未来工業に行ってきた!そして思う…
振り返ったらもう半年も更新してなかったわ(;´∀`)
まー、ぼちぼちやってます。
とは言うものの、ここ数ヶ月はそれなり忙しかったんです。
まだ大雪で苦しんでいた頃に計画した製品が春にモノになり、真夏から量産スタート。
これまでに400ユニット製作して納めました。
これは、筐体設計はもちろんですけど、基板へ乗せる一部の手付け部品の実装と組立も一人でやったんで、まずまずの達成感でした。
やっぱり、手を汚して体を使うモノづくりって素敵だわーヽ(=´▽`=)ノ
個人事業主は、自分で自分を雇い管理して、結果として「収益」を出さなくちゃいけません。
一人で作業をしていれば、指示を出すのもそれに従うのも自分自身。
なので日々自律を意識するわけです。
ただ、もともとそれが刷り込まれているかのような生き方をしてきたわたしにとっては、自律を意識するまでもなく「自分で考え判断して行動する」ということが、まあ、、、「腹が減ったからごはんを食べよう」くらいの当り前の事なんで、逆に言うと規律と序列を重んじるような組織の中では働きにくさを感じてきました。
そんな折、ていうか、もう先月の事なんですけど、岐阜県の未来工業を見学する機会がありました。
未来工業は、中堅の電設資材メーカー。
ご存知な方もたくさんいると思いますが、日本一のホワイト企業()とも言われるほど従業員に優しい優良企業です。
どれほどの評判なのかはこちら→「日本一社員を幸せにする 未来工業社長のホワイトすぎる発言」でどーぞ。
未来工業では、些細な事でも改善提案すれば500円がもらえます。
それが採用されればまたお金がもらえます。
年間休日も同業他社と比較してたっぷりありますし、育児休暇に至っては3年間というびっくりするような待遇。
そして5年に一度は海外旅行!なんて素晴らしい!
こんな夢みたいな会社なら、採用倍率ってどのくらいなんだろう?って思いますよね。
それに対するお答えは「100倍くらいかな?」ということでした。
100人応募しても採用は1人ってことか…(´ε`;)
なるほどな。
みんなここで働いたら幸せになれるって思って殺到してそうだもんな…。
でもって離職率はかなり低く、ほぼ定年退職で会社とお別れになるのだそう。
すばらしいですよ。ほんと。
この未来工業の社是は「常に考える」です。
社内のいたるところに、この文言が貼り巡らされています。
掟ですよ、これは。
つまり、ひっくり返せば「常に考えることが出来ない人には勤まらない会社」ってことですよ。
自分の頭で考えず、指示待ちで動く人にはものすごく働きにくいんじゃないかと。
よって、傍から見るとありえないほど恵まれている会社だけど、本当に恵まれていると実感するかどうかは、従業員それぞれの意思と行動なりなんだなと思いました。
だからもちろん1/100の新規採用者さんは、そういう資質を見込まれての採用なんでしょうね。
自律。
このブログで幾度となく触れてきた自律。
これからは、たとえ序列や規律で管理された環境の中にいても、この自律が必要だと強く思いました次第でございます。はい。
じゃーね(・∀・)ノ
まー、ぼちぼちやってます。
とは言うものの、ここ数ヶ月はそれなり忙しかったんです。
まだ大雪で苦しんでいた頃に計画した製品が春にモノになり、真夏から量産スタート。
これまでに400ユニット製作して納めました。
これは、筐体設計はもちろんですけど、基板へ乗せる一部の手付け部品の実装と組立も一人でやったんで、まずまずの達成感でした。
やっぱり、手を汚して体を使うモノづくりって素敵だわーヽ(=´▽`=)ノ
個人事業主は、自分で自分を雇い管理して、結果として「収益」を出さなくちゃいけません。
一人で作業をしていれば、指示を出すのもそれに従うのも自分自身。
なので日々自律を意識するわけです。
ただ、もともとそれが刷り込まれているかのような生き方をしてきたわたしにとっては、自律を意識するまでもなく「自分で考え判断して行動する」ということが、まあ、、、「腹が減ったからごはんを食べよう」くらいの当り前の事なんで、逆に言うと規律と序列を重んじるような組織の中では働きにくさを感じてきました。
そんな折、ていうか、もう先月の事なんですけど、岐阜県の未来工業を見学する機会がありました。
未来工業は、中堅の電設資材メーカー。
ご存知な方もたくさんいると思いますが、日本一のホワイト企業()とも言われるほど従業員に優しい優良企業です。
どれほどの評判なのかはこちら→「日本一社員を幸せにする 未来工業社長のホワイトすぎる発言」でどーぞ。
未来工業では、些細な事でも改善提案すれば500円がもらえます。
それが採用されればまたお金がもらえます。
年間休日も同業他社と比較してたっぷりありますし、育児休暇に至っては3年間というびっくりするような待遇。
そして5年に一度は海外旅行!なんて素晴らしい!
こんな夢みたいな会社なら、採用倍率ってどのくらいなんだろう?って思いますよね。
それに対するお答えは「100倍くらいかな?」ということでした。
100人応募しても採用は1人ってことか…(´ε`;)
なるほどな。
みんなここで働いたら幸せになれるって思って殺到してそうだもんな…。
でもって離職率はかなり低く、ほぼ定年退職で会社とお別れになるのだそう。
すばらしいですよ。ほんと。
この未来工業の社是は「常に考える」です。
社内のいたるところに、この文言が貼り巡らされています。
掟ですよ、これは。
つまり、ひっくり返せば「常に考えることが出来ない人には勤まらない会社」ってことですよ。
自分の頭で考えず、指示待ちで動く人にはものすごく働きにくいんじゃないかと。
よって、傍から見るとありえないほど恵まれている会社だけど、本当に恵まれていると実感するかどうかは、従業員それぞれの意思と行動なりなんだなと思いました。
だからもちろん1/100の新規採用者さんは、そういう資質を見込まれての採用なんでしょうね。
自律。
このブログで幾度となく触れてきた自律。
これからは、たとえ序列や規律で管理された環境の中にいても、この自律が必要だと強く思いました次第でございます。はい。
じゃーね(・∀・)ノ
余白や行間を読む
完全地産プロジェクトによる商品化で、じわじわ全国に浸透中の長野県伊那市のマスコット「イーナちゃん」。
このイーナちゃんがトコトコ歩くかわいいプラモデルを撮った、2枚の写真を並べてみます。
そして、イーナちゃんが何か語りかけていると想像しながら、写真を見比べてみます。

(´-ω-`)…

…( ゚д゚)
右に大きく余白をとった写真のほうが、どこか強いメッセージ性を感じませんか?
これが、「余白を読む」。
同じように、「行間を読む」という言葉もありますよね。
いずれも、そこに書かれてはいないけれども、その裏や奥に潜んでいる意味を汲み取ること。な、わけですね。
で、これは会話でも使われる表現です。
相手の表情や言葉の端々からその意味をはかってあげることが、「行間を読む」。
…ということです。
同じ写真や文章でも、余白や行間の読み方は人それぞれで当たり前なんだけれど、最近は読む力が落ちているんじゃないか?と感じることが増えてきたような。
勘が悪いというかなんというか、会話はできてもその中身を伝え合うのに二度三度説明を足してようやく、というケース。
またそれとは反対に、肝心な場面で必要なことをはっきり伝えずに「あとは察してくれ」で乱暴に会話を放棄する人も多いし。
これじゃあ誤解を生むし、なによりもコミュニケーションになりませんわな。
語彙力は問題じゃないんですよね。こういうの。
「自分の考えを伝えよう」、「相手の言い分を理解しよう」という、ごく当たり前のことができるかできないかの問題じゃないかと。
余白を読む力=情緒力。行間を読む力=国語力。だと、わたしは思ってる。
いくら頭がよくて論理的にそつなく物事をこなす人でも、これらが欠乏していると人間としてバランス悪いですよね。
ならばと、ひたすら読書をしたり生の芸術に触れに行くのもいいけれど、もっと身近な、家庭とか勤務先といった場所で、余白や行間を読む工夫はカンタンにできると思うんですね。
要は、自分以外のものへの思いやりの気持ちだからね。
あとは察してくれ(・∀・)
このイーナちゃんがトコトコ歩くかわいいプラモデルを撮った、2枚の写真を並べてみます。
そして、イーナちゃんが何か語りかけていると想像しながら、写真を見比べてみます。

(´-ω-`)…

…( ゚д゚)
右に大きく余白をとった写真のほうが、どこか強いメッセージ性を感じませんか?
これが、「余白を読む」。
同じように、「行間を読む」という言葉もありますよね。
いずれも、そこに書かれてはいないけれども、その裏や奥に潜んでいる意味を汲み取ること。な、わけですね。
で、これは会話でも使われる表現です。
相手の表情や言葉の端々からその意味をはかってあげることが、「行間を読む」。
…ということです。
同じ写真や文章でも、余白や行間の読み方は人それぞれで当たり前なんだけれど、最近は読む力が落ちているんじゃないか?と感じることが増えてきたような。
勘が悪いというかなんというか、会話はできてもその中身を伝え合うのに二度三度説明を足してようやく、というケース。
またそれとは反対に、肝心な場面で必要なことをはっきり伝えずに「あとは察してくれ」で乱暴に会話を放棄する人も多いし。
これじゃあ誤解を生むし、なによりもコミュニケーションになりませんわな。
語彙力は問題じゃないんですよね。こういうの。
「自分の考えを伝えよう」、「相手の言い分を理解しよう」という、ごく当たり前のことができるかできないかの問題じゃないかと。
余白を読む力=情緒力。行間を読む力=国語力。だと、わたしは思ってる。
いくら頭がよくて論理的にそつなく物事をこなす人でも、これらが欠乏していると人間としてバランス悪いですよね。
ならばと、ひたすら読書をしたり生の芸術に触れに行くのもいいけれど、もっと身近な、家庭とか勤務先といった場所で、余白や行間を読む工夫はカンタンにできると思うんですね。
要は、自分以外のものへの思いやりの気持ちだからね。
あとは察してくれ(・∀・)
感情発達グラデーション
今日、製品の色合いを確認したくてGIMPを操作していた時にふと思ったんです。
赤にもいろいろ。黄色にもいろいろ。
その境目をはっきり区別できないで、曖昧な部分は無限にある。
でもって、曖昧がゆえにその色の捉え方や用い方も人それぞれ。
ひょっとしたらこれって、人間関係における感情のモツレや誤解、すれ違いとか、そういうことと通じるんじゃないの?
(´・ω・`)

ところで、Amebaのプロフィールにもあるように、わたしは保育士免許を持ってます。
学校は商業高校卒が最終なんで、当然保育専門課程を履修したわけではなく、ほんの10年ほど前に独学で取得した資格なのであります。
動機は「健全な子供を育成するための知恵がほしい」。
そんなところです。ええ。
んで、
資格をとることよりも、そのための学習で知恵を身につけることが目的だったわたしは、特に「発達心理学」という科目に集中してみたんですね。
一番興味深かったのは、ヒトの成長における「感情の分化・未分化」という現象。
生まれたばかりの赤ちゃんには「快or不快」の感情しかありません。
不快ならそれを泣いて知らせて、解消すれば快へと変わる。
ただこの時、その解消のプロセス、環境が重要なんですね。
なぜかというと、単に不快が快に変わっただけでなく、そこに母子の信頼関係が築かれていくから。
それを積み重ねていくにつれ、今度は「喜・怒・哀・楽」へ発達。
そして、成長に連れて更に複雑な感情を抱くようになっていくわけです。
これを、感情の分化と呼んで年代別の情緒・感情発達度合いの目安にしてるんですね。
(くわしくは「情緒分化樹形図」とか「ブリッジス」とか「エリクソン」といったキーワードで検索してみてくださいねー)
ここで大事なのは、感情発達のプロセスで重要な要素は「他者との信頼関係」ということ。
やっぱね。これに尽きると思う。
これが不足か欠落したまま身体だけが成長してしまったことが、最近の無気力、無関心、無神経…な若い人たちを増やしたひとつの要因なんじゃないかと考えていくと、いくつかの思い当たるケースがあったんでしたとさ。
例えば、
自分がこれまでに経験したこと、見たこと、聞いたこと、家族間の会話。
これらが世の中のすべてだと捉えているかのような狭小な世界観の中で、すでに自分を諦めてしまっている。
だから、能動的に視野を広げようともしないし、人間関係を築くことにもほとんど興味が無い。
したがって、他人に対する発言、態度を自分で制御できないから人を傷つけても気づかない。
こういう人の持つ感情や情緒の幅というのは、極めて狭い。
だから、「空気が読めない」「応用が効かない」。
しかしそう揶揄されても、当人はあまり深刻に思わない。
という人。
こういう人の感情のグラデーションって、ある一色に偏っているんでしょうね。
誰だって自分が好きなことは突き詰めたい。
だけど、それに関わる事柄なんて、視野を広げて見ていけばいくらでもあるんですね。
ほんのちょっと別の色を取り入れることで、視点を変えられる。
そうすることで視野が広がる。
すると、いままで気付かなかった物事を推し量ることを覚える。
そうして知識が広がる。ってね。
じゃあ、その「ちょっと別の色を入れる」ってどうすりゃいい?って話になるんだけど、わたしは「他人とのつながり、コミュニケーション」以外にないと思っている。
( ー`дー´)キリッ
赤にもいろいろ。黄色にもいろいろ。
その境目をはっきり区別できないで、曖昧な部分は無限にある。
でもって、曖昧がゆえにその色の捉え方や用い方も人それぞれ。
ひょっとしたらこれって、人間関係における感情のモツレや誤解、すれ違いとか、そういうことと通じるんじゃないの?
(´・ω・`)

ところで、Amebaのプロフィールにもあるように、わたしは保育士免許を持ってます。
学校は商業高校卒が最終なんで、当然保育専門課程を履修したわけではなく、ほんの10年ほど前に独学で取得した資格なのであります。
動機は「健全な子供を育成するための知恵がほしい」。
そんなところです。ええ。
んで、
資格をとることよりも、そのための学習で知恵を身につけることが目的だったわたしは、特に「発達心理学」という科目に集中してみたんですね。
一番興味深かったのは、ヒトの成長における「感情の分化・未分化」という現象。
生まれたばかりの赤ちゃんには「快or不快」の感情しかありません。
不快ならそれを泣いて知らせて、解消すれば快へと変わる。
ただこの時、その解消のプロセス、環境が重要なんですね。
なぜかというと、単に不快が快に変わっただけでなく、そこに母子の信頼関係が築かれていくから。
それを積み重ねていくにつれ、今度は「喜・怒・哀・楽」へ発達。
そして、成長に連れて更に複雑な感情を抱くようになっていくわけです。
これを、感情の分化と呼んで年代別の情緒・感情発達度合いの目安にしてるんですね。
(くわしくは「情緒分化樹形図」とか「ブリッジス」とか「エリクソン」といったキーワードで検索してみてくださいねー)
ここで大事なのは、感情発達のプロセスで重要な要素は「他者との信頼関係」ということ。
やっぱね。これに尽きると思う。
これが不足か欠落したまま身体だけが成長してしまったことが、最近の無気力、無関心、無神経…な若い人たちを増やしたひとつの要因なんじゃないかと考えていくと、いくつかの思い当たるケースがあったんでしたとさ。
例えば、
自分がこれまでに経験したこと、見たこと、聞いたこと、家族間の会話。
これらが世の中のすべてだと捉えているかのような狭小な世界観の中で、すでに自分を諦めてしまっている。
だから、能動的に視野を広げようともしないし、人間関係を築くことにもほとんど興味が無い。
したがって、他人に対する発言、態度を自分で制御できないから人を傷つけても気づかない。
こういう人の持つ感情や情緒の幅というのは、極めて狭い。
だから、「空気が読めない」「応用が効かない」。
しかしそう揶揄されても、当人はあまり深刻に思わない。
という人。
こういう人の感情のグラデーションって、ある一色に偏っているんでしょうね。
誰だって自分が好きなことは突き詰めたい。
だけど、それに関わる事柄なんて、視野を広げて見ていけばいくらでもあるんですね。
ほんのちょっと別の色を取り入れることで、視点を変えられる。
そうすることで視野が広がる。
すると、いままで気付かなかった物事を推し量ることを覚える。
そうして知識が広がる。ってね。
じゃあ、その「ちょっと別の色を入れる」ってどうすりゃいい?って話になるんだけど、わたしは「他人とのつながり、コミュニケーション」以外にないと思っている。
( ー`дー´)キリッ