男女の浮気の差異と本質について | ひより

男女の浮気の差異と本質について



 
「男女の浮気の差異と本質について」


 男女の浮気は、近年、女性の権利が担保され、より浮き彫りになった問題である。しかしながらその実態は隠蔽と軽薄に誤摩化され、その本質が語られる事は少ない。

 また、その本質を語ろうとすると、男尊女卑だのといったフェミニストの感情的反論を受けてしまい、どうしても萎縮しがちである。

 だからこそ、あえて今回、私がより客観的視点を持って、この浮気についての考察を行うことを決意したのである。

 さて、この浮気をひも解くに当たって、まず私は2つの要素について、それぞれを分けて考察することにした。その2つの要素は、本能と理知性である。

 これらを一旦切り離し、そして男女および、個体別にプライオリティーを決めていくことで、その本質に迫れるであろう。

 ではまず、本能からみた浮気を考察する事から始めるとする。

 本能というのは、ある種、人間を動物として考えるということである。言うならば生理的にである。まずその視点から見て、人間という動物は一夫多妻の動物なのか、はたまた一夫一婦の動物なのか、そこを理解しなければならない。

 例えばライオンはどうだろうか。強い一匹のオスに数匹、時には数十匹のメスが従い、一匹のオスの遺伝子を受け継ぐ。それに対し、狸やペンギンなどは、繁殖シーズンなども含め、同じメスとしか性交渉を行わないのである。ちなみに、ほ乳類では、約97%が一夫多妻、3%が一夫一婦の比率で存在する。

 これは理知性が無い(もしくは弱い)動物の本能的行動であり、人間のように理知性などによって制度化したものでは当然ない。それ故に、一夫一婦の動物が浮気をする事が無いのと同様に、一夫多妻の動物が一夫一婦を生涯守る事も考えられないのである(メスを射止める事が出来ない場合は別だが)

 それを踏まえれば、人間は確実にその97%の部類に属する事は明白な事実なのである。そして、さらにそれを深く考察するに辺り、生理、さらには遺伝子と種の継続を考えなければならない。

 まずオス(男)の生理的特徴は、精子排出の期間が女性よりも長く、さらには、毎日数回、射精が可能なことにある。この事から、多くの遺伝子をその後、継続的に残す事が可能となる。これを仮に計算するとなると、一日約2回×356日×50年=約35600回の射精が可能であり、生理学的には、約35600人の子孫を残す事が可能なのである(現実はもちろん不可能であるが)

 それに対しメス(女)は、排卵が始まる時期はオスとあまり時期は変わらないものの、終焉時(閉経)はオスよりも早く、また、閉経前でも、安全に、そして確実に妊娠、出産できる時期はかなり限られたものとなる。それは生理学上のデータで適切とされている年齢が、18歳~28歳と言われていることからもわかる。

 また妊娠から出産まで10ヶ月ほどの時間を要してしまうが故に、仮に適切ではない期間を含めても、最大でも40回前後しか産めないのだ(それもまず無理だろうが)
 このように、生理学上では、男女でおおよそ900倍の遺伝子を残せる可能性に差が生じていることになる。

 それ故に、本能という一側面を見る限り、男女で浮気というものを平等化して考えることは間違いであり、仮にこれを感情的に話すのであれば、男性が浮気をして嫌な思いをする女性の、約900倍女性が浮気をしたことで男性は嫌な思いをする、ということになり、女性の浮気は40分の1の相手を選び、男性の浮気は35600分の1の比重であることになる。

 もちろん、これらは本能や生理の部分だけを取り上げたからであって、理知性を持つ、人間にイコールで当てはめる事は適切ではないのも事実である。しかしながら、そういった本能が根源的にあるという前提を少なからず排除は出来ないのである。

 ではなぜ男女においてこのような生理的差が生じているのかについて考えていきたいと思う。

 それには、子供の成長速度と性愛の必要性(重要性)が関係しているのではないかと推測できる。

 一般的なほ乳類は子供の成長が早い(約2年未満で成人する)のに対し、人間は成人(肉体、脳的に)するまで12年から18年(学説や視点によって変わる)掛かると言われている。成人するまで、ここまで長い期間を要するとなると、それまでの間、外敵などから安全に子供を育てるためには、メスが長期間に渡って守る必要がある(男は餌を取りに出なければならないから)

 そうなった場合、仮にメスにもオス同様の生理現象を持ち合わせていたとすると、それは不可能になってしまう。それ故に、メスには一人の子供を成人まで育てる長い期間が割り当てられているのだ。

 さらに子供への性愛も重要である。これは脳科学でも立証されているが、子供は母親の声(会話)によって、前頭葉をより活発に成長させる。それだけに、母親が子供の傍に(学説によると12歳前後)いる必要性が極めて高く、またそれは子供の数が過剰に多くなってしまう事で、害されるが故に、メスには数の制約もつくと考えられる。

 このように、メスには二重の意味で、遺伝子を男性ほど多く残せない理由が存在するわけだ。

 さて話を本能に戻す。本能の中でも一番厄介なもの(使い方次第ではあるが)が、欲である。

 この欲は浮気という観点から見ると、性欲と、独占欲に分類されるであろう。これは浮気をする側とさせない側(される側)とも言い換えられる欲である。性欲については、詳しく「エロティシズムについて」で語る事にし、ここでは独占欲についての話をしたいと思う。

 この独占欲は、男女で全く異なる性質があると私は考えている。その理由は、先に話した通り、本来ならば、次の異性に移行しなければならないオスと、子供を安全に育てるために、餌を確保しなければならないメスとで、全く異なるからである。

 当然だが、メスは子供を育てている間、餌を取りに行く事は危険である(オスメスで協力し合う場合もあるが)それ故に一夫一婦であれば余計に、オスの存在は重要になる(ちなみに一夫多妻の動物の場合は異なる。それは、メス同士で協力し合う事が可能なので、オスは遺伝子のみ必要になる。もちろん、現代の人間社会においては当てはまらないが、本来、人間の本質はここである)

 言い換えると、それが子供と自分の未来の保障でもある。それだけに、オスに逃げられてしまうことはメスにとって死活問題であり、なんとしても傍に保持しておかなければならないのである。

 それがメスの独占欲の本質であり、人間の場合、結婚し、出産をするとより顕著にそれは現れるし、自らの肉体が出産に耐えうる限界を感じた女性も同様である(ただし、人間は本能的に一夫多妻の動物なので、出産後(遺伝子を貰った後)はオスを必要としないとも考えられる。この辺りは本能と社会(理知性によるシステム化)の非合致性ではないだろうか)

 それに対し、男性の持つ独占欲の本質は何だろうか。それは自分よりも強いオスの出現に対する畏怖であると私は考えている。

 ライオンでも同様だが、自分よりも強いオスが現れた場合、自ら身を引き、メスを手放さなければならない。これは一夫多妻性だからこそ起きる宿命とも言える。

 それをもう少しわかりやすく、現実的な表現をするとするならば、自分に自信が無い(勝ち目が無い男が周りに多いと自ら、もしくは無意識に判断)男ほど、相手を強く束縛(独占欲の表れ)するのである。また逆に束縛しない男は三つのパターンに分類される。一つは既に違うメスに意識が向かっているケース、そしてもう一つは自分に自信があるケース、そして最後にそもそもそういった本能が弱いケースである。

 このように、本能である欲も男女においてかなりの差があることがおわかりいただけただろうか。
 さらに本能に属するもので、感情というものもあるが、それは次に話す理知性に絡めて話すことにする。

 では続いて、理知性についてである。理知性は動物の中でも人間ほど強くそれを持ち合わせた物はいない。それ故に、理知性は人間が人間である所以でもある。

ではその理知性がどのように浮気に関与しているかの話をしたいと思う。それに辺り、まず理性と知性を分けて考える必要がある。それは知性がある程度、先天性があるのに対し、理性は後天性が強く反映されるからである。

 さらに知性と浮気の関係性を明らかにするのは非常に困難であるというのもその理由の一つである。しかし、それらをひも解くことで、より本質に迫れるのではないかという思いも私には強い。それだけに、知性がどのように浮気と関係しているかを突き止めなければならないと思うのである。
 
 そこでまず私は、知性が本能とどのようにつき合っているかを考えることにした。

 つき合っているというのは、対峙と迎合であり、それらの判断を知性が行うことである。

 言うならば、後先も含め、その損得を冷静に判断し、損だと判断すれば浮気は行わないだろうし、得であると判断するのであればそれを実行に移すのである。その損得は知性が高ければ高いほど緻密であり、低ければ低いほど本能的になるのである。

 そう考えると、知性はイコール本能を押さえつけるという役割をしているとは言いがたく、むしろコントロールしているだけと考えた方が適切かもしれない。

 それだけにそのコントロールが効かない(知性が相対的に感情よりも弱い)場合には、稚拙で本能的行動を露呈してしまうことになるのだ。

 またそのとき、感情という厄介な物も出現する。これは本能に属しているとはいえ、後天的な経験や社会システムの継続による思い込みが加わることで、より複雑化してしまうのである。

 次に理性についてである。理性の特徴としては、やはり明確に本能に対抗(抑制)できるという点ではないだろうか。しかし、それは後天性(育った環境)が大きく左右すると考えられる。親がどのような行動を示していたか、周りの大人がどのような態度を社会的に取っていたかなど、様々な要因によって変化し、また本人の経験などによって固定化されていくものであり、言い換えると理性は知性以上に個人差があるのではないかとさえ思えてしまう。

 しかしながら、ある一定の方向性を社会としてシステム化することは可能であり、それらは道徳教育などによって形成され、個体による大きなズレを生じさせないように試みてはいる。それでも格差が生じるのは、当然、持って生まれた知性も関係するだろうし、教育システムに乗っかる以前の親の教育にもよってしまうことから、尚更それを個体別に明確化することは困難である。

 それでも理性がどのように浮気(本能)を抑制するのか、またしないのか、という点に関しては、ある程度、客観的な考察は可能であると思う。

 まず理性は知性と異なり、その時々の精神状態に強い影響を受けてしまう性質を持つ。いくらシステム化された教育の中で理性を身につけたとしても、状況が逼迫している場合において、それらは大きくその体を崩す可能性があるのである。

 例えば、無人島で餓死寸前に追い込まれた人間がいたとしよう。そして周囲には他者がいたとする。そのとき、その人間はどのような行動を起こすのか、生きるために他者を殺すのか、または他者が死ぬまで待ち、死んだ他者を食するのか、それとも、理性を持って、自らも死ぬのか、それは誰にも予測不可能なのである。

 このように、一般的な状況化において発揮される理性であっても、逼迫した状況や精神的に追い込まれた場合においては、意外と脆弱なものなのである。言うならば、理性には、知性とは違い、精神力の強弱が強く影響するとも言い換えられる。

 それを踏まえた上で、では浮気という状況についてはどうかという話になる。当然、先の例のような、逼迫感はさすがに浮気にはない。しかしながら、妻として選んだ女性との関係性がうまく行っていない場合など、少なからずこの理性が弱まることは十分に考えられる。そしてその関係性の度合いは、当然精神力によって差異が出る。

 それだけに、理性がある一定度効果を出すためには、夫婦間における良好な関係性が非常に大事になってくるのである。

 さて、本能と理知性を分けて考察したが、これらを合わせ、さらにはプライオリティーをつけ、まとめてみるとする。

 まず理性の強い男性(精神力が強い)は、本能よりもプライオリティーは理性が上回る。極限状態でも理性を保てる男である。こういった男性において浮気をする可能性は低いと考えられる。また、相対的に本能が弱い男性(理性が弱くても)も同様である。

 そこに関し、女性も同様であるが、女性の場合には、元々本能に、保守的独占欲が強いため、よりそれは顕著に現れるであろう。

 また知性はその行動に対して損得で判断するため、例え本能が行動を起こそうとしても、それをコントロールすることも可能である(逆に女性の場合、本能に逆らう=浮気(本気)になる場合もある)

 ではその上で、理性が弱い場合はどうだろうか。この場合、状況が損得のみに委ねられ、さらには、本能が強ければ、その得の部分が増幅し、また逆に、本能が弱ければ、得は過小になるのである。

 次に、本能が理知性を上回ってしまうケースについてである。

 この場合、まず本能が強い、もしくは、理知性が弱いという前提がある。それによって理知性よりも本能にプライオリティーが置かれ、本能的行動を起こしやすくなり、そうなった場合の浮気の可能性は極めて高くなる。

 しかしながら、女性は本能的に保守的独占欲があり、男性のそれとは異なる。それだけに女性が浮気をしようと決意した場合、それは浮気ではなく、限りなく本気(今の男に見切りをつけ、新たに餌や遺伝子を与えてくれるオス(男)への移行)であるとも言えるのだ。

 もちろん、中には単なる浮気としてそういった行為に及ぶ女性もいる。しかし、それこそ、本能や理性を無視(弱いが故に)した行動であり、後先、損得をまるで考えられないという、極端な理知性の弱さの表れで、古達もそれを強く非難しつづけてきたのである。

また、金銭目的で、そういった行為をする者もいる。これは先に述べたように、元々の理性が弱いか、もしくは生活苦などによって、逼迫した状況下に置かれ、理性が弱まったかであろう。またこのように、理性が弱いことで、知性が損得のみを考え、その得が金銭というわかりやすい形で現れた結果だろう。

 これまで、男女の浮気の差異と性質、本質について長々と述べてきたが、これらは決して浮気を肯定するようなものではなく、(本能と社会システムが矛盾しているのは事実だが)これらを理解することで、より良い夫婦関係の構築に役立つのではないだろうか、そう私は考えるのである。