古事記は天文暦象、大地の異変の記録を託したものでもあったという。

彼らは星神であり、ゆえにそれは彼らの物語として語られている。

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★目次

☆1 神話には天文暦象が記されている

☆2 星神の神話

☆3 災厄をもらたす神

☆4 御火焚は火たきごもり

 

  神話には天文暦象が記されている

(儺の國の星拾遺55、箶笳星*こかのほしより引用)

昔、天文暦象の諸事一般を載た書を日爾雅(くにが)といった。... ...Kitaphi(キタヒ)はKnyba(クニガ)の訳であった。後に久邇雅(くにが)とも書き、地象、即ち大地の異変の記録の意に転じた。万葉の頃までは、古事記なる書名を聞く人々は、直ちに舊辭記、即ち神事に托した物語を知っていたのである。

(真鍋,1985,P60)

 

舊辭記とは、旧辞記(くじき)。

記紀よりも前に存在していたとされる歴史書のこと。

それを受けて上の文の大意を書く。

 

旧辞記、神事は日爾雅(くにが)で(も)あり、天文暦象、大地の異変の記録を託したものであったという。

おそらく、古事記にはそれが反映されているため、万葉の頃までは、そうと知る人がいたということになるだろう。

 

記紀に記される神話の神は全て、二柱の天照に集約される。

それが饒速日命と后の御炊屋姫であった。

 

彼らは星神でもある。

ゆえに、神話の星にまつわる物語は、すべて彼らと結びつけられたものになる。

 

 

饒速日命は石上神宮の布留神。

その名は隕鉄の剣=流れ星=星神を意味する。

 

石上神宮

 

高良神であり、同神の住吉神は、オリオン座の三ツ星の神格化。

御炊屋姫は、女神天照であり、瀬織津姫。

彼らはヒメコソ神社の七夕神に繋がる。

彦星と織姫であった。

 

 

 

  星神の神話

 

星神の神話は、彼らと重ね合わせられている。

その一つが天津甕星(あまつみかぼし)と建葉槌(たてはづち)。

 

 

それは、下の記事の天津彦星と伏見星に繋がった。

天上の星と相対する地上近くの星であり、星の運行を意味するものだと推測される。

 

 

また真鍋氏によると、天津甕星は白鳥座の心臓にあたるところの星であり「いつも銀河の中に赤く凝(こご)った妖星として仰がれてきた」(真鍋,1982,P88)とある。

 

不安をあおる妖星と、とらえられたのかもしれない。

彼は神話では「災厄をもらたす神」でもあるのだ。

 

 

  災厄をもらたす神

 

彼は神話の「災厄をもたらすもの」すべてになる。

その意図は、主に二つ。

 

*天照の交代の理由

*彼らの異類退治

 

まずは一つ目の天照の交代の理由。

前述したように、本来天照は二柱。

 

しかし、天照は女神のみ。

彼女は御炊屋姫に繋がる。

饒速日命の后であり、故に男天照が彼なのだ。

 

 

男天照が隠されたのは、彼が「悪い神」であったから。

神話では繰り返し、主張している。

 

最たるものは、天岩戸。

(詳細、下の記事)

 

 

 

退治した話

 

 

 

 

*異類退治

 

二柱は、筑紫では高良神と神功皇后と名を変えられている。

筑紫に残る伝承は、祭神の由緒を示唆するものであった。

全て同神であるので、伝承も同じもの。

 

しかし退治したものである彼らは、「悪い神」として伝わっている。

その実、悪い神を退治した方の神であった。

 

よって、神話の「災厄をばらまいたもの」は、「災厄をばらまいたものを退治した神」になる。

 

筑紫では、前述の大己貴命と宗像神もペアで夷類退治をしている。

同神ゆえになる。

 

「祓いの神」住吉神と瀬織津姫とは、彼らを意味する。

高良神は住吉神と同神。

 

神功皇后は饒速日命の后の御炊屋姫。

彼女は女神天照である瀬織津姫。

 

 

天津甕星は、神話では退治される神であった。

それは、「男神天照が隠される理由」と、「異類退治」を示唆するものであった。

 

「災厄をもたらすもの」が、妖星の存在と結びついたと推測される。

 

 

  御火焚は火たきごもり

 

那珂川では仲哀帝(一九二~二〇〇)の頃から御火焚(おひたき)の歳時が始まり、今も部落ごとに守られている。

(真鍋,1985,P58)

 

以前、那珂川で行われている御火待(おひまち)について書いた。(記事、修正してます。御火待がほんげんぎょうの可能性が高そう)

 

 

上記の引用にある御火焚(おひたき)に繋がるもの。

どのようなものであったか、真鍋氏は述べている。

陰暦十月二十七日から十一月二十三日に氏族がそれぞれの式例によって日を選んでいた。氏族が自らの部落の行事に適した暦を新しく神に供えると同時に、旧の暦書を焼き捨てる。」(真鍋,1985,P58)

 

新しい年が来る前に部落それぞれの暦を作り、古い暦を焼いたということになる。

 

その名の通りの行事が今も続いている。

12月中頃にある「火たきごもり」。

 

その日、それぞれの地域の小学生が公民館に集まって絵馬を書く。

早めのクリスマス会をした後、去年の絵馬を公民館前で焼いている。

これが今の「火たきごもり」。

 

一年の願い事を込めた絵馬を書き、古い絵馬を焼く。

形が変われど、似ているように思う。

 

暦を作るという命題が無くなったあとも、何とか行事を残そうとしたのだろう。

火たきごもりの当初の意味を初めて知った。

 

真鍋氏によると、この御火焚の名が希語の書物を意味するKitaphi(キタヒ)にあるという。


他にも真鍋氏はいくつか挙げられているので、要点を書く。

 

書物の別名がbiblon(ビブリオン)であり、日振(ひふり)に該当する。

日振とは「木の幹を小さく割って大小さまざまに一年の月日を並べ衆議一決するまで立て替え べ直して納得いくところまで日取りを組む」(真鍋,1985,P59)

 

これを氏族の皆に、触れて廻るのが「日振(ひふれ)」。

 

年毎の資料は神殿に奉納し子子孫孫に伝へる。これが國繰(くにくく)りであり、國縫(くにぬ)ひであった。(真鍋,1985,P59)

 

それは、国の大本に繋がる言葉だと思われる。

 

古来、筑紫には様々な言語から派生した言葉があった。

それを元とする行事が、未だにこの地では息づいている。

 

この地がまさに、神話の元になった「初めの地」ゆえである。

この土地が「神話」の初め。

それは、ここが今に繋がる「国の初め」であることを意味している。

 

ここにおられた彼らは、神話の神の全てなのだ。

 

 

 

 

(つづく)

 

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