余白や行間を読む | ガノタなモノづくりママの日常

余白や行間を読む

完全地産プロジェクトによる商品化で、じわじわ全国に浸透中の長野県伊那市のマスコット「イーナちゃん」。
このイーナちゃんがトコトコ歩くかわいいプラモデルを撮った、2枚の写真を並べてみます。
そして、イーナちゃんが何か語りかけていると想像しながら、写真を見比べてみます。



(´-ω-`)…



…( ゚д゚)
右に大きく余白をとった写真のほうが、どこか強いメッセージ性を感じませんか?

これが、「余白を読む」。
同じように、「行間を読む」という言葉もありますよね。
いずれも、そこに書かれてはいないけれども、その裏や奥に潜んでいる意味を汲み取ること。な、わけですね。
で、これは会話でも使われる表現です。
相手の表情や言葉の端々からその意味をはかってあげることが、「行間を読む」。
…ということです。

同じ写真や文章でも、余白や行間の読み方は人それぞれで当たり前なんだけれど、最近は読む力が落ちているんじゃないか?と感じることが増えてきたような。
勘が悪いというかなんというか、会話はできてもその中身を伝え合うのに二度三度説明を足してようやく、というケース。
またそれとは反対に、肝心な場面で必要なことをはっきり伝えずに「あとは察してくれ」で乱暴に会話を放棄する人も多いし。
これじゃあ誤解を生むし、なによりもコミュニケーションになりませんわな。
語彙力は問題じゃないんですよね。こういうの。
「自分の考えを伝えよう」、「相手の言い分を理解しよう」という、ごく当たり前のことができるかできないかの問題じゃないかと。

余白を読む力=情緒力。行間を読む力=国語力。だと、わたしは思ってる。
いくら頭がよくて論理的にそつなく物事をこなす人でも、これらが欠乏していると人間としてバランス悪いですよね。
ならばと、ひたすら読書をしたり生の芸術に触れに行くのもいいけれど、もっと身近な、家庭とか勤務先といった場所で、余白や行間を読む工夫はカンタンにできると思うんですね。
要は、自分以外のものへの思いやりの気持ちだからね。



あとは察してくれ(・∀・)