続きです。

 

 

 

 

「冷水峠」は、筑後国風土記の「鞍韉盡坂(したくらつくしのさか)」であった。

では、そこを舞台にして、幾つもの伝承が存在する。

 

< 大根地山 >


一つ目、「冷水峠の側にある「大根地山」。
(「二つの伝承 5 ~大根地山~」)

 

大根地神社の由緒書では、「神功皇后」がその山頂で舞を舞い、天神地神を召喚していた。

「羽白熊鷲」を退治する為。


その「羽白熊襲」は、高良の伝承にある。
 

それは、「ヰルイ(異類)」と呼ばれる者。
その一つが、「羽白熊鷲」。
 

それを退治したのが「高良神と神功皇后」。 
彼らは常に行動を共にし、それらを退治していた。

 

 

☆1 では、「大根地山」の伝承は、高良の伝承と重ねると、
「高良の神」と「神功皇后」が「羽白熊鷲」を退治したことになる。



もう一つは、筑後風土記の「荒穂神社と筑紫神社」の伝承。
二つの伝承を繋ぐものが、その二つの神社にあった。



<荒穂神社と筑後風土記(筑紫神社)>


同じ話が元になった、その二つの神社の伝承。
しかし、退治した者の名に違いがあるのだ。

☆2 「荒穂神社(基山周辺の伝承)」では、「五十猛命」。
☆3 「筑紫神社」の筑後国風土記では、甕依姫(みかよりひめ。

(神社の御由緒にはないが、筑後国風土記に名がある)。

(「二つの伝承 7 ~冷水峠~」)
 

この二つの神社の伝承は、
同じ場所(鞍韉盡坂・したくらつくしのさか)」で、
同じもの「命尽くし神」を退治した話であり、
同じ話が元になっている。

☆4 ならば、「五十猛命」と「甕依姫」の二人が、「命尽くし神」を退治したことになる。
 

では、彼らは、二つの神社のご祭神の中に、名が残されているはず。


<御祭神の正体>

 「荒穂神社」のご祭神は、
   瓊々杵尊
  鴨大神
  八幡大神
  宝満大神
  春日大明神
  住吉大明神
  五十猛命

瓊々杵尊は、後に後付けされたものなので除外。
「五十猛命」は、基山の神であり、高良神であった。
(「荒穂神社の高良神 ~筑紫神の伝承 2 ~)

 

高良神は、饒速日命であった。

 

 

 

つまり高良神は、饒速日命であり、同神。
 



残るは、「宝満大神」。                .

                                                        .

 「筑紫神社」の御祭神は、 

  筑紫の宮・白日別神(しらひわけのかみ)「筑紫国の国魂神」
  五十猛尊(スサノオ尊の御子神)
  寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)
  田村大神・坂上田村麿命(さかのうえのたむらまろのみこと
(「二つの伝承 4 ~筑紫神社・ちくしの起源~」)

「筑紫国の国魂神」は、筑後国一之宮の高良大社の御祭神、高良神。
彼は、五十猛命と同神の「饒速日命」。

坂上田村麿命は、後世の功績による後付けなので、除外。

すると、「寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)」の名が残る。

この玉依姫は、竈門神社より勧請されたとある。                                           .
「竈門神社」とは、太宰府の「宝満宮竈門神社」のこと。
荒穂神社の「宝満大神」も、同じ「玉依姫」。


では、両神社とも同じ名が表れた。

☆5 「高良神(饒速日命)」と「宝満大神(玉依姫)」。


筑紫の神は「高良神」であり、「命尽くし神」は退治された方の悪神。

では、☆2と☆3の伝承と、両神社の御祭神は同じ。
 

両神社に祀られる神の名(☆5)から、
☆2の基山周辺の伝承の「五十猛命」と

☆3の「筑紫神社(筑後国風土記)」の甕依姫と、
それぞれの伝承にあった神は、実は一緒に行動していたことが分かる。
 

☆6 五十猛命=高良神(饒速日命)であり、
甕依姫=宝満大神(玉依姫)。



<宝満大神(玉依姫)とは>

その神が祀られる、太宰府の「宝満宮竈門神社」。
ご祭神は、玉依姫、神功皇后、八幡大神。 

 

 

(宝満山 上宮)

        
「玉依姫」
その名は「神の魂の依り代」、称号のこと。

神武天皇の母とされるが、この辺りには彼の伝承はない。


同じ社に祀られる神は同じ。
彼女は、神功皇后であり、「玉依姫」。

 

また高良玉垂宮神秘書などによると、

元寇が攻めて来た時、宝満山で退治を祈った。

彼らが嵐などに遭い、退却したので、神功皇后を聖母大菩薩と呼んだとある。

宝満山の神は、神功皇后なのだ。


では、荒穂神社の「宝満大神」と、
「筑紫神社」の寳満大神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)は、共に神功皇后。

そこに祀られる八幡大神は、饒速日命。

(「気比神宮 ~神功皇后と応神天皇の伝承地~」)      

彼らは、ほとんどの社で一緒に祀られる。
(「神の鉾 番外編 ~二柱の天照大神~」)



ここから、神功皇后の名が導き出された。

宝満大神の玉依姫は、神功皇后。
 

☆7 五十猛命=高良神(饒速日命)であり、
甕依姫=宝満大神(玉依姫)=神功皇后。


                     *

< 二つの伝承の神 >
 

すると、二つの伝承とも同じになる。
「大根地山」と「荒穂神社と筑紫神社(筑後国風土記)」の伝承。
そこから導かれる神の名が。


☆1「大根地山(大根地神社)」と高良玉垂宮神秘書から。
「高良の神」と「神功皇后」が「羽白熊鷲」を退治した
 

「荒穂神社」と「筑紫神社」の御祭神から

☆7 五十猛命=高良神(饒速日命)であり、
甕依姫=宝満大神(玉依姫)=神功皇す。

 

 

「命尽くし神」の伝承の正体が見えた。

「鞍韉盡坂・したくらつくしのさか」は、「冷水峠」。
「命尽くし神」は、「羽白熊鷲」。

それを退治したのは、高良神(饒速日命)と神功皇后(甕依姫)だ。



< 甕依姫 >

高良神は、饒速日命。
神功皇后は、甕依姫。

饒速日命の別名に、「大物主大神、倭大物主櫛甕玉命」がある。
(櫛甕玉比古も同神)
奈良の大神神社のご祭神の名。

 

もう一人、彼に近しい人で「甕」の別名がある人がいた。
「櫛甕玉姫」
彼の妃、「御炊屋姫(みかしやひめ)」。
彼女も神道では「玉依姫」とされている。



「二つの伝承」から導かれた、「五十猛命」と、「甕依姫」。
それは高良の伝承の「高良の神」と「神功皇后」。

「高良の神」は饒速日命。

「神功皇后」の名の一つが「甕依姫」。


彼女は、饒速日命の后であった「櫛甕玉姫」である、「御炊屋姫」。

やはり、ここにたどり着いた。

彼ら以外では繋がらない。
それは、これが真実であったということだ。

 

 

< 天照神と豊受神 >

神功皇后は、卑弥呼と比定されている。
彼女の名は、ヒミコではなく、ヒミカ。

神功皇后の名に「甕依姫」があるのなら、間違いない。

饒速日命は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命
日の神だ。

「ヒミカ」は、「日甕(ひみか)」。

「甕・ミカ」は、神への捧げものを入れる器の意味がある。
「日の神の依り代」の意味に繋がる。

それは「日の神の巫女」。

 

彼は天照大神であり、彼女は豊受大神でもあるのだ。

 

 

 

 

これらのことから、神功皇后は御炊屋姫であり、

高良神は饒速日命であることが、分かった。

彼らは、共に行動し「命尽くし神」である「羽白熊鷲」を退治していたのだ。
 

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「命尽くし神」の伝承は、「高良玉垂宮神秘書」の一文と同じ。

高良の神は、神功皇后と共に「異類」を退治した。
 

初めにそれを見た時、驚いた。

高良神は住吉神であり、饒速日命。

神功皇后は同じ時を生きていたのかと。

 

でも、必ずここにたどり着く。
 

 

二つの伝承が繋いだ、二柱の神。

でも、それぞれの伝承は、全て別々に語られている。

でも、追えば繋がるようになっていた。
高良の伝承が全てを繋いでくれた。 

 

 

 


高良神=住吉神は、那珂川の「現人神社」の神。

 

 

「国の大事の時、再び現れる神」として伝えられる。