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小泉竹中の、いざなみ景気の再来か?


安倍政権がアベノミクスを始めてから約2年。


うまく行っていたかに見えた景気が、4月の消費税増税によってほころびが見え隠れし始めたのではなか、そんな風に感じている方は多いのではないか、と思います。


実際に、4-6のコアコアCPI(エネルギー、食料を抜いた消費者物価指数)は極端に落ち込み、連動するように、GDPも大幅減となりました。


しかしここで驚くべきは、株価の上昇です。



これだけ露骨に実体経済の悪化がデータと示されているにも関わらず、その影響を受けるどころか、反比例するかの如く、株価や一部の地価が上昇しているのです。


これ普通に考えるとおかしな話なのですが、当然、それにはある理由があるのです。


それを簡単に説明するのならば、「実体経済に需要が無く、民間が借金しない」ということと、それに伴い「金融緩和で金あまり現象が起きている」(これはまさにデフレそのものですが)ということなのです。



よく、民間の借金が悪いように言われがちですが、民間の借金が少ないということは、投資も少ないということであり、投資が少ないということは、需要も少ないということでもあるのです。


実はこれに良く似た現象がアメリカでもドイツでも散見できます。



特にドイツは、日本同様に銀行側の投資先が民間にはなく、結果、国債に向かい、そのせいでドイツ国債の金利は1%を切るという異常事態(日本も同様ですが)に陥っているのです。


一見、国債の金利が低いことは、利回りの支払いが少なくなるために、良い事のように誤解されがちですが、むしろこれは経済が縮小しているというシグナルでもあるのです(日本はこのデフレシグナルをずっと無視してきたのですが)


この結果に、下がり続けた国債金利や銀行金利では儲からないと、金融緩和などによる余剰資本が株式や為替市場、先物市場に流れてきた(それも世界中、とくにアメリカから)ことで、株価だけが上昇するという現象が起きているものと推測されます。



ここでふと思い出すのが、小泉政権時代のいざなみ景気です。


確かにあのときも株価が上がり、一見、景気が良いように見えました。また、実体経済もアメリカの不動産バブルや中国の高度成長の流れに乗り、輸出が大幅に伸びました。


ちなみに、これら結果を踏まえ竹中氏のような構造改革論者(新自由主義者)たちは、構造改革や規制緩和によってGDPが成長した証拠だとしています。


GDP推移(彼らが主張してるのはこの図の2003~2007年。ちなみにリーマンショックは2008年)

しかしその一方で、国民所得(給与)はあの当時から下がり続け、格差が生じてきた(格差を示すジニ係数は、右肩上がり)という事実をご存知の方はなかなかいないのではないでしょうか?




ジニ係数推移




国民所得推移



それら現象を客観的に分析してみれば、小泉、竹中の構造改革、規制緩和といった新自由主義的政策によって、国民は貧困になり、大手輸出企業は中国とアメリカの好景気に後押しされて内部留保を積み上げていき、さらに、そのアメリカで不動産バブルが崩壊し、リーマンショックを辿ると、日本もそれに引きずられるように、一気に株価も所得も実体経済も悪化していったということがわかります。




内部留保推移



そして結果、格差だけが残ったという、ある意味、最悪な結末を招いただけなのが、あの小泉、竹中の生んだ構造改革、規制緩和の「いざなみ景気」の実体だったのです。



にも関わらず、その反省も分析もろくにせず、構造改革によってGDPが伸びたんだ!という、いわゆる都合の良いデータ解釈によって、新自由主義的政策の正当性を未だに訴えているわけです。


このようなデータを客観的に見れば、それがでっち上げであることは明白にも関わらずにです。



そして今回の安倍政権もまさに竹中構造改革路線そのものである規制緩和や構造改革を打ち出し、同じ轍を踏もうとしています。



さらに前回のブログでも書いた通り、そこに財政健全化という歪んだイデオロギーが加わるわけですから、もはや国民を幸せにするという、経済の根幹、「経世済民」はどこへやら?という話です。



また、株式市場へのアクセス(インターネット証券)があまりにも安易になったため、株式市場はマネーゲームの舞台となり、また株主を意識した経営者が多くなってしまったことも、健全な再分配(社員への給与の反映)が行われなくなった大きな要因であり、また経営者自身が、一部の報酬を自社株で受け取るなどといったことも行われ、より、「社員」よりも「株価」となってしまったわけです。



本来は、社員のため、国家のためであるべき企業は、もはや、株価や内部留保さえ良ければ、社員がどうなろうと、国家がどうなろうと、お構いなし!となっているのではないでしょうか。



まさに、これこそ、戦後の歪んだ価値観が生んだ結果なのではないか、と思うのは私だけでしょうか。




話がややそれましたが、まさにあのときと同じように、現在は、所得が減少し、株価が上がるという現象が今起きているという事実と、さらに加えるのならば、そこにさらなる増税とエネルギーコストの上昇という悪条件が重なってるわけで、前回のいざなみ景気が及ぼした弊害以上の弊害が生じることも懸念されます。



それを防ぐためには、極力、異常な株価の乱高下を抑えるような規制であったり、再分配が適切に行われるような規制であったり、またエネルギーコストの抑制だったりが必要なのではないでしょうか。


また、国としても公共事業を通じ、地方へ再分配し、また民間が生んだ需要ギャップを埋めることも極めて重要ではないかと私は思います。



消費税増税について


一部を除いた巷のほとんどの経済学者や政治家たちが口を揃えて言う、


「今後の社会保障費の増加のためには安定財源である消費税が必要だ」


と言いますが、そもそも安定財源というのならば、財政を安定させてからにすればいいのでは?と思うのは私だけでしょうか。


消費税はご存知の通り消費に掛けられる税であり、消費をすればするほど税金がとられてしまいます。それ故に、消費が落ち込み、GDPが落ち込めば、当然税収も落ち込むという負のスパイラルが出来上がってしまいます。



ただし、好景気である健全なインフレ下においては、需要が供給を上回っているために、多少の消費税増税は大きな影響にはなりづらく、むしろ過度な需要を抑え,マイルドなインフレにすることも可能ではあります。



一方で需要が供給を遥かに下回る(デフレギャップ)ようなデフレ下(今の日本)においては、更なるデフレギャップを生み、さらなる経済の縮小を促してしまうでしょう。



この基本的経済論が理解できているのならば、消費税を上げるのは、財政健全化(プライマリーバランスの黒字化)してからでなければならないということが自明であると思うのです。



にも関わらず、将来の安定財源確保のためとか、国債の暴落が!(以後反論します)とかわけのわからないことを叫び、さらなる財政悪化をさせるような消費税増税を敢行させようものならば、それこそ我が国は本気で総貧困化に陥る覚悟をしなければならなくなるのではないでしょうか。




もちろん私は何が何でも消費税増税反対派ではありません。


所得税や法人税のように景気に左右されるような税制を中心とすると、財政は不安定化し、健全な国家財政の運用が困難になることも理解しているつもりです。


故にそのブレを最小限に抑えるために、景気に左右されづらい安定的な消費税の増税はいずれ必要だという論理も否定しないのです。


しかしそれには先に述べたように、きちんと経済や財政を安定させてから安定財源である消費税増税を導入しろ!今は時期尚早である!と述べているに過ぎないのです。



そのためにまずはGDPを伸ばし、今までの税制の仕組みの中でしっかりと財政を健全化させていく。その上でより年度ごとのブレを減らすために、徐々に消費税にシフトして行く、というのならば、条件付きで賛成したいと思います(マイルドなインフレ状態が続けばむしろ消費税増税せずに行けるので、ならばその間は不要)



さて、先にのべたように、社会保障費の増加や国債の暴落説についての反論をして行きたいと思います。



まずは社会保障費ですが、確かに少子高齢化と共に社会保障費は格段に増えて行くでしょう。しかしもしもそれを消費税増税で賄おうとしたら、どれほどの消費税率まで上げなければならなくなるでしょうか?



簡単な民間の試算でも30%前後まで上げなければ、将来の社会保障費を消費税では賄えないといいます。



もちろん、日本の消費税がこのデフレ下において30%にもなってしまえば、GDPは恐ろしいほど減少し、結果、30%でも足りなくなるでしょう。



言い換えれば、そもそもこの論理は、消費税の増税が需要を縮小させるという副作用がある以上、論理的に破綻しているのです。(にも関わらず、政治家達はこぞって将来の社会保障費の財源はどうする!と叫ぶのは、IMFが出した後進国用のデータを元に内閣府が作った税収弾性値1.1とかいうふざけた数値が元になってるのかもしれませんが)



では、どうすれば今度伸び続ける社会保障費を捻出させて行くか。答えは名目GDPを増やしていくしか方法は無いと思うのです。



当然、名目成長率を上げて行くためには、消費(需要)を拡大させ、投資を行い、それに見合う供給を確保することです。(ここで竹中平蔵氏らは、逆に供給を増やせば需要も増えると言っていますが、そもそも今の供給量で需要が伸びないわけで、さらに供給を増やしてどうする!と突っ込みたくなる話ですが)



そのために必要なものは、民間需要を補う公的需要(財政出動)とそれらお金の循環を促すための金融緩和です。(いわゆる第一の矢、第二の矢と呼ばれる安倍政権のケインズ政策です)



わかりやすく言えば、合理的に動く民間需要を、非合理的な政府がバランスをとるというわけです。(にも関わらず痛みを共有しろ!みたいな輩がいます。一緒に潰れてどうするんだ?と言う話ですね)



さらにそれら政策によってインフレが起きてくれば貨幣価値も下がり始め、実質の民間、政府の債務が減って行くことになります。(それによって投資がしやすくなります)



それに伴い名目GDPが増えますから、当然税収も伸びます(民間の試算では税収弾性値は4ですから、1%のGDP成長で4%の税収増)


それに加え、実質の債務も減るのであれば、誰が考えても消費税増税よりもこちらの方が良い!と思うに決まっているのですが、ここでお決まりの「増税しなければ国債が暴落する!!」が始まるのであります。



もちろん彼らの話は自然科学的には頷ける側面もありますし、条件次第ではその通りになってしまうこともあるとは思います。



しかしながら、その条件に日本は当てはまってはいないのです。



その条件とは、一つに国債の保持者に海外の人間が多い(たとえばギリシャとか)笑



もう一つに、自国通貨だてではない(たとえばギリシャとか)笑笑



さらに加えると、政府に通貨発行権がない(たとえばギリシャとか)笑笑笑



という条件であれば、国債の暴落は十分にありえるでしょう。



しかし、日本はすべてこの条件とは真逆なのです。


たとえば仮に、増税せずに、日本の信用が落ち、国債が売られたとしましょう。


しかし、その国債は自国通貨だてです。言い換えれば国債が円に交換されるだけなのです。


あれ?と思った方がいるかもしれませんが、その円は、どこに行くのでしょうか?


たとえば海外の投資家であるのならば(全体の1割程度ですが)、ドルと交換するかもしれません。しかし交換するためには相手が必要です。その相手はドルの代わりに円を手にすることになります。


その円はどこに行くのでしょうか? 捨てない限り、消費(もしくは投資)か貯蓄でしょう。


消費をすればGDP増に繋がるし、また国内消費であればまた違う誰かに円が移行するだけでの話であり、また貯金をすれば(タンス預金は別)、銀行にそのお金は行き、結果、銀行は国債を買い戻すか、市場に融資することになります。


これは言い換えれば、ぐるっと一周、円が何カ所か回って、再び国債に戻っただけの話なのです。


もちろん、こんな面倒なことを多くの国債保有者達がするとは思えないのですが、仮にそういうことになっても、それは一時的な現象でしかないということがわかると思います。



また、我が国にはユーロや自治体とは違い、通貨発行権があります。故にもしも国債が市場で売られることがあれば、日銀がそれを買い取ることが出来るのです。



そしてその買い取りで支払った円が市場もしくは政府に周り、また使われて行くのであれば、なんら問題はないではないですか?


まあ、そんなことを言うと、今度は円が暴落する!それは禁じ手だ!と反論が出てくるわけです。


しかし現状の為替相場を見ていると、世界情勢が不安定になればなるほど円が買われて行くのはなぜでしょうか?笑


もしもそんなに円が危険ならば、ドルでもユーロでも元でも買えば良いではないですか?



結局、彼らの一番の問題点は、経済学を自然科学に落とし込んで、消費者のマインドであったり、環境、時代背景であったりを無視するんですね。



本来、経済は社会科学的な要素と自然科学的要素のミックスだと思うのですが、大学の経済学部にせよ、そこらの経済学にせよ、そこが分離してしまっているのが、一番の問題だと私は感じます。



彼らのように数字だけを追ってるので、100年に1度が数年で何度も来てしまうわけです。


もちろん、データが重要なのは言うまでもありませんが、そこに固執するが故に、逆に無理なこじつけや相関が蔓延っているのも事実です(たとえば、相関している部分だけを切り取るとか)


このようにして自然科学系の経済学者達が、政治家や世論を誘導し、増税やむなし!を作り上げているわけであり、日本国民にとって彼らの存在は百害あって一利なしです。


オルテガが大衆人の中でも専門家、とりわけ経済学者たちこそ、一番の大衆人(バカ)であると述べていますが、まさに我が国はこの馬鹿なスペシャリスト達に振り回されてしまっているといっても過言ではありません。



結局、経済学にはスペシャリストが必要なわけではなく、ジェネラリストが必要であり、社会科学と自然科学の両面から俯瞰できる人たちが必要なのだと思います。


そのためには、やはり大学教育の抜本的な見直し(経営という観点を排除したり、研究の縦割りを廃止など)が必要なのですが、どうやら小泉改革以降、間違った方向にばかり大学改革が進んでいるように私は見えます。


民間では決してできないものを官がやる、これこそある意味、経済学に置き換えれば比較優位の法則なのですが、今は完全に混同してますよネ。笑


ではでは長文失礼しました。

スコットランドの独立運動を考える。

昨今、話題になっているスコットランドの独立運動。


確か、明日国民投票が行われるそうです。


そもそもなぜ300年もの間、イギリスの連合国家の一員だったスコットランドがこの時期に独立を持ち出してきたのでしょうか。



北海油田の税収がどうのという話もありますが、根源的にそのことを考えるのであれば、まずは近、現代のヨーロッパの流れを読み解かなければならないでしょう。



その中でも、大きな変化はEUの設立と、イギリスのサッチャーイズムと言われた経済政策だと思います。



元々、イギリスは各地域ごとに自立意識、民族意識が非常に高いことで知られています。


W杯予選なども、イギリス代表ではなく、イングランド代表や、スコットランド代表として参加していることからもその辺りが見えてくるでしょう。


そんな中で起きたEUというグローバリズムは、彼らにとってはより自分たちのアイデンティティーを明確にし、ナショナリズムを高めたのではないか、そう私には映るのです。



さらに、そのグローバリズムと共に彼らをそんな意識に変えたのが、サッチャー首相が行った市場原理主義的な政策でしょう。



これは当時、インフレ(供給量よりも需要が多い)に悩んでいたイギリスにとってみれば、非常に有効な政策であったかもしれません。



しかし、それがそのままスコットランドに当てはまっていたのか? ということを考えた時、一概にもYESとは言えないのかもしれません。



経済的な意味合いにおいてイギリスを日本に置き換えた時、イングランドが関東地方、スコットランドが東北、ウィールズが関西、北アイルランドが四国だとしましょう。



そのとき、関東地方や関西地方が抑えなければならないほどのインフレ状態だとしても、東北地方がそうだったとは限りません。


また関東地方を基準に考えた時、インフレ退治策が、関東地方には適正に利いても、それよりも経済の弱い東北地方には、利きすぎてしまうということもあるでしょう。


このように、サッチャーイズムはそういった地方の状況を加味しない国家政策(むしろ新古典派経済学と言うイデオロギー)でしたので、イギリス全体としては正解でも、スコットランドのような地方にとっては行き過ぎたインフレ退治策であったのでしょう。


その結果、スコットランドでは、自由競争が行き過ぎ、貧富の格差を生み、またイングランドやウェールズとの地域間格差も生じて言ったのかと思います。


もちろん、その後にイギリス政府として、保護や再分配が適正に行われていれば、このような貧富の格差も地域間格差も最小限に抑えることが出来たでしょう。



しかし、サッチャーイズムはインフレという時代背景的に、またイギリスGDP成長というマクロ経済的に成功してしまったが故に、政治家も経済学者も、それが正しい経済学だと誤謬が起きてしまいました。


その結果、市場に任せ、政府の関わりは最小限にという、新自由主義(市場原理主義、グローバリズム、新古典派経済学)が善であり、政府の再分配や財政出動といったものが悪とされるようなイデオロギーが生まれ、適切な保護や再分配が行われなかったのです(そもそもEUが出来た地点でそれが善にすり替わったとも言えますが)




このように、イギリス全体(とくにイングランド)にとっては善でも、スコットランドにとってみれば、まさに悪夢のようなグローバリズムが猛威をふるい、格差は生まれ、歴史や伝統の維持も困難になっていった結果、もう限界とばかりに、元々あったナショナリズムに火がついたのだと思うのです。



しかし、国家の独立というものは、そう容易いものではありません。



国家としての長期的安定などを考えれば、経済、エネルギー、軍事、福祉など、大きな産業もない、資源も決して多くない(北海油田の話もありますが)小さな国で、それらを安定的かつ長期的に行うのは非常に困難であり、また多くのリスクが生じることになります。


もしかしたら数十年、数百年単位で考えれば、イングランドがスコットランドを侵略することもあり得るわけです。



そうなったとき、今度はどんな境遇になるでしょうか? 少なくとも、一度裏切った国を今以上の扱いは決してしないでしょう。


もちろん、私はスコットランドの独立に反対なわけではありません。


むしろ、賛成反対と言うより、近年、世界が進めてきたグローバリズムが、いよいよ、限界に達し、飽和(崩壊)し、逆にナショナリズムが溢れ始めた、と見るべきであると思うのです。


その結果、世界はどうなって行くのか? 国家とは一体何なのか? その先駆けであるスコットランドにその答えがあるような気もします。

それだけに我々も十分に注視し、参考にして行くべきだと思います。