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日本はアジア諸国を侵略などしていない。

先の国会で、安倍総理が「侵略の定義は各国、国際的に相違がある」といった趣旨のことをおっしゃっていました。



そこで、侵略とはそもそも何か?について考察してみたいと思います。



まず、侵略の前には、必ず、主権というものが前提にあります。これは他国に認められようが、認められなかろうが、そこに住む人間の主権が他者によって左右されていなければ、主権を持っているということになろうかと思います。


その前提である主権を他者が脅かす行為、また理不尽にそれを奪い取る行為こそ、私は侵略というにふさわしいように思います。



当然、他者が主権を奪おうとする根拠は、自らの利益以外、ありません。その利益と相手の主権があいまみえない場合に、無理矢理自らの利益追求のために、それを実行に移すわけですから、相手にとっては理不尽極まりありません。




さて、先の大東亜戦争にて、日本はアジアを侵略したかという本題に入りたいと思います。




そこでまず大事なのは、当時のアジア諸国には主権というものがあったのかどうかという問題です。




そうでなければ、そもそも主権を理不尽に奪い取るという行為である侵略そのものの定義が成り立たないからです。



そこで当時、今のそれぞれの独立国がどこの国の植民地であったかを書き出してみました。



日本                 日本
朝鮮                 日本
台湾                イギリスなど
中国(清)           フランス、イギリス
ベトナム              フランス
フィリピン             アメリカ
マレーシア             イギリス
インドネシア            オランダ
タイ                 タイ
カンボジア              フランス
ラオス                フランス 
ビルマ                 イギリス
パキスタン             イギリス
インド               イギリス
バングラデシュ           イギリス





こう見ると、独立国はアジアの中では日本とタイ以外にありません。



言い換えると、日本とタイ以外に、主権を持った国は無いという事になります。




また朝鮮は、当時清(中国)の事実上の支配下にあり、それを日清戦争以降、日本が保護下に置き、最終的に、日韓併合という形をとっただけで、もともとは事実上、清の植民地であり、主権を持っていなかったということになります。



また、タイも、諸外国からの侵略を受けつつも、日本の協力などもあって、独立国を維持してきたという歴史がありますし、当然、日本がタイを侵略したこともありません。






さて、このような前提において、日本は、アジアに侵攻したわけですが、侵攻の相手は、決してアジア諸国ではなく、当時のアジア諸国の主権を握っていた欧米諸国であることは明白な事実です。




いうならば、日本は、アジアを侵略したのではなく、アジアを侵略していた欧米各国に侵略したといった方が正しいわけです。




もちろん、それを侵略と表現することにもいささかためらいがあります。



なぜならば、主権を奪い返す(アジアに)ための侵略は、侵略ではなく、独立運動だからです。



それが当時の日本軍の考えであったということをある意味、証明するものがあります。



それが、硫黄島の戦いで海軍を率いた、市丸少将がルーズベルトに宛てた手紙です。



原文は難しいので、口語訳があったので転用させてもらいます。


以下(口語訳)


ルーズベルトに与うる書

日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。
私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに告げたいのです。

日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって約百年、この間、日本国の歩みとは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもないのに、日清、日露、第一次世界大戦、満州事変、支那事変を経て、不幸なことに貴国と交戦するに至りました。

これについてあなたがたは、日本人は好戦的であるとか、これは黄色人種の禍いである、あるいは日本の軍閥の専断等としています。
けれどそれは、思いもかけない的外れなものといわざるをえません。

あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一つの宣伝材料としていますが、日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、あなた自身が最もよく知っているところです。

おそれ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従ってそれぞれの郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。

このことはかつて、

 四方の海
 皆はらからと 思ふ世に
 など波風の 立ちさわぐらむ

という明治天皇の御製(日露戦争中御製)が、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。

わたしたち日本人にはいろいろな階級の人がいます。
けれどわたしたち日本人は、さまざまな職業につきながら、この天業を助けるために生きています。
わたしたち軍人もまた、干戈(かんか)をもって、この天業を広く推し進める助けをさせて頂いています。

わたしたちはいま、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や、艦砲射撃のもと、外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し、心地はますます明朗で歓喜に溢れています。

なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。
けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。
わたしたちは、そんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言したいのです。

あなた方のすることは、白人、とくにアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、有色人種をもって、その野望の前に奴隷としようとするものに他なりません。

そのためにあなたがたは、奸策もって有色人種を騙し、いわゆる「悪意ある善政」によって彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてきました。

近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、ことに東洋民族をして、あなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を口にするようになりました。
それは、あなたがたの神の意向に叶うものなのですか?

大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が善政を謳歌します。
あなた方がこれを破壊さえしなければ、全世界が、恒久的平和を招くことができる。
それは決して遠い未来のことではないのです。

あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか。
数百年来あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を、どうしてあなたがたは若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか。

ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。
あなたはどうして、そうも貪欲で狭量なのでしょうか。

大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。
日本天皇の神意は、その外にはない。
たったそれだけのことを、あなたに理解する雅量を示してもらいたいと、わたしたちは希望しているにすぎないのです。

ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、どれだけ悲惨なものか、痛嘆せざるを得ません。

今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結に際して、その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることは看過すことのできない事実です。

あなたがたが善戦してヒトラーを倒したとしても、その後、どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?

およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され、いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。

あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。
あなた方はきっと、得意になっていることでしょう。

けれど、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにしていただきたいと願います。

市丸海軍少将







これを読む限り、当時、日本以外のほとんどのアジア諸国が主権を奪われ、次は日本という追いつめられた状況の中で、アメリカと戦争をせざるを得なかったことがわかります。




そして、なによりも、アジアおよび世界がそれぞれ独自に主権を持ち、尊重し合う関係こそ、恒久的世界平和に繋がると言った趣旨も書いてあります。



まさに、今の世の中(植民地の無い)をいち早く、日本が目指そうとしていたわけです。




この事からも、日本は他国の主権を奪う侵略行為をしていたのではなく、むしろ、欧米各国のアジア侵略に対し、真っ向からNOを叩き付けていたことがわかります。




さらに朝鮮に対しても、清に支配され、困窮と貧困に喘いでいた国のインフラを整え、教育を施したわけですから、むしろ、主権を奪い取る侵略というよりも、与えたと言った方が適切かもしれません。



ただ、本人達は好きで与えられたのではないと主張することもできます。もし、そうであるのならば、確かに、主権を奪われたという意味に置いて、日本は朝鮮を侵略したのでしょう。


そこは主観的解釈と客観的解釈の相違であるとは思いますが、私があくまで、侵略というものを考えたときに、日韓併合が侵略には当てはまらないと考えています。



もちろん、それは日本が大東亜圏を作ろうとした各アジア諸国にも同じ事が言えています。




また、北朝鮮、韓国、中国以外のアジア諸国は、基本的に親日国です。それは市丸少将が言っていた通り、



日本は欧米諸国の植民地支配からアジアを開放したのですから、当然のことかと思います(もちろん、戦後のODAの影響もあるでしょうが)




よって、私は、日本はアジア諸国を侵略していないという結論に達しました。



もちろん、これらの考えに対し、主観的反論はあろうかと思います。安倍総理が言ったように、各国、国際的にも、相違があるのでしかたのないことです。



しかし、それでもあえて自らの国を否定する日本人も大勢います。



日本という国に生まれ、育ち、なぜわざわざ、日本を自虐的に見なければならないのか、私には不思議でなりません。




この国を愛し、誇りに思う。当たり前のことだと思いますが。












国家観と憲法改正



最近、ようやく憲法改正論議が現実味を帯びてきました。




私はこのときをどれほど心待ちにしてきたことか。しかし、実際に、本当に現実のものとなるのか、また、間違った改正にならないか、さらに注視して行きたいと思います。




では、なぜ憲法改正が必要なのか。





そして、維新、みんなの党が憲法改正に賛成している本当の理由は何なのか?




そこを書きたいと思います。





まず、安倍首相を中心とする憲法改正派は、なぜそれほどまでに憲法改正に固執するのでしょうか。




これは一言で言えば、国家観の問題です。





我が国は残念ながら、自国を自国の軍隊で守ることが事実上出来ません(そういった防衛の設備等はありますし、攻撃された場合、反撃は一応できますが)



安保に乗っ取り、米国に守ってもらう前提の憲法になっているからです(しかし、その安保も議会の承認が必要であり、日本の安全はアメリカの議会の判断に委ねられているといっても過言ではありません)




その弊害は、国家の前に、アメリカ議会、安保&憲法があるという、本来、主権国家がもつ権利がないことで、



一、独立主権国家として、他国に(特に米国に)物を言えない状況で、自国の国益を大きく毀損していることではないでしょうか。




TPPしかり、日米地位協定しかり、財政政策(決めているという体でしたが)ですら、日本は、自分の意志で物事を決められずにいたのです。



ですから、それらを打開して行くためには、国家というものが、まず頭に来なければなりません。




国家があり(そのための安全保障があり)、天皇陛下がいて、経済があり、国民の幸福がある、そういった優先順位をしっかり自国の中で確立しなければならないということです。




しかしながら、維新の会やみんなの党は、実は、この原理で憲法改正をしようとしているわけではありません。




特に橋下一派とみんなの党は、国家の前に市場経済があるべきだという主張をしています。その上で、邪魔な憲法があるから改正したいというだけに過ぎず、彼らは天皇陛下ですら、市場経済の下に置いているように思えてなりません。






言うならば、共和制、市場原理主義というやつです(また橋下氏はらは、合理主義者ですから、今の憲法のように、非現実的なことを嫌うというのもあります)





このような体制を作るための憲法改正を彼らは望んでいるわけで、安倍首相が考えている改正の深意とは、全く異なります。




また、民主党は、国民の幸せが国家の繁栄と幸せという観点から(それも怪しいですがね)政策を打ち出していますから、当然、安全保障の重要性や国家観を彼らは重要視していません。



また社民党や共産党は、イデオロギーがあって国家があるという、時代錯誤な主張を繰り返しています。





ですから、そのイデオロギーに反する憲法改正には真っ向から否定するわけです(本当は今の憲法も反対なのでしょうが)





しかし、よく考えてみて下さい。国家が無ければ、経済はありません。経済が繁栄しない限り、国民は潤いません。この順序はある意味、普遍ではないでしょうか。



その国家を守るためには、当然、安全保障が一番重要になってきます。



国家が他国に侵略されて消滅してしまえば、経済、そして国民の繁栄など無いからです。




そういった前提に立った場合、今の憲法は、自国を自国で守れないという歪んだ構造になっています。



これをまず正す。国家たるものを絶対にする。その上で陛下が国民のお手本となり、経済があり、その恩恵を受け、国民は繁栄していくべきなのです。





維新やみんなの党は、96条には賛成するでしょう。9条も賛成するかもしれません。




しかし同時に、国家分裂(地方分権)を進めるようなことを、安倍首相に圧力をかけ(交換条件にして)ることも十分に考えられます。



私的は、彼らをうまく利用するだけして、96条を改正し、その後には、彼ら抜き(旧たちあがれのメンバーは含まない)で、9条やその他、国家を優先する憲法に着手してほしいと願います。



PS


旧たち上がれの平沼代表や、中山夫妻など、実は安倍首相と国家観が同じ人も維新にはいます。


ぜひ、彼らの力も借り、この国を正しく導いてほしいものです。











男女の浮気の差異と本質について



 
「男女の浮気の差異と本質について」


 男女の浮気は、近年、女性の権利が担保され、より浮き彫りになった問題である。しかしながらその実態は隠蔽と軽薄に誤摩化され、その本質が語られる事は少ない。

 また、その本質を語ろうとすると、男尊女卑だのといったフェミニストの感情的反論を受けてしまい、どうしても萎縮しがちである。

 だからこそ、あえて今回、私がより客観的視点を持って、この浮気についての考察を行うことを決意したのである。

 さて、この浮気をひも解くに当たって、まず私は2つの要素について、それぞれを分けて考察することにした。その2つの要素は、本能と理知性である。

 これらを一旦切り離し、そして男女および、個体別にプライオリティーを決めていくことで、その本質に迫れるであろう。

 ではまず、本能からみた浮気を考察する事から始めるとする。

 本能というのは、ある種、人間を動物として考えるということである。言うならば生理的にである。まずその視点から見て、人間という動物は一夫多妻の動物なのか、はたまた一夫一婦の動物なのか、そこを理解しなければならない。

 例えばライオンはどうだろうか。強い一匹のオスに数匹、時には数十匹のメスが従い、一匹のオスの遺伝子を受け継ぐ。それに対し、狸やペンギンなどは、繁殖シーズンなども含め、同じメスとしか性交渉を行わないのである。ちなみに、ほ乳類では、約97%が一夫多妻、3%が一夫一婦の比率で存在する。

 これは理知性が無い(もしくは弱い)動物の本能的行動であり、人間のように理知性などによって制度化したものでは当然ない。それ故に、一夫一婦の動物が浮気をする事が無いのと同様に、一夫多妻の動物が一夫一婦を生涯守る事も考えられないのである(メスを射止める事が出来ない場合は別だが)

 それを踏まえれば、人間は確実にその97%の部類に属する事は明白な事実なのである。そして、さらにそれを深く考察するに辺り、生理、さらには遺伝子と種の継続を考えなければならない。

 まずオス(男)の生理的特徴は、精子排出の期間が女性よりも長く、さらには、毎日数回、射精が可能なことにある。この事から、多くの遺伝子をその後、継続的に残す事が可能となる。これを仮に計算するとなると、一日約2回×356日×50年=約35600回の射精が可能であり、生理学的には、約35600人の子孫を残す事が可能なのである(現実はもちろん不可能であるが)

 それに対しメス(女)は、排卵が始まる時期はオスとあまり時期は変わらないものの、終焉時(閉経)はオスよりも早く、また、閉経前でも、安全に、そして確実に妊娠、出産できる時期はかなり限られたものとなる。それは生理学上のデータで適切とされている年齢が、18歳~28歳と言われていることからもわかる。

 また妊娠から出産まで10ヶ月ほどの時間を要してしまうが故に、仮に適切ではない期間を含めても、最大でも40回前後しか産めないのだ(それもまず無理だろうが)
 このように、生理学上では、男女でおおよそ900倍の遺伝子を残せる可能性に差が生じていることになる。

 それ故に、本能という一側面を見る限り、男女で浮気というものを平等化して考えることは間違いであり、仮にこれを感情的に話すのであれば、男性が浮気をして嫌な思いをする女性の、約900倍女性が浮気をしたことで男性は嫌な思いをする、ということになり、女性の浮気は40分の1の相手を選び、男性の浮気は35600分の1の比重であることになる。

 もちろん、これらは本能や生理の部分だけを取り上げたからであって、理知性を持つ、人間にイコールで当てはめる事は適切ではないのも事実である。しかしながら、そういった本能が根源的にあるという前提を少なからず排除は出来ないのである。

 ではなぜ男女においてこのような生理的差が生じているのかについて考えていきたいと思う。

 それには、子供の成長速度と性愛の必要性(重要性)が関係しているのではないかと推測できる。

 一般的なほ乳類は子供の成長が早い(約2年未満で成人する)のに対し、人間は成人(肉体、脳的に)するまで12年から18年(学説や視点によって変わる)掛かると言われている。成人するまで、ここまで長い期間を要するとなると、それまでの間、外敵などから安全に子供を育てるためには、メスが長期間に渡って守る必要がある(男は餌を取りに出なければならないから)

 そうなった場合、仮にメスにもオス同様の生理現象を持ち合わせていたとすると、それは不可能になってしまう。それ故に、メスには一人の子供を成人まで育てる長い期間が割り当てられているのだ。

 さらに子供への性愛も重要である。これは脳科学でも立証されているが、子供は母親の声(会話)によって、前頭葉をより活発に成長させる。それだけに、母親が子供の傍に(学説によると12歳前後)いる必要性が極めて高く、またそれは子供の数が過剰に多くなってしまう事で、害されるが故に、メスには数の制約もつくと考えられる。

 このように、メスには二重の意味で、遺伝子を男性ほど多く残せない理由が存在するわけだ。

 さて話を本能に戻す。本能の中でも一番厄介なもの(使い方次第ではあるが)が、欲である。

 この欲は浮気という観点から見ると、性欲と、独占欲に分類されるであろう。これは浮気をする側とさせない側(される側)とも言い換えられる欲である。性欲については、詳しく「エロティシズムについて」で語る事にし、ここでは独占欲についての話をしたいと思う。

 この独占欲は、男女で全く異なる性質があると私は考えている。その理由は、先に話した通り、本来ならば、次の異性に移行しなければならないオスと、子供を安全に育てるために、餌を確保しなければならないメスとで、全く異なるからである。

 当然だが、メスは子供を育てている間、餌を取りに行く事は危険である(オスメスで協力し合う場合もあるが)それ故に一夫一婦であれば余計に、オスの存在は重要になる(ちなみに一夫多妻の動物の場合は異なる。それは、メス同士で協力し合う事が可能なので、オスは遺伝子のみ必要になる。もちろん、現代の人間社会においては当てはまらないが、本来、人間の本質はここである)

 言い換えると、それが子供と自分の未来の保障でもある。それだけに、オスに逃げられてしまうことはメスにとって死活問題であり、なんとしても傍に保持しておかなければならないのである。

 それがメスの独占欲の本質であり、人間の場合、結婚し、出産をするとより顕著にそれは現れるし、自らの肉体が出産に耐えうる限界を感じた女性も同様である(ただし、人間は本能的に一夫多妻の動物なので、出産後(遺伝子を貰った後)はオスを必要としないとも考えられる。この辺りは本能と社会(理知性によるシステム化)の非合致性ではないだろうか)

 それに対し、男性の持つ独占欲の本質は何だろうか。それは自分よりも強いオスの出現に対する畏怖であると私は考えている。

 ライオンでも同様だが、自分よりも強いオスが現れた場合、自ら身を引き、メスを手放さなければならない。これは一夫多妻性だからこそ起きる宿命とも言える。

 それをもう少しわかりやすく、現実的な表現をするとするならば、自分に自信が無い(勝ち目が無い男が周りに多いと自ら、もしくは無意識に判断)男ほど、相手を強く束縛(独占欲の表れ)するのである。また逆に束縛しない男は三つのパターンに分類される。一つは既に違うメスに意識が向かっているケース、そしてもう一つは自分に自信があるケース、そして最後にそもそもそういった本能が弱いケースである。

 このように、本能である欲も男女においてかなりの差があることがおわかりいただけただろうか。
 さらに本能に属するもので、感情というものもあるが、それは次に話す理知性に絡めて話すことにする。

 では続いて、理知性についてである。理知性は動物の中でも人間ほど強くそれを持ち合わせた物はいない。それ故に、理知性は人間が人間である所以でもある。

ではその理知性がどのように浮気に関与しているかの話をしたいと思う。それに辺り、まず理性と知性を分けて考える必要がある。それは知性がある程度、先天性があるのに対し、理性は後天性が強く反映されるからである。

 さらに知性と浮気の関係性を明らかにするのは非常に困難であるというのもその理由の一つである。しかし、それらをひも解くことで、より本質に迫れるのではないかという思いも私には強い。それだけに、知性がどのように浮気と関係しているかを突き止めなければならないと思うのである。
 
 そこでまず私は、知性が本能とどのようにつき合っているかを考えることにした。

 つき合っているというのは、対峙と迎合であり、それらの判断を知性が行うことである。

 言うならば、後先も含め、その損得を冷静に判断し、損だと判断すれば浮気は行わないだろうし、得であると判断するのであればそれを実行に移すのである。その損得は知性が高ければ高いほど緻密であり、低ければ低いほど本能的になるのである。

 そう考えると、知性はイコール本能を押さえつけるという役割をしているとは言いがたく、むしろコントロールしているだけと考えた方が適切かもしれない。

 それだけにそのコントロールが効かない(知性が相対的に感情よりも弱い)場合には、稚拙で本能的行動を露呈してしまうことになるのだ。

 またそのとき、感情という厄介な物も出現する。これは本能に属しているとはいえ、後天的な経験や社会システムの継続による思い込みが加わることで、より複雑化してしまうのである。

 次に理性についてである。理性の特徴としては、やはり明確に本能に対抗(抑制)できるという点ではないだろうか。しかし、それは後天性(育った環境)が大きく左右すると考えられる。親がどのような行動を示していたか、周りの大人がどのような態度を社会的に取っていたかなど、様々な要因によって変化し、また本人の経験などによって固定化されていくものであり、言い換えると理性は知性以上に個人差があるのではないかとさえ思えてしまう。

 しかしながら、ある一定の方向性を社会としてシステム化することは可能であり、それらは道徳教育などによって形成され、個体による大きなズレを生じさせないように試みてはいる。それでも格差が生じるのは、当然、持って生まれた知性も関係するだろうし、教育システムに乗っかる以前の親の教育にもよってしまうことから、尚更それを個体別に明確化することは困難である。

 それでも理性がどのように浮気(本能)を抑制するのか、またしないのか、という点に関しては、ある程度、客観的な考察は可能であると思う。

 まず理性は知性と異なり、その時々の精神状態に強い影響を受けてしまう性質を持つ。いくらシステム化された教育の中で理性を身につけたとしても、状況が逼迫している場合において、それらは大きくその体を崩す可能性があるのである。

 例えば、無人島で餓死寸前に追い込まれた人間がいたとしよう。そして周囲には他者がいたとする。そのとき、その人間はどのような行動を起こすのか、生きるために他者を殺すのか、または他者が死ぬまで待ち、死んだ他者を食するのか、それとも、理性を持って、自らも死ぬのか、それは誰にも予測不可能なのである。

 このように、一般的な状況化において発揮される理性であっても、逼迫した状況や精神的に追い込まれた場合においては、意外と脆弱なものなのである。言うならば、理性には、知性とは違い、精神力の強弱が強く影響するとも言い換えられる。

 それを踏まえた上で、では浮気という状況についてはどうかという話になる。当然、先の例のような、逼迫感はさすがに浮気にはない。しかしながら、妻として選んだ女性との関係性がうまく行っていない場合など、少なからずこの理性が弱まることは十分に考えられる。そしてその関係性の度合いは、当然精神力によって差異が出る。

 それだけに、理性がある一定度効果を出すためには、夫婦間における良好な関係性が非常に大事になってくるのである。

 さて、本能と理知性を分けて考察したが、これらを合わせ、さらにはプライオリティーをつけ、まとめてみるとする。

 まず理性の強い男性(精神力が強い)は、本能よりもプライオリティーは理性が上回る。極限状態でも理性を保てる男である。こういった男性において浮気をする可能性は低いと考えられる。また、相対的に本能が弱い男性(理性が弱くても)も同様である。

 そこに関し、女性も同様であるが、女性の場合には、元々本能に、保守的独占欲が強いため、よりそれは顕著に現れるであろう。

 また知性はその行動に対して損得で判断するため、例え本能が行動を起こそうとしても、それをコントロールすることも可能である(逆に女性の場合、本能に逆らう=浮気(本気)になる場合もある)

 ではその上で、理性が弱い場合はどうだろうか。この場合、状況が損得のみに委ねられ、さらには、本能が強ければ、その得の部分が増幅し、また逆に、本能が弱ければ、得は過小になるのである。

 次に、本能が理知性を上回ってしまうケースについてである。

 この場合、まず本能が強い、もしくは、理知性が弱いという前提がある。それによって理知性よりも本能にプライオリティーが置かれ、本能的行動を起こしやすくなり、そうなった場合の浮気の可能性は極めて高くなる。

 しかしながら、女性は本能的に保守的独占欲があり、男性のそれとは異なる。それだけに女性が浮気をしようと決意した場合、それは浮気ではなく、限りなく本気(今の男に見切りをつけ、新たに餌や遺伝子を与えてくれるオス(男)への移行)であるとも言えるのだ。

 もちろん、中には単なる浮気としてそういった行為に及ぶ女性もいる。しかし、それこそ、本能や理性を無視(弱いが故に)した行動であり、後先、損得をまるで考えられないという、極端な理知性の弱さの表れで、古達もそれを強く非難しつづけてきたのである。

また、金銭目的で、そういった行為をする者もいる。これは先に述べたように、元々の理性が弱いか、もしくは生活苦などによって、逼迫した状況下に置かれ、理性が弱まったかであろう。またこのように、理性が弱いことで、知性が損得のみを考え、その得が金銭というわかりやすい形で現れた結果だろう。

 これまで、男女の浮気の差異と性質、本質について長々と述べてきたが、これらは決して浮気を肯定するようなものではなく、(本能と社会システムが矛盾しているのは事実だが)これらを理解することで、より良い夫婦関係の構築に役立つのではないだろうか、そう私は考えるのである。