誰かを傷付けているなら、自分を傷付けていることに、誰かを愛することが、自分を愛することに繋がります。
転載元:もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
https://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/66e2d9b3e374c39a6e1f86c5ee68b7c0
(ここから)
「僕はあなたで、あなたは僕で」
「私とは幻想である」だとか「ワンネスとは自己の消失である」だとか、「私はあなたで、あなたは私」だとか、「意識のシフト」だとか。
精神世界に足を踏み入れてから、そういった言葉をよく目にするようになって、その言葉を知るには知ったのですが、でも、やっぱりわからないんです。
黒斎さんが講演会でよく話している「情報の保有」と「理解」の違いといいますか…
どれだけたくさんの本を読んでも、どれだけセミナーを受講しても、「情報」が「理解」になってくれなくて…
時々は「あっ!」ってなる感じもあるのですが、結局わかりそうでわからないままなんです。
といった感じのご質問・ご相談をコメント欄やトークライブなどでよくいただきます。
精神世界でよく見るフレーズ、「ワンネス」も「意識のシフト」も「自己感覚の消滅」も「私はあなたで、あなたは私」も「命はひとつ」も「あなたは神(宇宙)」も、言葉は違えど指していることは同じです。
「自己感覚の消滅」と言っても、存在感や五感がなくなってしまうことではありません。むしろ研ぎ澄まされます。
これらの言葉が指しているのは『No Border(境界の不在)』、『自己認識の変化』のことです。
あれ? 言葉を変えても結局似たような分かりづらさだな(笑)
繰り返しお話してきたとおり、「自我」とは、実体のない「分離意識」「錯覚」です。
本当は「私(個人・パーソナリティ)」なんてものは最初から存在していないのに、それがあると誤認されているところに生まれる感覚。
本当はひとつなのに、バラバラのものだと誤解されている自己認識です。
僕とあなたが一つの同じ命である。
また、私たちは「神(世界・宇宙)の一部」なのではなく、「神(世界・宇宙)そのもの」であるということを、一本の木を例にお話します。
「この一本の木に、一つの命」という感覚なら、まだ通じますよね?
僕たち人間の持つ自己認識は、多くの場合「分離」された感覚です。
「私は私、あなたはあなた」と、ハッキリ分かれています。
この錯覚(分離意識)は、例えるならこの木に付いた葉の一枚一枚が独立した自己認識を持っている様なものです。
Aという葉が、個別の意識を持ち、他の葉を見ながら「俺はBでもCでもないもんね」と言い張っている。
葉Aと葉Bと葉Cは、それぞれ個別の命を保有していると思っている。
で、「私ではない他の葉」と自身を比べて、日々あれこれ思考を巡らせているわけです。
「あ~、可哀想に。あの葉、急に病に冒されちゃって(虫に食われちゃって)」
「わ~、かわいい若葉! 僕ちゃんは、いくちゅでちゅか~?」
「あらあら、おじいちゃん。すっかりまっ茶っ茶に干からびちゃって。次の風あたりで、そろそろお迎えがくるんじゃない?」
「ふんっ、何を言いよる。わしゃまだまだ現役じゃ!まだまだ新緑のヒヨッコが!」
「はーい!はーい!はーい! 俺、すげえやる気いっぱいです! 人一倍光合成して社会に貢献します!」
「この二酸化炭素は俺のものだ!誰にも渡さん!」
「いや、今じゃすっかり日陰の存在になってる俺だけどさ、昔はちゃんと日に当たってたんだよ。上の若いヤツらが出てくるまではさ」
「えー、報道センター、報道センター、聞こえますでしょうか? こちら現場では、いまなおご覧の通りの大荒れとなっております! 観測史上最大の風速を記録した今回の強風で、いま現在、少なくとも200枚を超える葉が命を落としている模様です!」
ね。本当は一つの同じ「木」として存在している命なのに、自分を「葉」だと信じて止まず、そしてなお、その葉一枚一枚に個別の命が宿っていると確信しているとしたら、ちょっと変な感じがしませんか?
え?
「バカ言え、人間を一枚の葉と結び付けて考えるから滑稽に見えるだけだろ」、って感じでしょうか?
いえいえ、この滑稽さを地で行ってしまっているのが、僕たち人間種の意識状態(分離意識)なんです。
で、ちょっとこの話を続けてみて、仮に、「自己認識の変化を経験した葉」が現れたとしてみましょう。
その日、ある一枚の葉が、自分は「葉」ではなく、「木」そのものとして生きていたことに気づきました。
それは、突如として形態が変化したわけでも、「葉」が「木」に急成長したわけでもありません。
元々「木」として存在していたのにも関わらず、そのことに気づくことなく自分が「葉」だと思い込んでいた、その思い込みが消失しただけです。
「葉」というボーダー(概念)を失った時、「木」としての自覚がありありと現れました。
そして彼はその驚きを、周囲の葉に真剣なまなざしで語りかけます。
「いいか、大事な事だからよく聞けよ。なんと、お前は俺で、俺はお前だったんだよ!どうだ、びっくりだろ!」
彼が熱く語れば語るほど周囲の葉はみるみる引いていきます。「あいつ、なんか変な宗教にひっかかったっぽいぞ」と。
これは、阿部敏郎さんに限った話ではありません(笑)。とてもありがちな話です。
なんとか周囲に理解を届けようと、考え得る様々な表現を駆使しても、なかなか通じません。
「あなたと僕は、一つの同じ存在なんです!」
そう声高に叫んでも、「バカ言え、お前はお前で、俺は俺じゃないか」と返されてしまいます。
「いや、だからさ、そもそも自分のことを『自分(葉)』だと思ってるだろ?それが錯覚なんだって、俺たちはみんな、元々『木(神)』なんだよ!」
「なにとち狂ったこと言ってんだよ。俺たちが木(神)なわけねーだろよ。お前こそ鏡でも見て少し正気になれよ。どう見ても『葉』だぞ?」
「いやいやいや!ありのままの世界をよく見てみようよ。実際に俺ら繋がってるじゃん!」
「は? 繋がってなんかねーよ」
「繋がってるよ! ほら、この『枝』で!」
「お前、ホントに大丈夫か? 枝は枝、葉は葉! どう考えても枝は繋がりじゃなくて、俺とお前を分けている隔たりじゃん」
「いや、だから、自分を『葉』だと思ってるから、そういう発想になっちゃってるだけなんだよ! 一度その概念を手放してみようよ!」
「手放すもなにも、実際に俺ら『葉』じゃん!」
「それでもやっぱり、俺が『俺』って言うときに指しているもの(木)と、お前が『俺』って言うときに指しているもの(木)は、本質的に同じものなんだって! 僕らの目からは見えないけれど、サムシング・グレート(根)が、僕たちを生かしているんだ」
「なんだよ、サムシング・グレートって。さすがにもうついて行けないよ」
「あーーーーー! 通じないのねーーーー!!」
僕たち人間と、他の動植物たちとの大きな違いは「言葉」「概念」「価値付け(意味づけ)」の有無です。
人間だけが、世界を言葉でバラバラに解体してしまいます。
「ただのそれ」に「木」という名前が付き、その「木」はさらに解体され、「葉」「枝」「花」「つぼみ」「幹」「根」など、様々な名前がつけられます。
名前が付いたものは、その他の名称を与えられたものと別なものとして認識されだします。
たしかに「部位」として見れば別な機能や役割を担っていますが、存在の本質は「ひとつの同じもの」。
「葉」からみた自己も、「枝」からみた自己も、「花」から見た自己も、根本は同じです。
だから、某かの理由で自分を傷付けているなら、みんなを傷付けていることに繋がります。
誰かを傷付けているなら、自分を傷付けていることに繋がります。
自分を愛することができたなら、みんなを愛していることに繋がります。
誰かを愛することが、自分を愛することに繋がります。
「自分」が消えた時、同時に「世界」も消え去り、「大いなるひとつ」が現れます。
この、「あっ!俺、葉じゃなかった!」という自己認識の変化が、ピンポン球の殻が破れたときに訪れる「ワンネス」の感覚、理解です。
小悟と大悟の違いは、たった一枚の薄皮の差ですが、どれほど緩やか・穏やかな目覚めであろうと、さすがにこの自己認識の変化は「気づかないうちに」ということは無いと思うんですよね。
(ここまで)
ありがとうございます
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