『高良玉垂宮神秘書』にその名が記されていた。
玄孫大臣である表筒男尊が赴いた地になる。
肥前国一之宮の千栗八幡宮。
佐賀県三養基郡みやき町。
千栗八幡宮*一の鳥居
長めの階段を上っていくと、拝殿が見える。
Google先生の案内で裏側の駐車場に車を止めたので、階段を下りて入りなおした。
千栗八幡宮
高台にある広い境内。
下の一の鳥居の横と、境内に由緒書きがあった。
境内の由緒書き
御祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
難波皇子、宇治皇子、住吉明神、武内宿禰
神亀元年(七二四)聖武天皇の勅を奉じて養父郡司 壬生春成が、この地に社殿を造営し創建したと伝えられる。以来、本宮は宇佐神宮の五所別宮の一と称せられ、朝廷からも厚く尊崇を受けた。(上記、由緒書きより)
HPや下の鳥居の由緒書きには、
「九州五社八幡宮の一つ」であり、こちらに社を創建したのは、壬生春成のご神託によるものとある。
また鳥居の方には「住吉仲皇子」と記されていた。
千栗八幡宮*拝殿
筑後国一之宮の高良大社の高良神。
社の伝承の『高良玉垂宮神秘書』にて、この社の神が解かれる。
*高良神とは。
物部の祖神、饒速日命であった。
住吉神、志賀神、安曇磯良神、春日神、鹿島神と同神。
住吉神の三男、底筒男尊が、高良神、大政大臣物部保連。
長男、表筒男尊は日神・天照、玄孫大臣物部大連。
しかし、住吉三柱は同神であった。
彼は住吉神であり、天照。
神功皇后と夫婦とある。
(故に、住吉大社では、第一宮が底筒男尊。彼女が配祀されている)
*玄孫大臣は肥前へ
『神秘書』には、玄孫大臣や高良神(底筒男尊)たちは、神功皇后の崩御の後、豊姫と共に肥前へ赴いている。
しかし、彼は高良神と同神。
ゆえに玄孫大臣の豊姫は、神功皇后と同神となる。
図1 神秘書の系図
地名は、後に祭神として祀られる社を意味していた。
豊姫は肥前一ノ宮の與止日女神社。
もう一つの肥前国一之宮の神の千栗八幡宮、この社の神が彼である。
武内宿禰、住吉神、応神天皇など、男神はすべて彼自身になる。
この千栗八幡宮は、「九州七社 九州五社」にもある。
九州五社
阿蘇十二宮
宝満大菩薩
天満大自在天神
志賀大明神
河上大明神
九州七社と申せば九州五社に
大善寺大神 千栗八幡大神を
相添え申す 九州七社とは申すなり
それは、書の「天神七代 地神五代」に対応するだろう。
神話の神はすべて彼らであることを、示唆していると思われる。
書には高良神と社に関するもの以外、記されていないからだ。
よって、「肥前に赴いた玄孫大臣の社」の千栗八幡神社に武内宿禰と同神の住吉神の名がある。
武雄神社
武内宿禰は、武雄心命の御子とあるが、おそらく同神と思われる。
天忍穂耳尊も彼自身であった。
高良神である大己貴命(饒速日命)は、英彦山で天忍穂耳尊に山を譲っている。
*伝承の「譲る」「交換」などは同神を意味していた。
神話の神は、すべて彼ら二柱であり、ゆえに上記の神もまた彼らになる。
先祖とされる武雄心命も、彼自身だと思われる。
*系図記載
当千栗八幡宮の御祭神は八幡大神で、稲荷神社御創建の由緒記によると、養父の郡司壬生春成が此の地の狩猟の折、号(?)の上に鳩が止まった故事によるもので、鳩は八幡様のお使いであるとその夜の夢枕に八幡宮境内に千本の栗の木が表れ、一夜にして栗林が現れたと云う。故に鳩森稲荷神社という。(上記、由緒書きより)
千栗の名の由緒。
八幡神である応神天皇は、気比神功にてツヌガアラシト神と名を変えている。
「変える」は同神を意味する。
かの神はヒメコソ神を追って日本に来たという神。
筑紫の二つのヒメコソ神社から、饒速日命=高良神に繋がっている。
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小分けなので分かりやすいかもです
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