せられて、トランサムデッキまで運ばれました。
デッキに腰掛けて、海中に脚を入れ、タンクがついたBCジャケットを着せられて、フルフェイスマスクを装着しました。

ゆっくり海中に入っていきます。
..と、
夫の顔をずっと注視していたIさんから、ダメだのサインがでました。
後で聞いたら、ちょっと苦しそうな表情をしたようです。

すかさず、Hさんが海面でマスクを外しました。
夫は上を向いて、背泳ぎ態勢でしたので、マスクを外しても問題ありません。
そして、なんと、バタ足を始めました!
みんなして、一斉に、おーーバタ足してる!と、どよめきました。

以前の夫とは似ても似つかぬ弱々しいバタ足でしたが、それは確かにバタ足でした。
タンク毎BCを外して身軽にして、しばらく海に浮かべておきました。


そうしているうちに、空が暗くなり、雨が降ってきました。
海の上では雨雲がはっきりわかります。
まだ小雨のうちに、夫を船上に上げて、椅子に座らせたところで、叩きつけるようなスコールがきました。

椅子の上方には、ちょっとした庇があったのですが、とても間に合いません。
船の人達はてきぱきと動いて、ブルーシートを庇にとりつけ、片方を持って、夫をスコールから守ってくれました。
私もブルーシートの一端を持っていましたが、雨が顔に当たって、イタイっ!!(笑
でも、気持ちの良いシャワーでした。
とりあえず、夫を、南の海に入れてあげられた~。
夫も、海に入っているというのをわかってくれたみたいと思うと、ふぅ~よかった~と思いました。

後からHさんが冗談まじりに、「海に入ったとき、すぐインフレーターホースを掴んだんですよね。そのまま潜降しちゃったら、どうしようって思いましたよ」と言って、みんなで大笑いしました。
夫は海を覚えていました。
インフレーターホースの存在すら忘れていた私より、ずっと覚えていたかも。(笑

フルフェイスに空気が流れてくるように調整したけど、流量が多すぎたようだということで、翌日は、もう少し流量を絞って再度トライすることになりました。


スコールの後、雨が上がりました。
帰り道もずっと後部デッキの椅子に座って帰りました。
ホテルに帰って、お風呂に入り、さっぱりしました。
夕食までのひととき、部屋でのんびり夕日を眺めました。

夕日

きれいな夕焼けでした。
明日は晴れてくれるかな。







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海への初日。
予報通り、曇り空で時折小雨がぱらつくお天気でした..。
ただ風は強くないので、なんとかなるかな。

目覚ましをかけて6時半に起き、夫をシャワーで洗って支度をしました。
夫には海水パンツを履かせ、大きい尿取りパッドを宛がいました。
その上に、半ズボン、Tシャツを着せました。
昔履いていたビーチサンダルを持って来ていたので履かせました。
意外と歩きやすそうでした。

それから朝食を食べに行きました。
何をするにしても、信じられない位時間がかかり、思うようにいきません。
それでも、なんとか約束の時刻、9時ロビーにてには間に合いました。

ロビーにはHさんと、Tさんが迎えに来てくれていました。
車高が高い車ですが、二人とも力持ちで難なく車に乗せてくれました。

ホテルから20分位のドライブで、宜野湾マリーナに着きました。
沢山のクルーザーが係留されていました。
Aさんが管理事務所のところまで迎えに来てくれていました。
幸い雨は降っていなかったので、夫を車いすに乗せ、ゆっくりと坂道を降りて行きました。


マリーナ


ゲートをくぐると、すぐ左に、海へ降りる桟橋がありました。
桟橋を進んで行くと、その先に、私たちが乗るクルーザーが停泊していました。



クルーザー
なかなか立派なクルーザーでした。
キャビンは広く冷房が効いていました。
キャビンの奥に、小さなキッチンと、シャワールームを兼ねたトイレがついていました。
シャワーは温水で、後部デッキにも、もう一つついていました。


クルーザーでは、Iさんが待っていてくれました。
桟橋は海面からわずかしか上がっていなくて、クルーザーの縁は相当上でした。
やっとまたいで乗り込める位でした。
どうするんだろうと思っていたら、HさんとAさんが夫を抱え上げてひょいと乗せてくれ、Iさんが受け取ってくれました。
やっぱり男の人って力ある~。


小雨が降ったり止んだりでしたので、私たちはキャビンにいることにしました。
いよいよ出航です。
目的地は宜野湾から南西に行ったところにある「チービシ環礁」です。
30分~40分位のクルージングです。
最初は海面も穏やかでほとんど揺れなかったのですが、外海へ出たあたりから揺れてきました。

キャビンでは、Tさんが一緒にいて、四方山話に花が咲いて楽しかったのですが、姉にとっては初めての体験できつかったのでしょう。
姉は船酔いしてしまいました。(>_<)
私もちょっときつかったです。
キャビンの中は、視界が開けず、ただ揺れるだけなので、酔い始めると治りません。
そうした中で夫は平気な顔をしていました。


チービシについて、一息ついた後、ダイビングの支度に取りかかりました。
レンタルのウェットスーツは、5,5㎜厚で、着込むのが大変でした。
ブーツに至っては一人で履けなくて、履かせてもらいました。(*v.v)。
姉も悪戦苦闘して、やっと着せてもらっていました。

まず姉の体験ダイビングからです。
このクルーザーにはトランサムデッキがついていました。
船尾についているデッキで、水面と同じ高さに平らな部分がありますので、そこに腰掛けて、重い器材を背負っていても楽に水中に入ることができます。

二人に付き添われて、姉は水に入っていきました。
と、思う間もなく上がってきてしまいました。
苦しくてうまく呼吸ができなかったらしいです。
レギュレーターを口にくわえて、息を吐けば自然と空気が吸えるのですが、天候、船酔いと悪条件が重なり、恐怖感がでて、うまく息を吐けなかった様子です。
今回の沖縄行きは、姉にもダイビングを楽しんでもらおうと期待していました。
結局、姉はスキューバダイビングをすることができませんでした。残念です。

次は私の番です。
私にとって、十数年ぶりのダイビングです。
インフレーターホースのどこを押せば空気を排出できるのかすら忘れていました!Σ( ̄□ ̄) 

  *インフレーターホース=ジャケット型BC(浮力調整装置)についているホース

海面でもたつきましたが、なんとか潜降を開始することができました。
ここは、水深15メートル位の深さで、小さな魚しかいません。
お天気が悪く、海も暗かったし、チェックダイブが目的だったので、早々に切り上げて上がりました。


その間、夫はキャビンに座って待っていました。
後から考えると、デッキの椅子に座らせておいた方がよかったかもしれません。
デッキには折りたたみ式のディレクターズチェアがありました。

現地に着くまではなんともなかったのに、停泊している間の揺れがよくなかったのか、夫は座ったまま吐いていました。
幸い、吐いた量も多くなく、吐いた後はケロッとしていて、顔色も悪くありませんでした。

でも、大事をとって、ダイビングは中止することにしました。


実は、今回の沖縄旅行、主治医にだけは言ってありません。
主治医には4年前の与論島、去年の湯治旅行、ことごとく反対されました。

与論島の時は、環境を変えると、症状が一気に進むと脅かされました。
湯治旅行の時は、もしも、てんかん発作が起きたら、周りの人にとんでもない迷惑をかけるとまで言われました。
それでも私は連れて行きました。
症状は進まず、逆に少しだけ前に戻ってくれたし、てんかん発作は起こさず、むしろヨロヨロしていた足取りが少しだけ確かになったし、この二つの旅行は結果オーライでした。

さすがに今回の沖縄旅行は、主治医に言うことができませんでした。
旅行そのものも、ダイビングも、既に夫にとっては無理なことだと承知していましたから。
主治医としては、そんな話を聞いたら、猛反対する以外方法はないわけです。
わかりきっていることを敢えて言って、主治医を困らせるつもりはありませんでした。

私にとってはたった一人のかけがえのない夫..。
このまま、家と、お泊まりデイで淡々と暮らせば、安全でしょう。
でも、いくら安全を願っても、症状は容赦なく進み、いずれは、食べることも息をすることも忘れてしまうのです。
あまりにも不憫で、やりきれない思いでいっぱいになります。
せめて、折角の機会、まだ少しだけでもわかるかもしれないうちに、大好きだった南の海に入れてあげよう、その結果、何かが起きても、それは全部受け止めようと、覚悟の上の旅行でした。


とはいえ、必要以上の危険を冒すつもりはありません。
体調が万全でないのに、海に入れるのは危ないと思いました。
そんなわけで、南の海、初日は不本意なまま終わりました。

夫は、帰りは、デッキの椅子に座り、ずっと海を眺めていました。
海の風を感じてくれたでしょうか。

ホテルに戻ってからも機嫌良く元気でした。
この日はレストランに隣接する半屋外でバーベキューを食べました。
夫は残さずいっぱい食べて、満足そうでした。





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