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子供への愛情は「質<量」


子供への愛情は、「質<量」であるというのが私の持論。



もちろん、質が高いにこした事は無く、質が高く量も多い、それが理想なのかもしれない。





と同時に、その質を、甘やかしと勘違いしている大人も多いように思える。



また、共働きなどで平日は子供になかなか接する時間の無い親達は、量よりも質と思っている人も多いだろう。



しかし、そういった大人達の勘違いが様々な問題を子供に生じさせているというのも事実である。




例えば「うちの子に限って」というのは、精神分析学の見地から言うと、抑圧と抵抗のバランスが崩れている状況を打破しようとする子供の防御策であると分析出来る。



どういうことか言うと、子供(大人もだが)は学校や保育園など(大人なら社会など)に放りだされているときには必ず抑圧を感じる。楽しく遊んでいても、少なからず他人と接する事はストレスに繋がるのだ。


そして、その抑圧を発散するためには、抵抗の手段が無ければならない(精神は抑圧と抵抗のバランスで維持出来るのだから)




しかし、もし、その抵抗したい(発散したい、癒されたい)相手が帰って来ても家に居なければ、また普段、なかなか接する事が出来なければどうだろうか?



それでも土日に母親が居る場合は、そこで平日分の愛情を補えると思ってる親達が多いだろう。



しかし、抵抗というのは、子供が発するわがままであったり、反抗であったりすることがほとんどだ。


特に子供は平日に溜まりに溜まった抑圧を一気に発散させ、より過激にわがままを言ったり反抗(抵抗)するようになる。




そうなると、母親は子供を叱るだろう。イライラもするだろう。これを子供はよく理解している。理解しているが故に、あえてわがままを言わなくなる。



そうなると子供は本来あるべき、ストレス(抵抗)の発散場所が失われてしまう。しかし、そのような状態が続けば、どんな子供でも(大人でも)精神を病んでしまうだろう。



結果、本来は抵抗の場ではない学校や幼稚園、保育園で子供の抵抗が始まるのだ。




そして逆に家では母親にいい子に見られたい、叱られたくない、(少しでも多くの愛情を受けたい)という思いから、子供は我慢(抑圧)してしまうのだ。




家ではいい子、学校では問題児。まさにこれは、こういった精神の歪んだバランスを子供なりに修正しようとしている行動であり、それは愛情が質よりも量にプライオリティー(優先順位)があることの証明であり、日々の生活の中で精神的バランスを取れていない証拠でもある。



また子供以外にも、ストーカーも同じような要因が考えられる。




大好きな人に、会いたいけど、会えない。この苦しみが日々積み重なる事で、精神を病んでしまい、その抵抗手段として相手を傷つけたりしてしまうのだ。



これはどんな人にでも起こりうる現象だと私は思う。まして子供は正しく抑圧に対して対処し抵抗する手段を持ち合わせていない。(ストーカーもだが)それ故に、その反動もまた大きくなるのだ。



さらに、思春期が遅れる、または子供が思春期になっても母親が子離れ出来ない、というのも、愛情の量が足りない証拠であろう。



通常の愛情量では基本的に(個体差はあるが)12歳前後で訪れるだろう思春期(自立の第一歩)は、それまでの愛情が足りなければ、もっと愛されたい、まだまだ愛され足りない、と親離れ出来なくなり、また逆に母親自身も、子供への愛情量がそれまで十分で無かった場合は、そのような子離れ出来ない状況になってしまうものだ。




やはり家族は(特に母親と子供)時間が許す限り、一緒に居るべきであると、私はつくづく思うのである。


























男女の恋愛経験における本質的相違について


「男女の恋愛経験における本質的相違について」


 しばし人は恋愛によって成長し、また恋愛によって失望し、また恋愛によって盲目になり、堕落もするものである。

 言うならば、恋愛という一つのツールは、その個体において、毒とも栄養ともなりうるものであるということだ。

 そこで今回は、個体別というよりも、男女における恋愛から得られる経験の本質的相違について語りたいと思う。

 まず恋愛を語る上で欠かせないのが、男女の生理的(本能)相違である。これについては、「男女の浮気の差異と性質について」で詳しく述べてはいるが、簡単に説明し直すと、男は特定の異性に縛れず、その相手との生殖行為が終われば、次に切り替えることが出来るが、女はある一定の期間(子育て期間)は、特定の異性に依存しなければならず、その縛りというものがある故に、男と違い、相手を確定させる(生殖相手)ことが、大きな目標となっており、その前提(恋愛)において、それが成就することを願い、目標の成功(生殖)と挫折(生殖前の別れ)の二極論で恋愛というものを捉えているのである。

 それ故に、それが万が一失敗したと判断した場合、それを一つの経験と捉えず、挫折と考えるのである。しかしながら、その挫折をそのまま受け入れるとなると、精神的ダメージが大き過ぎる故に、己の判断が間違えていたことを認めず、自己を正当化してしまう傾向にある(そうしなければ、今後、一番の目標である生殖が行えないからである。また後に書くが、その挫折の直接的原因のほとんどは男側にあるというのも大きい)

 その結果、その挫折という経験は、正当化によって相殺され、また新たな相手を求めたときにも、同じ過ちを繰り返しがちなのである。

 例えば、男性経験の多い女が、もしも経験豊富で過去の過ちを反省しているとするのならば、そもそも男性経験は豊富にならないのである。

 それは男性経験豊富な女が、何度も同じ過ちを繰り返した結果に男性経験が豊富になったと、逆説的に言い換えられるのである。

 それに対し男はそもそもが女性経験(性的)を豊富に持ちたいという願望を生理的に備え持っているわけである。それだけに、一度の恋愛の失敗を挫折と捉えることはない。むしろ、新たな異性との性行為に移行できると本質的には考えるのである。そして、さらにそれを強固にするために、失敗した恋愛を一つの経験値として、次の異性との恋愛に生かそうとするのである。

 しかしここで良く、こんなことを耳にする。「男は過去を引きずり、女は過去を現在で上書きする」と。

 確かに、ネガティブな捉え方をするのであれば、経験を生かすは、過去を引きずるになるだろう。しかし先ほど言ったように、過去を引きずることは、過去の経験というものを未来に繋げるということでもあり、それだけ過去の経験を重要視している証拠でもある。

 それに対し「過去を現在で上書きする」という女は、まさに挫折というものを瞬時に忘失し、反省や経験値として生かさず、同じ過ちを繰り返します、と言っているようなものである。

 また、一般的に女は選ばれる側、男は選ぶ側、という立ち位置も恋愛の経験には大きな影響を及ぼすであろう(もちろん、逆もあるだろうし、選ばれた後に最終決定をするのは間違いなく女である)

 その場合、男は数多くの女の中から選ぶのに対し(繰り返すが、選んでも最終決定はあくまで女性)、女は自分に好意を持った男の中からのみしか、基本的には選ぶことができない故に、ギャンブル性(比較対象が少ないので)が非常に高いのである。

 またそういった立ち位置以外にも、社会的地位も大きな影響を及ぼすだろう。例えば社長の娘であれば、それ相当の男(例えば違う会社の社長の息子とか)と出会う確率が高くなり、コンビニエンスストアでバイトする男と恋愛に陥るのは稀であろう。それだけに、その狭い範囲のみでの判断となり、総合的、大局的判断が付きづらいというのもある(もちろん、これに関しては男も同じ条件かもしれないが)

 さらに地位と同じのような要素を持つビジュアルもである。男は特に女の容姿に重きを置く。それは遺伝子レベルで、元は全て女から男か女に変化する(xx染色体)という根源的な差異によって、よりビジュアルの整った子孫を残そうとすると、必然的に女の容姿が最重要になってしまうのだ。

 それに対し女は、元々ビジュアルは、自分自身で補うことが出来ると判断し、(当然無意識レベルで)男のビジュアルをそこまで重要視しないのである。その代わり女が重要視するのは、男の生命力(現代では生活力とも言い換えられるかもしれないが)である。これは当然で、子供を産み落とした後、その子供が成人するまでの間、その生活の安全が担保されなければならないからである。

 しかしながら、先ほど言ったように、本質以外にも男を選ぶ際に、様々な要因が影響を及ぼすので、それらがこれらの本質を上回り、判断能力を奪い取ってしまうこともある。
 こうなった場合、女は金や地位、ビジュアルなどの表層部分で男を選び、本質的な生命力や人間性というものを見逃してしまうことになる(それでもうまく行く場合も当然あるが)

 そしてその男の生命力の有無こそ、女が子を産み落とした後に与える影響は多大であり、それが原因となって様々な失敗に繋がるネガティブな問題を引き起こすのである。

 では逆に男においてはどうなのか? という問題も同時に浮上するであろう。もちろん、過度に子育てをしない、家事をしないというのは、男にとっても決して受け入れられるものではない。しかし、女はそもそもそういった素質を備え持っており、過度にそれらに支障を来す女は少ないし、仮に支障を来しても、生活が破綻するまでには陥りづらい。それだけに男が女を選んだ後に、大きなダメージを女側の原因によって与えられることは少ないのである。そこを踏まえると、過去を引きずるという男の心境もわからなくはないし、逆に過去を現在で上書き出来る女の心境もわからなくはないだろう(人は恋愛の失敗の原因が相手にある方がダメージが少なく、原因が無い(少ない)相手だとダメージが大きくなるのである)

 このように、様々な要因が複雑に絡みあうが、その本質を見抜けば、女が男を見極めるという行為がどれほど困難で、どれほどギャンブル性が高いかお分かりだろう。

 しかし、それでも女同士の中で、一人目の男で成功する女もいれば、何十人と経験をつんでも成功できない女もいる。このような差異がなぜ生じてしまうのか、という問題もある。

 もちろん先ほど言ったように経験を生かせない故に、運(ギャンブルなので)も大きく左右するだろう。しかし、そもそも言い寄ってくる男の質というのは、その女の質である程度は決まって来るのも事実である。

 それはまずビジュアルであり、次に内面である。(特に内面で重要なのは、根源的理知性である)その有無によって、男は子孫への反映、またその女との生活において大きな影響が生じてしまうからである。

 そしてそこを見極めれる男は、言い換えると女にとっても良い男となるだろうし、そこを見極められない、というのは、女にとっても男にとっても不幸なことである。

 また根源的故にそれを根底から変えることは困難であるし、(ビジュアルにおいては整形などで可能かもしれないが)そもそも、女は過去を現在で上書きしてしまう習性を持つために、仮に失敗経験などから理知性の質を高めるチャンスが与えられたとしても、内面を磨くことや、質を向上させることよりも、むしろその経験が障害になってしまう事の方が多いのである。

 結論を述べると、男はある程度の女性経験を恋愛でしておく方が、よりその経験を生かした、質の高い生活や、最終的に決めた女の質も良くなる可能性が高くなる一方、女は、経験から学ぶということが男よりも劣っているが故に、根源的な女としての質がまず左右し、次に運という、ある種、かなり受動的な条件によって結果が左右されてしまうのである。

 もちろん、女でも中には過去の経験を生かし、また反省し、次に繋げる者もいるだろう。また逆に男でも経験や反省を生かせず、また生かそうとせず、同じ過ちを繰り返す者も大勢いるだろう。さらに、少ない経験でも運良く素晴らしい女を捕まえる事があるのも事実だろう。

 しかしながら本質的にはそういった男女の相違というものが確実に存在し、そのメリットデメリットを男女双方が理解した上で、今後に繋げる、ということを考えて行くべきではないかと拙者は考えるのである。

 もちろん恋は盲目であるが故に、それが非常に困難であることは言うまでもないが、、、、




減反政策を止めろ???



朝からモーニングバードの「そもそも総研」で、例の元官僚の古賀君がね、



「具体的な規制緩和としては減反政策を止めるとか」




そう言っておるのですよ。





まあ馬鹿も休み休み言え。と。




あのですね、今でも農家が米を作っても、生活出来るレベルの卸額じゃないので、国が補助金出しておるのですよ。




なぜならば、米(食料自給)は、国防(安全保障)の一つなんでね、競争させることよりも、安全を優先した結果の判断なのです。




それを古賀がですね、規制緩和で競争させれば米の値段は下がって庶民は得をする。なんて馬鹿なこと言ってるんですよ。




そりゃね、競争すりゃ、値段は下がりますよ。でもその差額は結局、国民負担、もしくは農家が泣きを見るかのどっちかなわけしてね、



仮に国が保障すれば莫大な予算をそこに計上しなきゃいけないし、



農家が泣きを見たら、きっと止めてく人が沢山出て、結局は供給不足に陥って、価格が上昇に転じるか、



一部の勝ち組が農地を買い占めて(それでソフトバンクの孫みたいのが稼ぐという構図)独占的にやって価格を決めるか、のどれかなんですよ。




ちなみにね、農協が困るだとか古賀はほざいておりましたがね、




確かに困るんですよ。農協は保険や金融もやってますからね、小さな農家が止めていって、



大手だけになったらそれこそ潰れちゃう。



そうなると、そこで働く人間、そこで生活している人間、それの下請け等々、路頭に迷うわけです。




はい、古賀はそれも含めた上で、「切れ!」と言ってるわけです。



冷酷きわまりない&マクロと安全保障を理解していない発言ですね。




はあぁ、こんなんばっかがテレビに出て大声出してるんだから、呆れますよ。




既得権益=悪という単純なものではなく、



規制は何のためにあるのか?をちゃんと考えてもらいたいものですね。